昨日は低気圧が行過ぎてやおら天気が良くなりましたですね。

ちと暑過ぎでしたけれど。


とまれ、好天に誘われて府中方面に自転車で出かけてみますと、
都立府中の森公園で「府中の森の文化まつり」というのをやっていたのですね。

これも何かの縁でありますから、チラシに記載されたイベントにいくつか参加してみることにしたのですよ。


まずはスタンプラリーでして、園内と隣接施設3箇所にスタンプが設置されていて、
2箇所のスタンプで記念品がもらえるというもの。


ま、もっぱら子供向け(老齢の方がせっせと廻ってましたが)とは思ったものの、
記念品というのが、隣接施設のひとつである府中市美術館の絵はがきが貰えるとあって、
ついついスタンプ押しに廻っちゃいました。
でもって、もらった絵はがきというのがこれであります。


五姓田義松「パリの風景」


同館所蔵品のひとつ、五姓田義松作「パリの風景」という作品。
1883年(明治16年)の作ですから、日本人が洋画を始めて最初期のものでしょうか。


世紀末の新風が吹き荒れていた頃合ながら、

実に緻密に、ある種いかにも日本人らしく描いた一枚ではないかと。


お次のイベントは、やはり隣接施設のひとつ、府中の森芸術劇場のバックステージツアーという。
昔々トロンボーンを吹いていた頃はあっちこっちの公会堂やらで演奏会をやったりしたわけで、
ホールの舞台裏といっても新奇な思いをすることもないのですけれど、
相当にご無沙汰しておりますですからね、たまには覗いてみるかといったところなわけです。


下手袖側の「関係者以外立入禁止」の扉から入り込んで、まずはステージ上へ。
たまたまオケピ(オーケストラ・ピット)部分を持ち上げてステージを広くとってある関係で、
座席数が少なくなっているせいもあったやもですが、思ったよりも客席サイドが広くないなという印象。
2,500名収容の音楽用ホールなのですけれど…。


その後は、袖に戻って搬入口を見、楽屋の並ぶ舞台裏通路を通り抜け、上手袖までひと廻り。
照明の関係やら反響板のあたりの説明も少々はありましたけれど、
至って入門編ということでしょうか。
キャットウォークの方に上がってみたりてなことがあると面白かったんですがね…。


そしてもうひとつのイベントと言いますのが、
公園内に点在する彫刻・造形作品をボランティア・ガイドと共に見て廻るツアーでありました。
なんでも園内には11作品あるらしいのですが、時間の都合もこれあり、6点紹介ということで、

まずはこれ、「7月(七夕)の樹」というタイトルです。


向井良吉「7月(七夕)の樹」



言われてなるほどと思ったんですが、

右手側にある「木」らしきものに短冊状のものが見えるのでして、なるほど「七夕か…」と。


では左側の大きな部分はと言われると、これはやっぱりどう見ても「眼」ではないかと。
あえて「眼」と見ない受け止め方もその場で出ていましたけれど、
七夕に見立てて下がる短冊に対して「願いは叶う」ものとの思いを示すとすれば(何せ公園ですし)、
やはりその願いを見届ける「眼」があってこそではなかろうかと思ったわけです。


続いては、ありがちなといっては叱られてしまうやもですが、2体の腰掛けた女性ブロンズ像。
これには「アンとミッシェル」というタイトルが付けられています。


朝倉響子「アンとミッシェル」


二人は向き合っているようでいて、互いに視線をはずしているとすれば、語らっているわけではない。
それに距離の取り方がまた微妙。


そこで思いましたのは、これは二人じゃなくて一人だなと。
どちらがどちらとは言えないものの、本物と分身といいましょうか。
マネ の「フォリー・ベルジェールのバー 」を見たときに感じたような印象に近いかもですね。
(見てくれはぜんぜん違いますが…)


