2024年9月4日から7日にかけての夜行(車中泊)3泊3日の信州旅行記をお届けしていますウインク前回はこちら👇

今回のblogではサブタイトルを変えてみましたウインク上高地のランドマークである河童橋からさらに奥の明神へ…は一般の観光客もいないわけではありませんが大正池~河童橋間の散策ルートとは異なり、さらに今回は7月の大雨の影響により梓川左岸ルートがクローズになっていましたから、より“トレッキング度”が上がっており、上高地(河童橋)~明神を往復する場合の履物は、スニーカー等ではなくトレッキングシューズが推奨される足元となっているなど、お気軽なハイキング気分、からはやや、ハードルが上がるのです。今回、chu一行が歩いていくルートはこちら👇(前回blogのものと重複します)

そしてこちらの写真も前回blogに掲載していますのでダブっちゃいましたが、結果としてこちらが今回の上高地訪問では最後の雄姿を見せてくれた奥穂高岳(3190m=日本第3位の標高を誇ります(^^)v)となりましたニコニコchuも、(もう二度と登れないので笑い泣き)登った気持ちで、奥穂高山荘から奥穂高岳への登頂を記録したYouTubeをリンクさせて頂きますウインク

こちらは岳沢湿原 奥穂から、岳沢ルートで下山してきて一般観光客も行き交う河童橋~明神間の、梓川右岸ルートに位置しています。同ルートは、この湿原部を避けるために大きく膨らんでおり、その差が右岸と左岸ルートの距離の違いにも表れていますニコニコ(河童橋~明神間は右岸ルートは左岸ルートに比べて距離だけでも約600m違う上にアップダウンが加わりますから、より汗をかきますあせるあせるあせるニヤニヤ)

そしてひぃこらひぃこら、アップダウンを繰り返して明神橋の袂に到着しましたウインク河童橋から1時間ですビックリマーク

前方に見えているのが明神橋。雨の影響がなければ槍・穂高を登るアルピニストは梓川左岸を歩き続けることと、穂高から岳沢ルートを使って降りてきたアルピニストは、梓川右岸ルートに合流した後、そのまま右折して河童橋に向かいますので実は登山者はあまり渡らない橋でもあるんですニコニコ

ここは梓川右岸のポイント。7月の大雨により河童橋~明神間の梓川左岸ルートはクローズされていましたので槍・穂高を目指すアルピニストはこの橋を渡り、「明神館」のある明神ポイントと、そこからさらに北に向かい徳沢、横尾へと至り、そこから二手に分かれてそれぞれ槍ヶ岳と奥穂高岳とを目指すのですウインク

で、実はchuが明神橋を渡るのは今回が初めてクラッカー合格だって、今までの山行では通らないんだもん爆  笑

明神橋を渡り切り、振り向くと背後には明神岳がビックリマークで、一口に「明神岳」と言っても実は一つの山ではなく、一番標高の高い2931mを主峰、から標高2726mまでの5つの峰の総称をさして「明神岳」と呼んでいます。岩峰のためロッククライミングをされるクライマーたちがチャレンジされる山で、chuには無縁です口笛ですが、ロッククライミングなど、命知らずの危険な所業、と思われていたのですが、安全ベルトで保護されているといはいえ、いつの間にかに室内競技ながらオリンピック種目にもなっているのですから、驚きを隠せませんニヤニヤ

こうして見ると、目の前に岩峰が迫っていますから迫力がありますウインクけど、あの岩峰にとりつかれるクライマーの方の気持ち…は、分かりません爆  笑そしてなんでも、明神岳は登山の対象としての山ではないようでびっくり専ら、岩峰を極める方のみがチャレンジされる山との事で、そのため所謂、登山道はなく、果敢にも岩峰にチャレンジされている少数のクライマーの方の踏み跡だけが頼りなのだとか叫びその点、“日本のマッターホルン”である槍ヶ岳、も3180mの標高を誇る岩峰ですが、登山道には梯子も架けられており、慎重に行動しさえすれば、大きな危険を冒さなくとも槍の穂先に立つことが出来ますウインク何を隠そうこのchuも、3回程槍の穂先を極めてはいますが何せ40年も昔の事なのでデジカメなどはなく、今では写真も残っていません泣そして穂高連峰登頂の時もそうでしたが、槍ヶ岳の時も3回ともすべて、その頂は霧の中でしたえーん

昔は木製であったであろう明神橋は、今は一部にコンクリートも使用されているなどかなり頑丈な橋ですウインク

そして河童橋とともに同じく吊り橋の構造は、いかにも山岳地らしくて周囲の風景に溶け込んでいますウインクたとえ護岸に自動車が止まっていようとも、です爆  笑あ、あの自動車は工事関係車でして、梓川右岸には散策コースの外側に護岸整備などを行うための自動車が通れる道路があります。どこまで続いているのかなぁ…横尾までは続いていないようです。ですが横尾までの梓川左岸ルートも車は通れますから、槍・穂高への本館的な登山道が始まる手前の横尾までは、物資を運ぶ自動車も頻繁ではないですが通行しているものと思われますウインク

