さて、冬の福島旅をお届けしてきましたが今回は旅の2日目で待望スキー編ウインクこのスキー場では一昨日まで雪が降り続いたとのことで、積雪量は申し分ない上に雪質にも大いに期待が持てます照れ今回の旅、前日は「大内宿」や「鶴ヶ城」といった、一般的な観光スポットを訪れていまして、その紹介はこちらから👇

それでは、今回訪れたゲレンデはと言いますと…

福島県二本松市にあります「あだたら高原スキー場」です合格クラッカーchuの数ある“ホームゲレンデ”のうち、なんつってもこちらが一番チュー福島市在住中にはそれこそ毎週のように出向いていたのですが、転勤で東京に戻り千葉県松戸市の自宅に戻りましたので残念ながら日帰りスキーはちと難しいあせるあせるあせるそのため、松戸に戻った後のchuが向かうゲレンデは栃木県内の二つ(「ハンターマウンテン塩原」or「エーデルワイススキーリゾート)か、福島県内にありながらなんとか日帰りが可能な「グランディ羽鳥湖スキーリゾート」へと変わっていったのでした。それでも泊付きでスキーに行く場合、この「あだたら高原スキー場」や「グランデコスノーリゾート」が候補に上がらないことはなく、前回はグランデコだったのですが今回は「あだたら高原スキー場」となったのでしたウインクなお掲載枚数が多いのでどんどん行きますビックリマークそうです、それはchuのスキーの滑降(downhill)のスピードの如くウインクなんちって爆  笑と思ったのですが、せっかくの「あだたら高原スキー場」ですから少し詳しめの解説などを織り交ぜると、前後編の2回になっちゃいましてニヤニヤそれではこちらが現在の「あだたら高原スキー場」のゲレンデマップです。チケット売り場前にありましたものをカメラ

こちらは広く配布されていますパンフレットです👇以前はchu宅近くのスポーツ店でも入手出来ましたが現在ではスキー場と岳温泉街以外ではほとんど流通していないようですニヤニヤ

ところで「あだたら高原スキー場」、実は15年以上前には、このゲレンデはもっと、ずっとワイドなゲレンデ構成だったんですよえーそれを比較するのがこちらのゲレンデマップ👇

 

上が現在で、下がこじんまりする前の、フル規格のゲレンデです(赤の実線で手書きしています)。特に①、②のところはダイナミックなコースだったんですよショボーンそれにゲレンデトップからの眺望も素晴らしかったビックリマーク北に蔵王連峰、眼下に福島市街地、正面には霊山を始めとする阿武隈山地など、素晴らしい大パノラマが広がっていたんですよ照れ

今はない、水色で〇囲みした部分には、以前はゴンドラで行ける山頂駅と、右側は、中間駅を持つゴールドリフトというのがあり、最上部の③は無圧雪の、それはそれは素晴らしいコースレイアウトを持つ大きなゲレンデでした。下のマップで①、②と記したのがこのスキー場の最大のウリだったのですが、スキー人口の減少のためなのでしょう、まず最初にスキー期間中のゴンドラ運行が止まりました。はっきり言ってこのた時は大ショックガーン“もう、泊まり込みでこのゲレンデに来る価値はなくなった”と思ったほどでしたゲローそれでも、やはり「あだたら高原スキー場」はchuにとり、スキーを再開させた(※20代後半で仕事が多忙になりゲレンデから足が遠のいていたのですが、転勤で福島市に居住するようになり、このゲレンデで復活したのが30代半ばの事でしたウインク)とても心に残るゲレンデでしたので、コンパクトになってはしまいましたが、昔の思い出をぐちぐち言い続けてもしょうがないので、今回、こうして来ているわけでございますニヤニヤそれに、スキー人口の減少により、どんどんクローズされてしまうゲレンデが多い中、たとえ細々とでありましてもなんとかこうしてスキー営業を続けてくれていますから、ありがたいと思わなきゃなのかも知れませんね。現にchuのホームゲレンデの一つでありました「グランディ羽鳥湖スキーリゾート」は“営業休止を継続します”のクローズ状態ですからね泣

さて、「あだたら高原スキー場」に到着しました車ダッシュ車ダッシュ車ダッシュって、前日宿泊したのは二本松市の「岳(だけ)温泉」でして、

温泉街からは車で15分程度で着いちゃいますウインクその「岳温泉」とはこんなところ👇

その開湯の歴史は古く、平安時代には京都でも知られていたそうですびっくり源泉は安達太良山直下にある「くろがね小屋」の近く。そこから温泉街の距離は8kmも離れており、引湯管を用いてお湯が供給されています。そしてこのお湯、普段は透明なのですが、週に一度だけ乳白色のにごり湯になり、"ミルキーデイ"とよばれ岳温泉名物の一つとなっています。これは岳温泉のお湯を護るために組織された“湯守”と呼ばれるメンバーにより、引湯管の湯詰まりを防ぐために源泉地点に赴きワイヤーを使ってゴシゴシし引湯管の中を擦ることで引湯管の内部に付着していた湯花が流れ出すことで温泉街には白濁したお湯が流れ出ることから付けられた名前ですウインクこのミルキーデイは基本的に毎週月曜日なのですが、しかし自然相手のお仕事ビックリマーク真冬の厳冬期でもこの清掃を怠ることは即、岳温泉の機能低下に直結しますので1週間に1度は必ず実施されるのですが、悪天候等により日程がずれこむことがあります。なおリンクしました「岳温泉観光協会公式サイト」にはミルキーディの予定日が公開されていますので、それを参考にして旅行計画を立てるのもありですねニコニコ真冬の積雪が大量にある時の、湯守の皆様の孤軍奮闘ぶりはこちらから👇

またchuの場合で言えば“温泉&スキー”は定番ですから、最高の旅となっています照れそしてゲレンデの入り口は、日本百名山の一つ、安達太良山(1700m)をアタックするために複数ある登山口の一つである「奥岳登山口」でもありますウインク

滑り出しは9時20分ビックリマークスキー場のオープン時刻が9時のうえ、なんと言っても平日ですからガラガラだクラッカー合格ゲレンデヲドクセンデキチャウチュー

と思ったら、“悪い予感“的中しゲローまさかの修学旅行生軍団に遭遇ガーン実は駐車場には複数台の大型バスが停まってたのを確認していましたあせるあせるあせる茨城県の中学校でchuが車外でスキー道具を出していたらバスの運転手さんが“今日、何時に出てきたの!?”と話しかけてきましたウインクと言うのはchuの車が松戸ナンバーのため、“お隣県”同士で親しみを感じたからでしょうニコニコchuが岳温泉に泊まって朝、宿から出てきた旨を話したところ納得した御様子。もしこの時間(駐車場到着は9時ジャスト)に松戸から来るのだとしたら、遅くても5時30分には家を出なきゃですからねニコニコですがchuのスキー旅では常に早朝着を目指しますから、例えば志賀高原(さすがに日帰りはしません爆笑)などに行く時は2時30分出発なんてザラなんですよ口笛ところで件の中学生一行が宿泊しているのは岳温泉の中でも高級ホテルであります「光雲閣」だそうです。ところでchuがスキー部長をしていた時に部員を引き連れてこのゲレンデに来ていた時の宿泊先は「光雲閣」一択でしたので懐かしい響きだったな照れ