そして、個人的にはドッペルゲンガーと出くわしたいとは全く思いませんけれど、
万一自分が分身と出会ったら、視線外すだろうなぁと思ったのでありますよ。


と、6点全部に触れると長くなりますので、最後にもうひとつ。
「鳩をもつ少年」という作品です。


舟越保武「鳩をもつ少年」


鳩をやさしく掌に包んでいる様子から、単純に平和の希求といったものを思うわけですが、
驚くべきはこの少年の柔和な肢体なのですね。


像の周りをめぐってみるとなおのこと、どこからどこまで全部が非常に柔らかい印象。

大きさからして少年であるにしてもある程度の頑健さが出てくる頃合かと想像するところながら、
そしてどう見ても性別的には明らかながら、この柔和さに酷く中性的なものを感じるのわけです。


そうした想像から改めて「平和の希求」といった主題めいたところを考えてみると、
この柔和さはむしろ自然なことなのかもと思えてくるのですね。

仮に戦闘的な要素の反映を想像したときにイメージするものの反対と思えばいいのかなと。


ということで、充分に長くなってしまいましたけれど、
思いもよらず出くわした数々のイベントで得たものの本来出向いた目的は府中市美術館だったわけでして、
こちらの方に関してはまた改めてということで…。

先ごろ読んだ「カレーソーセージをめぐるレーナの物語 」の舞台がドイツ だったものですから、
これまた読もうと思いつつもそのまま記憶の彼方へと紛れていきそうになっていた小説をひとつ
思い出したのですね。


レオニード・ツィプキンの「バーデン・バーデンの夏」という一冊でありますが、
確かにドイツのバーデン・バーデン は出てくるものの、読んでみましたらロシアの作品だけあって
モスクワ やサンクト・ペテルブルクあたりも大きく関わるところでありましたが…。


バーデン・バーデンの夏 (新潮クレスト・ブックス)/レオニード ツィプキン

妻に先立たれてやもめ暮らしであったフェージャは

仕事の手伝いに来てもらったかなり年下のアーニャに一目ぼれ。
有名人ではあるものの、小柄で風采も上がらず癇癪持ちの上に手元も不如意のフェージャでしたけれど、
アーニャの母親の絶大なる援助の下、ドイツ目指してハネムーンに旅立つのでありました。


たどり着いた保養地のバーデン・バーデンは今で言えば高級温泉リゾートでありまして、
各界の著名人がわんさと訪れてはパーティーを開いたり、カジノに興じたり。


如何せんとても贅沢三昧とはいかないフェージャはせめてカジノでもってひと旗あげてと目論見るも、
勝っていたのはほんの最初のうちばかり、その後は持ってきた衣類を質入しては

賭けの挽回を図ろうとする始末。


いばりちらしながらもアーニャが愛想をつかしたと見るや、
フェージャは人前はばからずに跪いて赦しを乞うという大変な人物ながら、
そんなフェージャを呆れながらも赦し、愛し続けるアーニャでありました…。


…とまあ、ざっくり言ってしまうとそんな夫婦愛が語られる物語なのですけれど、
このフェージャというのが、何と!フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーその人なのですよ。


妻君であるアンナ・グリゴーリエヴナ・ドストエフスカヤが記したという日記を元に

出来ているお話といいますから、あながち虚構とばかりも言えないのでありましょうね。


以前、トロイの遺跡を発掘したシュリーマン が実は大層な曲者だったらしいことに触れて、
歴史上にその名を残すような有名人がイコール聖人君子ではないものの、
いささかそうした思い込みにとらわれてしまったりするものだなぁと思ったわけですが、
文豪ドストエフスキーもまた然りということのようでして…。


ただ一概に判断はできないものの、も少し人間的には高潔っぽいトルストイ の方は、
「終着駅 トルストイ死の謎」で読んだように、貴族的な考え方からどうにも抜け出せない妻との