お次は明神池へと向かいます。すると何やら手前には鳥居がありましたニコニコ実はこの鳥居、本宮はJR大町線、穂高駅近くにあります「穂高神社」の奥の院(奥宮)。そしてその「穗髙神社」は日本アルプス総鎮守(“日本アルプスビックリマーク”ですから驚いたびっくり北アルプスだけぢゃなくて、その全域が長野県内にある中央アルプスや、はたまた長野県にはあまり多くはかかっていない南アルプスも含めての「日本アルプス」ですから、こりゃたまげました叫び)と崇められ、中部山岳国立公園である上高地の明神岳の直下にたたずむ明神池の畔に鎮座しています。こちらが穂高神社のオフィシャルサイト👇

ですが👆のサイトにも、奥宮は明神池の畔にあることを説明していますウインクしかし本宮と奥宮、随分と離れた場所にありますから、本宮を訪れて参拝された方が“ぢゃ、せっかくだから奥宮にも”と、気軽に奥の院(奥宮)を参拝されるのはとっても容易ぢゃありませんニヤニヤで、chu一行は奥宮を参拝させて頂くことにお願い

こちらが「穂高神社」の奥宮ですニコニコ祠の近くにてカメラするのは神様に対する非礼になりますからここからが精いっぱいですウインク

続いて「明神池」を訪れましたウインクこちらは「穂高神社」奥宮の神域にあたり、中に入るのには拝観料(500円)が必要です。古くから「鏡池」とも呼ばれおり、神秘的な池として“パワースポット”としての人気もあるようで、多くの参拝者が居ましたのにはビックリしましたびっくりなお、明神池は「穂高神社」の奥宮があることから古くから神聖な場所とみなされていたようでして、神合地、神垣内、神河内などとも呼ばれていたそうです。で、ランドマークの河童橋があることで知られる上高地は、今ではその表記は「上高地」なのですが、元々は“神垣内”なのだそうですウインクで、神垣内は、穂高神社の祭神である穂高見命(ほたかみのみこと)の地であることに由来しているそうです。上高地を拠点(ただ通過していただけですがニヤニヤ)にしてここを訪れる事40年前は、かような神事のことなど全く知りませんでしたので、今回40年ぶりに再訪を果たし、また色々と調べながらblogを綴っており、新たに知ることも多く、とても勉強になりましたウインク

こちらが一の池👇 実はこの写真を撮影するのにとても多くの方が並ばれておりあせるあせるあせるですがchu一行は30分程度で済みましたが、帰りがけにはどう見ても1時間以上はかかるくらいの列が出来ていましたからビックリでした滝汗そしてパワースポットビックリマークに、お願いしましたのは、久しぶりの信濃路の旅を事故なく、そして晴れに恵まれますように、とお願い申し上げましたが見事にかなえて下さったのですチュー

これこれ👇 この写真を撮影するのに皆さん、長い時間を厭わず並んでいるのでしたニヤニヤ

背後には、明神岳です(^^)v

そしてこちらは明神二之池。明神池の神域にはひょうたん型の二つの池がありましたウインクそしてこのエリアは「穂高神社」の奥宮、パワースポットでもありますから、こちらの池は一之池とは異なり静かですが、心を落ち着けて祈念出来ました照れ

さて、「穂高神社」の奥宮参拝と、同社の神域である明神池の参拝を終え門前に来ましたウインクそしてここには上条嘉門次さんの碑があります。で、上条嘉門次さんとは本職はキコリと猟師さん。ま、山に根づいていた方なのですが、この近辺の山の事は誰よりも詳しい照れそして嘉門次さんは当時、日本に滞在していて後に日本アルプスの名を世界に広めたイギリス人の宣教師 ウォルター・ウェストンと出会うのですビックリマーク拙blogでも、河童橋を目指しながら梓川右岸を歩いていた時にウェストンさんのレリーフは紹介させて頂きましたが、ウェストンさんは近代登山の父と呼ばれ、今までは生活のために 狩猟をしていた嘉門次さんのような“山のプロ”を頼り、山岳信仰のための登山だけでなく山に登ることを楽しむための登山を日本に開いた先駆者ですウインクそして当時、そのウェストンさんを案内し、この近辺の山を一緒に登りつつ先導したのが上條嘉門次さんだったのてす照れ

