バカンスの話
私達が滞在したアパートはココ。
Holiday park Villaggio Ai Pini***
Caorle(カオルレ)と書いてありますが、そこから車で20分ほど離れた隣町に位置しています。
念のため、砂浜を含めすべて人口(爆)新しくできたリゾート地といったところ。
でも、訪れていた観光客のほとんどが小さい子供(小学生ぐらいまで)連れ。ディスコなど青少年の施設が全くないので、そういう部分ではファミリーばっかりで気は全く使わなかったのが良かったです。オーストリアナンバーの車もたっくさん!ドイツ語も半分以上の割合で飛び交い、同じリンツのご近所さんナンバーの車もあったりして、イタリアにいるのに変な気分でした。
泊まったアパートメントは、もちろん安いのには訳があり、まず3食自炊(オプションで朝食などつけられます)。ベッドカバーなども含め、ほとんどものは自宅から持ってこなければならないこと。部屋に業者の清掃が入らないので、自分達で掃除をしていかなければならない。という点で安くあがっている様子。
良かった点はもちろん近くにプール&海があること。海は歩いて10分(子供が一緒だったので15分)、灼熱の下ではいささかグッタリでしたが、着けばそこには砂浜が広がり子供達も大喜び!浜は遠浅で、「ここまで」という看板のところでも大人の腰ぐらいの浅さ。つまらないと言えばつまらないけれど、これくらいも子供には丁度良し、といったところかな。
夜には近くの広場でキッズパークみたいなところが催され、メリーゴーランドに4人乗りの自転車など、楽しいイベントを毎日経験することができました(もちろんすべて有料)。
イタリアって隣の国なのに、スーパーに行くとオーストリアの食材とはまた違ったものがあったりして、ここにいるのが私的には一番楽しかった!形がデコボコのトマトとか、トマトだけでも種類がたっくさんあって、モッツァレラチーズだけでも迷うほど種類があって・・・と見ても見ても見飽きなかったな~。この食材に助けられ、毎日自炊も楽しく乗り切ることができました。1週間のうち外で食べたのはなんと2回、しかも立ち食いピザのみ(爆)!!セッセと3食の支度をしている自分に「何の為のバカンスやら」と自分でツッコミいれておきました

しかーし!そんな生活も4日もくり返すとただのマンネリ、少なくとも私にとっては(^^;3日目過ぎたあたりから、リンツに帰る日を恋しく指折り数えてました(爆)やはり典型的な日本人である私には、同じようなパターンで1、2週間過ごすというのは堪え難いことのようであります。
でもぽぽちゃんは毎日のように「ねぇ、パパはきょうもおしごとおやすみなの?まだイタリアにいられるの?」と聞いてきて、よっぽど楽しんでいるんだなぁ~と思ったら乗り切れました(笑)そうそう、行きの高速で降りたインターで感じたイタリアの風、漏れて来たエスプレッソの匂い、無性に嬉しくなったのを覚えてます。海外に住んでいると忘れがちな「海外に来て心が踊る」というのを久しぶりに経験しました☆
まーでも来年はいいかな、バカンスは(←オイオイ)
どうせだったら貯金して、いつか家族で日本を旅行してみたいなぁ。
バカンスの話(予定編)
前回の記事でも書いたけれど、家が好きというか、超出不精というか、とにかく最近はそこら辺のどんなに素敵なカフェでお茶するよりも自分ちでお茶する方が楽でいいという私は、今回のバカンス旅行に全く乗り気じゃなかった。
そもそも旦那さまが今年の夏は6週間も休みがあって暇なこと、子供の為に思い出作りをしてあげたいという要望で「子供のため」という言葉に弱い私は了承してしまったのだ。
しかしまー、単に「家族旅行したい」って言っても何と選択肢の多いことよ!
旦那さまは子供の頃に毎年2~3週間は家族旅行に行っていたそうで、最初の1週間はバカンス地に慣れるのに必要だから「最低でもトータル2週間は必要だ」と言い張ったが、私の「2週間なんて、そんな長いのはやめてくれ」という必死の懇願に「最低でも10日」くらいまで妥協してくれた(笑)
次にバカンス地候補だが、海に面していないオーストリア人である彼は、やはり「バカンス=海」が一番なんだそうだ。子供がいるとなると、砂浜がなお好ましい。
最終的に私がギリシャに行ったことがないと言うと「ギリシャを一度でいいから君に見せてあげたい!」という彼の要望で、クレタ島かその周辺の島が候補地に絞られた。
場所選びからホテル探しからもちろん旅行会社に行ってポーンと提供してもらうのもアリなんですが、私達凝り性ということもあって事前に色々と情報収集してからでないと・・・な~んて思ってたら、子供が寝てからの貴重な数時間がネットで毎日飛ぶように過ぎてしまいました(涙)
しかし最終的には二人とも膨大な情報量に溺れ(爆)ワケが分からなくなったのでとりあえずは旅行会社に行くことに(笑)
そこで突きつけられた現実。
子連れで家族4人、8月の一番高い時期にバカンスで名高いギリシャで10日もいたら、3000ユーロ(40万)は下らない!
