夫がカジノに入れ込んだ挙句でに散々だった「バーデン・バーデンの夏 」を過ごした

ドストエフスキー夫妻はほうほうの体でロシアに舞い戻った…のではないようでして、

そのままライン川沿いに遡り、スイスはバーゼル に出向くのですね。


サンクト・ペテルブルクの住まいには

ラファエロ 「サン・シストの聖母」の複製画が飾ってあったといいますから、
美術に興味があったようで美術館を訪ねますが、ここでも夫は奇行に及ぶという。


展示室にはよく係員用の椅子が置いてありますけれど、

係員が不在とみるやその椅子に上ってしまうのだとか。
高い位置からよく見えるということなそうですが…。


ところで、バーゼル美術館を訪れたドストエフスキーのお目当ては

ハンス・ホルバイン(1497/98~1543)の「墓の中の死せるキリスト」であったそうです。


ハンス・ホルバイン「墓の中の死せるキリスト」


この、取り分け細長い画面は棺のイメージのようでありますけれど、
本物の棺でもこれほどまでに窮屈な空間でなかろうかと。


そうした中に横たえられたイエスの亡骸からは
「聖」の感覚よりも人間が亡くなったときに徐々に朽ちていくある種の生々しさを感じるような。

構図は全く異なるながら、マンテーニャ の「死せるキリスト」と比べられたりするのは

あまりに人間的な…という点で分かる気がします。


ホルバインというと、この絵ともう一つ有名なものとして、
ロンドンのナショナル・ギャラリー にある「大使たち」がありますね。


ハンス・ホルバイン「大使たち」


二人の人物を配した肖像画と思しき画面の中央下部に異様な書き込みがある。
左斜め下から見ると、これが実は髑髏であったという…のは今さらながらの有名なお話。


てなことで「死せるキリスト」にしても「大使たち」にしても、
どうも驚かされるような絵でホルバインが有名になってるような気もしますが、
まあ奇抜な分、止むを得ないところではありますね。


さりながら、ホルバインの本領は(先の「大使たち」にもその要素は見られるように)

肖像画で発揮されるわけで、これもいわでもがなでありましょう。


で、そのホルバインの肖像画といえば(もちろん個人的な思いではありますが)、
ニューヨークのフリック・コレクションで見られる2枚が極めて印象的ではないかと思うわけです。


ここで見られる二人のトマスの肖像。
一方に英国王ヘンリー8世 によるローマ教会からの離脱に反対したトマス・モア。
もう一方には、同じくヘンリー8世の行政上の懐刀であったトマス・クロムウェル。


ハンス・ホルバイン「トマス・モア」 ハンス・ホルバイン「トマス・クロムウェル」



この2枚の肖像画はフリック邸のリビングホールに暖炉を挟んで

トマス・モアが右向き、クロムウェルが左向きといかにも対峙しているように飾られているのですよ。

(大きな暖炉ですので、実際には結構離れてはいますが…)


肖像画を見ればその人の見た目のみならず人となりまでが思い浮かぶような作品は確かにあるものの、
以前ロンドンの
ナショナル・ポートレート・ギャラリー を訪ねたときに思ったように、
その人がどういう人か、その人が歴史上どういう働き、どういう役割だったかを知っていれば

さらに興味深く見られますよね、肖像画は。


となれば、映画「わが命つきるとも」にも描かれたような時代背景をいささかなりとも知るところであれば、
この二人の対峙は自ずと興味をそそるものではなかろうかと。


描かれた当時のトマス・モアが後の運命を知る由もないでしょうけれど、
本来きちんとしているはずなのにはっきりと分かる無精ひげは、

その後を予見させる気がしてならないような。


それでも大きく見開きキリッとした目元は意志の強さを示している一方で、
クロムウェルの方はといえば策士っぽさがありありの印象。


トマス・モアを描いたときよりもずいぶんと後の作品ですので、
ヘンリー8世の絶対王政は極まり、それをクロムウェルが支える時勢となっていたのでしょうけれど、
斬首に処される時が刻々せまるトマス・モアが毅然とした目を向けているさまを見るというのは、
絵を見るというよりも歴史を見ているかのような気がしたものであります。


ちなみに、フリック・コレクションのショップで買える日本語版ガイドブックには

これらの絵に関して、こんな記述がありました。

向かい合う二人の間には、どんな夫婦より切るに切れない運命に結ばれた緊迫感がみなぎっているようです。

おそらく原文は英語なのでしょうけれど、

英語的な表現ではこうした例えに「夫婦の絆」が出てくるのは自然なんでしょうか。

一読したときには、書き手はなかなかお茶目だなと思ってしまったのですが…。


ところで、アウグスブルクに生まれてバーゼルで一人立ちしたホルバインは、
知己を得ていたエラスムスの紹介でロンドンに渡りますけれど、
その頃のイギリスでは肖像画というのは決して主流のジャンルではなかったそうなのですね。