そして修学旅行の一団は、まだリフトの乗り方の練習などをしてましたので、その間隙を縫い滑りまくりますウインク(指導員の方が一般のスキー者が来たら列を譲るように指導してくれていました照れ)一昨日までガンガン降っていたようで積雪量と雪質は申し分ありませんチューここからはまだ空いている段階でのゲレンデの様子をどうぞウインク

ここはペガサス 初級コースでシーズン初めの“慣らし走行”には最適ですが、2~3回滑ったら飽きちゃいますねニヤニヤ

リフト乗車chu 陽の光が美しい照れ

ここはアルタイルの滑り出し部分ウインク上級コースです💪

ここはジェミニ&アンドロメダの分岐点ですニコニコ

このあたりがゲレンデの最高地点。う~ん、その昔、ゴンドラ運行されていた時に眺められた最上部からの視界と比べるとやはり劣っている感は否めませんショボーン

この上にゴンドラの山頂駅があるのですが、今はコースではなくなっちゃいましたので、視界の先から滑り降りてくる人はいません爆  笑

アンドロメダ そこそこの斜度とワイドなバーンで、ここが「あだたら高原スキー場」メインゲレンデウインク各種大会が開催されるコースです。中級クラスの腕があれば全くストレスなく滑れますので、chu(レベルの腕前です爆笑)の一番好きなコースですチュー

こちらがペガサスコースを滑っている時の様子です👇何せ、修学旅行生の一団が来る前に撮り終えたかったのと、きゅっきゅと鳴るパウダースノーの様子をお届けしたくて照れあと、ストックを使わずに安心安全かつ確実に撮影できるのは現在のchuの技量ではこのゲレンデかな、と思いニヤニヤこちらで撮影したものをアップさせて頂きますねウインク専用のカメラを装着して撮影しているのではなく、スマホを片手で持っての原始的な撮影です爆  笑

途中、修学旅行の一団と遭遇しつつぅの、なんやかんやで20本以上は滑り足がガクガクになっちゃっいましたニヤニヤまた今ではゲレンデ内の食事処はここ一ヵ所ですから、昼食時の大渋滞は必至です滝汗なので時間をずらして13時過ぎにINビックリマークなお、メニューからもお分かりの通り、“ゲレンデ価格”ではありますが、まぁ許容範囲の価格帯ウインクさすが、東北の方が関与していますので何事においても優しいですよね照れ(ガーラ湯沢や志賀高原ぢゃ、こうはいきませんよニヤリあと噂で聞くニセコとかもゲロー)

食事を終えて暖炉の前で大休止ウインクしかしスキーって、一回、休憩しちゃうと“次”に向かうのに腰が重たいの爆  笑こちらは安達太良山に登るための注意書きなどニコニコ

登攀に向けての注意書きも👇山中にある唯一の山小屋は建て替え工事中のため休業しているようで、宿泊や休憩の場所としては勿論、トイレの場所としても使えないようです滝汗そのためトイレの“代用施設”として仮設のブースがあるようなのですが、“トイレキット”なるものを使わなければならないようです口笛

そこで“トイレキット”なるものがが気になったビックリマークで、調べてみた爆  笑わかったのはここまでで、使い方までは分かりませんでしたニヤニヤ

スキー編後編に続きますウインク

 

 

今年1月中旬に2週続けてお出かけしました2つの豪雪地帯(岐阜県「白川郷」、富山県「五箇山」、福島県「大内宿)雪めぐりウインク前回編では2回に渡り「大内宿」の様子をお届けしていましたが👇今回は豪雪地帯を離れ、“雪国タウン”の会津若松市へと車を進めます車ダッシュ車ダッシュ車ダッシュ

👆のblogは公式ジャンル記事ランキング:カメラ(風景写真)で13位にランクインしましたクラッカー合格チュー有難うございました照れ

「湯野上温泉駅」からは国道121号線を北上します。昨夜まで降っていた雪はすっかり除雪され、両脇の道端にうず高く積まれていますが自動車の通行は何ら問題ありません。ただ、時刻は午後を回ったものの路面が凍結している箇所はあるため、スピード抑え目の慎重運転にて走行していますニコニコすると思いのほか早く、目的の「鶴ヶ城」(会津若松城)に着きました。「湯野上温泉駅」からは25㎞くらいの距離ですので、無雪期であれば30分もかからないのでしょうが、それでもスピードを抑えめで走行したのですが40分くらいで到着ですウインク

一般では「鶴ヶ城」と呼ばれている東北きっての名城ですが、正式には「(会津)若松城」です。但し「若松城」と言ってもひらめき電球と来る方は多くはないので、「鶴ヶ城」に統一し、ここで簡単に「鶴ヶ城」の歴史を振り返ってみたいと思います。「鶴ヶ城」の築城は、実は意外と古く1384年、南朝の時代です。蘆名直盛という武将が“小田垣の館”若しくは“東黒川館”という建物を造り、それが「鶴ヶ城」の始まりとされています。その後、戦国の世になる15世紀半ば頃には「黒川城」となり、蘆名家が代々城主となり周辺一帯を治めていたようです。しかし当時、対立関係にあった伊達政宗との戦いが1589年に勃発すると当主であった蘆名義博広を始めとする蘆名家は滅亡、正宗が「鶴ヶ城」を手に入れ「米沢城」から移ってきたのです。しかし当時は戦国の世。天下統一を果たした豊臣秀吉から蘆名家を滅亡させたことを諫められ、正宗は秀吉に臣従すると共に会津領内を召し上げられます。そのため再び「米沢城」に戻ることになりました。さて、当主が居なくなった「鶴ヶ城」でしたが、ここで新たに登場するのが“会津の祖”と言われている蒲生氏郷(がもううじさと)です。1592年になると氏郷は、「鶴ヶ城」を大名が居城とするに相応しい近世城郭への改造を命じ、町の名前を「黒川」から「若松」へと改めさせました。なお「若松」の名称は、氏郷の出身地である「日野城」に近い「馬見岡錦向神社」(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社)の参道周辺にあった“若松の杜”に由来すると伝えられています。このように、氏郷入場後には城と城下の改革が急ピッチで進められ、氏郷入場後の僅か1年(1593年)後には望楼型7重(5重5階地下2階とも、また7重には「何段にも重なる」の意味もある)の天守閣が竣工し、城の名前はこの時初めて「鶴ヶ城」に改められたのであります照れ(今回の説明では「鶴ヶ城」と綴っていましたが、それ以前は「若松城」、そのもっと前には「黒川城」と呼ばれていたのでした)なお近年の発掘調査では、蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)、宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土しているそうです。その後、1598年になると氏郷の子である秀行は家中騒動の咎を受けて92万石から18万石に減封された上に下野国宇都宮に移封されたてしまいます。その後、越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封するのですが、景勝は1600年(慶長5年)に繰り広げられた「関ヶ原」の戦いで西軍に加担したため徳川家康より三行半を突き付けられ30万石に削り取られた後に出羽国米沢に移封されました。この間、城主は短期間での交代が繰り返されたのですが、1611年(慶長11年)には「会津地震」が発生し城下を始め「鶴ヶ城」も大きな被害を受けました。その時の当主は伊予松山から入封していた加藤嘉明とその子の明成でしたが、現在の形として残る「鶴ヶ城」の形に再興したのがこの加藤父子でした。しかし震災後の会津再興に尽力した明成ではありましたが不始末を起こしたことで改易されてしまいます。その後、出羽国山形より3代将軍・徳川家光の異母弟である保科正之公が23万石で入封。以後、時代が明治に改められるまで、会津松平家の居城となりました。