「穂高神社」奥宮の前には、上条嘉門次さんをアピールするレリーフや、実際に宿泊が出来る「嘉門次小屋」がありますウインク

また、宿泊はしないまでも、河童橋から明神池まで歩き通し走る人走る人走る人ほっと一息つける茶屋もありましたウインク

さて、明神池にて「穂高神社」の神域を訪ね、パワースポットにて十分、“神秘の力”を充電させて頂きましたchu一行は河童橋へと戻ります走る人走る人走る人河童橋~明神の梓川右岸ルートは、明神池に向かう方が標高が若干、標高が高いため登りが多くなっていますが、復路ではどの辺りが登りでどの辺りが下りかは覚えていますから、登山の場合では特にそうでしたが、復路の方が肉体的にも精神的にも楽だったと思っています。で、今回も例外には漏れず、往路は1時間を要しましたが復路は45分くらいでした。また何故そんなに短縮出来たのかと言うと…往路ではビューポイントでカメラしてたのですが、復路ではそれをしなかったから爆  笑でもそれだけぢゃなくて…御覧下さい、この時間では、もう穂高連峰の頂上部は雲の中に隠れてしまっていますショボーン時刻は正午を過ぎたばかりですから、“観光time”としては全然遅い時間ではありません。しかし山の天気が変わりやすいのは常。chuがかつて登っていた穂高連峰は、登っていくに従い雲に覆われて来て、頂上部に辿り着いた時には雲の中、というのが殆ど…もとい、全てでした泣そして今回も、一般の観光で上高地を訪れる方でありましても、河童橋から眺める穂高連峰がこのように雲に覆われていたのであれば、上高地の魅力は半減どころか9割減となるのですショボーンただ、河童橋からの穂高連峰の眺望、が晴れているか、晴れていないかは、雨であれば話にはならないのですが、下界では晴れていても頂上部に雲がかかっていると言うことは実はよくあることでして、これは運しかありません。一般的には山は午前中の、それもなるべく早い時間帯が晴れることが多い、とは言われていますが、逆に日中は曇り空で、夕方から視界が良くなってきた、翌朝はピーカンだったチューということもあります。chu的にはそれは八ヶ岳連峰(赤岳頂上小屋に泊まった時は常に快晴でしたラブ)で経験することが多かったのですが、やはり山岳地帯の天気は、どちらかというと曇っていることが多く、旅行雑誌やパンフレットに載っているような景色に出会える可能性は10~20%くらいと割り切る気持ちも必要なのかも知れません(-_-)

河童橋周辺まで戻って来て、お土産をチョイスしに店内にINウインク

こちらは河童橋から眺めた穂高連峰。すっぽりと雲に覆われてしまいましたチーン

こちらがchu一行が明神に向かう前の、3時間前に河童橋から撮影したもの👇穂高連峰がテッペンまで眺められるかどうかで偉い違いでしょウインク

しかし曇っていても、人出の数は断然、今の方が多くなってきましたニヤニヤそして梓川の左岸、河童橋手前のここからのアングルが上高地のSceneとしては最も知られていますが残念ながら雲が広がっています。chuは朝は梓川右岸のウェストン碑などを見ていたので、午前中の晴れている時にここから撮影した写真はありませんでしたショボーン

「上高地 特別名勝 特別天然記念物」の石碑 上高地がなぜ、特別天然記念物に指定されているのか等の理由が延々と綴られているのですが、長文のため転記するのはややめんどいので御興味のある方は画像を広げるなどして御覧下さいニヤニヤ

👆要約すると、だいたい、このようなことが縷々説明されています👇

上高地バスターミナルへは林間コースと梓川左岸コースがあり、バスターミナルまでは徒歩5分ほどの短い距離ですが梓川沿いを

歩いています走る人走る人走る人しかし、穂高連峰を覆う雲はどんどんと下に降りてきていますから、これから上高地に到着される方は“雨には降られない”ってだけの残念な上高地散策となりそうですチーン

上高地バスターミナルにやってきました。ここからは沢渡駐車場に向かうシャトルバス以外にも、松本駅や新島々駅に向かう路線バスを始め首都圏、名古屋圏、近畿圏からの直通バス、そして観光バスも沢山、スタンバイしていますウインク首都圏であれば例えば新宿駅のバスターミナル(バスタ新宿)や東京駅八重洲口から、夜行の乗り換えなしで翌朝、上高地に着いているわけですから、こんなにも便利な交通手段はありませんチューしかしこの手のバスは予約が必至ですから、残念ながら天気が選べないという最大のデメリットがあるのです叫びドクロchuの今回の信州旅行は、自身の勤務日のオフ期間を最大限利用してのものではありましたが、ウェザーニュースの的確な天気予報と睨めっこしての決行でしたから、夜行バスなどを予約していればこうはいきませんでしたニヤリ