後に世界でも珍しい肖像画の殿堂、ナショナル・ポートレート・ギャラリーを作ってしまうイギリスですのに。


イギリス人が自分たちの趣味嗜好に肖像画が適うものと気付く前に、
ホルバインが描いてみせた数々の肖像がきっかけを作ったのでありましょうか。


ただし、ホルバインは40代半ばペストに罹って亡くなってしまい、

ホルバインの蒔いた種がすくすく育つということはなったようで、
しばらく後にチャールズ1世の時代にアンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)が出て以降、
大きく花を開いていくようなのでありました。

ヴィヴァルディのギター協奏曲 に触れたところでまた思い出したことがありまして。


しばらく前ですがFM放送でたまたま耳にした曲に「ん?これは?!」と思ったのですね。
マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコという作曲家のギター五重奏曲作品143。


もともとカステルヌオーヴォ=テデスコという作曲家がいて、
ギターのための曲を書いているというあたりまでは予備知識としてあったのですが、
曲を聴いたこともなく、ただただ何となく昔々の作曲家だろうと思いこんでいたわけです。


ギターの曲というのが、バロック以前によく使われたリュートを想起させるからなんでしょうか、
また名前から受けるイメージの点でも何とはなし結構古い人なんだろうと思ってしまっていたという。


ところがところが聴こえてきた曲はといえば、始まりからして実に清新、そしてソリッドな響き。
「こりゃあ、古い時代であるはずがないな」と検索してWikipediaを見ましたら、
何と1895年生まれで亡くなったのが1968年ということですから、

いわゆる「20世紀音楽 」の人ではありませんか。


バロック 以前のリュート云々とは縁もゆかりもない人だったという。
では、ギター曲の作曲家という点もまた思い込みであったかといえば、さにあらず。


オペラや、ハイフェッツに委嘱されたヴァイオリン協奏曲なども作ってはいるものの、
スペイン の名手アンドレス・セゴヴィアとの出会いから始まったギターのための曲作りは
100曲以上の作品として実を結んだといいますから、やっぱりギターとの関わりは大いにありますね。


しかしながら、実はギター以上に関わりの大きなものがあるだとはまた知らなかったなぁと。
それが何と!映画音楽であるとは。


ユダヤ系イタリア人であったカステルヌオーヴォ=テデスコはファシズムから逃れ、
トスカニーニ の支援を得て渡米、そしてハイフェッツの仲介でMGMと契約することになったのだとか。


映画音楽作曲家としてのカステルヌオーヴォ=テデスコに関してWikipediaによれば、
MGM以外のものも含めて約200点の映画に楽曲を提供し、

ヘンリー・マンシーニジェリー・ゴールドスミス 、ジョン・ウィリアムズやアンドレ・プレヴィン らの、

年下の映画音楽作曲家に対する影響は大きい…ということで、
こりゃまた豪華な顔ぶれに影響を及ぼしたのだなぁと思うわけです。


とまあ、そんないささかのプロフィールを知った上で、
改めて先のギター五重奏曲を聴いてみようとCDを探したんですが、これがなかなかに見つからない。
ようやっと探し当てたのが、作曲者と関わり深いアンドレス・セゴヴィアの演奏でして、

1951年のモノラル録音でありました。


カステルヌオーヴォ=テデスコ/ギター五重奏曲作品143


音的にどうかいな…と思ったものの、これがまた、先のFM放送を聴いた際に感じたソリッドさが
いささか痩せたモノラル録音にマッチして、予想を遥かに上回る素敵な演奏。

そして余白に収められた(余白というには、ギター五重奏曲より長いんですが)ギター・ソロによる
「プラテーロと私」という組曲がまた実に味わい深いのですね。


これは朗読ドラマの伴奏曲集(伴奏はギター・ソロ)ですけれど、
ドラマのオリジナルはノーベル文学賞を受賞したスペインの詩人

フアン・ラモン・ヒメネスによる散文詩なのだとか。


ふんわりと柔らかい綿毛のロバであるプラテーロに

やさしくやさしく語りかけて過ごす日々を綴ったものということでして、
そのように知れば知るほどにプラテーロに対する慈しみといったものが感じられる

情感な豊かな曲でありました。


ギター五重奏曲で感じた研ぎ澄まされたような硬質な響きとはまたずいぶんと違う曲調で、
考えてみればこうした硬軟使い分けの器用さも

映画音楽作曲家としての活躍に繋がるものだったのでしょうね。


とまれ、他にもカステルヌオーヴォ=テデスコの曲を、
そしてクラシック・ギターの曲もあれこれ聴いてみたくなるのでありました。

しばらく前に中近東文化センター でロゼッタストーンのレプリカを見てからというもの、
関連する本でも読んでみようかなと思っていたのですね。
大英博物館で本物を見たときにはそうした気にはならかったですが、
たぶんタイミングということでありましょうか。