もちろんホテルの☆の数をうーんと減らせばあるんだろうけれど、バカンスでストレス溜まる滞在は嫌な私はやたらめったら安いホテルには泊まりたくない。有名なクレタ島でなくちょっと不便な近辺諸島に候補地を変えてみたり、滞在日数を減らしてみたり・・・と色々模索したが、結局決まらず旅行会社を後にした(←嫌な客だな(笑))
旦那さまも予算から遥かにオーバーだったのがショックだったらしく、最初は「これじゃどこにも行けないねぇ」と呟いていたものの、
「それだったら、オーストリア国内だったらその分余裕のある旅行ができるのかも!」
と言い出し、またゼロからのスタート(涙)
・・・この時点で分かったこと。
私達二人、庶民なのに高級志向(爆)高級志向って聞こえはいいけれど、単にとっても口うるさいのだ。
ホテルって、というかホテルだけじゃないけれど、オーナーの理念とか生き方がちゃんと表れる。
お金を出して泊まりにいっているのに、中級程度のホテルでも安い家具が平然と置いてある、昔からの惰性で仕事している、というのはよくあること。「ここのホスピタリティ、いいね」というような宿は探したらあるのかも分からないけれど、滅多にないし、確実にそういうところに泊まろうと思ったら自分達が予測した倍以上の値段は必ずかかる。リーズナブルで自分達にピッタリのところなんてまず見つからない。ネットの写真に騙されたり、「これだけ出してこんなものか」という現実ばかり経験してきたのだ。
子供がいない頃は、宿は寝るためだけだった。身軽だったし、旅行の目的は宿ではなく他にあったから。学生だったからリーズナブルなところが一番だったこともあったけれど、子供がいたらそれが全く異なってくる。
子供が小さいと宿中心のプランになるし、自分も忙しい最中に来ているのだから癒しを求めたい。真心を込めてサービスしてくれるところがいい。
な~んて思って探していたら、オーストリア国内でもギリシャ旅行に負けない値段のものばっかり!!
あーきっと自分は、本当は旅をしたいけれど、こうなると分かっていたから「旅好きでない」と自分に思いこませていたんだワと納得しました(笑)
そしてバカンス旅行の話も旦那さまの口からだんだん出て来なくなり、「面倒くさい問題がなくなってよかった~」と思っていたら、お義母さんから
「あなた達にピッタリの旅行が見つかったわよ~!」
と連絡が。以前、旦那さまがバカンス地が見つからないと漏らしていたのを聞いていたらしい。
何でもイタリア北部ののCaorle(カオルレ)という、バカンスでは有名な土地らしく、そこから近い街のアパートメントに1週間で800ユーロというもの。あんなに探しまわった私達にとって、家族4人で800ユーロというのは激安に聞こえるのだが一体どんなものであろうか。
お義母さんは、もちろんその旅行の前にお義母さん宅に数泊するというプランも御丁寧に盛り込んで下さって(通り道なので)、今年のバカンスが決まった(涙←オイオイ)
(続く)
そもそも旦那さまが今年の夏は6週間も休みがあって暇なこと、子供の為に思い出作りをしてあげたいという要望で「子供のため」という言葉に弱い私は了承してしまったのだ。
しかしまー、単に「家族旅行したい」って言っても何と選択肢の多いことよ!
旦那さまは子供の頃に毎年2~3週間は家族旅行に行っていたそうで、最初の1週間はバカンス地に慣れるのに必要だから「最低でもトータル2週間は必要だ」と言い張ったが、私の「2週間なんて、そんな長いのはやめてくれ」という必死の懇願に「最低でも10日」くらいまで妥協してくれた(笑)
次にバカンス地候補だが、海に面していないオーストリア人である彼は、やはり「バカンス=海」が一番なんだそうだ。子供がいるとなると、砂浜がなお好ましい。
最終的に私がギリシャに行ったことがないと言うと「ギリシャを一度でいいから君に見せてあげたい!」という彼の要望で、クレタ島かその周辺の島が候補地に絞られた。
場所選びからホテル探しからもちろん旅行会社に行ってポーンと提供してもらうのもアリなんですが、私達凝り性ということもあって事前に色々と情報収集してからでないと・・・な~んて思ってたら、子供が寝てからの貴重な数時間がネットで毎日飛ぶように過ぎてしまいました(涙)
しかし最終的には二人とも膨大な情報量に溺れ(爆)ワケが分からなくなったのでとりあえずは旅行会社に行くことに(笑)
そこで突きつけられた現実。
子連れで家族4人、8月の一番高い時期にバカンスで名高いギリシャで10日もいたら、3000ユーロ(40万)は下らない!