 

そしてこの先、「鶴ヶ城」には悲劇が訪れます。1868年(慶応4年)、戊辰戦争の中でも最大の激戦と言われた会津戦争では、「鶴ヶ城」内に立て籠る会津藩士らの抵抗を受け、ひと月に渡る攻防が繰り広げられるも最後は遂に落城えーん板垣退助による降伏勧告を受諾し開城、その後、新政府を名乗る輩らにより取り壊されてしまったのですゲローなお取り壊しまでの経緯を少しだけお話させて頂くと、開城後の廃藩置県の際には一時、「若松県」の県庁舎としても使われましたが、その後、陸軍省の所管に移ると1874年(明治7年)には石垣と一部の樹木を除き撤去されたのでした。そして現在の「鶴ヶ城」は1965年(昭和40年)になり鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館」として公開されている、復元されたお城なのです。ですので城郭自体には残念ながら文化財的な価値はないのですが、しかし誇り高き会津藩士の有り様、志を後世に伝える一つのモニュメントになっていることに違いはありません照れ

 

そして今回の「鶴ヶ城」訪問、何時もは西出丸駐車場に車を止め入城することが多かったのですが、今回は三の丸があった東駐車場に車を止め場内に入りますウインク「鶴ヶ城」は神社仏閣ではないものの、ここを訪れる時には何時も凛とした気持ちになり姿勢を正して入城します照れ

chuたちが訪れましたこの時では、城内では漆器や陶磁器などの会津の伝統産業として長く重宝されてきた工芸品の数々を会期中テーマを変えながら紹介している「会津の技」展が開催されているようですニコニコ

こちらが「鶴ヶ城」公園の全域ですウインクchuは何時もは西出丸の駐車時に車を置き入城することが多かったのですが、今回は何を感じたのか三の丸、二の丸の有る東口駐車場に車を止め入城しましたニコニコ

そしてこの方は大河ドラマ「八重の桜」の主人公・山本八重さんウインク綾瀬はるかさんが演じておられました山本八重さんは後に京都に移住し、同志社大学を創設する新島襄氏と結婚し新島八重さんになりますニコニコ

八重さんの像の脇にあるボードに書かれているのはこちらと同じもので「明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月影」と詠まれました。明治元年9月22日巳の刻(午前10時ころ)、会津藩は「降伏」の旗を掲げ壮絶な戦いを繰り広げた籠城戦に終止符が打たれました。山本八重は新政府軍が鶴ヶ城に入城する様子を「切歯扼腕(せっしやくわん)」(歯ぎしりし腕を強く握るほど無念な様子)の思いで見守ったと、晩年(84歳)に語っています。降伏の儀式が終わり夜が更けると、八重は三の丸の一角で一首の和歌を詠みました。この時、“月が物凄いように輝いていた”と、後に回想しています。八重が物心ついた時から日々、見上げて来たお城、籠城戦では城を枕に殉死する覚悟までしたこの鶴ヶ城が、明日からどこの国の誰の手に渡ってしまうのか。煌煌と輝く月明かりの下で詠まれて和歌に、八重の無念さが込められています。と書かれていました。

「八重の桜」についてはこちらを御参照下さい👇

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%87%8D%E3%81%AE%E6%A1%9C

こちらが大河ドラマVersion、「八重の桜」のスチール写真です。

 

城内に進むと、赤べこがお出迎えしてくれましたウインク赤べこは、赤い牛に似せた張子で会津地方の郷土玩具で、子どもの魔除けとして用いられてきたもの。そしてその起源は蒲生氏郷が殖産振興のために招いた技術者から張子製作が伝わったものでして、会津では大変歴史がありますニコニコ体色の赤には魔除けの効果があるとされ、黒い斑点は痘を表し病にかかっても重くならないように子どもに赤べこを贈る風習があったのだそうですニコニコ

「鶴ヶ城」のお濠は氷結していましたびっくり

そして見上げる「鶴ヶ城」合格クラッカー

chuは今まで何度も「鶴ヶ城」を訪れていますが、実は福島市にも長く居住していながら冠雪した「鶴ヶ城」を訪ねたのは今回が初めてですウインクchuが住んでいた福島市吉倉から会津若松市までは無雪期でも90分はかかります(国道115号線と国道49号線、土湯トンネル経由の一般道を利用)。ですので降雪期には倍の180分はかかると見積もると、往復で360分かかるわけですから福島市に住んでいると中々、日帰りで行き来するのは難しくなって、残念ながら雪の会津若松には訪れてはいなかったのでしたあせるあせるあせるそして会津若松エリアでは一昨日まで降雪があったのですが、“なんとか溶けないでねお願い”って願いつつ、「大内宿」や「湯野上温泉」から急いでやって来たのですが、なんとか間に合ったようですチュー以下、見慣れた「鶴ヶ城」とは一味も二味も違った“冠雪した「鶴ヶ城」”を心行くまで眺めましたウインクまた、色々な角度からの撮影も試みて、気付けばお城の周りを何周もしていましたっけニヤニヤ結果、同じような写真を数十枚撮影していましたが爆  笑厳選に厳選を重ね、以下の写真をアップさせて頂くことにしました照れ

こちらは「鶴ヶ城」内にあるお土産処。「鶴ヶ城」には過去、何度も入城していますので入城はしなかったのですが、このお土産処までの出入りは自由ですウインク(※ちなみに「鶴ヶ城」内での写真撮影は出来ません)

今回はこちらを購入しました👇会津藩「什の掟(じゅうのおきて)」のクリアファイルですウインク「什の掟」とは!?こちら👇

最後にもう一度、「鶴ヶ城」ウインク 雪景色の中での「鶴ヶ城」を鑑賞することが出来ましたウインク有難うございました照れ

「鶴ヶ城廊下橋」を渡り駐車場に戻りましたウインク

「冬の福島旅」、後はお宿に向かいまして一日目は終了です(^^)v

 

