2024年9月4日から7日にかけての夜行(車中泊)3泊3日の信州旅行記をお届けしています前回はこちら👇
さて、上高地を後にしましたchu一行は本日のお宿である松本市の中心街にやってきました時刻は15時少し手前。昨夜は車中泊の上、早朝の5時前には始動していましたので睡眠時間は5時間弱とやや少なめ。そのため早めにチェックインして少し身体を休めたい…と思っていたのですが、これは予め分かっていた事でしたがホテルのチェックインは16時から皆さん、これってあまり聞かないですよねフツー、お宿のチェックインは15時が基本だし、例えばメンバー会員であればアーリーチェックインで14時ってところもあるのに、この某ホテルでは、メンバーのアーリーチェックインが15時なんですその某ホテルとは…👇
ん、ただのビジネスホテルなのですが稼働率がハンパないblogUp用にリンクしたのですが、なんと今週末まではほぼですよ一体全体、松本市に何ゆえ、かような宿泊需要があるのか分からないま、かく言うchuも、松本市の中心部ではなく上高地訪問が第一の目的でしたがねで、15時にはホテルに着いちゃいましたので、荷物をフロントに預け、本当ならばチェックイン後でなければ駐車場も利用出来ないのですが、1時間分、おまけして駐車場に入れさせてくれたのでこの対応はなお、松本駅周辺のビジネスホテルの駐車場(提携駐車場が殆どです)は軒並み1日1200円程度であるところ、「東横イン松本駅前本町」では敷地内に立体駐車場があり、かつ1日500円でしたからこちらはかなりお得でしたそれでは松本市内の散策に繰り出しましょうホテルから歩いて10分の所には天下の名城「国宝 松本城」があるのですが、それは明日、訪れますので町の中心街をそぞろ歩きしますホテルから少しだけ北に向かって歩くと小河川を渡ります。そして真正面には美ヶ原晴れてますねぇ天気予報の通りだけど、あそこに行くのは今からでも、そして明日でもなく明後日です。ウェザーニュース社の天気予報ではこの3日間は晴れ予報でしたから、何とか明後日も晴れでお願いしたいものです
そしてこちらの小河川は女鳥羽(めとば)川。松本市東部の三才山(みさやま)を源とする一級河川で、街の中心部を東から西に流れ、やがては梓川に合流します。街の中心街を流れていますが御覧のように小河川、ですが松本市民の方にはとても馴染みのある川なのだそうですchuがかつて、社会人東京デビューを果たした時に勤務していた東京は千代田区九段南にある関東支社時代、関東支社のエリアには松本市にもブランチがあり、そこから来る報告書を読んでいた時に、頻繁に女鳥羽川付近の情報が綴られていましたからchuは昔からこの川の名前は知っていました
そして2007年5月、chuは超特急で松本を訪れたことがあるのですが(※chuならぬ注 滞在時間がとても短かった、ということであって、新幹線で訪れたのではありませんそれに松本駅には新幹線は通ってませんから)その際、チラ見してとても気になっていたのがこちらの場所👇(写真は2007年5月訪問時のものです)
なんか、“いい感じの通りだな”と思っていたのですが、この時は松本城まで行って、場内には入らずに直ぐに松本駅に戻り、そこから長野市内に向かいましたのでじっくりと街めぐりする事が出来ず、ずっと気になっていたのでした。で、今回初めて行ってみた
通りの入り口には何故かカエルのオブジェが
ここは「なわて(繩手)通り」という商店街なのです👇
同所は松本城から徒歩で5分、松本駅からでも徒歩10分の松本市の中心街にありますなわて通りの両脇には長屋風の個性的なお店が軒を連ねており、すぐ南側には女鳥羽川が流れる200mほどの商店街。通り途中の北側には明治期に天皇陛下が御巡幸されたことで「四柱神社」(よはしらじんじゃ)が設立され、以降、賑わい始めたとのことです。そして通りの途中からでも女鳥羽川の河原にも降りられるなど、市民の憩いの場所になっているようです。またなわて通りの名称は、“縄のように長い土手”から「繩手」と呼ばれるようになったのだそうなのですが、松本城から歩いて近いこととなわて通りは何時も歩行者天国であることなどから、商店街と言う名前こそ付けられていますが、松本市民の方が日常のお買い物に立ち寄られるようなお店というよりは、松本を訪れる観光客向けのお店が建ち並んでいるのです。しかし初めて本格的に松本を訪れた観光客であるchu一行にはばっちりの“商店街”でありましたまた、なわて通り入り口にありましたカエルのオブジェですが、これは1972年にカエル大明神が祀られ、2001年より「松本かえるまつり」が開催されるようになり、松本市は“かえるの街”として知られるようになったそうです。なわて通りは、その昔は金物屋さんや雑貨屋さんなど、日常品を扱う市民向けのお店もあったそうなのですが、最近ではこうしたお店は衣替えをし、おしゃれな雑貨屋さんが増えて国内外の若い観光客の方で賑わっているそうです。chu一行は“若い観光客”ぢゃなくてスミマセンそしてこちらが「四柱神社」👇四柱の名称は天之御中主神、高皇産霊神、神皇霊神、天照大神を祭神とし、4柱の神を祀ることによるから命名されたのだそうです