もちろんホテルの☆の数をうーんと減らせばあるんだろうけれど、バカンスでストレス溜まる滞在は嫌な私はやたらめったら安いホテルには泊まりたくない。有名なクレタ島でなくちょっと不便な近辺諸島に候補地を変えてみたり、滞在日数を減らしてみたり・・・と色々模索したが、結局決まらず旅行会社を後にした(←嫌な客だな(笑))
旦那さまも予算から遥かにオーバーだったのがショックだったらしく、最初は「これじゃどこにも行けないねぇ」と呟いていたものの、
「それだったら、オーストリア国内だったらその分余裕のある旅行ができるのかも!」
と言い出し、またゼロからのスタート(涙)
・・・この時点で分かったこと。
私達二人、庶民なのに高級志向(爆)高級志向って聞こえはいいけれど、単にとっても口うるさいのだ。
ホテルって、というかホテルだけじゃないけれど、オーナーの理念とか生き方がちゃんと表れる。
お金を出して泊まりにいっているのに、中級程度のホテルでも安い家具が平然と置いてある、昔からの惰性で仕事している、というのはよくあること。「ここのホスピタリティ、いいね」というような宿は探したらあるのかも分からないけれど、滅多にないし、確実にそういうところに泊まろうと思ったら自分達が予測した倍以上の値段は必ずかかる。リーズナブルで自分達にピッタリのところなんてまず見つからない。ネットの写真に騙されたり、「これだけ出してこんなものか」という現実ばかり経験してきたのだ。
子供がいない頃は、宿は寝るためだけだった。身軽だったし、旅行の目的は宿ではなく他にあったから。学生だったからリーズナブルなところが一番だったこともあったけれど、子供がいたらそれが全く異なってくる。
子供が小さいと宿中心のプランになるし、自分も忙しい最中に来ているのだから癒しを求めたい。真心を込めてサービスしてくれるところがいい。
な~んて思って探していたら、オーストリア国内でもギリシャ旅行に負けない値段のものばっかり!!
あーきっと自分は、本当は旅をしたいけれど、こうなると分かっていたから「旅好きでない」と自分に思いこませていたんだワと納得しました(笑)
そしてバカンス旅行の話も旦那さまの口からだんだん出て来なくなり、「面倒くさい問題がなくなってよかった~」と思っていたら、お義母さんから
「あなた達にピッタリの旅行が見つかったわよ~!」
と連絡が。以前、旦那さまがバカンス地が見つからないと漏らしていたのを聞いていたらしい。
何でもイタリア北部ののCaorle(カオルレ)という、バカンスでは有名な土地らしく、そこから近い街のアパートメントに1週間で800ユーロというもの。あんなに探しまわった私達にとって、家族4人で800ユーロというのは激安に聞こえるのだが一体どんなものであろうか。
お義母さんは、もちろんその旅行の前にお義母さん宅に数泊するというプランも御丁寧に盛り込んで下さって(通り道なので)、今年のバカンスが決まった(涙←オイオイ)
(続く)
日本での滞在(雑記)その2
今回は滞在記というよりは、私の日本滞在中にぼんやりと考えたことです。
支離滅裂で面白くとも何ともなくて申し訳ないですが、お時間ある方のみどぉぞ(^^;。
母が3年前に突然亡くなってから、自分の人生にあった絶対的な自信のようなものを失ってしまった私。
人生何が起こるか分からない。
つまり「近しい人は平均寿命くらいまでは歳をとって、持病が悪化したり何かの病気で亡くなってもの」みたいなものが崩壊されて、家族、特に自分の子供においては「万が一」ということをかなりの頻度で考えるようになってしまったのだ。本当はネガティブなことはあまり考えない方がいいとは分かっているんだけれど、一種のトラウマみたいなものなのかな。子供だけでなく自分だっていつ死ぬか分からない。笑われるかもしれないけれど遺書だって書いたほど(爆)←弁護士さんに付いてもらったりした本物ではないから有効ではないんだけどネ。
で、実家は地震のおこりやすい地域なので、そんなトラウマもあいまって、母が亡くなって以来帰国すると、最初の1週間はは気が張って寝れなくなるんです。産まれてからこのかた地震に関してはなーんの不安も抱いたことはなく、学生時代も毎年のように地震訓練をやっていたものの、みんな地震慣れと言うか「くるくるって言って来ないじゃないか」みたいな雰囲気になっていて、私も母が亡くなるまでこんなに地震のことを怖く思ったこともなかった。
でも小さな子を抱えていると万が一のときには責任も伴うし、1人で逃げるのとは訳が違う。しかも自分の子供。タンスは落ちてこないか、どこに避難したらいいのか、水や食料はあるのか。靴も枕元に置いたり、避難用のバックも用意したり。それでも不安で。・・・ま、家がボロ古いというのもあるんだけれど(笑)
そんな不安も落ち着いてくると今度は母のこと。どうしても実家にいるだけに、母がいないことが頭から離れない。頭では理解しているけれど、心がいつも求めてしまうのか・・・自分の精神のバランスが保てなくて、必死に泣くのを堪えているかのような、張り詰めた感情に襲われた。
自分は逆境には強い方だと自負していた。母のこともちゃんと受け止め乗り越えたと思っていた。自分はもう結婚して子供もいる大人だし、母がいないからやっていけないだと言う方がおかしい。
でも実家に帰ると何故か子供に戻ってしまうんですねぇ・・・毎日オーストリアで子供を抱えて生活する為に張っていた気が緩んでしまうのか、もうドイツ語で囲まれたあっち(リンツ)に戻ることがとてつもなく大変なことに思えてしまう(笑)