今年の1月中旬は“豪雪地帯めぐり”に勤しみまして、今回は福島旅の第2回、「大内宿」の後編となりますウインク前編はこちら👇

茅葺屋根の建物が「会津西街道」の両脇に並ぶ「大内宿」。距離にして500m程のその景観は正に江戸時代にタイムスリップさせてくれるものでして、そのクライマックスが町並みの一番北に位置する「見晴らし台」ニコニコ今からそこへと上がります。なお前編の終盤でも触れましたが、「見晴らし台」に直結している石段は積雪のためクローズされており、お寺の境内を通ってのアプローチとなります。そのお寺がこちらニコニコ

 

「正法寺」という浄土宗の寺院です。そう言えば「白川郷」には「明善寺」という合掌造りの寺院がありましたが、こちらのお寺さんはごく普通の造りのようです口笛

こちらの「正法寺」、創建は室町時代後期の天正3年(1575年)に開山された古寺で、大内宿住民の菩提寺として住民の方が埋葬(土葬です)され墓碑が建立されています。また戊辰戦争の際には正法寺が似非官軍の兵糧役場兼救護所として利用され「大内宿」内に本陣が敷かれたそうです。なお似非官軍の主力部隊がは会津藩領内に攻め込む際には、奇襲とも言える戦法で、猪苗代町の母成峠から侵入したのですが、こちらの「大内宿」界隈でも別動隊による小競り合いが繰り広げられていたようで、守備部隊を領内の各境界に分散させざるを得なかった会津藩は「大内宿」界隈での戦いに敗れますえーんしかしその戦いの中にあって砲兵隊頭取を務めていた笹沼金吾さんという方は一人で似非官軍に奇襲をかけ10数人を討ち取ったそうです。ですが奮戦虚しく討死となり、戦いが終わった後には似非官軍によりその御遺体が晒されたのだとかプンプンしかし「大内宿」の住民はそれをたいそう哀れみ、似非官軍が退去した後に 御遺体を正法寺の境内に埋葬し墓碑を建立したのだそうです。境内が雪に埋もれていたため今回は残念ながら墓碑にお詣りをさせて頂くことが叶いませんでしたが、ここ「大内宿」にも似非官軍による正義なき戦いの爪痕が残されていたのでした真顔会津を旅していると、似非官軍に対する怨嗟の思いが沸々と煮えたぎって来るメラメラメラメラメラメラchuなのでしたプンプン

 

そしてお待たせしましたビックリマークこちらが「大内宿」全体を見渡せる「見晴らし台」ですウインク

「白川郷」の「荻町展望台」や「城山展望台」と比べてみるとどうでしょうか!?ご感想はそれぞれ、皆さま心の中にウインク

しかし、「白川郷」と「大内宿」というこの二つの重要伝統的建造物群保存地区、しかも豪雪の中のその景観を、同じ年の同じ月(2026年1月です)に訪れたってことは、前編でも書きましたが、手前味噌にはなりますが、chu一行には殊勲賞が授与されても然るべきものなのですクラッカー合格照れチュー

 

さて、「見晴らし台」からの眺望を愉しんだ後には再び「大内宿」内に戻ります。前夜まで降り続いていた雪は、この日は朝からやみ、「大内宿」内では除雪作業の真最中ビックリマークしかし先日訪れました「白川郷」では、世界遺産にも選定されている著名な観光地のため、村(白川村)外からの沢山の観光客が押し寄せる中で、実際に生活をされている方が多数、居住されていることから“生きる世界遺産”と言われているのですが、ここ「大内宿」も、町(下郷町)外から多くの観光客が訪れる中、こちらで生活されている方は暮らしていくために除雪作業をしなければならない、しかしそうした姿をカメラに収め、このようにblogにアップしている自分(chu)は何なんだえーと、自問せずにはいられませんでした真顔

「見晴らし台」に行く前に、ちらりと覗いていきましたお店に立ち寄りお土産などを購入しますウインク

そしてこちらのお店、驚いたことにここで販売されている品物の全てが試食できますびっくりもう、ここで試食させて頂く分だけでお腹が膨れて来ちゃいそうですが爆笑特に美味しかったものを二点ほど選び、合計四つをお買い上げウインク

あと、セルフサービスですがお茶もいただけますウインクしんしんと冷えた身体に麦茶が入り、体の芯からぬぐたまりましたチュー

お買い物を終え、店外に出たところで除雪車に遭遇ビックリマークすると、あびっくりこの方はビックリマーク

さっき、雪かきを終えて屋根の淵から雪にダイブしたおじさんだビックリマーク

さきほど、少しだけお話させて頂いたので覚えてましたウインクするとおじさんもchuたちに気が付いて下さりにっこり笑って挨拶を返してくれました照れ

しかし、屋根から雪を降ろすだけでもかなりの重労働なのに、降ろした雪を除雪車に乗せて融雪溝に捨てに行くため、観光客がわがもの顔で歩く最中を何往復も何往復も…本当におもさげなく思いましたショボーン

ですがこうして暮らされている「大内宿」の皆様の姿をお伝えし、住民の皆様の御迷惑にならない範囲で訪れて、飲食や食事、お土産の購入等でお金を落とすことで「大内宿」の未来に繋がるというように考えれば、chuがこうしてblogにアップすることもあながち悪いことではないのかな、と考えるようにしましたウインク

茅葺屋根にはつららが下がっていて、歩きながらスコップの柄を持ち、つららを落としていました。尖がってますから、落ちてきたら危ないですからねあせるあせるあせる

そしてあちらこちらで雪下ろしをされている方を見かけました。観光客が多数、往来する中でもここに暮らしている方は、生きていくために雪下ろしをしなければなりません。「白川郷」同様、「大内宿」も“生きる重要伝統的建造物群保存地区”なのです照れ

こちらの建物は、軒下まで積雪がないため梯子を使って慎重に屋根から降りていきます。どうぞお気を付けて下さいませビックリマーク

そして間もなく「大内宿」入り口の駐車場近くにウインク500mほどのメインストリート(会津西街道)でしたが、ここ入り口付近と、最北に位置している「見晴らし台」直下とでは積雪量がかなり違いましたウインク兎に角、“雪大好き人間”のchuです爆  笑「大内宿」にてとっても素敵な時間を過ごすことが出来ました照れこうした真冬の時期に、毎年訪問できるかどうかは分かりませんが、ちょいと頑張れば千葉県松戸市のchu宅から日帰り旅をしようと思えば出来ちゃいますから、てか、福島県内のスキー場には日帰りでも出向いていましたので、渋滞に遭わない分、東京都内を抜けて西側に行くのとではやはり大違いですねニコニコ

そしてここは田圃ですが、一面の銀世界。ここに足跡ならぬ、なにか“ここに来たぞぉビックリマーク”て印を残したくなりましたグラサン

で、雪玉を作って投げてみました合格クラッカー“ボコッ”て凹んでいるところ、お分かりになりますか👇chuの投じた“足跡”でした爆  笑(雪で造った玉ですので溶けてなくなりますから田圃に迷惑はかかりませんよねウインク)