確執を抱えて晩年まで苦悩を背負っていたことに比べると、

賭博に現を抜かす駄目亭主のドストエフスキーには最後を看取ってくれるアーニャがいたと思うと、

「うむむむ…」と考えてしまったりしますね。


ところで物語としては、こうしたドストエフスキー夫妻の話と同時並行といいますか、
時空の行き来が麻痺させられるような感覚で、語り手たる「私」がアンナの日記を片手にモスクワから
(著者が書いていた当時の)レニングラードまで旅し、ドストエフスキーの足跡をたどる様子が描かれます。


そして「私」自身はユダヤ人ながら、

ユダヤ人に思いのたけの差別意識を持っていたドストエフスキー文学の偉大さ、魅力から

逃れられない(自身を含めた)ユダヤ人の複雑な思いといったことにも触れられるという、
なかなか重層的な作りになっているのですね。

とまれ、描かれたアーニャの姿勢を見るにつけ、そこには「赦し」の意識があるんじゃないでしょうか。


また、文体の点で非常に特異な小説でもありますね。
先に「時空の行き来が麻痺させられる」と言いましたけれど、ほとんど句点が出てこないのですよ。

ひたすらダッシュ(「-」)で続けられ、改行もなければ段落分けもほとんどない。


そうした流れに身を任せるかのような中にあって、過去のドストエフスキー夫妻の旅と
(その時点で)現在の「私」の旅が交錯しまくっているわけです。


このような過去と現在の交錯という作りの点では、
実は「カレーソーセージをめぐる…」でも同じような体裁になっているのですけれど、
文章がダッシュをはさんでずらずらずらずらと続いていくのは、

さらに衝撃度が大きく感じられたのですね。


ついついアレクサンドル・ソクーロフ監督の映画「エルミタージュ幻想」の

ワン・カットショットで切れ目なくずぅ~っと撮っていくさまを思い浮かべたりしたのでありました。

きみたちのことを思いながら曲をたくさん作っているから、待っていなさい。
手紙には、そう書かれていた。
その時、たくさん作っていたという曲。それらが集って、〈l'estro armonico〉という協奏曲集として出版されたのは、先生がピエタに復職されてすぐのことだった。

先に読んだ大島真寿美さんの小説「ピエタ 」の中にこうした一節がありまして、
この「l'estro armonico」といいますのは
アントニオ・ヴィヴァルディ (1678-1741)の協奏曲集でもって
日本では「調和の霊感」とか「調和の幻想」とか言われているものでありますね。


小説の方は、ヴィヴァルディが音楽指導にあたったヴェネツィア のピエタ慈善院で
養育された女性を主人公にしたものでしたけれど、

どうやら冒頭の一節どおりにピエタ慈善院の合奏団が演奏することも
念頭におかれていたようなところがあるような。


ということで、ここでやっぱり「調和の霊感」を聴いてみようと思うわけです。

これまでヴィヴァルディはもとよりバロック期の協奏曲をたくさん聴いたことはあるものの、
どうもついつい聴き流しになっていたこともあって、

どれを聴いても「金太郎飴」のように思えてしまってましたが、
ここはいささかの集中力をもって、解説本の譜例なんかも参照しつつじっくり聴いてみることに。


このところ、クラシック音楽は何度も聴いてみるとよく分かりますよ とか

聴き比べをしてみると面白いですよ とか偉そうなことを書いておりましたけれど、

バロックの協奏曲をつかまえて「金太郎飴」であんまりですものね。


ヴィヴァルディ:協奏曲集(調和の幻想)/イ・ムジチ合奏団

まずはともかく何度も何度も聴いてみるわけです。
まあ譜例の助けもありますけれど、当たり前のことながら全く「金太郎飴」ではないのでして、
バロックの合奏協奏曲とはこういうものか…とようやっと開眼したような次第。


どうしても協奏曲というと、古典派以降の一本たったソロがいて(複数楽器のコンチェルトもあるものの)
妙技を繰り広げるふうに思うところが、「そも合奏協奏曲とはいったい?」てなふうであったわけです。


