東京都国立市にあります「谷保(やぼ)天満宮」に交通安全祈願に出かけましたウインク

甲州街道に面した社です。なお現在は、国立~八王子間はバイパスが開通したため社の前を通る道路は国道20号線ではなく、都道256号線になりましたが、れっきとした甲州街道であります。「谷保天満宮」の社伝によると創建は903年(延喜3年)のこと。菅原道真公の三男である道武が、父を祀る廟を建てたことに始まるとされており、東日本では最古の天満宮なのだそうで、「亀戸天神」「湯島天満宮」と共に“関東三大天神”と呼ばれていますニコニコで、この社でお詣りすることの“効能”と言えば、菅原道真公を祀っているのですから“学問の神様”であることは言うまでもないのですが、実はここ、「交通安全祈願発祥の地」としても知られており、今回は交通安全祈願のために、千葉県の松戸くんだりから往復5時間をかけて赴いてきたのでありましたウインク

 

 

こちらが甲州街道(都道256号線) なお鉄道の最寄り駅にはJR南武線の「谷保(やほ)駅」があるのですが、駅名を「やほ」としたため地名の「谷保」までも「やほ」と言うようになってしまったが、本来の読み方は「やぼ」なのだそうですニコニコ

千葉県松戸市の自宅を出たのが8時30分。2時間半で着くかな、と見込んでいたのですが、新宿からの甲州街道下り線では途中、渋滞が続き40分オーバーの3時間10分を要してしまいましたあせるあせるあせる

そして到着しました「谷保天満宮」は平日と言うこともあってか、境内は空いており、かつ大きな樹木が生い茂っていたためとても涼しい照れこれらの樹木は“鎮守の森”なのだそうでして、参拝者はこの鎮守の森の中を厳かに歩き、本殿へと向かいます。そしてちこっとでしたが、“避暑地に来たゾ”感を味わうことが出来ました爆笑

こちらは「谷保天満宮」の由緒👇

ところでこの社、正門の鳥居を潜り抜けると鎮守の森を通り、石段を下りて本殿に向かうのですが、神社の本殿って、普通は鳥居とフラットな位置にあったり、どちらかと言うと石段を上りきった場所に本殿がある、ってことが多いと思うのですが、「谷保天満宮」ではこうした“常識”と異なり、石段を下りきった場所に本殿があるのです(これは「下り宮」と呼ばれており大変珍しい構造なのだとか)びっくりしかしその理由は👆に書かれている「谷保天満宮社叢」を読めば納得しますウインク曰く、甲州街道は17世紀のある時期までは谷保付近では立川段丘(※多摩川の河川敷です)の下部を通っていたため谷保天満宮の本殿・社殿は街道に面し南向きに建てられているのですが、多摩川の流路が変わったため甲州街道が立川段丘の上部を通るようになったことから人の流れが変わり、参道は甲州街道側から鎮守の森を抜け、本殿に向かうようになったそうです。なお「社叢(しゃそう)」とは、鎮守の森のことを指しており、東京都が指定した天然記念物になっているようですニコニコなるほど、chuが感じた“避暑地感”はあながちピント外れではなかったようです爆  笑

そしてこちらが車のお祓い所 ここに車を置き、社務所にて「交通安全祈願」の申し込みをした後、本殿に上がり祈祷を受けます。その後、神主(権禰宜)さんはこちらまでお越し頂き、お祓いをして下さるのです照れ

ところで「谷保天満宮」が何ゆえ、“交通安全祈願発祥の地”なのか、種明かしをしましょうウインク

それは1908年(明治41年)8月1日、有栖川宮威仁親王の運転する「ダラック号」を先頭に、国産ガソリン自動車「タクリー号」3台など11台が隊列を組み、「谷保天満宮」を最終目的地として甲州街道を立川まで、今でいうところのドライブである遠乗り会(当時の新聞では“自動車遠征隊”と報道されたそうです)が行われ、その後、宮様御一行は拝殿に昇殿し参拝の後には遠乗り会の無事を祝しながら谷保天満宮の梅林で昼食会が催されたのだそうです。そしてその後も事故なく無事、東京に戻られたことから当社が“交通安全祈願の神様”とされたのでしたニコニコまたその際の様子は明治期になってからのことでしたので、ちゃんと写真も残されていますウインク

詳細はこちら👇

https://www.yabotenmangu.or.jp/wp-content/uploads/2026/03/%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%9B%BD%E5%88%9D%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%80%8C%E9%81%A0%E4%B9%97%E4%BC%9A%E3%80%8D%E7%94%B1%E7%B7%92.pdf

 

こちらが日本初 遠乗り会(ドライブツアー)と、目的地への到達を祝しての昼食会の様子です(トヨタ博物館所蔵)

こちらが本殿(拝殿とも呼ばれています)ニコニコ祈祷申し込みを済ませたら、まず最初に本殿に行き、昇殿し祈祷を受けますウインク時間を追って、後で説明しますニコニコ

祈祷の申し込みをする前に、これまでにお世話になりました御札をお返しします。ん!?前回の交通安全祈願は千葉県松戸市にあります“松戸の総鎮守”である「松戸神社」にて祈祷を受けていたのですが、今回は思うところがあり「谷保天満宮」をお詣りさせて頂きました。でも「松戸神社」で頂いた御札を別の社にお返しするのって、いいのえーなるお声も聞こえてきそうですが、ほれ、「松戸神社」には交通安全祈願ぢゃなくても、行く機会がありますので、その時、お賽銭等にてお礼をさせて頂くことにして、今回は“交通安全祈願”でしたので、早い方がいいかと、持ち込んでしまいましたけど、大丈夫ですよねキョロキョロ因みに「松戸神社」の祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)であり、「谷保天満宮」は菅原道真公。ですがその歴史は日本武尊の方が古い方ですし皇族の方ですから、chuは日頃より皇族の皆さまを敬う気持ちは非常に強く、なのでお許し頂けるものと信じておりますウインクなお「松戸神社」の創建は1626年(寛永3年)ですので、903年(延喜3年)創建の「谷保天満宮」の方が歴史は古いです。ですので社としての格式は「谷保天満宮」に有り、というのがchuの見立てですウインクもちろん、日本武尊が№1なのは承知致しております照れ

お焚き上げの寸志を奉納しましたニコニコまた玉串料は、必ずのし袋に入れてお出しする決まりですので御注意下さい。

こちらが社務所 個人の場合、祈願の予約は不要ですニコニコ

【ここがポイント】ウインク今回、chu一行がお願いしたのは交通安全祈願だったのですが、日本の神社では、様々な“要望”に応えて下さる祈祷がありますニコニコもちろん、本殿の前に並びお賽銭を投じて神社の作法(二礼二拍手一礼)に則りお詣りをすることで願いを届けることが出来るのですが、それでも“何としても特別に”なんて思いが強い時には社務所に赴き御祈祷をお願いするのも、一生のうちに何度かあるものと思われますウインクそのような時のしきたりは、神社それぞれにより異なるものもありますが、基本的なことに関しては概ね同じことが多いようですニコニコ例えばこの度の「谷保天満宮」には個別の祈祷願いに対して予約は不要ですので社務所の受付時間内に赴けばいいのですが、「松戸神社」では特に平日に関しては予約必須となっていましたウインク

交通安全祈願に限らず、また「谷保天満宮」に限らず多くの社では👇のように、お願いをする人が自身でのし袋を用意して上段に玉串料、下段に申込者の氏名を記入します。これは玉串料が、神道の儀式で神様の前に玉串(榊の枝)を捧げる代わりに納めるお金で祈祷やお宮参り、七五三・結婚式などへの謝礼の気持ちを込めた金銭であり、即ち神様へのお供えとしての意味を持ったお金ですので、単に物品を購入する場合の対価としてのお金や、神事を伴わないサービスを受ける際の対価のお金とは異なりますので、受付(社務所)で、“はい、代金です”と支払う性格のものではないのでありますウインク

本殿ですニコニコ

 

 

 