今回はすっぽりと雪に覆われた季節に訪れましたので、一つ一つの建物、特に茅葺屋根の様子は判らなかったのですが、こうして伝統は受け継がれていくのでした照れ(👇の写真は大内宿観光協会のホームページからお借りしました)そしてこうした所作も世界遺産に選定されている「白川郷」と同じなんですねウインク

以上、雪に覆われました真冬の「大内宿」滞在の様子をお届け致しましたニコニコなお、前回「大内宿」を訪れていたのは2019年10月初旬のこと。ですので6年半ぶりの訪問となりましたが、雪のない日の「大内宿」の様子はこちらに👇綴ってありますウインク

 

「大内宿」を後にしましたchu一行は会津鉄道の「湯野上温泉駅」にやって来ましたウインクで、ここは非常に交通量の多い国道121号線沿いですが、身の安全を確保しての駅舎の撮影ビックリマーク残念ながら列車はやって来ませんでしたが、ここから眺める、「大内宿」と同じように茅葺屋根で造られた駅舎は“撮り鉄”の皆さんが競ってでも撮影するアングルなのですよ照れ

で、「大内宿」の最寄り駅がこの「湯野上温泉駅」です。駅から「大内宿」までは約6㎞、無雪期であれば5~6分。路線バスも運行されていますので公共交通機関のみの利用でも「大内宿」を訪れることは可能です。しかし今回のような大雪が降った後だと、「大内宿」へのアクセス路は主要道路とは言えないので、国道と比べたら除雪はどうしても後回しとならざるを得ず、今回もかなりの雪が残っていました口笛

ですが、こんな時に最大限の力を発揮してくれるのがコイツでしたクラッカー合格新調したばかりなので、機能性には何の不安もなく頼れる奴ですウインクその上、chuの雪道運転の腕に不安はありません💪しかし、油断は禁物ビックリマーク慎重の上にも慎重にウインク“3つの「急」”は絶対にダメですパンチ!

(※3つの「急」👉急ブレーキ、急ハンドル、急発進は絶対にバツレッドです。雪道での運転は時速30~40㎞で運転のことウインク)

 

こちらが「湯野上温泉駅」の駅舎ですニコニコ「大内宿」の“表玄関”と言うことで茅葺屋根の駅舎なのですが、恐らく国内唯一ではウインクと思ったら、大分県にある「豊後中村」という駅舎も茅葺屋根製なのだとか。ですが、「湯野上温泉駅」の駅舎を真似したのだそうですウインク

無雪期の駅舎の写真です👇「会津鉄道ホームページ」よりウインク

こちらが、駅舎に隣接している湯野上温泉の「足湯」ですニコニコ

駅舎の中には囲炉裏があり、その周りをたくさんの人が陣取っていた取り囲んでいたため写真は断念ニヤニヤその他、観光案内所とお土産コーナーがありました。なお列車が来た時の出改札と駅舎の管理運営の駅業務の他、観光案内や物品の販売などの全般は「下郷町観光公社」に委託されているそうですニコニコ

会津鉄道は全線が単線運行で無人駅も多いのですが「湯野上温泉駅」は有人駅。2面2線の構造でこの駅では列車交換が行われています。今回、駅滞在時には列車が来なくて残念でしたが、ほれ、chuは“撮り鉄”ぢゃないので、そこまで無理はしないのでした爆  笑

会津鉄道の御案内はこちら👉https://aizutetsudo.jp/

駅前のロータリーは、つるっつるの鶴爆  笑見事なまでのアイスバーン状態で、とてもぢゃないけどチェーンスパイクなどの滑り止めを装着していなければ普通には歩けませんニヤニヤそしてchu車は新調したばかりのVRX-3でしたが、よちよち歩きの20㎞くらいで走りました爆  笑

※「私をスキーに連れてって」で、高橋ひとみさんと原田貴和子さん演じるお二人が、車のドアをバタッとあけて“凍ってるね”ってやったSceneを思い出しちゃいましたチューで、このSceneを瞬時に思い出せる方はchuと同じ時代にスキーを滑りまくっていた仲間ですチュー(写真はネットから探してお借りしました照れ)

ところで「湯野上温泉」の紹介がまだでした(^^ゞこちらをどうぞ👇開湯は明治時代の中期と、温泉街の分類で言えば新しいのですが湧出している源泉の温度は60℃で、“源泉かけ流し”をしている宿が多数を占めているのだとか。そして温泉が発見された経緯が面白くて、なんでも猿が気持ち良さげにお湯に浸かっているのを見て、これはひらめき電球ときて(しかし、ありがちですが爆笑)、発見されたのだそうです爆  笑またこのエリアの近くには「中山風穴」とか「塔のへつり」「養鱒公園」などの見どころがありますニコニコ

次は会津若松に向かいます車ダッシュ車ダッシュ車ダッシュ

 

 

 

 

 

2026年の1月前半は複数のアクティビティで特に忙しかったあせるあせるあせる岐阜県と富山県と石川県を旅しました『「第40回白川郷ライトアップ」と金沢・五箇山の旅(^^)v』につきましては👇の「速報版」を含めた6回シリーズでお届け致しましたウインク

そして2026年1月中旬にお出かけしました標記タイトルの旅、は正に豪雪地帯の中を往く雪中行軍の様相も呈していましたが(いゃ、少しオーバーかなニヤニヤ)、数回に分けてアップさせて頂く予定てす。ところで今回の「雪だ!スキーだ!福島だ!あとちこっと山形へ(^^)v」の旅で使用した「NEXCO東日本」の「ウィンターパス2026」はこちら👇そしてこのウィンターパス、決められた始点(首都圏側の複数のエリア)と猪苗代・磐梯エリアのICとのいち往復が割引になる優れもの照れ但し、目的地エリア(今回の場合は郡山ICを基点に東北道は二本松ICまで、磐越道は会津若松ICまで)間のフリー走行(エリア内の乗り降り自由)は出来ませんので注意が必要です。そしてウィンターパスは今回chuが利用した「猪苗代・磐梯」プランだけではなく、「白樺・志賀・妙高」、「菅平・軽井沢」、「蔵王」、「那須・塩原」の各プランがありますニコニコとってもお得なプランですので冬のこの季節に御旅行を計画されている方は是非、ご利用されてみては如何ですかウインクただ、東京基点でラインナップされていますこれらは豊富な各方面へ、と言いたいところの何故か関越自動車道を使う「沼田・水上・越後湯沢」などは、無いんですよねニヤニヤ「NEXCO東日本」の七不思議の一つと言っていいでしょうグラサン

常磐自動車道「流山IC」からIN車ダッシュ車ダッシュ車ダッシュ約2時間経過後の最初に休憩する場所は毎度おなじみの「阿武隈高原SA」ですが、福島県の「浜通り」側に位置する阿武隈高原エリアにあって、標高が比較的高いエリアですので真冬であれば積雪があってしかるべきなのですが、この時は残雪は全くありませんでした。