全体としてはひとつの合奏団の演奏の中で

全体的な合奏と部分的なソロ個所とが交互に現れるといった形で、
当時の合奏協奏曲の代表選手はローマのアルカンジェロ・コレルリ (1653-1713)なんだそうで。


一方ヴェネツィア側にはジュゼッペ・トレルリ(1658-1709)という人がいて、

今日想像するようなソロ楽器のための協奏曲を書き始めていたと。
これらを受けてヴィヴァルディが両者の要素を使いながら、

どんどん曲を書いて後の協奏曲の発展に繋がったという。


その中で「調和の霊感」はヴィヴァルディが出版した最初の協奏曲集で、

ヴァイオリン・ソロ用から2つのヴァイオリン用、そして4つのヴァイオリンとチェロのためのというように、

所謂合奏協奏曲タイプが織り交ざった曲集なのですね。


12の曲から構成される曲集を改めて聴くとそれぞれにヴァラエティに富んだふうであり、
技巧的な側面もありながら実はさほど極端に演奏に困難ということもないということで、
なんとなくピエタ慈善院の合奏団のためというのも頷けなくもない。


多くの奏者に花を持たせようとすれば、自ずと合奏協奏曲系になりましょうし、
合奏団の中で取り分け腕のいい奏者がいたとすれば、

その奏者の演奏を前提にソロ協奏曲も書くということになろうかと。


ところで、先にヴィヴァルディの作品が後の協奏曲の発展に繋がった…云々という点では、
この「調和の霊感」の中から数曲をヨハン・セバスチャン・バッハ (1685-1750)が異なる楽器での演奏用に
編曲してたりすることでも分かりますですね。


ということで、3曲ほど聴き比べもしてみたのでありました。
「調和の霊感」の中の第11番と第8番をオルガン独奏用に編曲したもの(BWV596とBWV593)、
そしてが4つのヴァイオリンとチェロのために書かれた第10番を

4台のチェンバロ用に仕立てたもの(BWV1065)です。


J.S. Bach: Das Organ Works Vol. 1/Wolfgang Stockmeier Concertos/Johann Sebastian Bach


イメージで語るのはなんですが、

いずれも何とはなしいかにもバッハが手を出しそうな曲調のものが
しっかり選ばれているなあという印象。


それだけに編曲作品も自家薬籠中の…といった感ありではなかろうかと。
うまく化けたなぁと思うのですね。


さりながら、4台のチェンバロ用ですけれど、第一楽章の始まりあたりからは、
ヴェネツィアの暖かな湿度を感じさせるふうから北ドイツ の乾いた空気に変わった様がありありで
面白いものだと思いましたものの、第二楽章のあたまで少々違和感が…。


細かく刻まずにゆったりめのテンポ(ラルゴ)で和音をジャジャン!と強奏するのですが、
元々が大きな音向きでないチェンバロでは無理があるなぁと。


それが関係あるのかどうかは分かりませんけれど、

原曲はラルゲットでやはり緩やかに続くアルペジオの部分が「分散和音なら任せとけ!」とばかりに

チェンバロが快速で突っ走っていくようになっていて「うぉお!」と。


あれこれ聴いたわけではないものですから、
もしかしてトレヴァー・ピノック の解釈なのかいなと思わないでもないですが、
コンチェルトが妙技の見せ所であるものならば、ブランデンブルク協奏曲第5番のチェンバロよろしく
ここを疾駆する形にするのは編曲の妙でもあろうかとも思うところでありますね。


ということで、あたかも「金太郎飴」のように思ってしまっていたバロック協奏曲も
むしろするめのような味があるといった方がよいかもしれませぬ。

新宿に出かけたときにはちょいと足を向けてみるのがコニカミノルタプラザ でありまして、
基本的にはフォト・ギャラリーなのですけれど、写真展はもとより

企画もののイベント展をやってたりするのですね。


しばらく前にもふらりと立ち寄ってみると、やおら假屋崎省吾さんが自作展会場にふらふらしてるのに
遭遇したりしたこともありました(ジーパンはいた普段着だと、妙にまるまっちい体型だなと思ったり…)。