ずうっと探し回っていたわけではないのでずいぶんと時間が経ってしまいましたけれど、
ようやっとこれなら読めそうというものを見つけて、このたび読み終えたとまあ、そういうわけであります。


ヒエログリフ解読史/ジョン・レイ


邦題では「ヒエログリフ解読史」といういささかやっかいそうなタイトルになってます。

もちろんロゼッタストーンが何ゆえに有名かといえば、

あらためて申すまでも無く古代エジプト文字解読の礎になったからですので、

邦題もあながち的外れではありませんが、

原題は「The Rosetta Stone and the rebirth of Ancient Egypt」。

主役は解読の歴史というより、完全にロゼッタストーンというわけです。


ところで、ロゼッタストーンといえば歴史的遺産そのものだろうと思うのですが、
ロゼッタストーンそのものがとんでもなく「すごいもの」かというとどうやらそうでもないらしい。


アレクサンダー大王の遠征でその勢力下におかれたエジプトは、
大王亡き後靡下の将軍たちによる領土争奪戦の末、プトレマイオスが版図とするのですね。

エジプトは豊かな国と考えられていたことから、これを機にギリシアからの移民がたくさん入り込み、
元々のエジプトの民と同化していく歴史が刻まれていき、やがてプトレマイオス5世の時代。


侵略王朝とはいえエジプトの風習を大事にしてきたのでしょう、
神官が王の行いを讃えて広く知らしめるため大石に文字が刻まれます。


エジプトで神の言葉とも言われたヒエログリフ(聖刻文字)を刻むのはもちろんのこと、
広く伝えるにはデモティック(民衆文字)も刻み込み、さらに広く伝えるにはギリシア文字も必要だろうと
三種の文字で同一の内容が併記されることになった…とまあ、これがロゼッタストーンなわけです。


つまり、書かれていることはその時の様子を知る多少のよすがになろうものの、
歴史的な大発見といったことが書かれているわけではない。
そして広く知らしめる目的からして、同じものがたくさん作られたのではないか…ともなりますと、
ありがたみもまた減じようというもの。


もっともそれでも何千年の時を経て、

実物で見られるのはたったひとつロゼッタで発見されたこの石だけですが。


では、そのようなロゼッタストーンの「すごい!」ところはといえば、
解読に困難を来たしていた古代エジプト文字を読み解く大きな鍵となったことであって、
それこそヒエログリフ解読史上ではスーパー級の発見。

つまりは、歴史的遺産というよりも歴史学的遺産というのが当たっているのやもしれませんですね。


しかしまあ、ロゼッタストーンが拓いた古代エジプト文字の解読は大変な成果に繋がっていったような。
あまりピンと来てなかったですが、古代エジプト文字が読めることで開明される歴史の長さが

尋常ではないのですね。
ちと長いですが、関連部分を本書から引いてみましょう。

古代エジプト語は、記録が残されている言語としては世界でもっとも長い歴史をもつ。短いヒエログリフなら紀元前3200年ごろのものが見つかっており、冒頭の章で見たように、紀元後394年に記された碑文が最後のものとなった。ヒエログリフがギリシア語のアルファベットに置き換えられたコプト語時代を加えれば、さらに1200年間、その歴史は続いた。言語の体系自体はほとんど変わらなかったのだ。つまり、ファラオの言語が完全に消滅してアラビア語に変わるまでの4700年間、おそらくはそれより長くエジプト語は使われていたことになる。歴史の長さという点では、これに続くのはギリシア語と中国語である。
ギリシア語の歴史は3400年前までさかのぼり(ただし、ミュケナイ文化からアルファベットの使用までには数世紀の空白期間があった)、中国語はとぎれることなく3200年間伝えられてきた。この二つの言語は現在も使われているので、いつかはエジプト語の記録を抜くことになるかもしれない。しかし、それが現実になるまでにはもう千年待たなければならない。ロゼッタストーンはこの気が遠くなるほどの年月の長さを、私たちに思い出させてくれる。