今考えるとプチブルー状態だったのかな。自分に対しても過小評価してしまい、誰ともうまくやっていけないような気にまでなってました。
「あなたがいなかったら私、きっとオーストリアに帰ってないわ」とオイオイ泣きながら旦那さまに延々話を聞いてもらったけれど、彼曰く、大きなコンサートが終わった後など、彼も一種の鬱っぽい(抜け殻)状態になるそうだ。私もそういう状態だったに違いない。最後の1週間でやっと前向きに、オーストリアに戻る覚悟ができました。・・って日本の滞在の4分の3はブルーだったってことじゃん
それから海外など実家から遠く離れて暮らしていると、実家に帰ったときに嬉しさもひとしおだけれど、それだけじゃない感情も大きい。
孫に会えるのを楽しみにしている、年々老いていく親の姿を見たり、なんでもかんでも話せる身内がいたり、もちろん自分達が「一時的」にいるからこそ皆も気遣ってくれて居心地の良い滞在ができるのだと分かっていても、オーストリアに戻るときは身を引きちぎられるような思いがするのは私だけだろうか。
そんな混沌とした想いと共に考えさせられたこと。
自分は一体どうしたいのだろうか、その為にどうありたいのだろうか、漠然と抱えている不安の源や抱えている人間関係のトラブルの原因(もちろん私自身にある)なんかも含め、自分の心の奥の奥・・・の部分を突いたら分かることなのに、毎日の忙しさにかまけて見ようとしない部分。見ることが自分をえぐることになると分かっているからこそ見たくない部分。普段何重にも蓋をしているから、いつも同じところをグルグル回って解決しないこと。もちろんすべてのことが自分と向き合ったからって簡単に解決するとは思わないのだけれど、今回少し自分と向き合ってみた。でも自分自身のことを知るのが一番難しいのだねぇ・・・。
・・・ホントに駄文ですみません(笑)普段、ブログにはネガティブな部分を書かないと決めているわけでは全くなく、思考を文章化することは文才がないから全く筆が進まんのです(^^;。書いているうちに眠くなってやめ、をくり返しているうちに何日か経ってどうでもよくなり削除するパターンがほとんどで。。。
まー何が言いたかったと言うと、自分の軸がふらついている私は、せめてもの安心材料にしがみついているリンツの住居を離れるととたんに不安になるということです。もっと芯のある強い女性になりたい(旦那さまはこれ以上強くならないでくれぇ~と言ってますが(爆))。もっと自分というものをしっかり持ちたい。そのためにはやはり毎日毎日を流されずに意志を持って過ごさなければ・・・。とありきたりですが、9月から新学期を迎えるにあたって気合を入れてオーストリアに戻って来た次第です。
その割には旅行の荷物が全く片付いてませーん(←オイオイオイ)モノで溢れ帰ってこれ以上収納場所がないウチを誰か何とかして~!!←ってオチはこれかい!
支離滅裂で面白くとも何ともなくて申し訳ないですが、お時間ある方のみどぉぞ(^^;。
母が3年前に突然亡くなってから、自分の人生にあった絶対的な自信のようなものを失ってしまった私。
人生何が起こるか分からない。
つまり「近しい人は平均寿命くらいまでは歳をとって、持病が悪化したり何かの病気で亡くなってもの」みたいなものが崩壊されて、家族、特に自分の子供においては「万が一」ということをかなりの頻度で考えるようになってしまったのだ。本当はネガティブなことはあまり考えない方がいいとは分かっているんだけれど、一種のトラウマみたいなものなのかな。子供だけでなく自分だっていつ死ぬか分からない。笑われるかもしれないけれど遺書だって書いたほど(爆)←弁護士さんに付いてもらったりした本物ではないから有効ではないんだけどネ。
で、実家は地震のおこりやすい地域なので、そんなトラウマもあいまって、母が亡くなって以来帰国すると、最初の1週間はは気が張って寝れなくなるんです。産まれてからこのかた地震に関してはなーんの不安も抱いたことはなく、学生時代も毎年のように地震訓練をやっていたものの、みんな地震慣れと言うか「くるくるって言って来ないじゃないか」みたいな雰囲気になっていて、私も母が亡くなるまでこんなに地震のことを怖く思ったこともなかった。
でも小さな子を抱えていると万が一のときには責任も伴うし、1人で逃げるのとは訳が違う。しかも自分の子供。タンスは落ちてこないか、どこに避難したらいいのか、水や食料はあるのか。靴も枕元に置いたり、避難用のバックも用意したり。それでも不安で。・・・ま、家が
そんな不安も落ち着いてくると今度は母のこと。どうしても実家にいるだけに、母がいないことが頭から離れない。頭では理解しているけれど、心がいつも求めてしまうのか・・・自分の精神のバランスが保てなくて、必死に泣くのを堪えているかのような、張り詰めた感情に襲われた。
自分は逆境には強い方だと自負していた。母のこともちゃんと受け止め乗り越えたと思っていた。自分はもう結婚して子供もいる大人だし、母がいないからやっていけないだと言う方がおかしい。
でも実家に帰ると何故か子供に戻ってしまうんですねぇ・・・毎日オーストリアで子供を抱えて生活する為に張っていた気が緩んでしまうのか、もうドイツ語で囲まれたあっち(リンツ)に戻ることがとてつもなく大変なことに思えてしまう(笑)
今考えるとプチブルー状態だったのかな。自分に対しても過小評価してしまい、誰ともうまくやっていけないような気にまでなってました。