でもって、今回は3つのスペースで3つの展示。
ひとつは「ピンクリポンネイルアートコレクション」というもの。
「ピンクリポン運動の啓発活動」として各界の有名人(といっても、芸能界とスポーツ界が多かったです)が
オリジナルデザインのアートを施したというネイルチップ(というのだそうで…)を展示しておりました。


ひとわたり覗いてみたものの、あまりに馴染みのない代物なだけに感想としては
「じゃまじゃないんかねえ」というもの。


見ている側もいやはやですが、出展した人たちにとってもいやはやであったことでありましょう。

(有名人といっても知らない人、たくさんいたし、ま、いっかと)


お次のスペースは、純粋な写真展。
「地の始まりの宙と地の果ての宙」というタイトルがついてまして、
実に素敵な風景を切り取った作品がずらりと並んでいるのですね。


ただ、ただ!ですよ(あ、入場料がタダという話ではありません)。
贅沢なことを言わせてもらえるならばですが、
こうした風景写真というのは基本的に景色のいいところで撮影するわけでして、
それにある程度のテクニックがあればきれいな写真ができあがるのは当然なのかなと。


要するに「きれいね~」だけでない、その作品を見たが最後ぐおっと鷲づかみされるような
インパクトがあって欲しいなぁと思ったりするわけです。


絵画作品も同じですけれど「きれいきれい」はそれこそ山ほどある中で、
それを見たが故に何かを語りたくなってしまうような印象が得られればこそ
また見に行っちゃうことになりますものね。


いろいろな雑誌などにも写真を提供されている方に失礼な言い方かもですが、

後でコニカミノルタプラザのHPを見たら「やっぱりきれいだな」ではあるんですけど、

何でだろうなぁ…。


さらに、もうひとつのスペースで開催されていた「湧光の曼荼羅展」というのは、
これはひと工夫した個性が感じられる作品でありました。


「湧光の曼荼羅展」@コニカミノルタプラザ


これは作品展の紹介ハガキですけれど、
写真をベースにしているものの、部分部分を対称形に並べてみるとかいう技法を用いているあたり、
シンプルに写真ですとはもはや言いがたいような。
いわゆるひとつの現代アートかなと。


少なくとも写真のいちばんの優位性である、
目の前のものをありのままに平面に落としこむことからはみ出してしまってますし。


不思議な魅力があるように思える一方で、
「曼荼羅」という言葉が結構ぴったり来るごちゃっと感がある。
個人的には曼荼羅のごちゃっと感が実は苦手でして、
日ごろは敬して遠ざかることを旨としておるのですね。


いささかの魅力と同時にこの敬遠したい気持ちが同居するという複雑な印象を抱かせるあたり、
ともすると作者の狙い通りということなのやもしれませぬ。


とまあ、ふらりと立ち寄ったフォト・ギャラリーでまたしてもあれこれと思いをめぐらし、
刺激を受けてきたのでありますよ。

カレーソーセージをめぐるレーナの物語 」、こうした本を読みますとですね、

食べたくなるわけですよ、カレーソーセージが。


とはいえ、日本ではそこらで食べられるわけもなく、

またそのうちに北ドイツに行ったら食してみようか…と思うところでありますが、

それでは「せめてカレーが食べたいな」と思っても無理からぬ(?)ことではないかと。


ということで、たまたま仕事で訪れた千葉県は柏市におきまして、

昼飯時に探したですよ、カレーの食べられるお店を。

「○○壱番屋」といったお手軽でないところをですね。


ふらりふらりと駅前繁華街を歩いておりますと、ついに見つけました!