昇殿し、神主(権禰宜)さんの到着を待ちます。バシバシと写真を撮影することは控えましたウインク

さて、本殿での御祈祷及びお祓い処でのお祓いを頂き、一連の神事が滞りなく終了しましたニコニコなお当然のことながら、本殿で御祈祷を頂いている時や、お祓い処でお祓いを受けている最中の写真は有りませんのでご容赦下さいウインクこちらは「谷保天満宮」にあります御札の数々。“天満宮”ですので学業に関するお守り札が多いのですが、chuには今さら「学業御守り」を頂きましても祈願するものはなく爆  笑しかし交通安全の御札はお分け頂きましたニコニコ

それと絵馬 この絵馬は、安全祈願の申し込みをした後に頂きました「交通安全御札」と共に社より頂いたものですニコニコ

裏面に住所氏名を記載し、御札掛けにお納めしましたニコニコ

「谷保天満宮」にてお分け頂ける、交通安全に係る御札はこちら👇このうち、安全祈願を申し込みますと、先に説明しました本殿での御祈祷とお祓い処でのお祓いの他に、一番左上の御札と絵馬が戴けますニコニコそしてその御札には、毛筆にて祈祷をお願いしました者の氏名と、お願いした車のナンバーを記入していただけますニコニコなお「松戸神社」での交通安全祈願では本殿での祈祷のみに留まっていたため(車お祓い処でのお祓いはありませんでした)、はるばる「谷保天満宮」まで訪れた甲斐があった、と感じたひとコマでしたウインク(※御祈祷の際にお納めする玉串料=祈願料は同額です)

以上、「谷保天満宮」での交通安全祈願の様子をお伝えさせて頂きましたウインク

 

さて、「谷保天満宮」での安全祈願を終えた時刻は13時を回ったところ。帰りがけにどこかでランチを、と思ったのですが、実は比較的最近のことなのですが、新しくオープンしましたこちらのお店がとても気になっていましたウインク

埼玉県が発祥の「山田うどん」が新たに作ったタンメンを専門とする新業態のお店ですニコニコですがまだ店舗展開が少なく、その殆どは埼玉県の西部エリアとなっており、chu宅のある千葉県松戸市からは気軽に行ける場所にはありませんショボーンただ今回の「谷保天満宮」参拝計画を受けて何気に地図を開いていたら、復路のルートに組み込めば何とか立ち寄れるのではひらめき電球ってお店を見つけたのでした照れそれがこちら👉「埼玉たんめん山田太郎 小平中島店」 東京都小平市中島町22-16

所在地は東京都下の小平市ですが、chuは西武新宿線沿線の、特に東大和市~玉川上水~武蔵砂川のエリアには土地勘もあり、またそこから千葉県松戸市に戻る際には新青梅街道を使えば90分程で行き来出来ますので、190分を要した往路の甲州街道ルートよりも時間短縮できる可能性も出てきましたニコニコ「谷保天満宮」と「埼玉タンメン山田太郎」小平中島店との位置関係はこんな感じです👇

で、到着ビックリマーク「谷保天満宮」からは20分ほどの距離でした。西武新宿線の東大和市駅から南方向に100m、徒歩1分の場所にありますウインク
 

そしてこちらはテーブル脇に立てかけられているメニューです。何せ、興味津々の初来店ですので全てのメニューを見なきゃ気が済まない爆  笑もちろん、デジタルメニューもあるのですがchuはアナログ人間ですので永い間“紙とハンコ”で飼いならされてきた習慣はそうは簡単には抜けないんです爆  笑

Menuはこちら👇

そしてしかし、ここでもアナログVersionでの紙上公開爆笑chuはこの日は初めてでしたので、王道のタンメンである「淡麗タンメン」を食べると決めていましたので迷いませんでしたウインク

あと、プラスONEメニューで餃子を3個ですウインクん、これくらいの量がちょうどいいです照れ

そして着丼ビックリマークん、見た目は澄んだスープです照れさすが淡麗を謳っているだけのことがありますね爆笑

無料で野菜増し増しにしてもらいましたビックリマーク厚生労働省が定めている「健康日本21(第三次)」では、1日あたりの野菜摂取量を350gにすることが目標に掲げられており、健康の維持に必要なビタミンやミネラルなどを十分に補える量として設定されていますので、これに一歩二歩と近づくだけのボリュームがありますねウインク

こちらは家内が頼みました魚介系濃厚つけ麺です。タンメン専門店に来て、何ゆえ、つけ麺を注文するのかは謎ですがニヤニヤ

で、肝心のお味ですが…「埼玉タンメン山田太郎」の総合評価は普通真顔なのでDynamite宣言は致しませんニヤニヤ可もなく不可もなくと言ったところでしょう口笛キタイチガトクベツニオオキカッタカラ、フツウノアジデシタノデ、ツヨイインショウハノコリマセンデシタ真顔

 

こちらがこの日(2026年7月22日)の「谷保天満宮」交通安全祈願のための訪問ルートです。往路を赤色、途中、東大和市駅近くの「埼玉タンメン山田太郎」に立ち寄りつつぅの千葉県松戸までの復路を青色で示しました。往路の松戸→松戸街道→蔵前橋通り→靖国通り→内堀通り→新宿通り→甲州街道→「谷保天満宮」までの所要時間は190分(3時間10分)、復路の「谷保天満宮」→矢川通り→都道立川所沢線→都道新宿青梅線→新青梅街道→環状8号線→中山道→環状7号線→都道王子金町市川線→松戸の所要時間が110分(1時間50分、但し食事時間は含みません)。まぁ朝と、昼下がりの時間帯との違いはありますが、chuが通り慣れています新青梅街道(JR中央線、杉並区荻窪駅近くの「四面道」交差点で真北に90度左折します)~環状8号線(杉並区の井荻トンネルを過ぎ、北区の志村3丁目付近までは快調に飛ばせます。但し特にトンネル内には覆面パトが必ず待機していますので、くれぐれも70㎞(※制限速度は時速60㎞です)を超えることはないようにねグラサン)~環状7号線ルートの方が今回に限って言えば断然早かったですウインクただ、朝の時間帯だと環七も環八も大渋滞は必至ゲローですので、往路では敢えて都心横断ルートにしたのでしたが、これはこれで失敗ではありませんニコニコ(ただ新宿から先の、甲州街道下り線が想像以上に混雑していたのが当初見込みの2時間30分よりも40分オーバーした原因でした)

 

 

 

今年も枝豆収穫の季節がやって来ましたウインクそうです、夏と言ったらビール生ビールビールと言ったら枝豆チュー

まぁ、ビールは夏ぢゃなくても飲んでいますが爆  笑そして枝豆も、真夏ぢゃなくてもあるにはあるのですが、収穫したての枝豆を塩ゆでして、生ビールと一緒に食べる枝豆は最高だ照れしかも自分でもいできた(収穫してきた)枝豆ならば、美味しいのはなおさらなのは言うまでもありませんチューチューチューところで枝豆の収穫量、国内での生産順位を見るとわが千葉県は第2位👇

・国産枝豆の生産量(収穫量)2位の産地、千葉県の年間生産量は6,120 (t)で、全国シェアは9.3%です。

・作付面積は6位で、760 (ha)です。⇒これは千葉県全体の約0.147%を占める広さに相当し、「千葉県の約679分の1は枝豆畑」という計算になります。

 

そして全国第2位の枝豆収穫高を誇る千葉県ですが、それでは千葉県内の中でどこが一番収穫されているの!?なんとわが松戸市は全国2位を誇る収穫高の千葉県の中で、さらに県内2位なんですびっくりそもそも千葉県と言えば3方を海に囲まれた地形ですので、第一次産業だと直ぐに海産品が豊富な県だとの想像はつくのですが(※現に漁獲量日本一の港は、年度により順位に変動こそありますが千葉県銚子市が有名です)、数々の農産品も実は全国屈指の生産高を誇ります。そして枝豆に関して言えば、東京23区に隣接した松戸市、面積はさして広くはない61.38㎡、人口50万人の土地柄にして、千葉県第2位の生産量を誇りますウインクつまり枝豆は松戸市を代表する生産物なのですクラッカー合格ウインク※他に松戸市で有名なのは国内自治体に先駆けて発足した松戸市役所の「すぐやる課」、ドラックストア大手のマツモトキヨシ、小型モーター世界№1のシェアを誇るマブチモーター、つけ麺グランプリで堂々の1位を続ける「とみ田」、「21世紀ナシ」の原産地でもあり今も市内には多くのナシ園がある梨の生産、料亭に出荷される良質な矢切ねぎ、玉三白玉粉などなどですウインクですが、枝豆生産量が国内有数の産地であることを知る松戸市民は、少ない爆  笑