通りの中ほどにありました「繩手」の石柱。繩手が江戸時代末の旧町名であったことが記されています。そして松本には松本城がありますから、当時は城下町として繁栄を極めていた事でしょう
こちらは“繩手と蛙”の関係を説明しています。要約しますと、昔、この地には「河鹿蛙」が美しい鳴き声を響かせており、「四柱神社」から流れる太鼓の音やカエルの鳴き声、アセチレン灯の臭い、金魚すくいの掛け声や打ち上げ花火の音など、独特の情緒漂うエリアだったそうなのです。しかし何時の頃からか河川の汚染が進み、河鹿蛙はいなくなり、なわて通りの活気が失われた時期があったそうです。そのため、かつての情緒ある通りを取り戻そうとして、1972年(昭和47年)に「カエル大明神」を祀り、もう一度、水清く活気ある通りにカエようと、新たな取り組みが始まり、以来“蛙の街”として、市民や旅行者がホッとできる通りとして現在に至っているそうですなるほど、なわて通りの入り口にありましたカエルのオブジェ、の理由が分かりましたしかし、“変える”の「変え」を蛙のカエ、にかけているところに、センスを感じでしまうのはchuも古い人間になってきたからなのでしょうか
この小さな祠が「蛙大明神」です
僅か200mほどの“商店街”ですが、確かに個性的なお店が多く外国人の観光客や若い旅行者には新鮮に映ることでしょうこれから松本市を観光で訪れる方がいらっしゃいましたならば、是非、「なわて通り」はお訪ねになるといいですよ
さて、なわて通りを散策した後は、女鳥羽川を渡り南に移動。“蔵のある中町”、で知られる中町通りを歩きます中町通りとは👇
女鳥羽川を挟み、北になわて通り、南に中町通りです距離は東西に200m程ですのでなわて通りと同規模ですが、こちらにはお洒落な長屋風のお店はなく、蔵が連なる通り。ただ、なわて通りと異なり歩行者専用道路ではないので、街歩きをする際にはへの注意が必要ですそして中町商店会は、松本駅と松本城のほほ真ん中に位置していることと、先ほど歩いていましたなわて通りとはほんの数分で行き来出来ますので、趣きが全く異なる商店街を歩くのはとても興味深いものがありましたこちらは中町通りにある蔵の解説地図
そしてこちらが蔵の街並みをしたものですこの中町通りは善光寺街道沿いに位置しており、かつてはさまざまな問屋が集まっていたそうなのですが明治21年の大火で多くの家屋が焼失しかしその時に焼けずに残った家屋の多くは土蔵造りの建物だったため、やがて火災から商品を守るために、土蔵造りの建物が建設されるようになったそうです。そして以後、中町通りは「蔵のある街」と呼ばれるようになったんですって
こちらは中町通りのランドマークとなっている「中町蔵シック館」そして軒先には杉玉がぶら下がっていることから分かる通り、元は「大禮酒造(たいれいしゅぞう)」という酒屋さんです。内部の見学は自由、ここ中町通りはなわて通りと一緒に是非、訪れてみてくださいそして時刻は16時を過ぎましたのでホテルのチェックイン時刻になりましたのでホテルの戻りましょうか…しかし朝から活動しまくりで、喉が渇いたですが今日はもうハンドルは握りませんからOKです。コンビニで缶ビールを買い冷房の効いたホテルの部屋で飲むことも出来たのですが、それでは街歩きをしている意味がありませんで、再びなわて通りへと足を進めました美ヶ原を見て…
電波塔が建ち並ぶ美ヶ原高原の頂上部。“美ヶ原高原”という名前ですが標高2034mを誇る日本百名山の「山」なのですchu一行は明後日、あの頂きに立つ予定です。今日のこの天気を何としても維持してもらいたいものですただ残念ながら、今日の上高地方面は午後から曇ってましたから、好天であれば美ヶ原高原からは、常念山脈の“衝立”に邪魔されず、槍ヶ岳や穂高連峰が眺められるのですが、今日は残念ながらダメでしょう