「あなたがいなかったら私、きっとオーストリアに帰ってないわ」とオイオイ泣きながら旦那さまに延々話を聞いてもらったけれど、彼曰く、大きなコンサートが終わった後など、彼も一種の鬱っぽい(抜け殻)状態になるそうだ。私もそういう状態だったに違いない。最後の1週間でやっと前向きに、オーストリアに戻る覚悟ができました。・・って日本の滞在の4分の3はブルーだったってことじゃん

それから海外など実家から遠く離れて暮らしていると、実家に帰ったときに嬉しさもひとしおだけれど、それだけじゃない感情も大きい。
孫に会えるのを楽しみにしている、年々老いていく親の姿を見たり、なんでもかんでも話せる身内がいたり、もちろん自分達が「一時的」にいるからこそ皆も気遣ってくれて居心地の良い滞在ができるのだと分かっていても、オーストリアに戻るときは身を引きちぎられるような思いがするのは私だけだろうか。
そんな混沌とした想いと共に考えさせられたこと。
自分は一体どうしたいのだろうか、その為にどうありたいのだろうか、漠然と抱えている不安の源や抱えている人間関係のトラブルの原因(もちろん私自身にある)なんかも含め、自分の心の奥の奥・・・の部分を突いたら分かることなのに、毎日の忙しさにかまけて見ようとしない部分。見ることが自分をえぐることになると分かっているからこそ見たくない部分。普段何重にも蓋をしているから、いつも同じところをグルグル回って解決しないこと。もちろんすべてのことが自分と向き合ったからって簡単に解決するとは思わないのだけれど、今回少し自分と向き合ってみた。でも自分自身のことを知るのが一番難しいのだねぇ・・・。
・・・ホントに駄文ですみません(笑)普段、ブログにはネガティブな部分を書かないと決めているわけでは全くなく、思考を文章化することは文才がないから全く筆が進まんのです(^^;。書いているうちに眠くなってやめ、をくり返しているうちに何日か経ってどうでもよくなり削除するパターンがほとんどで。。。
まー何が言いたかったと言うと、自分の軸がふらついている私は、せめてもの安心材料にしがみついているリンツの住居を離れるととたんに不安になるということです。もっと芯のある強い女性になりたい(旦那さまはこれ以上強くならないでくれぇ~と言ってますが(爆))。もっと自分というものをしっかり持ちたい。そのためにはやはり毎日毎日を流されずに意志を持って過ごさなければ・・・。とありきたりですが、9月から新学期を迎えるにあたって気合を入れてオーストリアに戻って来た次第です。
その割には旅行の荷物が全く片付いてませーん(←オイオイオイ)モノで溢れ帰ってこれ以上収納場所がないウチを誰か何とかして~!!←ってオチはこれかい!
日本での滞在(雑記)
へーとか為になるような情報は何にもなくて申し訳ないんですが(^^;、メモ程度に日本でのことをちょこっと書いてみようと思います。
1)ぽぽちゃんを保育園に入れました。
去年、気に入って通っていた児童館の隣に保育園があって一時保育をやってくれることが発覚。実家からも歩いて行ける距離なので、今年は思い切って入れてみることにしました。リンツでは日中はほとんど自分の為に時間を使うことはないけれど、その分、日本ではやることが満載な私。それにつきあわせるのも可哀想だし、ぽぽちゃんもお友達と遊ぶ方が楽しいと言う年頃になってきたのもあります。
そこ、1日最長11時間まで預かってくれて、一時保育を主としているからか、預け入れの時間からお迎えの時間まですべて自由。お昼も給食を選んでもいいし(250円)、お弁当持参でもいいし、午後から来てもいいし、おやつもお金を払えば出してくれるし(50円)、土日も普通にやっているし、海外から来た身としてはこれくらいの柔軟さがとっても有り難い!
1時間800円、1日(最長11時間まで)4000円、1ヶ月3万5千円(1日最長11時間)というお値段で最初はビビったけど(笑)、従兄弟達に聞いたら子供達が通っている幼稚園でも月2、3万はするので妥当ではないかと言われて、旦那さまと話あって入れることに決めました。
入ってみたらぽぽちゃんだけずばぬけて年上なことが発覚
同い年の子と遊んで言葉を覚えてもらおうという私の目論みが早くも崩れてガ=ン!でもぽぽちゃん曰く「やっぱりにほんのせんせいってやさしいね!」とのことで、毎日楽しく通ってくれたのが救いでした。事実、保育園の雰囲気や先生もみな優しく毎日楽しいイベントを企画してくれるので、私も帰ってから聞くぽぽちゃんの話が毎日楽しみでした。連絡帳もあり、毎日先生から一日の様子が書いてあって「さすが日本だなぁ」と感心したもんです。そのうち7月も後半になって夏休みに入った他の幼稚園の子がわらわらと入園。ぽぽちゃんにも同い年のお友達が一気に増えて楽しさが増したようでした。家でいきなり「おっぱっぴ~!」などと言い出したりするので「これがお友達の影響かぁ!」と笑わずにはいられませんでした。
よく考えたらリンツでは週に4日、しかも1日3時間しか幼稚園に行ってないのに、日本でいきなり1日6時間で週6日も行かせちゃったもんです。旦那さまも驚いてました。
2)タンタンまでも一時保育に(爆)
ぽぽちゃんは保育園に行っているけれど、タンタンはずっと家。どこまでも買い物につきあってもらったり遊びに連れ出したりとしていましたが、さすがにずっとベビーカーに収まってくれるほどの年頃でもなく、私もやりたいことが溜まってくるのでストレスに。
ぽぽちゃんの毎日の送り迎えで、保育園に着くとベビーカーを抜け出して一緒に遊びたがるタンタンを見ながら「一日だけだったらいいかも・・・」と決意し、預けてしまいました!