(以下略)

と言うことで、2026年7月26日。千葉県松戸市古ヶ崎にあります待山(まちやま)さんの農園にて枝豆を収穫してきましたのでその様子をお届け致しますウインクまた本日のイベントは“農業体験会”の一環ですウインク

待山さんの農園はこちら👇場所は千葉県松戸市古ヶ崎で、千葉県第3位の人口(約50万人)の規模ながら、市中心部の松戸駅から車で10分少々の場所に、これほどの農場を持つ待山さんは凄いウインク

当日の収穫体験は朝7時から、8、9、10時と合計4回催されましたニコニコそしてchu一行は午後から仕事でしたのであさイチの7時の回に参加走る人走る人走る人前日も仕事で帰宅は23時、就寝は24時でしたがこの日は5時に起床、諸々の準備をして6時20分に出発し会場には6時

30分過ぎには到着ビックリマーク御覧のような快晴晴れ晴れ晴れでしたが早朝と言うこともあり、肌に刺す日差しは優しいものがありましたウインク

収穫体験をサポートして下さるスタッフさんは既に準備に取りかかって下さっていましたニコニコ

残念ながらわが家は一番乗りビックリマークとはいかなかったのですが、7時の回の参加者の中では2番目に受付手続きが出来ましたウインク料金は1家族で1000円ですニコニコ(一人参加でも1000円、10人家族でも1000円です爆  笑但し、一組当たりで収穫出来る数の制限はありますよニヤニヤ)

そして今回の農業体験会を企画して下さいました関根ジローさん(松戸市選出の立憲民主党千葉県議会議員の方です)から御挨拶がありましたニコニコ実はジローさん、都市化が進みどんどんと少なくなっていく松戸市の農家の方の支援に日頃から尽力されており今回もその一環ですウインク

黄色のシャツを着た方は、お隣市川市選出の守谷貴子さん(立憲民主党の千葉県議会議員さん)ですウインク市川市も、東京都23区に隣接している千葉県西部の自治体ですが、松戸市同様、市内の農地は減少の一途を辿っており、首都近郊の農地・農業そして農家さんを守ろうと活動して下さっている方でして、chuもこの手の農業体験では何度も顔を合わせている方ですニコニコ

ピンク色のシャツを着ている方は戸張ともこさんニコニコ戸張さんは立憲民主党選出の松戸市の市議会議員さんですウインクchuが応援させて頂いている方です照れ

中央にジローさんと、その右が弓削田よしあきさん、そのお隣が峯尾そうたさん、何れも立憲民主党松戸市政策委員の方ですニコニコ

さて、収穫体験に先立ちまして、待山さんが参加者の皆さんやスタッフさんにに収穫したての枝豆と、枝豆ごはんを振舞って下さいましたウインク

ぎっしりと入った枝豆です。そして安心して下さいビックリマークこの量、7時の回参加者向けのものですウインクナノデゼンブタベチャッテモダイジョウブ爆笑

小分けしてラッピングされていますのが枝豆ごはん。今、ここにいる方は今日、とても早起きされて来ていますので朝ご飯にピッタシだチュー

で、chuも頂きましたビックリマーク旨い照れDynamiteだチュー

それでは今回の枝豆収穫体験会のルールについて待山さんが説明して下さいましたウインク参加一組(ひと家族)あたり、収穫できる枝豆の株数は15株ですウインクですが15株で1000円って実際に取り揃えてみるととっても多いびっくり、なのでめちゃくちゃお得ですチュー(後で写真があります)

さて、臨戦態勢が整いましたビックリマーク「んだ」のTシャツを着こんだ方は長靴を履いていますよニヤニヤ意気込みが伺えます爆  笑

ところで「んだTシャツ」って、どこで売ってるのキョロキョロと調べてみたら、楽天市場にありましたウインク

https://item.rakuten.co.jp/akitatengoku/tsubasa-nda/

 

待山さんから株の採り方の説明に耳を傾ける参加者の皆さんウインク

そして説明が終わるや否や、我先にと畑に突撃ビックリマークニコニコ

畑に頭を突っ込んだと思ったら、ものすごいスピードで収穫が始まりました爆  笑

“ぶちっ”っと、まるでトラクターのようなパワーでどんどん収穫していきますポーン滝汗

“ガバッ”っと引っこ抜いては足元に置き…ですが一株を引っこ抜くのにそう時間はかかりませんから、15株の収穫にかかる時間は5~6分です爆  笑まさに“採りすぎ注意”ですね滝汗ニヤニヤ

“試合開始”直後の皆さんの様子ウインク全神経を集中させて黙々と作業されています爆  笑

そして“試合開始”から僅か5分が経過したところ、おっと、先ほどの「んだ」Tシャツの御婦人は高々と腕を振り上げたビックリマーク15株収穫、一番乗りを果たしました合格クラッカー爆  笑

さて、真っ先に“試合終了”のゴングを打ち鳴らした「んだ」の御婦人は、今度は待山さんが車上販売して下さる、これぞ“産直野菜”の“戦場”に一番乗りで繰り出しましたダッシュダッシュダッシュあまりにも俊敏な動きにカメラマンが追い付きませんあせるあせるあせる滝汗ニヤニヤ爆  笑

待山さんの水田で収穫されましたコシヒカリは3㎏でなんと1500円びっくりこれまためちゃくちゃお買い得なのですが、精米でしたので残念ながら今回は購入を見送りにショボーンもし玄米なら、買ってましたよ爆  笑(※昨年のコメ不足を機に、わが家は精米機を購入しましたウインク食べたいときに食べる分だけを都度、精米しますのでこれがめちゃくちゃ美味いんですチュー)

枝豆も、普段はこうして袋詰めで販売されているのですがこちらで一袋250円ですニコニコ

どでかいはぐらうり 古くから伝わる千葉の伝統野菜の一つですニコニコ

そして時刻は6時30分過ぎ 6時の回の参加者は全て収穫を終え、帰路につこうかというところ、今度は7時の回の参加者が三々五々、集まり始めました。この日のジローさん、5時30分過ぎから11時近くまで、立ち続けておられるのですねウインクお疲れ様です照れ

そして夜、こちらがわが家が収穫した15株分の枝豆ですウインクこの量で1000円ですから、産直価格でも実現は難しいほどなのですが、松戸市の農業と、農家さんを支えることに奔走されていることを知る待山さんとジローさんとの関係は古く、そして深いウインク待山さんの御協力なくして今回のような収穫体験(農業体験)は実現できないのです。待山さん、そしてジローさん、ありがとうございます照れ

あと、この日、待山さんの車上販売で買い求めました産直野菜がこちら👇 ネギ、ナス、ごうや、はぐらうりで何れも100円ですよびっくり照れ

そしてこちらが今回の収穫体験を告知して下さいましたポスターです。chuはこちらをフォローさせて頂いておりますジローさんのFacebookから知ったのですが、ジローさんは松戸市議会議員に当選して以降、松戸市内各駅での駅頭活動に励んでいます。それは千葉県選出で元総理大臣を務められました前立憲民主党代表の野田佳彦さんのスタイルに倣いたい、と始めたとの事を以前、お聞きしたことがありましたウインク

【御参考】

 

昨夜(2026年7月26日)の帰宅は22時でしたが、獲れたての枝豆、食べましたチューめちゃくちゃ美味かったですチューチューチュー

Dynamiteビックリマーク

 

