35年前の中学受験は易しかった | 中学受験講師ブンブンのブログ

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中学受験の塾講師とプロ家庭教師をしています。指導のあり方、入試情勢、教えて思うことなどについて、書いていきます。

私が塾講師として、初めて中学受験指導をして受験生を送り出したのは平成元年(1989年)です。

大学院に入った年に中学受験塾で教え始めましたから、今年2024年の35年ほど前になります。

35年前は、現在より圧倒的に難関中学に合格しやすかったという話です。

 

35年前と比べると、現在は、圧倒的に難易度が上がっています。

35年前に偏差値60の受験生がタイムマシンで現在に来たら、偏差値は10以上下がって45~50になりそうです。

当時開成中学にギリギリ合格できる受験生なら、35年後の現在では千葉県の難関校・市川学園の合格は無理でしょう。

 

35年前と現在を比較すると、様々な点が異なります。

【1】入試問題が易しかった

当時の入試問題は、現在より圧倒的に易しかったのです。

流水算、つるかめ算、ニュートン算などのパターンを身に着ければ、ほぼ文章題は解けました。

私は中学受験の未経験者ではありましたが、さほど苦しまずに教えることができました。

当時の計算問題は、難関校であっても現在では信じられない易しさです。

ですから、成績不振の生徒に解かせて、自信を持たせるのに役立てています。

 

【2】あまり思考力は必要なかった。

算数の文章題は、パターンを覚えれば正解できる問題が大半でした。

初見の図形問題に、いかに粘って考えるかといった思考力を求める問題は、すごく少なかったのです。

理科社会でも、その場で問題文を読んで考えさせる問題は、ほとんどありませんでした。

ですから、国語の長文読解は別として、時間をかけて努力すれば偏差値55くらいまでは伸びる傾向にありました。

現在は、基礎知識はあって当たり前、さらに思考力・応用力が必要になっています。

 

【3】1年間の勉強で御三家合格も

平成元年の頃も、御三家は4教科受験でした。

中学受験勉強を新小6の2月3月から始めた生徒でも、吸収力がある生徒は御三家に届くことがあったのです。

新6年の2月に入塾して、中学受験勉強を開始した生徒がいました。ところが、分数÷分数の計算を習っておらず解けなかったため、私は授業後に補習した覚えがあります。その生徒は、吸収力と腕力があったため、女子学院に合格したのです。「1年間で御三家」は当時も少数派だったとはいえ、いくつか話は聞いたことがあります。

4年生は基礎力をつける準備体操のような時期で、本格的な勉強は5年から、5年の夏期講習から中学入試を始める生徒も珍しくない時代だったのです。

私が教えていた千葉県内の某大手塾は、開成中学に20人ほど合格させていました。社会は新6年2月から歴史スタートという今から見ると「のんびりカリキュラム」でしたから、結果的に短期間で御三家合格に結び付いたのでしょう。

 

【4】2教科校が目立つ

現在は、入りやすい一部の学校を除けば、国語算数理科社会の4教科入試が大多数です。

35年前は、国語算数の2教科入試が広く行われていました。

難関校でも、2教科校がありました。

【男子校】桐朋(国立市)、早稲田実業(当時男子校・新宿区)、立教(池袋)

【共学校】青山学院、成蹊

【女子校】大妻、共立(当時は御三家まであと一歩の人も入学していました)

5年の冬から受験勉強に参戦するとなると、基礎ができていない算数で苦しみながら、すでに塾で勉強を終えた社会の地理も合わせて暗記することになるわけです。かなり無理がでますので、理科社会には手を出さずに、国語算数に絞ることが多かったです。

また当時は、難関校に合格できなければ、公立中に進んで高校受験で再挑戦!が広く行われていました。成績が伸びずに偏差値42、だったら苦手な理科社会をカットして、2教科で偏差値50超えを狙うという選択肢もあったのです。

昭和63年(1988年)の上位校偏差値『日能研R4』(男子用)↑

★赤い学校名は2教科校です。

★難関校でも大学付属を中心に2教科校が目立ちます

★御三家は、ほぼ同レベルでした。

★千葉県は、まだまだ中学入試が盛んでなかったです。

渋谷幕張が、市川(当時男子校)・東邦を抜くのは平成になってからです。

★開成、桐朋、成城学園は2/1.2の2日間入試でした。

(追加・栄光学園が開成より偏差値が高いですが、これはトップ層が2月1日は麻布・駒東・普通部などに分散するのに、2月2日は栄光に上位層が集中したためと思われます。)

 

【5】自己流の講師が多数

35年前は、成績アップへの道は、確立されていない部分が多かったのです。

問題集の解答解説も荒っぽく、あまり細かくは書いていません。ですから

★「ニュートン算なら説明はこうする!」といった部分は、それぞれの先生の解釈でした。

★つるかめ算を教えるのに、XとYを使った連立方程式で説明していた先生も、何人か見たことがあります。

★食塩水の問題は、「てんびん」「面積図」「徹底的に式」など色んな流儀がありました。

玉石混交の、自己流の指導が目立ち、それでも成績を上げられたのです。

20年ほど前は、とんでもない低レベルのプロ家庭教師が珍しくありませんでした。他の家庭教師から交代して指導を開始したところ、前の先生のレベルの低さに唖然としたことが何度もありました。ここ10年くらいは、ほとんどありません。

 

【6】効果的な教材が不足

教材も同様です。

中学受験はまだ一部の人に限定されていましたから、問題集・参考書は数少なかったのです。

理科社会の復習では「コアプラス」「メモリーチェック」といった定番の教材は皆無と言ってよい状態でした。

解き方も、使用教材も、定番の王道とでも言うべきものが、定まっていなかったと言えるのです。

当時は競争が「ゆるい」からでして、激しい競争の現在では考えられない「おおらかな(?)」時代と言えました。

私が会社員を辞めた30年前、食いつなぐために日能研で教え始めました。一貫して日能研の独自教材を利用するため、自己流の説明が入る余地はほとんどありませんでした。「これを勉強すれば合格に近づける」という考え抜かれた教材だと感じました。

 

 

 

現在は35年前より、塾でも家庭でも、適切な教材や勉強法が広まりました。

そして、効果的に実力・学力を上げやすくなりました。

このこと自体は良いことなのですが、弊害も生じてきたように思えます。

 

 

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