12時には少し早いせいか、客はだぁれもおりませんが、快くインド人スタッフに招じ入れられたわけです。


メニューをみれば、「かつカレー」とか「から揚げカレー」とかではない、

いかにも本格的!っぽい代物が並んでいる中で、「やっぱり(聴き比べならぬ)食べ比べもしたいのぉ」と、

マトン・カレーと野菜カレーのコンビネーションを頼んだのですよ。

それが、これです。


マトン・カレーと野菜カレーのコンビネーション


左側にちらりと覗いているのがセットについてるサラダですけれど、

ドレッシングにもスパイスが入っているということで嫌が上にも期待と食欲が高まるというもの。


でもって、いざ食そうかというときにですね、

語りかけてくれるですよ、インド人スタッフ(オーナーなのかな?)の方が。

やおら時事ネタなんですが、タイの洪水の話、日系企業から日本経済に話が飛んで、

「消費税は10%になりますかね?」とか、インドの方でも日本で生活してれば気になるのでしょう。


その後話題はインドに及ぶも、「貧しい人がたくさん」という話にはそうだろうなと思いつつ、

「いちばん足りないもの、何だと思います?」と聞かれて即座に答えが示されました。

「トイレなんです。みんなそこらで○○○、しちゃって…」


確かにそうなんでしょうね、大変ですよね。

でも、こちらは今からカレーを食するのですけれど…。


食事とセットでドリンクが付いていましたので、「冷たいチャイを!」と頼みますと、

グラスに入った飲み物が出てきた後、「ストロー、いりますね?」と。


「いやあ、いいですいいです、このままでも」と言ったのですが

「やっぱりストローはね」と一旦引っ込んだかと思うと、

「どうぞ」と出されたむきだしのストロー。


昨今、紙とかビニールとかに包まれてないストローが出されることって見たことない。

が、まあそれはよいとして、そのむきだしのストローが出てくる直前に、

「ふっ!!」と勢いよく吹く音が聴こえたわけですね。


絶対、このストロー、あやつが吹いたなと思うわけですよ。

それこそ日本ではありえないことでしょうけれど、

昔の日本だったら落ちたものでも「ふっふっ!」して食べちゃったりしましたものねえ。

それでも、チャイを飲みこみにあたって「ええい、ままよ!」と思ってしまったりしましたけど。


…てな具合に、昼飯時に予期せぬ異文化コミュケーションがあったのですが、

その後に関係先を訪れる待ち時間に入ったカフェでメニューをみると、

「インディアン・コーヒー」なるひと品が目に入ったわけです。


なんでも黒糖と を混ぜたインド風コーヒー と解説されていて、

またしても「ええい、ままよ!」とこれを頼んでしまったという。


これがインド風コーヒー?


手前のスプーンに盛られた黒糖をお好みで混ぜてどうぞ!という具合。

そのまま飲んでよし、黒糖を混ぜてよしの、これはなかなかおいしい飲物でした。

塩は?といえば、飲んでるときには全然分からないながら、後味がいささかしょっぱいなと。

でも、ぜんぜん違和感のない、そして特段くせもないものでありました。


とまあ、唐突にインドめいた飲食に接したわけですけれど、

またまた次の訪問先へのちょっとした時間調整に覗いた某家電量販店でのことです。

(某といいつつ、先に地名を書いてるのですぐ分かっちゃうでしょうけれど…)

これをご覧くださいな。


某量販店にて


のっけから「やってくれるな」と。

「パソコン内に置くオンしたデータ…」、おそらくは「録音した」なんでしょうねえ。

さらに左下のメリットの部分では「高音質なデータそ再生可能」??

推測するに「高音質なデータで再生可能」なのではなかろうかと。

もひとつ、デメリットの方でも「パソコンへの操作さの慣れ」って?


原稿作成時の誤変換 なんでしょうけれど、

こうした誤字の類いは東南アジアのホテルやレストランの日本語表記に山のようにあるのですよね。

出向いた先は確かに千葉県柏市なんですが、

「ここって、ほんとに日本?」と思ってしまうところでありましたよ。