実家に帰っても母はいないし、父も一人で子供を見るのは2時間が限界、旦那さまもそうなので、ぽぽちゃんが産まれてから4年、日中自分の自由な時間が2時間以上あることがなかった私。
4000千円で買った時間(高いな(笑))、あまりに嬉しすぎて興奮して、最初はどうしていいかわからなかったほど(^^;
行き先はもちろんショッピング!そして、近くに会社があった妹がお昼に抜け出してくれて一緒にランチをしました。
「こんなに嬉しそうな姉ちゃん、見たことないね!」って言われちゃったよ(笑)
せっかくのご飯も普段の育児に追われている生活の為、やっぱり慌ただしく食べる癖がついていてあっという間だったけれど、たった6時間で本当に「充実した!」って思えるような時間を過ごせました。お迎えに行ったらタンタンは一日中全く泣くこともなく、おっぱいでしか寝ないのに先生がアッサリと寝付かせてくれてびっくり。タンタンが楽しんでくれたことで私もホッ・・・。
実は旦那さまには事後報告だったけれど、私がとっても楽しかったと告げたら「君がそんなに嬉しいんだったら僕も嬉しいよ。あと1回でも2回でもタンタンを預ければ良いよ!」と・・・(涙)実際お金がもったいなくてできませんでしたが(爆)特筆すべき素敵な日でした!!
(続く)
1)ぽぽちゃんを保育園に入れました。
去年、気に入って通っていた児童館の隣に保育園があって一時保育をやってくれることが発覚。実家からも歩いて行ける距離なので、今年は思い切って入れてみることにしました。リンツでは日中はほとんど自分の為に時間を使うことはないけれど、その分、日本ではやることが満載な私。それにつきあわせるのも可哀想だし、ぽぽちゃんもお友達と遊ぶ方が楽しいと言う年頃になってきたのもあります。
そこ、1日最長11時間まで預かってくれて、一時保育を主としているからか、預け入れの時間からお迎えの時間まですべて自由。お昼も給食を選んでもいいし(250円)、お弁当持参でもいいし、午後から来てもいいし、おやつもお金を払えば出してくれるし(50円)、土日も普通にやっているし、海外から来た身としてはこれくらいの柔軟さがとっても有り難い!
1時間800円、1日(最長11時間まで)4000円、1ヶ月3万5千円(1日最長11時間)というお値段で最初はビビったけど(笑)、従兄弟達に聞いたら子供達が通っている幼稚園でも月2、3万はするので妥当ではないかと言われて、旦那さまと話あって入れることに決めました。
入ってみたらぽぽちゃんだけずばぬけて年上なことが発覚
同い年の子と遊んで言葉を覚えてもらおうという私の目論みが早くも崩れてガ=ン!でもぽぽちゃん曰く「やっぱりにほんのせんせいってやさしいね!」とのことで、毎日楽しく通ってくれたのが救いでした。事実、保育園の雰囲気や先生もみな優しく毎日楽しいイベントを企画してくれるので、私も帰ってから聞くぽぽちゃんの話が毎日楽しみでした。連絡帳もあり、毎日先生から一日の様子が書いてあって「さすが日本だなぁ」と感心したもんです。そのうち7月も後半になって夏休みに入った他の幼稚園の子がわらわらと入園。ぽぽちゃんにも同い年のお友達が一気に増えて楽しさが増したようでした。家でいきなり「おっぱっぴ~!」などと言い出したりするので「これがお友達の影響かぁ!」と笑わずにはいられませんでした。よく考えたらリンツでは週に4日、しかも1日3時間しか幼稚園に行ってないのに、日本でいきなり1日6時間で週6日も行かせちゃったもんです。旦那さまも驚いてました。
2)タンタンまでも一時保育に(爆)
ぽぽちゃんは保育園に行っているけれど、タンタンはずっと家。どこまでも買い物につきあってもらったり遊びに連れ出したりとしていましたが、さすがにずっとベビーカーに収まってくれるほどの年頃でもなく、私もやりたいことが溜まってくるのでストレスに。
ぽぽちゃんの毎日の送り迎えで、保育園に着くとベビーカーを抜け出して一緒に遊びたがるタンタンを見ながら「一日だけだったらいいかも・・・」と決意し、預けてしまいました!