 

 

日帰りでのお出かけでは“早立ち早着早帰り”が基本のchuの気ままなお出かけウインク特に観梅、観桜、観チューリップ、観薔薇、観向日葵、観秋桜、紅葉狩りなど、主に花の観賞においては頑ななまでにこの原則を順守していたのですが爆  笑、今回、とあるSNS情報を見て“目から鱗”の思いから、夕方を目指してお出かけしたのが今回の向日葵鑑賞でしたウインク出かけた先は千葉県佐倉市にあります「佐倉ふるさと広場」ウインク同所には、chuは今まで何度も何十回も訪れているのですがそれは殆どがあさイチの訪問でしたニコニコで、現在、「佐倉ふるさと広場」では拡張整備事業が行われており、チューリップ、ひまわり、コスモスなどの「花フェスタ」やイベントは202年度から休止がアナウンスされてしました。グランドオープンは2029年4月の予定ですニコニコ

ですのでリニューアルオープンされるまでの3年間、花の観賞は出来ないものと思っていたのですが、ここのところ、向日葵鑑賞のSNS情報が随所から上がってきていますので、どうやら“完全休園”というわけではなさそうだキョロキョロ

ところで今までchuが「佐倉ふるさと広場」を訪れたのは殆どがあさイチでした。ところが夕方に同所を訪れると、太陽が西に傾き夕日の中での向日葵が見られて中々オツなのだとか…花々の観賞に当たって今までのchuの行動パターンの中で、夕景を見に行くという発想はなかったのでびっくりと来ましたchu、さっそく出向きましたのが7月21日のことでした。家を出たのが15時40分。ゆっくり走ったつもりだったのですが16時20分には着いてしまいました。この日の日没時刻は18時54分でしたのでまだ全然早いニヤニヤそれになんつったって熱い暑いんですよ叫びドクロで、花の観賞…イベントはすべて中止と聞いていたのに、なんだ、ちゃんとやってるぢゃないですかえー確かに今までと比べたら植栽されている面積はかなり小さくはなっていましたが、ここのモニュメントである風車や、近くを走る京成電鉄の電車をバックにした“いい「絵」”になる写真は全然撮影出来ますよウインク

到着して直ぐにカメラ 時刻は16時25分 そして気温は30度超あせるあせるあせる

ここから同じような写真が延々と続きますが、お時間がある方はお付き合いください爆笑この日、撮影した枚数は実に400枚を数えましたが滝汗頑張ってなんとか1/10程度までに絞り込みましたニヤニヤ

随所に京成電鉄の車両が映りこんでいますウインク

そしてこちらの風車は「オランダ風車リーフデ」ウインク設置されましたのは佐倉市制40周年の平成6年春のこと。この風車はメカニズム部分をオランダで製造し、オランダ人技師により建設されたまさにホンモノビックリマークそして「リーフデ」という名称は日蘭交流の幕開けとなったオランダ船リーフデ号「リーフデ《友愛》”De Liefde”」から名付けられたのだそうですニコニコ

これは都営地下鉄浅草線から乗り入れています通称“歌舞伎”と呼ばれている車両ですねウインク

そう言えば、この法面に“住み”ついていました“崖の上のポニョ”ならぬ山羊さん、先月、亡くなったそうです泣お願い

ようやく日が“傾いてきた”感が感じられる写真ですウインクところで今まではなかった「佐倉のおいしい水道水」ですが冷たい水の給水が受けられました照れ2026年の7月から始まったサービスのようですニコニコ

だんだん夕刻感が増してきましたよウインク

こちらはふるさと広場に併設されています「佐蘭花」。こちらでは地元農産物やちこっとしたお土産、コーヒー等の販売もあります。但し営業は17時までですので日没時刻まで店内で涼むことは出来ません爆  笑

車体に反射する夕日も茜色を増してきましたウインク

そしてこちらが一番の自信作ウインクなので署名入りにさせて頂きました照れ

以下、遊び心満載の作品群です爆  笑でもこれはこれで、結構いけてませんかウインク

いかがでしたかウインク夕日の下の向日葵、中々「絵」になりますよね照れ今回、SNS情報で初めて知りましたこの鑑賞方法ビックリマーク次はコスモスを狙うことにしました照れで、こうした鑑賞が出来る理由は「佐倉ふるさと広場」のその立地条件にありましたウインクこちらが「佐倉ふるさと広場」の周辺環境図です👇

赤色で〇囲みはしたのが「佐倉ふるさと広場」です。そしてモニュメントでもあります風車は園内の北西端にありますので、背後に迫りくる夕日が似合うんですよ照れSNSにて情報を発信して下さいました方々、ありがとうございました照れ

 

さて、18時54分の日没まで当地に留まりましたが、この日の夕食は“あそこに行こう”と決めていました爆笑19時30分頃がラストオーダーですのでちょいと急いでここから15分の場所ビックリマークそうです、旧本埜村、今では印西市になりましたが本埜村役場(印西市本埜支所)近くの「喜楽」さんウインク

お腹が空いてましたのと、かつこの日はノンアルDayですので帰宅しても生ビールリキュールロックグラスは飲めませんニヤリですので腹パンになっても全然いいのOKなので普段ならば躊躇ってしまうところですが、「炒飯」の大盛を頼んぢゃいましたチューすると、普通盛でも盛がいい「喜楽」さんの炒飯なのですが、マジ、やばかった滝汗お茶碗4~5腕分くらい(700g)叫びはありました滝汗“食べきれるかあせるあせるあせる

20分近くかけてなんとか完食ビックリマークとっても美味しかったですチュー

 

2026年6月10日から12日までの間、夜行1泊2日の行程でお出かけしました富山の旅の様子をお届け致していますウインク前回編では「五箇山」を成すもう一つの合掌集落である相倉(あいのくら)に向かう途中にある流刑小屋に立ち寄りました様子をお届けしました👇

菅沼を立つこと1時間、相倉集落に到着ですウインク

ところで菅沼では支払わなかった…もとい、早朝到着のため係りの方が不在で支払えなかった駐車場料金(保存協力金)ですが、今回はしっかりと支払いましたグラサンそして相倉の駐車料金も値上げされていきなり倍の1000円ですが、旅行前の見積もりでは菅沼と相倉の駐車料金各500円、二つ合わせて1000円でしたので、結局、目論見通りの支払いとなりました爆  笑

しかし今回のchu一行、途中「流刑小屋」の見学をしていたためこれだけ時間を要しましたが、途中、何処にも立ち寄らなければ両集落の間は15分程度で行き来することが出来ますニコニコこちらが菅沼と相倉、そして「五箇山」に唯一、現存している「流刑小屋」の位置関係です👇相倉は庄川の左岸部に位置しているのですが、集落全体は標高約400mの河岸段丘の中にあるためその標高差があることから庄川を直接眺められる場所はありませんニコニコ

相倉集落到着は9時30分ウインクしかし恐ろしい光景がガーン団体ツアーの大型バスが来ました叫びしかも外人さんのものゲロー“こりゃたまらん滝汗とにかく、相倉集落を一望出来るNiceViewスポットである展望台まで急がないとあせるあせるあせる”と歩き始めます。事前にYouTubeにて情報を得ていたのですが、展望台までは15分程度かかります。しかも“展望台”ですから当然、高台爆  笑すると、展望台への取り付け地点には貸出杖がありましたウインクですが実はこの写真は展望台から降りて来た時に発見したものニヤニヤ最初に展望台に向かう際には、“団体ツアー客が押し寄せて来る前に着かなきゃあせるあせるあせる”と、大急ぎで歩き始めていましたのでこのようなおもてなしがある事に気が付きませんでした爆  笑