なかなかに壮大な話ではありませんでしょうか。
ロゼッタストーンを糸口にして、4700年に及ぶ歴史を紐解くことが出来るとは。


ところで、このロゼッタストーン発見の経緯もまた有名でありますね。
ナポレオン のエジプト侵攻の際に発見されたわけですが、よおく考えれば「なぜ軍隊が?」との思いも。
誰もが気付くような場所にあったのなら、それこそナポレオン軍以前にとっくに見つけてる人がいたでしょうし。
例えば塹壕を掘っていてたまたまてなことはあるかもしれませんが。


この謎の部分を、ナポレオンの野望と絡めてもそっと引用させていただくことにします。

フランスは、エジプトを植民地化するという夢も抱いていた。それは聖王ルイと十字軍の時代から断続的に続いていた夢であり、エジプトの征服はシリアとエルサレムの支配にもつながるはずだった。さらに、エジプトは神秘の国であり、その土地にはさらに神秘的で壮大な歴史遺産が存在した。そのため、フランス艦隊には150人の学者が随行することになった。天文学、数学、農学、さらには音楽まで、ほぼすべての分野の専門家たちが、見聞きするものすべてを記録するために集められた。ナポレオン遠征のこの文化的な側面は、歴史上ひじょうにめずらしいものである。

なるほど大勢の学者が同行していたとは。
あたかも博物学者が同行したジェームズ・クック の冒険航海のような一面があったのですなぁ。


しかし、ナポレオン率いるフランス軍が発見したものの、イギリスとの戦闘を経て、
ロゼッタストーンは戦利品としてロンドンに送られてしまうのですから、ロゼッタくんの運命も二点三点。
その後は大英博物館を安住の地として今でもロンドンに鎮座ましましているわけですが…。


話は文化的遺物の返還問題にも及ぶわけですね。
こうなるとロゼッタストーンばかりの話ではなくなってしまうところではありますが、
「戦利品みたいにもってっちゃったんだから、返せと言われれば返さんといけんような…」という気はします。


されどイギリスのエジプト学者である著者にしてみると、

「そんなこと言い出すと、大変なことになりますよ」というご指摘。
本書の中で著者が展開する意見に「全くそのとおりだぁね」とは言えないものの、
ことロゼッタくんに関しては、歴史的というより歴史学的遺産の側面があって、
ヒエログリフ解読という歴史の転換点と大きく関わっているから、

一概にエジプトに戻すのがいいということでもないかと。


では、解読したのは誰かといえば、昔世界史で習ったとおりフランス人のシャンポリオンですから、
じゃあ「フランスに置く?そもそもフランス軍が見つけたし」となるかと言うと、黙っていないのはイギリスで
「シャンポリオンが読み解くヒントを、イギリス人のトーマス・ヤングが作ってやったではないか」

てな話にもなってきそうな気配。


ロゼッタくんにしてみれば、砂の中から掘り出されて落ち着いた先がロンドンで、
200年近く住んでる?となれば、もはや第二の故郷くらいにはなっているかもしれませんね。


安直に例えとして引き合いに出すのは適切ではないかもですが、
バーミアンの磨崖仏も切り出されて持ち去られていたとしたら、破壊の憂き目にもあわずに済んだかも。
結果的に何がいいのかは曰く言いがたしであります。
それこそ悠久の歴史の流れの中では小さなことであるにしても…。

話が後先になってしまいましたけれど、府中の森公園 であれやこれやのイベントに参加する前に、
府中市美術館をひと巡りしたのでありました。こちらが主目的で出向いたのですけれどね。


「世紀末、美のかたち」展@府中市美術館


開催中の展覧会は「世紀末、美のかたち」というもの。
わりと人気があるのではと想像する世紀末 芸術の展覧会で、
しかも公園のイベントの一環として入場無料となった日曜日にも関わらず

見て回るのにさほどのストレスが無いというのは都心から離れた立地だからでありましょうかね。

いやあ、ありがたい限りです。


ところで内容でありますけれど、展示の最初にこんな解説があったのですね。

(世紀末は)異形の姿にも美を感じる新しい感覚を生み出した。また、近代的な電気照明の登場によって、人々は光や闇に対する受け止め方を新たにした。

ということで、展示は「自然とかたち」「文字をきざむ」「異形の美」「光と闇」といった4部構成でもって、
だんだんと深淵に落ちていく感が…とまで言っては大袈裟ですが。


「自然とかたち」の部分では、

言ってみればアーツ・アンド・クラフツ運動 アール・ヌーヴォー の潮流に類するところでありまして、
冒頭を飾る
アルフォンス・ミュシャ の「百合」(1898年)を見れば一目瞭然のように、