実家に帰っても母はいないし、父も一人で子供を見るのは2時間が限界、旦那さまもそうなので、ぽぽちゃんが産まれてから4年、日中自分の自由な時間が2時間以上あることがなかった私。
4000千円で買った時間(高いな(笑))、あまりに嬉しすぎて興奮して、最初はどうしていいかわからなかったほど(^^;
行き先はもちろんショッピング!そして、近くに会社があった妹がお昼に抜け出してくれて一緒にランチをしました。
「こんなに嬉しそうな姉ちゃん、見たことないね!」って言われちゃったよ(笑)
せっかくのご飯も普段の育児に追われている生活の為、やっぱり慌ただしく食べる癖がついていてあっという間だったけれど、たった6時間で本当に「充実した!」って思えるような時間を過ごせました。お迎えに行ったらタンタンは一日中全く泣くこともなく、おっぱいでしか寝ないのに先生がアッサリと寝付かせてくれてびっくり。タンタンが楽しんでくれたことで私もホッ・・・。
実は旦那さまには事後報告だったけれど、私がとっても楽しかったと告げたら「君がそんなに嬉しいんだったら僕も嬉しいよ。あと1回でも2回でもタンタンを預ければ良いよ!」と・・・(涙)実際お金がもったいなくてできませんでしたが(爆)特筆すべき素敵な日でした!!
(続く)
オーストリアに帰って来ました!
みなさま、ご無沙汰しております(;^_^A
残暑も厳しい今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
実は8月初めに、無事にオーストリアに戻って来ることができました~♪
その後イタリアにバカンスに行って来たので報告が遅れましたが、取り急ぎ例のパスポートの件について。
前回の記事に書いたように、子供達の分のオーストリアのパスポートを所持してないということで、帰りはかなりドキドキのフライトでした。
日本でのチェックインの際にも、フィンランド航空の方から、「お母さんのビザと子供さんのオーストリアのパスポートを見せて下さい」と言われ、子供の分は持ってこなかったことと、行きにヘルシンキの空港で咎められたことを話すと、やはり、去年あたりからヘルシンキ空港ではパスポート審査が厳しくなったことを告げられました。
「通されないことは滅多にないので、ほどんどの場合、通過できると思いますが」
と前置きされて、でも万が一
「片道チケットだけではここを通すことはできない。日本行きのチケットを買ってこないと通せない」
と言われたときには、その場でチケットを買わないと通れないそうです。
そうです、みなさん!パスポート審査の近くに航空会社のチケットブースがあるって知ってましたかぁ??
何年か前に美川憲一がハワイに行った際、パスポートの期限が迫ってるということで入国できず、そのまままた帰国した時に(←こういうどーでもいい話題こそ覚えてる私(爆))
「入国前にどこで帰りのチケットを買ったり、期日を変更できたりするんだろう」と思ってましたが、やっぱりそういう風にできてるんですねぇ。もちろんそこで買う人って強制的に買わされてる人だけじゃないと思いますが(乗り換えが遅れたり、急遽チケットを変更したい人だっているだろうから)、これで納得。
ってそんな簡単に話は終わらなかった(笑)
「もしそうなった場合に、お客様が『日本行きのチケットを買う』と今ここで了承していただかないと、航空券は渡せません」
ときたもんだ(爆)!
でも3人分の航空券を買うほどの現金を持ち合わせてないし、たった一枚持っているクレジットカードも上限が低いのでとてもじゃないけれど使えない。
事情を正直に話すと向こうも困った顔をしていたけれど「滅多につかまることはないので」と言ってチケットを渡してくれたので、その時点でかなりホッとした。
そして実はちゃんと見ていなかったけれど、ヘルシンキ空港でミュンヘン行きの飛行機に乗り換える時間は1時間しかなかったことに機内で気がつく
ヘルシンキで飛行機を降り、左手にタンタン、右手に鬼のように重い手荷物を持ってぽぽちゃんを連れて乗り継ぎ方面へ。
手荷物検査で長蛇の列
やっとのことで終わったと思ったら、パスポート検査でも長蛇の列!
この時点で、既に私の頭の中はパスポート審査のドキドキよりも「乗り継ぎに間に合うか」のことで頭がいっぱい。「万が一通らなかったら」などと考えている余裕などなかった。
審査では案の定、「どこに住んでるの?」「子供のビザは?」と聞かれて、子供がハーフなこと、オーストリアのパスポートを忘れてしまったことをたどたどしい英語で伝えると
「ホワィ?」
真顔で怒って来た
正直に知らなかったことと、日本に行く時に「次回持ってきなさい」と言われたから今はどうしようもないような旨を一生懸命伝えたら
「次回絶対忘れてはいけません」
と言われたけれど通してもらえました(ホッ)・・・・
それから乗り継ぎ飛行機までダッシュ!出発15分前に無事にゲートに着いて機内に乗り込むことができました~☆はぁ~疲れた(笑)
よく皆には「子供二人連れて一人で飛行機乗れたわね~」と言われたけれど、意外にもそっちの方は大丈夫でした。タンタンは1歳半で一番言うことを聞かずに動く時期なので大変でもあったけれど、ぽぽちゃんが4歳になったのもすごく大きいし助かりました。トイレも入り口まで連れていけば一人で用を足せるくらいになっていたし、タンタンが機内で走り回っている間(もちろん私はずっと後を追わなければならず)も、1人でずっとアニメ見てくれたし(笑)あ、そうそう、唯一大変なのは食事の時間だったかな。テーブルも出るからスペースも狭くなるし、食事の配膳でタンタンも廊下を歩き回れないし、目の前にある食事も手当たり次第鷲づかみ(←すいません、私の教育が悪いんです(^^;))、食事も食事だからはっきりいって食べた気はしなかったッス。
飛行機は一回離陸してしまえば動けるから楽だけれど、どっちかって言うとタンタンの年齢には、大人しくしてなければいけない近距離の列車の中とか(日本での話です)、チャイルドシートにくくりつけてなければいけない車で移動する方が大変だったかなぁ。
長くなってしまいましたが、そんなこんなの道中日記でした(笑)次回は絶対オーストリアのパスポートも収得して日本に向かいたいと思います!