展望台へのルートは最初の頃こそ緩やかな道でしたが…

次第に傾斜を増し、かつコースの端はスパッと切れ堕ちる箇所も出てくるなど、いくら先を急ぐからと言って、慎重に進まなければなりません叫び

そして高度をぐんぐんと上げてくるとこのように、次第に視界が開き始めてきましたウインク

麓からは15分ほどと聞いていましたが、全速力で登りましたので12分くらいだったと思いますウインク結果、息が切れましたあせるあせるあせる

そして到着ビックリマーク

ここからの景観も「とやまビューポイント」に指定されていましたウインクそして後ろを振り向くと、ゾロゾロと外国人の団体さんがやって来ました。どうやらアメリカ人の団体さんのようです。そして皆さん、グループごとでお話こそされていますが、どこかのC国人のように、バカでかい声をあげながら歩くのではなく、極めて紳士淑女の一団でしたニコニコん、そうですウインクこういう方たちが日本の良さを見るために訪れてくれるのなら歓迎ですウインクですので一概に“インバウンド外国人観光客は迷惑だパンチ!”と全否定するのも間違いだなキョロキョロと感じたchuでしたニコニコ

相倉集落にある合掌造りの建物群を俯瞰します照れこの相倉にあります合掌造りの建物の棟数は現在20棟と、9棟の菅沼集落の倍の数があります。ですので単に「五箇山」と言った場合、まず思い起こされるのは相倉の集落のようですニコニコ相倉集落の全容は細長い平坦地に屋敷地と耕作地が広がり、また傾斜地の一部にも茅場などの耕作地があるそうです。またここは、かつて五箇山でも最も養蚕の盛んな集落だったそうなのですが米の自給が進められ、養蚕も衰退をたどった1950年(昭和25年)頃に桑畑は水田へと開拓されたのだそうです。このような山間に広がる合掌造りの建物と田圃はこそニッポンの原風景の言えるでしようウインクそして先ほど来、後に迫って来ました外国人の団体ツアーの方々、ここからの景色を見て一様に“アメイジング”を連呼ニヤニヤそりゃそうでしょう、この景観こそまさにニッポンの原風景なのですからニコニコしかしこうしてインバウンド外国人観光客の方々に見つかってしまった以上、情報が拡散されるのは時間の問題ですニヤニヤ

またここは人形山の展望所にもなっていますニコニコ

なになに、人形山とは!?👉ある時、仲の良い姉妹のお母さんが病になり、娘たちは母親の回復を白山権現に祈願したのだそうです。すると権現様から湯治に通うようにとのお告げがあり、それを実践したところお母様の病が治癒したそうな。そのため御礼詣でのために山に入ったところにわかに天候が急変し吹雪に閉じ込められてしまったのだそうなガーンすると翌春、手をつないだ二人の姿が残雪となって現れ、村人の涙を誘ったのだとか。以来、毎年人形の形をした残雪が現れるようになったことから、人形山と呼ばれるようになったそうですニコニコ

しかし今回のツアーバスでいらしていたインバウンド外国人観光客の団体さん、観光のマナーが実に良くて嬉しくなりましたニコニコこれ、白川郷に大挙して押しかけてきている人たちと対局ですねウインクでもね…マナーある皆さんが“これこそニッポンの原風景です”と善意で情報発信をしてくれても、マナー無き外国人もその情報は見ちゃうわけでして、しかも①白川郷からとっても近い場所にあること②白川郷では失われつつあるニッポンの原風景があること の二つが合わさっちゃえば“絨毯爆撃”が繰り広げられるのも時間の問題ですゲローなので今年の1月に初めて雪景色の「五箇山」を訪れ、“これこそニッポンの原風景だ”とピーンひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球ときて、なるべく早いうちに再訪しようと計画した今回の富山旅行だったのですが、さして間を置かずこうして訪れることが出来て本当に良かったです照れだって、来年になったら確実に今よりもインバウンド外国人観光客は訪れるでしょうから、そしてその人たちは必ずしも今回の団体さんように観光マナーを守る方たちばかりではないでしょうからえーなので「五箇山」を訪れるのであれば1分でも1秒でも早いうちにダッシュダッシュダッシュと、chuは皆さんにお訴えをしたいのでありましたウインク

ちなみに数々のツアーを企画している旅行大手の「阪急交通社」と「近畿日本ツーリスト」のサイトからも、ちょっと検索するだけで直ぐにヒットしちゃいます口笛つい最近までは「五箇山」はこの手のツアーに組み込まれる場所ではありませんでしたあせるあせるあせる

さて、展望台から降りてきましたchu一行は、今度は相倉の集落内を散策しますニコニコ走る人走る人走る人こちらは集落の入口に掲げられていました看板です。相倉集落は一般の観光地とは異なり人々が暮らされている、生活の場であります。“生きた世界遺産”と言われる所以なのですが、そのための注意書きです。ただ残念なことに案内は日本語のみショボーンC国語や、特に白川郷を訪れた時に感じたのですが、大声をあげながら散策する人たちは東南アジア方面からの観光客が多かったので、この手の看板は多言語化で案内する必要があるな真顔と感じたchuでしたウインク

集落内には一般車両は進入できません。ちゃんと駐車場に停めて駐車料金を支払いましょう爆笑

合掌造りの建物が見えて来ましたニコニコこれは民宿でしたねウインク

そして菅沼には2~3軒しか見られなかったお土産屋さんやお食事処ですが、相倉にはもっとたくさんありましたニコニコ

「五箇山」の説明です👉五箇山は庄川上流と支流である利賀川の深い谷間に点在する70の集落(現在は南砺市になりましたが、合併前は平村、上平村、利賀村だったそうです)の総称で、相倉はその集落のうちの一つです。また五箇山での人々の暮らしが資料の上から確認出来るのは浄土真宗が広まってきた15世紀末のころなのだとか。天文21年(1552年)に記された「五箇山十日講文書」には大部分の集落の名称が書き記されていて、相倉の名前も書かれていたそうです。合掌造りの建物は豪雪に耐えるため、60度正三角形に造られた急傾斜の屋根を有しており、屋根裏では蚕を飼っていたため切妻造りの明り取りを設け、また床下では鉄砲火薬の原料となる塩硝の土を培養していたため床が高い造りになっています。江戸時代の五箇山では養蚕、塩硝、紙すきが3大産業となっていたそうです。そしてこの辺りはお隣岐阜県の「白川郷」と同じですね。最も、富山県や岐阜県と言った県の区別は明治期以降の話ですから、江戸時代以前では山間に囲まれた豪雪地帯の厳しい自然環境の中で、生活のための生きる術を見つけながら暮らされていた歴史があったのでした。少ないながらも生産技術を伝承し、かつ厳しい自然に対応するために生まれた合掌造りの建物ですが、貴重な環境を守るために集落全域が文化財に指定され、ここで暮らされている住民の皆様も後世にこの姿を残すために保存の努力をされているのです照れなお文化財指定の経緯としては①昭和45年(1970年)12月に国史跡②平成6年(1994年)12月重要伝統的建造物群保存地区③平成7年(1995年)12月世界遺産 にそれぞれ指定、選定、登録されたのでありましたニコニコ

そして今の天皇陛下は皇太子時代に相倉に関する句を詠まれているのですが、こちらはその石碑ですニコニコ皇族の方と五箇山/相倉に係るお話につきましては後で詳述させて頂きますウインク

こちらは原始合掌造りの建物  原始時代の建物と同じ形をしていますびっくり

築造は江戸時代のもの。屋根だけが合掌造りの形をした建物ですが、これが合掌造り家屋の原型なのだそうです。この地方では、このような家屋は“ナマンダブツ建て”と呼ばれており、江戸時代には五箇山の農家の方の住居として各所に見られたそうなのですが、現在「五箇山」に残る原始合掌造りの建物はこの1棟のみに。そして何と驚くべきことに、昭和の初期までこの“家”には、お婆さんが一人暮らしをされていたそうですびっくりびっくりびっくりところで“ナマンダブツ建て”のナマンダブツとは「南無阿弥陀仏」のこと。そして南無阿弥陀仏は、浄土真宗の開祖であります親鸞聖人が説く念仏です。鎌倉時代のわりと早い頃、京都において法然上人の下で修業をしていた親鸞聖人は、とある出来事で後鳥羽上皇り怒りに触れ越後に流罪となるのですが、越後に向かう道中でも親鸞聖人を慕う民に教えを説き、そして現代でもこの地方には浄土真宗の門徒さんがとても多いのです。南無阿弥陀仏の念仏を唱える時、掌をピタリと合わせて拝むのですが(この仕草を真宗では「合掌」と言います)、その掌(合掌)の形と、この地方独特の建物の屋根の形とが似ていることから、ナマンダブツ建てと言われ始め、後に合掌造りと呼ばれるようになったのでしたウインク