【御参考】何時ぞやの「阿武隈高原SA」の様子です。これでもまだ雪は少ない方でした口笛

こうして走っていると、やがて常磐自動車道と東北自動車道とがクロスする「郡山JC」に到着。ここで真っすぐ、今日の宿泊場所を目指すのであれば東北道を北上し「二本松IC」に行くのですが、まだ時間が全然早いビックリマークそうです、つい先週、“日本の大豪雪地帯”であります「白川郷」を訪れていたのですが、どっこい、福島県にだって大豪雪地帯はありますウインク“福島県を第2の故郷”と呼ぶchuにとりました、こうした雪との戦いは正にライフワークだ爆  笑大雪なんかに負けちゃいけないぜぃパンチ!で、「ウィンターパス」の関係から一旦、「郡山IC」で高速を降り、今度は再び現金で「郡山IC」から入り東北自動車を南下し「須賀川IC」で降ります。なぜこんなことをするのかと言うと、「須賀川IC」は「ウインターパス猪苗代・磐梯」で設定されたコース外のため、「須賀川IC」でそのまま降りちやった場合、“ルール違反の走行”に認定されてこの旅行でのパス使えなくなっちゃうのですよゲローで、「須賀川IC」で高速を降り国道118号線で西に進んだその先は会津下郷町。御案内の通り、会津地方は福島県の中でも豪雪地帯にカテゴライズされていますウインクそして途中で、余りにも素晴らしい光景に出逢いましたのでちょいと休憩の巻、は「羽鳥湖」なのですが見事に氷結していますチューこれは素晴らしい合格クラッカー

そしてこの「羽鳥湖」を山の上から見下ろすことが出来るのが「グランディ羽鳥湖スキーリゾート」のゲレンデトップから滑り降りて来るコースの途中ですウインク眼下に見えている湖が氷結している「羽鳥湖」です。ただ誠に残念ながら、chuのホームゲレンデの一つでありました「グランディ羽鳥湖スキーリゾート」は2024シーズンの営業を最後にクローズしてしまったのですえーん

2年前の1月には滑れていました「グランディ羽鳥湖スキーリゾート」でしたが昨年、突然クローズしてしまったため、それ以降、chuが「羽鳥湖」と接する機会はなかったのですが、久しぶりの邂逅と、しかもまた見事に氷結している姿を見ることが出来ましたことはこの旅の幸先の良さを予感させるものでした照れ

 

そして今回の旅の最初の目的地がこちら👇

そして今回訪れている季節は厳冬期の真冬ですチューここまでも、一部、除雪が間に合っていない箇所もあり大雪をかき分けかき分けやって来ましたウインクで、“守備の達人”を自認しますchu、冬道に行く際には常にタイヤチェーンを携行して行くのですが、今回は今シーズンのシーズンイン前に新調しましたこちらが120%の威力を発揮してくれて、十に分な働きをしてくれましたので結局、雪の中で装着することはなく助かりました👇

ここに来るまで雪道を無事走り抜けましたchuの車に御褒美をあげましょうビックリマーク雪だるまですチュー(「大内宿」の駐車場は環境整備維持費も含まれますので1回あたり500円が必要です)

こちらは「大内宿」周辺の散策路ですが、「大内宿」とは福島県南会津地方に位置している江戸時代に出来た宿場町で、江戸時代に会津若松と日光今市を結ぶ重要な街道の宿場町として栄えました。「会津西街道」という街道ですが、その街並には今も茅葺屋根の民家が建ち並び、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を味わえる、江戸時代の面影を残す国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されている観光スポットです。また「大内宿」の特徴としては「売らない・貸さない・壊さない」の3原則で景観が保存されていることに加え、茅葺屋根の家々が当時のままの姿で残されている事、20~30年に一度と言われる茅葺の葺き替えは地域住民の方が総出で手助けをする「結(ゆい)の会」の精神が脈々と受け継図れている等、chu一行が先日訪れていました「白川郷」とはその街区としての性格は瓜二つと言えますびっくり照れしかし我ながら言うのもなんですが、「白川郷」「五箇山」そして「大内宿」と、日本が誇る文化と街の景観をこうして連続して訪れることは、これを仕事として取材されている方以外であれば日本中を探しても、恐らくchu一行以外だと殆どいないのではないかと、自分たちに殊勲賞クラッカー合格をあげちゃいたいくらいです照れチュー

 

 さて、大内宿周辺散策路ですが、そのメインは両脇に茅葺屋根の建物が並ぶ旧街道(メインストリート)を歩きます走る人走る人走る人両脇にありますこれらの建物は食事処やお土産屋さん、中には民宿もありますが、殆どのどの家屋も何らしかの商いをされているように見受けられました。「大内宿」の楽しみ方としては、まず“日本の原風景を目で楽しみたい”なのですが、それと共に、「町並み展示館」では江戸時代の生活を再現した展示がなされていること、「見晴らし台」では茅葺屋根の街並みを一望できる絶景スポットであること、「食べ歩き」としてはねぎそば、しんごろう、栃餅などの郷土料理で南会津の食事習慣を味わえること、等があげられると共に、季節におけるイベントとしては毎年2月には雪まつり、7月2日には半夏まつりが開催されていますニコニコ

ところでこちらは滑り止めの縄のレンタルびっくりchu一行は「白川郷」行きではチェーンスパイクを持参したのでしたが、今回の旅では不携行あせるあせるあせるフカフカとした雪が辺り一面に積もっているのですが、積雪の箇所は気を付けて歩けば大丈夫だとして、凍結している箇所は危ないゲローですのでこちらの縄をお借りすることに(無料です)。縛り方にコツが要りそうで、写真を見ながら自縛です爆  笑

こちらは「大内宿観光案内所」にありました茅葺屋根の「大内宿」にあります建物のモデルと、「大内宿」来訪を祈念する御朱印。ですが「大内宿」そのものは寺院ではありませんから“御朱印”と呼ぶにはなんだかなぁニヤニヤなので、日本全国の神社仏閣の御朱印を集めに回っている、学生時代の友人の隅〇君も、さすがにここには来られていない事でしょうグラサン

これは「大内宿」が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された経緯についての説明です。それには①日光と会津若松とを結ぶ「会津西街道」の宿場町であり、会津藩が江戸時代の初期に会津と江戸との行き来をするために整備した街道で会津藩主の参勤交代の際には使用された重要な街道であること②宿場町としての規模は南北500m、東西200mの大きさで本陣と脇本陣が置かれていたことなどが記されています。なお「大内宿」に関して歴史的かつ体系的に詳細に説明しているコンテンツは、やはりウィキペディアに勝るものはないようですので、こちらにリンクさせて頂きます👇

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E5%AE%BF

それではメインストリーを歩いて参りましょう走る人走る人走る人御覧の通り大雪ですチュー先週訪れました「白川郷」とオーバーラップしそうな雰囲気ですが、ここはchuの第二の故郷の福島県です照れ

最近の天気状況を確認したところでは2日前まで豪雪だったそうです滝汗いくら雪が好きだグラサンと言っても、そのような気象下でちゃんと車の運転出来るのか!?は、まぁ、なんとかなるでしょうかニヤニヤ(地吹雪での磐越道を運転したこともありましたっけ口笛)