残暑も厳しい今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
実は8月初めに、無事にオーストリアに戻って来ることができました~♪
その後イタリアにバカンスに行って来たので報告が遅れましたが、取り急ぎ例のパスポートの件について。
前回の記事に書いたように、子供達の分のオーストリアのパスポートを所持してないということで、帰りはかなりドキドキのフライトでした。
日本でのチェックインの際にも、フィンランド航空の方から、「お母さんのビザと子供さんのオーストリアのパスポートを見せて下さい」と言われ、子供の分は持ってこなかったことと、行きにヘルシンキの空港で咎められたことを話すと、やはり、去年あたりからヘルシンキ空港ではパスポート審査が厳しくなったことを告げられました。
「通されないことは滅多にないので、ほどんどの場合、通過できると思いますが」
と前置きされて、でも万が一
「片道チケットだけではここを通すことはできない。日本行きのチケットを買ってこないと通せない」
と言われたときには、その場でチケットを買わないと通れないそうです。
そうです、みなさん!パスポート審査の近くに航空会社のチケットブースがあるって知ってましたかぁ??
何年か前に美川憲一がハワイに行った際、パスポートの期限が迫ってるということで入国できず、そのまままた帰国した時に(←こういうどーでもいい話題こそ覚えてる私(爆))
「入国前にどこで帰りのチケットを買ったり、期日を変更できたりするんだろう」と思ってましたが、やっぱりそういう風にできてるんですねぇ。もちろんそこで買う人って強制的に買わされてる人だけじゃないと思いますが(乗り換えが遅れたり、急遽チケットを変更したい人だっているだろうから)、これで納得。
ってそんな簡単に話は終わらなかった(笑)
「もしそうなった場合に、お客様が『日本行きのチケットを買う』と今ここで了承していただかないと、航空券は渡せません」
ときたもんだ(爆)!
でも3人分の航空券を買うほどの現金を持ち合わせてないし、たった一枚持っているクレジットカードも上限が低いのでとてもじゃないけれど使えない。
事情を正直に話すと向こうも困った顔をしていたけれど「滅多につかまることはないので」と言ってチケットを渡してくれたので、その時点でかなりホッとした。
そして実はちゃんと見ていなかったけれど、ヘルシンキ空港でミュンヘン行きの飛行機に乗り換える時間は1時間しかなかったことに機内で気がつく

ヘルシンキで飛行機を降り、左手にタンタン、右手に鬼のように重い手荷物を持ってぽぽちゃんを連れて乗り継ぎ方面へ。
手荷物検査で長蛇の列

やっとのことで終わったと思ったら、パスポート検査でも長蛇の列!

この時点で、既に私の頭の中はパスポート審査のドキドキよりも「乗り継ぎに間に合うか」のことで頭がいっぱい。「万が一通らなかったら」などと考えている余裕などなかった。
審査では案の定、「どこに住んでるの?」「子供のビザは?」と聞かれて、子供がハーフなこと、オーストリアのパスポートを忘れてしまったことをたどたどしい英語で伝えると
「ホワィ?」
真顔で怒って来た

正直に知らなかったことと、日本に行く時に「次回持ってきなさい」と言われたから今はどうしようもないような旨を一生懸命伝えたら
「次回絶対忘れてはいけません」
と言われたけれど通してもらえました(ホッ)・・・・
それから乗り継ぎ飛行機までダッシュ!出発15分前に無事にゲートに着いて機内に乗り込むことができました~☆はぁ~疲れた(笑)
よく皆には「子供二人連れて一人で飛行機乗れたわね~」と言われたけれど、意外にもそっちの方は大丈夫でした。タンタンは1歳半で一番言うことを聞かずに動く時期なので大変でもあったけれど、ぽぽちゃんが4歳になったのもすごく大きいし助かりました。トイレも入り口まで連れていけば一人で用を足せるくらいになっていたし、タンタンが機内で走り回っている間(もちろん私はずっと後を追わなければならず)も、1人でずっとアニメ見てくれたし(笑)あ、そうそう、唯一大変なのは食事の時間だったかな。テーブルも出るからスペースも狭くなるし、食事の配膳でタンタンも廊下を歩き回れないし、目の前にある食事も手当たり次第鷲づかみ(←すいません、私の教育が悪いんです(^^;))、食事も食事だからはっきりいって食べた気はしなかったッス。
飛行機は一回離陸してしまえば動けるから楽だけれど、どっちかって言うとタンタンの年齢には、大人しくしてなければいけない近距離の列車の中とか(日本での話です)、チャイルドシートにくくりつけてなければいけない車で移動する方が大変だったかなぁ。
長くなってしまいましたが、そんなこんなの道中日記でした(笑)次回は絶対オーストリアのパスポートも収得して日本に向かいたいと思います!