いわゆる“猫の額ほど”の耕作地ですが、ここではコメ作りも行われていますニコニコただこの集落にお住まいの方の数は知れていますので、作ったお米を出荷して生計を立てる等の農業を生業として暮らす、というよりは自給自足に近い感覚かも知れませんニコニコ

こちらは天狗の足跡👇

「五箇山」相倉に伝わる天狗の伝説についてはこちらに説明されています👇

最後に集落内を散策走る人走る人走る人ここは最初に訪れました菅沼とは異なり、外国人さんの団体ツアーバスの他にもツアーバスが来ていたため、そこそこの人数の方とすれ違いました。しかし「白川郷」とは比べ物にならないほど人出は少なく、そのため比較的静かな中でのニッポンの原風景を堪能することが出来ました照れそして「白川郷」が何ゆえにあのように観光地化されてしまったのかと言うと、来訪者がとても多いのは勿論なのですが、集落内を散策しているインバウンド外国人観光客が大声で話す、叫びながら歩くからです絶望そしてその声の“出し主”は決まってC国人や、東南アジア諸国から来日している人たち真顔欧米系の観光客は、そのようなことはしません。また日本人の観光客も静かに散策しています。要は、人数ではなく、叫びながら歩くか否かにより、その観光地の静寂が保たれるのかそうでないのかの違いとなるのですニヤリ例えば平日朝の通勤時間帯の様子を思い浮かべてみて下さい。首都圏の主要ターミナル駅にはそれこそ一度に何万人もの人が集まり、移動しているのですが、そこは決して静寂ではないものの五月蠅くはありません。「白川郷」を始め国内各地のスポットには、例えば今まではそれほど目立った観光地ではなかった場所にも、ある日を境におびただしい数の人出が生じ、喧噪の場となることが珍しくないのですが、その理由は光の速さで伝わるSNS情報と、それを基に大挙して押し寄せるC国人や東南アジア系の方です。日本人や欧米からの観光客のように静かに…と言っても同行者との話し言葉程度であれば全然構わないのですが、なぜあんな大声を出して話さなきゃダメなのよえーという声の出し主が現れた場所では、もう古き良きニッポンの原風景は見られないし感じることも出来ないのです。その手のインバウンド外国人観光客が来て、喜んでいるのはボッタくりの商いで暴利を稼いでいます、例えば京都の「錦市場」の住人などの一部ぢゃないですかねニヤリ

さて、相倉の集落を一廻りも二廻りもしましたので少し休憩することにしましょうウインクこちらはお食事と、お土産処とを兼ねています「相倉屋」さんニコニコ

店内はこんな感じウインク畳の座敷部屋と、行灯にも似た電灯との調和が古き良きニッポンの風情を感じます照れ

お土産の購入前に少しお腹に入れることにしましたニコニコと言っても、“五箇山に来たらこれを食べてい”ってのは前から決めていましたがウインク

これです👇五箇山とうふチュー五箇山豆腐とは、五箇山の澄んだ水と地場の大豆を使用して作ったお豆腐です。その特徴としては。縄で縛っても形くずれしないのだそうで(写真は「越中とやま食の王国」サイトからお借りしました)

“寝るときに枕にした”や、“つまづいて生爪をはがした”など、五箇山豆腐の堅さを比喩する話は多くあるのだそうですニコニコこの堅さは大豆の栄養がギュッと詰まった証拠だそうで、刺身や冷奴、煮物に、田楽など多彩に楽しめるのだそうですウインクあ~こんな時、日本酒を飲みたくなるのはchuの常なのですが爆笑この先もまだ車を運転しますので飲めないのが残念なところ爆  笑

そして着皿ビックリマークこのお豆腐は見るからにして固そうですウインクこれを、お刺身を食べるようにしてわさび醤油を付けて食べるのですが、う~ん、とっても美味照れDynamiteだビックリマークラブ

お食事を出してくれました「相倉屋」の店主の女将、お店が暇だったこともあってか爆笑話しかけて来てくれたのですが、北陸地方、独特の語尾を延ばす言葉で“お客さん、どっから来たのぉ~ぉ”に、chuが千葉からです、と答えると目を丸くして“えぇ゛千葉あ~ぁ 千葉のどこね”と言うので、松戸市と言っても多分わからないと思ったのですが、“松戸です。ですが千葉と言っても千葉県の西の外れで、すぐ隣は東京なんですけど”と言うと、この女将さん、何と大学は千葉大学で千葉市内(轟町に住んでた、と爆笑てか轟町とか言われても普通の方はわかりませんがchuは千葉市内での勤務もありましたので知っていましたが)に住み、翌年には妹さんも千葉大生になり一緒に暮らしていたこと、卒業後はJAFに勤めていたこと、そしてもうだいぶ前のことになったけど、このお店(相倉屋)を継ぐため帰省したこと、学生時代の友人とは今でも繋がりがあり、千葉で暮らしていた時がとても懐かしいことなど、とうとうと話してくださいました爆笑そして実家はこの相倉集落だと言われたので、(この辺鄙な場所から…とは言いませんでしたがウインク)こうした地方から国立旧一期校に入られたのは凄いですねビックリマーク村が生んだ才媛だったのですねウインクと言ったらまんざらでもなさそうなお顔をされていました爆  笑ですがそもそも国立大学の中でもかなり難関なレベルにある千葉大に、塾や予備校通いも出来ない人里離れたこんな地方からストレートで入学するのはとても凄いことですウインクその後も話はとうとうと続き、大学生当時、五箇山と千葉との間を行き来するのは現在とは比べ物にならないほど時間を要したこと、今の時代にある北陸新幹線は開業していませんでしたので、金沢と上野を結ぶ夜行の急行で行き来していたことを、昔を懐かしむかのように語っていましたニコニコまた「五箇山」と皇室との関係につきましても詳細に語って下さいまして、それは昭和53年、今の天皇陛下がまだ学習院大学高等科3年生であられました時に所属されていました高校の「地理研究会」の課外活動の一環として五箇山を訪れ、その際には相倉の図書さん宅に宿泊される等、相倉との繋がりを教えてくれ、また昭和58年にはやはり学習院大学高等科に在籍されていた礼宮様(現在の秋篠宮様)も高等科の合宿で相倉にあるキャンプ場を訪れたところ、五箇山をいたくお気に入いになり、その後、御家族が増える(紀子様、眞子様、佳子様、悠仁様)と共に4度に渡り相倉を訪れられたり、と皇室に関するお話も続きました。そして天皇陛下と秋篠宮様、お二人の五箇山・相倉に対する思い入れはとても強く、天皇陛下が皇太子殿下の時代でありました平成3年の歌会始では、「五箇山を おとづれし日の夕餉時(ゆうげどき)森に響かう こきりこの唄」という句を御披露され、また秋篠宮様も平成15年の歌会始におきまして「暮らし映す 合掌造りの町並みを 見つつ歩めり 妹と吾子らと」(※妹(いも)=紀子様、吾子(あこ)=眞子様、佳子様)と謳われるほど、お二人の五箇山・相倉への思いは強く、またこのことを「五箇山」の、特に相倉集落の方々は大変誇りに思うと同時に皇室に対してなお一層の敬愛の念を抱くなど、思い入れが強いのだということを語ってくれましたニコニコ先にアップしました写真は、天皇陛下が皇太子時代の歌会始にて詠まれた句を紹介した石碑だったのですが、天皇陛下と秋篠宮様お二人の、「五箇山」相倉に対する思いを語る時の女将さんからも皇室を敬う様子がとても感じられ、chuも気持ちのいいひと時を過ごすことが出来たのでしたウインク