ここは「松本城大手門枡形跡広場」。同広場に隣接するのはお城をモチーフにした交番ですホントは女鳥羽川の河川敷に降りてしたかったのですが、この時刻になっても外気温は30℃をゆうにi超えています超えていますですのでなるべく汗をかかないよう、この広場のベンチに座りビールを飲み干しました
さてと、のどの渇きも癒えましたのでホテルに戻るとしましょうかすると街の中心街に“牛つなぎ石”なる石がありました。この石の起源は松本が甲州を地盤とする武田信玄の支配下にあった時代に遡ります。その時、敵対関係にありました越後の上杉謙信は、南(現在の静岡・愛知両県)から続く「塩の道」を今川、北条に断たれ、そのため窮地にあった信玄に塩を送ったそうなのです。そしてこのことから“敵に塩を送る”と言う格言が誕生。謙信の、この義侠心のある行為に対して、この格言がよく使われているのですが、それは永禄11年(1568)1月12日、本町と伊勢町の角にある「牛つなぎ石」の場所に、塩を積んだ牛車が着いたのが起源なのだそうです。そして後にこの義侠心のある上杉謙信を讃え、感謝の日として塩市の行事が誕生。明治になり、塩は国の専売となり、その後、松本が飴の生産日本一ということもあって飴市となって、一月の第二の土日に開催されているのだそうです。そして今では「全国あめ博覧会・即売会や歩行者天国」や「塩取合戦(綱引き)」「時代行列」「音楽隊パレード」「太鼓連と演舞連の共演」など様々な催しが行われる、松本の新春イベントとなったそうですですがこの“敵に塩を送る”は、謙信が信玄に塩を送ったとされる260年後の江戸時代後期に、当時の思想家でもあり歴史家でもあった頼山陽が、この古事を美談として「日本外史」に綴ったことで世に広く知られるようになったそうなのですが、現在の研究では、当時の書簡類に「上杉方が塩を送った/売った」あるいは「武田方が受け取った/買った」という文献(記録)は見つかっていないことから、実はこの古事は“後世の創作”というのが現在の通説との事ですしかし研究が進むことにより、正確な史実が解明され過ぎるというのも、浪漫がなくなってしまうものなのですね
間もなく「東横イン」に到着です。ここからなわて通りや中町通りは徒歩10分圏内ですから、チェックイン前の程よい散歩となりました。東横インさん、チェックインを16時以降に設定してくれていてありがとね(痛烈な皮肉ですですがもし15時にチェックイン出来ていたら、多分仮眠しちゃったかもですから、今となっては厳格な規則に感謝もしています)
こちらが「東横イン松本駅前本町」実はこの東横インは徒歩10分もかからない松本駅前にももう一つ、系列のホテルがあるのですが、こちらの方が街中散策に便利である上に駐車場もホテルの敷地内にあり、かつ駐車料金も安いので、を用いた旅で、松本市内でのビジネスホテルの宿泊を考えている方は、こちらは断然、おススメですよ
さて、部屋に入り、後で夕食いゃ、ですがまだ少し早いのでひとっ風呂ならぬシャワーを浴びることにします。身も心もスッキリしての松本市街地の夜の散策でございます時刻は17時を過ぎたところ。太陽の日差しはまだ十分に届いていますそしてchuは松本の市街地の地理は殆ど分かりませんから、とりあえず一旦、松本駅に向かうことに致しましょうか
するとなんとこの時刻(17時30分過ぎです)であるにも関わらず外気温は31℃でございます信州の、避暑地にも近い松本市で、ですよ
そして目当てのお店に到着このお店は「風林火山」て、最初は“はて、何ゆえに信州なのに「風林火山」”と思ったのですが、先ほどの「牛つなぎ石」の説明…は、“敵に塩を送る”は創作であったとしても、“当たらずと遠からず”で、武田信玄が松本を自分のテリトリーにしていたのは事実でしょうから、なるほど、松本駅前で“風林火山”は有りなのかもしれません事実、天文19年(1550)に武田信玄に攻められた小笠原長時は松本城を放棄し、信州から撤退してしまったのだそうです。なお松本城の歴史につきましては次回blogにて詳報予定ですで、こちらは居酒屋の「風林火山」👇食べログにも、“長野の郷土料理が食べられる居酒屋です。口コミも高く、通常は予約必須らしい…今回は夜遅めの時間に入店したので、予約なしで入れました。それでも店内はほぼ満席!活気のある店員さんの接客に始まり、店内の居酒屋らしい雰囲気にテンションが上がります”とのコメントがあり、これが決め手となり、こちらのお店を選びました