こちらはちっちゃいかまくらです。なお福島県の中通りや会津地方で降る雪はサラサラのパウダースノーですので、湿った雪しか降らない東京近郊であるchu宅近くの雪では、雪だるまでもかまくらでも、小さい玉をつくり、転がしながら大きくしていくのが常です。ですがパウダースノーが降るエリアでは、小さい玉を転がすのではなく握った雪玉を積み重ねていき、さらにその上から手で圧迫して雪の塊を作っていくのです。なおこちらのかまくらは少し小さいので子供さんぢゃなければ中には入れませんねぇニヤニヤ

メインストリートの脇にあるのは側溝ですが、雪のシーズンには融雪溝として大活躍していますウインク

この時の様子は「chuの気ままなお出かけチャンネル」からウインク

こちらはお土産屋さんの中でくべられていました囲炉裏 ただ、「大内宿」の茅葺屋根の建物は「白川郷」の合掌造りほど大きくはなく、「白川郷」が4階建ての建物もあったのに対し、こちらは屋根こそ高いものの平屋建ての造りが殆どで、また建物の中で養蚕をされていたということはないようです。ですのでこうした囲炉裏は、室内から煙を燻すことで茅葺の保護に繋がっていたのだと思われますニコニコなお「大内宿」と「白川郷」とでの決定的な違いは周囲で水稲耕作が出来るか否かだと思われます。「大内宿」では周囲に水稲耕作をする平地が多くあったため、それにより生計を立てることが出来たのですが、「白川郷」では周辺には山間部が迫り、いわゆる農業により生計を立てることが出来なかったため、養蚕業が盛んになったのでした。

こちらは宿場町時代、脇本陣でありました「富屋」さんニコニコこちらでは会津木綿や木工品の特産品を取り扱っているのですが、500mに及ぶ旧街道の両側にはこのようなお土産屋さんの他、お食事処や民宿などがズラリと並んでおり、一軒一軒のお店の店先を覗いていくだけでも、相応の時間がかかりますウインクどのようなお店が並んでいるのかは、冒頭にリンクしました「大内宿観光協会」のサイトから御確認頂けますニコニコ

こちらは「大内宿」の食べ物として有名な「ねぎそば」ウインクねぎそばとは、ねぎを箸代わりにしてお蕎麦を掬い食べる食べ方で、初代会津藩主に就かれた保科正之公が、それより以前、信州の高遠藩に身柄を預けられていたことから、会津藩下ではねぎを箸がわりにしてお蕎麦を食べる風習が伝わり、“高遠そば”と呼ばれるようになりました。ちなみに会津藩中興の祖であります保科正之公は2代将軍・徳川秀忠の妾腹の子である御落胤、そして3代将軍徳川家光の異母弟でもあります。正之公は生まれて直ぐに高遠藩に預けられ成人して行くのですが、頭脳明晰にして人柄として申し分なしとの人物。そのため家光は自身の側近として正之公を呼び寄せた上で会津藩主に任命します。こうして正之公は江戸表に来ながらも、兄の家光を助け続け信頼を深めた家光は正之公を益々重用することになります。また正之公は事ある毎に徳川より再三にわたり「松平」家を名乗ることを勧められるのですが、“高遠に大恩あり”として保科姓を名乗り続けます。さらに徳川宗家への忠誠心も極めて高く、「會津五訓」を定めたことで幕末には最後の会津藩主となりました松平容保公を苦しめることになるのですが、そのことを綴るにはあまりにも紙面が足りませぬので別稿とさせて頂きます。

【御参考】2019年10月に「大内宿」に訪れた際に実際に頂きましたウインク

【御参考】「高遠そば」の説明はこちら👇

 

こちらは「高倉神社」本殿へと続く手間への鳥居です。「高倉神社」は平安時代から今なお残る伝説、高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)を祀っている神社です。しかしこの先は雪深くて本殿まで辿り着けませんでした滝汗残念叫び

なおも旧街道を北に向かって進みます。ご覧のように傾斜かついていて、北に行くほど標高が高くなっていることがお分かり頂けると存じますニコニコ

逆に、今、歩いてきた方を振り返ると下り坂になっていることがお分かり頂けますニコニコ

そして旧街道(「大内宿」におけるメインストリート)のゴールが見えて来ましたビックリマークあそこが「大内宿」全体を見渡せる「見晴らし台」ウインク集落の一番奥に位置する、大内宿を一望できる展望台です。例えば「白川郷」では「荻町展望台」があり、「白川郷」の集落全域を眺められる展望台がありましたが、「大内宿」自体が「白川郷」ほど大きくはなく、こちらの見晴らし台からでも「大内宿」全体を見下ろすことが出来るのですニコニコなお見晴らし台に向かうには、最短ルートとなる石段は勾配がきついため、足腰に自信のない方は石段の左側に設けられた迂回路を利用して訪れるようになるのですが、冬のシーズンは積雪が凄いので石段ルートはクローズとなっていました爆笑

こちらが見晴らし台です。「白川郷」の「荻町展望台」と比べちゃ、ダメですよ爆  笑

見晴らし台へと続くメインルートの終盤にありましたお宅は雪に埋もれていました滝汗

そんな時、積もりに積もった雪を降ろすべく、たったお一人で雪下ろしをされてる方を発見しました。しかも遠目から見た限りでは“命綱”のようなものは装着されていません滝汗

するとこの男性、なんと屋根の縁まで来たら、そのまま雪にダイブされましたびっくり叫び作業が終わり、ひと段落されました状態でお話を伺ってみたのですが、梯子は屋根に上る時に利用されるそうで、またこれくらい雪が深い時には命綱は使わないのだそうです滝汗なんとも豪快なあせるあせるあせるまぁ、お怪我がなくて何よりなのですが、てっきりこのお宅の方かと思ったら違う、とびっくりなんでも、「大内宿」にお住まいの方はお年寄りがとても多いのだそうでして、“こんな時は身体の動くもんが手分けしてみんなの家の雪下ろしをするんだよ”とは正に「結(ゆい)」の精神そのものですチュー合格クラッカーややもすれば“自分さえ良ければいい”的な風潮がまかり通りかねない世の中ですが、今回「大内宿」を訪れ、実際に“結の精神”に触れることで、己(chuです)の視野の狭さを大いに恥じたのでありました(>_<)

そしてこの方、降ろした雪を運搬機に乗せると雪捨て場へと移動させました。お歳を伺いましたところなんと80歳びっくりポーン益々、自分が小さな存在だという思いを強くしましたショボーン

これからいよいよ見晴らし台へと向かいます。ボードに書かれているのは「大内宿」入り口にもありました伝統的建造物群保存地区と、大内宿の説明でした。

そしてこちらが見晴らし台にの最短距離で向かえる石段ですが、御覧のように“冬季閉鎖”されておりました爆笑

【御参考】最短距離で見晴らし台に向かえる石段はこちら👇(過去に訪れた際に撮影したものです)