ただ、“完全現役”時代の、この日からこの日までの精々4日間くらいしか休みが取れないような場合であれば、天気云々言っている場合ぢゃありませんから、バス便を利用するのが便利なことは確かです真顔(夜行便だけでなく、昼行便もあります)

こちらは沢渡バスターミナルに行くシャトルバス。時刻表では30分間隔となっていましたが、お客さんが多く臨時便が出ていたのは早朝と同じでした。しかし(夏休みが終わったばかりの)9月の平日にこんなにお客さんが来るって、皆さんは一体、どのようなお仕事に就かれているのか興味が沸きましたニヤニヤだって、chuが完全現役中でした時は、一年のうちで7~9月の間に土日を挟んで7日間の連続休暇がやっとでしたからね口笛

定期便が出発した後に、直ぐに臨時便が出ましたビックリマークこちらの便は補助席は使用していませんでしたので大正池からのお客さんが乗車することが出来ましたが、先ほど出発した定期便だと大正池からは乗車できなかったようでしたニコニコ

あさイチで購入していた往復バスチケット 2800円ですから、高いってプンプン(片道30分弱乗るだけで1500円ドクロ往復チケットだと割引がありました真顔)

そして沢渡の駐車場に戻ってきました。既に上高地方面は雲が低く垂れさがっています真顔

しかし標高の低い松本市の中心部に近づくほどに空は青く晴れ渡っておりました晴れ“山、あるある”です爆笑途中、「道の駅 風穴の里」に立ち寄るも、めぼしいものはなく、何も買わずに出発車ダッシュなお、沢渡までの道中、新しいトンネルや橋梁の工事が進捗中でしたから、あと何年か後には上高地や乗鞍高原へのアクセスは益々便利になることでしょうウインクちなみに上高地の入り口である、安房峠方面に行く分岐点から上高地方面へは一般車は入れなくなるのですが、そこにありました「釜トンネル」は、chuが上高地通いしていた時は素掘りの様な造りで、トンネルの前後に信号機が設置されている交互通行だったと記憶しています。ところが今回通過した「釜トンネル」は距離がやたらと長くなったものの、明るいトンネル内部と相互通行できる車幅(片側1車線が確保された2車線道路)になっていました。この40年の間に、上高地(アクセス面です)も随分便利になったのでした照れ

こちらは松本電鉄の新島々駅ニコニコとっても懐かしいですチューchuが上高地通いしていた時分には、新宿駅を22時30分過ぎくらいに発車する「急行アルプス〇〇号」(当時は複数の急行が運転されていました。北アルプスに向かう方は急行アルプスを、南アルプスに向かう方は、それより遅い時間に新宿を発車する夜行鈍行の小淵沢行きを利用していました)に乗り、松本駅到着が4時30分過ぎで、殆どの乗客はそのまま松本電鉄に乗り換えて、ここ新島々から路線バスで上高地入りしたものです。ですが今では中央本線には急行は走っていませんから、早朝に上高地に着きたい方は前記の直通高速バスを利用されているのでしょう。ただ、10両編成の急行電車と高速バスとでは一度に乗客を運べる輸送量は全く異なりますから、今現在、早朝に上高地に着きたい登山者がどのように上高地にアクセスしているのかには興味もあります。chuはもう山には登らないのですがねニヤニヤ(※ちこっと調べてみたところ、2024年は夏季限定で7~9月の一部の金曜日のみに臨時急行アルプスが運転されていたようですが、これでは全く役に立ちません(>_<)chuが上高地通いしていた頃とは、そのアクセス手段も様変わりしていました滝汗ガーン昔の方が多種多様の手段があり、はるかに便利でしたゲロー)

松本電鉄は、現在では「アルピコ交通 上高地線」と呼ばれていました。で、この電車の形はは見覚え在りますねキョロキョロアルピコ交通のHPには東武鉄道から譲受…~アルピコ交通株式会社(本社:長野県松本市、代表取締役社長:小林史成)は、東武鉄道株式会社(本社:東京都墨田区、代表取締役社長:根津嘉澄)より鉄道車両を譲受し、鉄道上高地線で使用することが決まりましたのでお知らせします~と記載されていますが、東武鉄道の車両ですか…chuは京王電鉄の井の頭線の車両かと思っていました真顔

さて、4回にわたり上高地散策の足跡を御案内してきましたが、今回chu一行が歩いたコースは👇の黒線でお示しした箇所ですウインク大正池~田代湿原~河童橋~明神橋&明神池~河童橋~上高地バスターミナルの約11㎞を歩きましたウインク超、気持ちいがったです照れチューラブ(11㎞ですから、chuが普段歩いている「駅からハイキング」とほぼ同等の距離数ですが、満足度におきましては格段の違いがありました爆  笑)

次回は松本市内の散策の様子などをお届け致しますウインク