で、先ほどの食べログに投稿された方は夜遅くの訪問、とありましたがchu一行は開店から比較的直ぐの入店となりました。予約はしてはいなかったのですが、幸い直ぐに席に案内はされましたが18時前には満席になりましたから、早めに入店していて良かったです
それでは、この日のメニューを御紹介“信州の郷土料理”を味わいたくこちらのお店をチョイスしたのでした最初のものは付け出しですが、とても美味しかったそして信州と言えばなんと言いましても馬刺し“日本三大馬刺し”なるものがあるとすれば、それはchuの第二の故郷である福島県の会津地方と、熊本県、そして信州でしょうてか、「日本三大馬刺し」はありましたそして信州サーモンサーモン=鮭に近いものなので海産物となりますが、御存知のように長野県は海なし県ですので海鮮ものが入ることはないのですが、ところが信州サーモンとは「鱒」であります
信州サーモンは、長野県水産試験場が約10年かけて開発し、種苗生産や養殖を行うために水産庁に申請したマス類の新しい養殖品種だそうです。平成16年4月26日付けで承認されたもの。で、何時も食べなれている海のサーモンと比べるとあっさり味です。注文の際、信州サーモンをお願いしたのですが、その信州サーモンでも複数の品種あるいは部位かも知れませんが、食べ比べを勧められましたのでそれをお願いしました3つ並んでいる刺身の盛り合わせですが、一番右側が馬刺しで、左二つが信州サーモンです。とても淡白でした
それぞれ馬刺しと信州サーモンのアップです
お次は正に信州の郷土料理である山賊焼き。こちらは鳥のもも肉を揚げたもの。ちなみにもも肉を揚げたものが何時も食べなれている“鳥の唐揚げ”なのですが、同じもも肉を揚げたものでも調理の仕方により何時もの食べ慣れている「鳥の唐揚げ」とは全く異なりました一枚肉をそのまま揚げていて、揚がった後に食べやすいように小さく切り分けているようですが、やはりどこか違いましたお次は「松本大油揚げみそ焼き」。chuは全般的に豆腐系が大好きですので美味しかったです。以前、新潟県の長岡を訪れた際に食べました「栃尾あげ」は絶品でしたが、こちらの油揚げは“大油揚げ”と「大」が付くほどではなかったような気もしましたが
「山賊焼き」で検索すると、このような写真のものが出てきました。発祥は塩尻市の「山賊」という居酒屋さん店主の風貌が山賊に似ていたことから“山賊焼き”と命名されたのだとかで、先ほど山賊焼きを“信州の郷土料理”と綴りましたがどうやらそうではない模様2000年代に入ってから、松本市や塩尻市が町興し的な一環として、行政主導で広がったメニューのようです。また食品調味料大手の「日本食品」が、「山賊焼き」の商標を登録しているそうです
なお「東横イン」では無料の朝食が提供されるのですが、そこでも山賊焼きが出ました(朝から少々重たい)が、こちらで戴いたものとは食感も味覚も全く異なりましたので、飲食店でもそうですが、各ご家庭によっての“わが家の山賊焼き”というのがあるのかも知れませんこれは例えばchuの地元の千葉県では、鴨川市で提供されている海鮮丼を、わが家を意味する方言の、“おらが”から「おらが丼」と呼ばれていますが、今では有名な郷土料理に位置付けられているのと同じかも知れません(海鮮丼は、海があるところには全国どこにでもありますからね)。もちろん、お店によって出される海鮮丼にはそれぞれの特徴があり異なっていますあ、今日食べたものはこちらのメニューから選びました。ただ左端に出ているお店としてはイチ押しの、刺身盛り合わせは、三方を海に囲まれ新鮮な海産物を味わえる千葉県から訪れているchuが注文することはありませんでしたそしそしてお酒は地酒もしこたま頂戴しました
呑んで食べての2時間これは事前に時間制であることを店員さんから言われていたため、キッカリの時間で退店しました。人気店ならではの取決めですね。これ、例えば金曜日の東京都心部や、千葉の松戸であっても駅前のお店など、人出が絶えない場所に立地しているお店であれば時間制なのですが、この日は平日、しかも地方都市の松本ですよと思ったのですが、松本市は長野県第2の都市であることと、観光客が多数訪れる街、そして松本駅からも近い立地ということもあっての時間制なのでしょうとにかく、“地のモノと地酒”を戴き、信州の初日を大満足に終えることが出来ました
「東横イン松本駅前本町」に戻ってきました途中の道すがら、コンビニに立ち寄りお部屋で二次会代わりに飲むを仕込んで、また飲みました明日の出発予定時刻はそう早くはないので、しこたま飲んでも安心です
信州旅行、一日目が終了しました以下次号