 

以上で今回の富山旅行の最大の目的でありました「五箇山」訪問の様子をお伝え終えましたウインクこの後も富山旅行の様子をお届けするblogを綴るのですが、相倉集落を後にしましたchu一行は砺波平野を一気に駆け下り日本海へと移動します。よって、旅の内容も様変わり=フェイズが変わりますのでここで富山旅行記は一旦お休みを頂き、旬ネタを挿入させて頂きたく思いますニコニコ

 

 

 

 

 

2026年6月10日から12日までの間、夜行1泊2日の行程でお出かけしました富山の旅の様子をお届け致していますウインク前回編では「五箇山」を成す二つの集落のうちの一つの菅沼を訪れました👇到着時刻が朝の7時過ぎの早朝と言うこともあってか、集落内では集団登校していました小学生の一団…と言っても4人くらいでしたが、に出会いましたが、滞在時間中、観光客はもとよりここにお住まいの方とも全くと言っていい程、すれ違うことがなく、ただただ静寂に包まれた中に、そこかしこに構える合掌造りの建物との邂逅がニッポンの原風景に触れることが出来た感覚に浸ったのでした照れ

さて、この後chu一行は菅沼と共に「五箇山」の合掌集落の里である相倉(あいのくら)を目指します。ところで「五箇山」を紹介しているYouTube番組などをみているとたまに“あいくら”集落と紹介されているものも散見されますが、正しくは「あいのくら」ですニコニコそれでは「五箇山」がある富山県南砺市の南部エリアは、富山県内ではどのような場所に位置しているのかを見ていきましょう。中央、やや下の赤字で〇囲みしたところが「五箇山」です。そしてそのすぐ下の青字で〇囲みした場所が岐阜県白川村にあります「白川郷」。その「白川郷」は今や知らぬ人はいないほど、超有名な「世界遺産」として訪れる方が半端ない観光地になっているのですが、合掌造りの里として世界遺産を構成するのは「白川郷」と「五箇山」の二つから成るのですが、前回のblogでも説明させて頂きました通り、訪れる方の人数には圧倒的な差があり、超激混みの「白川郷」と、閑散としており長閑なニッポンの原風景「五箇山」とに分かれています。皆さん、地図を御覧下さい👇二つの合掌集落は「東海北陸自動車道」でインターチェンジ一つ分(「白川郷IC」と「五箇山IC」)しか離れておらず、20分もかからず互いに行き来することが出来ます。しかし2026年6月現在であれば集落内における訪問客の数には相当の開き(天文学的と言ってもいいほどの開きです)があるものの、例えば「阪急トラピックス」や「クラブツーリズム」などの旅行会社のツアーにも「五箇山」が組み込まれることが多くなり、「五箇山」の素晴らしさが知れ渡るのももはや時間の問題か…いぇね、これがまだ日本人の間だけの広がりであればいいのですが、外国人に知られてしまうとお隣の「白川郷」のようにまるで“絨毯爆撃”にでも遭遇したような激混みになるのは、火を見る事よりも明らかなこと真顔ですので、“ニッポンの原風景に触れてみたい”とお考えになられている皆様にお伝えいたします。「五箇山」を訪れるのであれば1日でも早い方がいいです。2~3年後では、残念ながら「五箇山」が“白川郷化”している可能性は極めて高いものと憂慮しております笑い泣きなお、「五箇山」も「白川郷」も、北陸地方の主要都市であります富山市や金沢市からは1時間圏内ですから“生きる世界遺産”へは、高速路線バスを使えば都市部からのアクセスは容易ですので“秘境地でありながらも僻地ではない”という絶好の好条件が整うスポットなのですウインク

菅沼から相倉へは国道156号線を東に進みます。両集落間の距離は約10㎞離れており車での移動時間は15分が目安です。ですが途中、他の見学スポットを立ち寄ったりしますとさらに時間はかかりますニヤニヤそしてこちらは国道沿いにありますポツンと立つ合掌造りの建物で「村上家」。安土桃山時代のものといわれており合掌造の基本的な形式を備えている1重4階妻入の大建築で国指定の重要文化財になっていますニコニコ

ただ合掌造りの家屋はどの建物でも造りは同様で、1階には囲炉裏が、そしてそこから炙り出された煙が2階以上に舞い上がり、2階は養蚕場が常です。chuは昨年来、「白川郷」にあります国指定文化財「和田家」や、文化財にこそ指定はされてはいないのですが「神田家」も訪れていることと、「白川郷」荻町地区に隣接している「白川郷合掌造り民家園」も訪れ、合掌造りの建物の内部はかなりの部分で承知していますので、今回、「村上家」内部には入らず建物の外観だけを見学させて頂きましたウインクそしてこちらが「村上家」に隣接している「五箇山総合案内所」。(写真はホームページからお借りしました)

しかしchuは思ったビックリマーク“五箇山の総合案内所が菅沼でも、相倉でもない、なんでこんな中途半端な場所にあるの??”とキョロキョロ

そしてその答えはやはり昔からある集落の地理的な環境にあります。ここは田谷地区と言う集落なのですが小学校があることから当エリアの中心街区ですウインクそしてこちらの案内所には五箇山周辺の地図や周辺のパンフレットの類が取り揃えられてあるのですが、実は手頃な周辺マップが手持ちになく、ここで頂くことが出来て助かりましたウインクそして菅沼周辺に居る時は、周囲には9棟の合掌造りの建物しかなかったのですが、国道沿いのこの周辺には民家が点在しており小学校などもありました。菅沼からは3㎞圏ですから、chu一行が菅沼集落に到着した時に行き交った集団登校の小学生はここの学校まで通っているのでしょう。と思うと距離は長くはないものの、途中にはそこそこ長いトンネルがありましたから、安全確保は図られているのかなキョロキョロと、今、ブログを書いていて気になっているところです滝汗そして菅沼は旧加賀藩の流刑地だと、前回のblogにて御説明させて頂きましたが五箇山は“歴史の現場”の地でもあるとの事で、すこし丁寧に説明していきたいと思いますウインク

【詳細解説】

江戸時代、五箇山は加賀藩の流刑地であったため、庄川に橋を架けることは禁じられ、籠による渡しの籠場が13か所ありました。籠の渡しの大綱はぶどう藤のツルを束ねたものを両岸に張り渡し、一人乗りの籠を吊るしたものです。籠場は左岸の乗り場が高く、流刑地側は低くなっており、流刑人は籠を使って自力での逃亡は出来ないようになっていました。流刑人は藩士や妻子、藩にかかわる事件、政治犯などの軽犯罪人が殆どでしたが、大槻伝蔵は藩の御家騒動の濡れ衣を着せられた無実の重罪人でした。寛文七年(1667年)から明治維新までの201年間に送られてきた流刑人は159人余(判明分)であり、赦免55人、病死56人、自害4人、逃亡11人、明治元年に全員釈放8人でした。小屋は重罪人一人用の御縮小屋と、多くは軽罪人用の平子屋で、村内への出入りが自由でした。村人は流刑人を「殿」付けで呼び大切にしていました。流刑人には藩から生活費が現金支給されていましたから、村娘に贈り物をした者、お小夜(女性・小原)のように村人に歌や踊りを教えた者、読み書きや医術、獅子舞(籠渡)や謡曲を教えた者もおりました。(平村史 上平村誌より)

 

こちらが、村人が暮らす場と流刑地とを分けていた庄川ですニコニコそして今でも集落のあるのが左側の左岸。右が右岸ですので流刑地は右側なのですが、どう見ても右岸の方が高台なんですけどニヤニヤ

いまでは庄川に架かる橋の袂に佇むお地蔵様ウインク

そして、この橋を渡りましたところには重罪人を幽閉した重罪人一人用の御宿小屋が再現されています。再現と言のは何十年も前の事ですが、豪雪地帯であります当地ですので、古くなった建物が雪で押しつぶされてしまったからなのでした滝汗