そしてこちらが見晴らし台に向かう迂回ルートですが…この傾斜も…滑って転んでってすってんころりんの人が多かった叫びとってもデンジャラスなのでしたドクロ

以下、大内宿後編に続きますウインク

 

 

本編に先立ち【速報】(blog宣です)ビックリマーク 前回の「筑波山梅林」鑑賞をお届け致しましたシリーズですが、なんと「カメラ(風景写真)」ジャンルで9位を頂戴いたしましたクラッカー合格「筑波山梅林」での見頃はまだまだ続きますビックリマークchuのblogを参考にして頂き、お天気の良い日に訪れる方が増えるのであるとしたら、Photobloger冥利に尽きるというものですチューありがとうございす照れ

 

2026シーズンの観梅、こちらも毎度お馴染み「戸定が丘歴史公園」は、明治初頭に廃藩置県が実施されるまでの間、最後の水戸藩主を務めた徳川昭武公(最期の将軍・徳川慶喜公の異母弟。この兄弟はとても絆が深く、慶喜公は16代将軍には昭武公を推挙することを決めていました)が、公職を退いた後の1884年(明治7年)に、私邸として建てられたお屋敷「戸定邸」を中心とする歴史公園ウインクそして何よりchuの故郷であります千葉県松戸市にある、大変馴染み深い公園です照れなので毎年毎年、同公園での観梅はchuにとりましては年中行事。過去にも説blogでは何度も御案内しているところ、実は今回は仕事と所用の兼ね合いもあり、“紅白の梅が満開になりました”って時は生憎の曇天でしたショボーンが訪れたのでした。また、そもそも同公園の梅園は“梅園”と言うには少しばかり憚られるほどの規模しかないのですが、それでも満開になればそれはそれは麗しいものがありますウインク晴天下ではない様子をお届けすることに若干の躊躇いはありましたが、まぁ、毎年の事ですので自分のための備忘録的なものとしてお届けさせて頂くことをお許しくださいウインク

 

先ずは入り口から

そしてこの日(2026年2月20日)は“戸定の日”ということで、「戸定邸」に入館すればお庭に降り立てる日でしたウインクと言うのは、前述しましたが徳川昭武公の私邸でありました「戸定邸」には、月曜日等の休館日を除けば入ることが出来るのですが(有料です)、幕末期、京都にあり後に新政府を組織する南国藩とは心理戦を含む暗闘を繰り広げていましたため身動きが取れなかった15代将軍・徳川慶喜公の名代としてフランス万博への参加などの後、欧州を遊学してきた経験を持つ昭武公は西洋風庭園への関心も高く、「戸定邸」の建物自体は大名屋敷風情を残した構造で国の重要文化財にも指定されているのですが、“大名屋敷のお庭は西洋風庭園”という、ある種“クロスマッチ”した造りになっていますニヤニヤで、普段は建物に入館してもお庭に降り立つことは出来ないのですが、何年か前から「戸定の日」というものが設けられ、「戸定の日」であれば、庭に降りることが出来ますよ、というルールが作られました。そしてこの日はたまたま「戸定の日」に当たりましたので、お庭に降りることが出来る日だったわけですニコニコちなみに「戸定の日」というのは毎月、10日、20日、30日の3回で、ひと月に3回だけお庭に降りることが出来る日なのでしたウインク

こちらが「戸定邸」の表玄関(出入口)ですウインク

「戸定邸」についての松戸市ホームページでの説明はこちら👇

また「戸定が丘歴史公園」全体のものはこちらです👇

しかし「戸定邸」の経緯等につきましては松戸市の公式プロフィールよりもwikiペディアの方が詳細ですのでそちらをリンクさせて頂きますね👉https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%AE%9A%E9%82%B8

 

そして「戸定が丘歴史公園」全体は「房総の魅力500選」にも選ばれています。しかし“500選”って、選ばれる対象は千葉県内に限られているわけですから、さほど稀少価値が高いものではないなぁ…と何時も思っているchuでしたニヤニヤ

ご参考までに「房総の魅力500選」は県内各所にこれだけ指定されているんですよグラサン

そしてこちらは天皇皇后両陛下がお越し頂きました(行幸啓)際の記念に建てられました石碑ですウインク天皇皇后両陛下に、松戸にお越し頂けましたことは松戸市民の一人として、とても嬉しく思いますと共に名誉なことでもございます照れ
(以下、3枚の写真は「戸定が丘歴史公園」のオフィシャルWebサイトに掲載されている写真から転載しています。恐れ多いことですが何卒、ご容赦下さい)

 

と、「戸定が丘歴史公園」の説明をさせて頂きましたウインクさて、いよいよ梅園へと足を進めましょう走る人走る人走る人ズバリ、この写真内に写っている梅の木が「戸定が丘歴史公園」の“梅園”の7割を占めていますので御覧の通り、本数は多くはありません。しかし本数は少ないながらも綺麗に咲き競いあい、かつ、とてもほのかな梅の香りを醸し出してくれている地元の梅園は、やはり松戸市民のchuにとりましては誇らしいものなのです照れ

如何でしたでしょうか!?(本数が)少ないながらも、“モリモリ感”を感じて頂けるよう、多少なりとも工夫して撮影させて頂きましたニコニコですが、例えば“「戸定が丘歴史公園」の梅園はとっても綺麗だよビックリマーク”などとアピールしておいて、たまたま拙blogを御覧頂き、それを見て初めてお越し頂いた方にガッカリさせてしまっては申し訳ないので、実際の姿をお届けするのがPhotoジャーナリストならぬPhotoblogerを自認するchuの役割だと自覚していますので正直な姿をお届けさせて頂きましたウインクしかし、確かに本数こそ多くはありませんが、その咲きっぷりと、醸し出す梅の香りは十分申し分ないことを、付け加えさせて頂きます照れそしてこれで晴天晴れであればもっと写真映えすることは間違いありませんウインク「戸定が丘歴史公園」での観梅が可能な期間は、まだ1~2週間は続くものと思われ、その期間の中では快晴の日もあることでしょうニコニコchuはかような日に再訪する所存ではありますが、拙blogにアップするのは今回限りとなる予定です。だって、まだ1月中旬のお出かけ記録(雪との戦いですパンチ!)、選挙がありました関係で全然手を付けられていないんですからあせるあせるあせる前回の「筑波山梅林」と今回の「戸定が丘歴史公園の梅」は、まだ見頃が続きますので、これから観梅を予定されている方への少しでもご参考にして頂けたならばうれしいな、との思いから1月の“雪との戦い”に先駆けてアップさせて頂きました(^^)v

 

最後に「戸定が丘歴史公園」の展望東屋から見降ろした風景ウインク北総台地の西端に位置している「戸定が丘歴史公園」でして、台地のすぐ下にはJR常磐線が走っています。快速電車と特急「ひたち」が走り抜けましたので、“にわか撮り鉄”となり撮影いたしました爆  笑なお真正面には富士山が望めるはずなのですが…この天気(曇天)では、ねぇニヤニヤ