ところで皆さん、急な傾斜の階段を覚えておいてくださいね口笛流刑小屋はこの階段の途中にあります真顔“下から上へ”は自然の力だけでは物は移動出来ません。そのことを証明しました、とある著名な科学者がいましたっけ爆  笑

急な階段をひぃこぃ汗ををかきつつ昇りあせるあせるあせる流刑小屋前に到着です。そして写真の右側を御覧下さい。庄川に架かる橋を渡りきり、そこからもそこそこ傾斜のある坂道を上り、さらにこの急な階段を上り辿り着きましたので、観光案内所がありました国道沿いからは、距離こそ短いものの歩くこと5分、かつ標高差はパッと見た限りでも12メートル以上(概ね建物4階分)はあると思います真顔モットアルノカモシレマセンあせるあせるあせる

こちらが流刑小屋の説明です👇

【詳細説明】

富山県文化財指定。有形民俗文化財「流刑小屋」

加賀藩の流刑地として罪人が五箇山に送られてきたのは寛文七年(1667年)が最初とされている。以来、明治維新までの約200年間に150余人が流されてきた。流刑地は庄川右岸の七集落(猪谷・小原・田向・大島・籠度・大崩島・祖山)に限られている。藩は刑人の逃亡を防ぐために庄川に橋を架けさせず、一人では往来できない籠の渡しを使わせた。流刑小屋には集落内に限って出歩ける平小屋、一歩も外へ出られないお縮小屋、小屋の中にさらに狭い檻を作って閉じ込める禁固の三種類がある。お縮小屋と禁錮には牢番が食事を柱の穴から差し入れるだけであった。このお縮小屋は明治以降は物置として利用されていたが、昭和38年の豪雪で倒壊したため古文書を参考にして復元したものである。全国的にも流刑小屋の遺構はなく貴重な民俗資料である

平成14年11月 富山県教育委員会 南砺市 南砺市教育委員会

 

そしてこちらの小屋、はお縮小屋なのでしょうかキョロキョロともかく質素な造りであることに加えて、ここは豪雪地帯ですから冬は寒い滝汗雪の結晶滝汗雪の結晶滝汗雪の結晶凍死された人が出なかったことを願いますお願い

牢番が食事を出し入れしていた小口がこちら👇

ところで今ではよく、例えば頑張っている同僚などに“これ、差し入れねウインク”なんて気軽に使う言葉になっている「差し入れ」です。そうです、現代での「差し入れ」は👉差し入れとは、相手をねぎらったり応援したりする目的で、飲食物などを届ける行為やその品物を指します。刑務所などに外部から物品を届ける意味もありますが、日常やビジネスでは主に「お菓子や飲み物などの心遣い」を表します(AIによる回答)。ですが元々の意味は

残念ながらすでに終了してしまったコーナーなのですが、TV朝日系朝の報道番組「グッドモーニング」内にありました林先生の「ことば検定」で出題された問題ですニコニコ

 

〇今日3月4日は日付の語呂合わせで「差し入れの日」です。そして差し入れをする時には“つまらないものですが”の意を込めて「ご笑納ください」ということがあります。これは送る品物を謙遜した時に使う言葉の表現です。そして「差し入れ」は、元々、どこで使われていたのか、と言うのがこの日の問題だったのですが…

 

回答はこちら👇

そうです、「差し入れ」という言葉が確立されたのは明治期になってのことでした。ただ冒頭に記しましたように現代では「差し入れ」は必ずしも刑務所に収監されている人への贈り物だけでは有りませんから、使い方にことさら注意をする必要はありりません爆  笑

 

 

そしてこの流刑小屋 外から見ていただけでは中がどのような造りになっているのかが全く分からなかったのですが、差し入れ口にスマホをあててフラッシュを発光させて撮影したところ、なんとビックリびっくり正座されているお侍さんが居ました。お姿を見る限りでは高級藩士の方のようにお見受けいたしました。ひょっとしたら、御家騒動の濡れ衣を着せられた無実の重罪人・大槻伝蔵公、その方ではないかと直感的に思いました真顔

そして流刑小屋の階段を登りきると、もう滝汗でしたあせるあせるあせる滝汗もうこの先には進めないゲロー

さて、今回のblogでは予定していました相倉集落までは辿り着けませんでしたがニヤニヤ今回、特にじっくりと見学したのが流刑小屋でした。そして先ほどまで居ました菅沼からは5㎞弱の距離でしたが👇の地図をよぉく御覧下さい。①が菅沼で、合掌集落があるのは庄川の右岸です。そして「五箇山総合案内所」や「村上家」がありましたのは庄川の左岸。そして流刑小屋がありましたのが庄川の右岸しかも左岸よりもはるかに高い場所に位置しています。あれキョロキョロ“金沢城下を発った流刑人は庄川左岸に着くと庄川に架けられた「籠の渡し」に乗せて右岸の流刑地七集落に降ろされました”とありましたよねえーそしてchuは流刑地とされています七つの集落全てを確認したわけではないのですが、菅沼では①のところに籠が架けられており①の位置(右岸)は高い場所にあり、籠は左岸に降りていました。流刑地は右岸ぢゃなかったのキョロキョロなる疑問が生じました。そして何より人々が暮らしている菅沼の合掌造りの集落は庄川の右岸に位置していますが、菅沼集落は流刑地ではありません真顔また集落の中心街であります「村上家」があった場所は確かに左岸にあるのですが、「村上家」付近まで送られてきた流刑人は、この場所からでは籠を使い右岸には行けませんよえー何故なら②の方が、「村上家」がある集落の中心地よりもはるかに高台だからニヤリ先ほどchuが見学させて頂きました流刑小屋は昭和の半ばに豪雪で倒壊したものを古文書を参考にして復元されたものとされていましたが、ホントにこの場所にあったのえーと突っ込みを入れたくなるところばかりでしたニヤリ

“このままでは引き下がれないパンチ!”と思い、そのため持ち前の粘着力爆  笑を用いたchuウインク粘り強く調べてみたところ、ありましたありましたクラッカー合格ウィキペディアで「流刑地」「五箇山」と調べてみたところ、ヒットしたのがこちらでした👇

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E5%88%91%E5%B0%8F%E5%B1%8B_(%E4%BA%94%E7%AE%87%E5%B1%B1)

そして7つの集落の詳細がこちらの地図です。左下の赤字で〇囲みした場所が菅沼集落ですので、要は「五箇山」の中では観光客が訪れている菅沼は流刑地ではなかったのです真顔すると庄川に架かっていたあの籠は何だったんだいえー“ここは流刑地です”をアピールするための仕掛けだったのですねプンプンそして青字で〇囲みしました③の場所は流刑地に指定された7つの集落のうちの一つである田向集落で、やはりあの流刑小屋は現地で建て替えられたものでした真顔また既説明させて頂きました通り、7つの流刑地は見事なまでに庄川の右岸に位置していることがわかります。

 

※流刑小屋の置かれた集落一覧(1.小原、2.猪谷、3.田向、4.大島、5.籠渡、6.大崩島、7.祖山)。いずれも籠の渡し以外に交通手段のない、庄川右岸に設けられた。

 

そして再掲になりますが最後にもう一度だけ、問いかけたい真顔田向集落(「村上家」があった所です)、昔は架けられていませんでしたが今は架橋されています庄川を跨ぐ橋です。左が左岸、右が右岸です。そしてchuはこの写真を撮影するにあたりカメラを斜めにして撮影したのではありません。どうです、どう見ても左側(左岸)の方が低い(ロープも左側が下がっています)ですよねえーなのに、ぶどう藤のツルを束ねたぶっといツタに吊るした籠が、低い方の左岸から高い方の右岸に動くのかニヤニヤもし人力を使わずにかような現象が生じていたのであれば明らかにニュートンの法則に反しますのでこれは世紀の大発見キラキラひらめき電球キラキラひらめき電球キラキラひらめき電球 びっくりポーンびっくり残念ながらchuは文系の人間ですので仮説すらもたてられませんでした爆  笑

以下次号 次は何があっても相倉に辿り着かせますパンチ!爆  笑