自然の創造物をデザイン的に極めて巧みに取り入れたあたりが集められておりました。


アルフォンス・ミュシャ「百合」(本展フライヤーより)

縦長の画面いっぱいにあたかも百合の群生と女性の姿が一体化したかのように

すっくと立ち上っていく様はやはり美しいものです。
ともすると、少女マンガ的にもなろうかというところで、凛々しさを醸しておるのはさすがにミュシャだなぁと。


類似のものとしてポール・ベルトンの作品も何点か展示されていましたけれど、
申し訳ないながらミュシャの方がかなり役者が上と言わざるを得ないと思ってしまったのですよ。


「花と人がひとつのうねりとなる形は、植物と人体の区別を越えたひとつの生命体を見るかのよう」

と解説にありましたけれど、こうしたことの延長線上に同じミュシャの「サラ・ベルナール 」(1898年)に描かれた

まるで蔓草のような髪の毛のあしらいがあるのでしょう。


このあたりは、まさに先日「世紀末の赤毛連盟 」で読んだように、

世紀末のファム・ファタル 指向と関連した「男を絡め取ってしまう女性」の表し方として

髪の毛が重要な意味を持ったということでありますね。


水流の中から湧き出したようなシレーヌの姿と水泡に帰していくその長い髪を、
ガラス器に浮かび上がらせたルネ・ラリックの「シレーヌ」(1920年)も同じ流れに乗ったものではないかと。


ここまでに触れたあたりでは、さほどに「異形」でも「闇」でもありませんけれど、
全体にわたって展示作品の多い作家といいますのがエミール・ガレオディロン・ルドン だとすれば、
少しは想像がつくやもしれませぬ。


ルドンとガレの「異形の美」(本展フライヤーより)


植物や海の生物、そして昆虫の姿をガラス器に取り入れたガレでありますが、
単純に考えて芸術=「美しいもの」とばかりは言えないところに足を踏み入れてますね。


ルドンにしても同様で、聖アントニウスがさまざまな誘惑の魔の手にさらされる話に想を得た
フローベール の「聖アントワーヌの誘惑」に付けられた挿絵が展示作品だからとはいえ、
さまざまな異形の姿を提示してくれるわけです。


こうしたことは「(美醜かかわらず)ありのまま」を目指した

クールベのレアリスムからの流れでもありますけれど、
ことさら世紀末の違いというは科学技術の進歩との関わりということのようで、
ガレは植物学(単に植物が好きということではなく)の知識をもって、花そのものはおろか、
花の中の雌蘂をクローズアップしたような作品まで作ってしまうのですね。


ルドンはといえば、人体を的確に描くために解剖学に手を染めた画家は他にもいるとして、
病理解剖学やら畸形学(こうした学問があるのでしたか…)やらを学ぶところから、

異形のイメージ が湧き出てきたものでもあるようです。
(こう聞いてしまうと、妙に生々しく感じられたりしますが…)


科学技術の進歩が美術の創作に与える影響として、

カメラの利用やら鉄道による移動の利便などはよく聴く話ですけれど、
例えばガレやルドンが関心を持った分野でも、

確実に進歩・発展(ここではとりあえず疑問を挟まずそう言っときますが)があったわけで、
生み出される作品はそうしたところからの影響も受けていたのですねえ。


こうしたことからも

歴史の流れを大きくつかんでおくことによって分かることがあるものだと思ったものでありますよ。

ヴィヴァルディがらみでヴェネツィアを舞台にした映画ことなんかを思い出したりしておりまして、
ベニスに死す」や「ヴェニスの商人」はタイトルからしてまんまでありますけれど、
往年の名作てな感じで「旅情」というのもありましたねえ、キャサリン・ヘプバーン主演の…。

ずいぶんと前になりますけれど、とある同窓会的な集まりでもってご高齢の方々をお連れし、
ヨーロッパ・ツアーの添乗に出たことがありました。

お仕着せのパッケージではなかったものですから、
映画「舞踏会の手帖」の舞台となったコモ湖畔のヴィラ・デステに宿泊!
などということもリクエストされたツアーでしたので、映画がお好きな方々であったのかと。
もっとも、お客様方の若き日には娯楽の王様だったのでしょう、映画といえば。


ですから、ヴェネツィアのサン・マルコ広場にあるオープン・カフェで
皆々寛ぎのひとときであったところへ流しの楽師がやってきますと、
曲のリクエストをして欲しいという声が。

その希望曲というのが「旅情」のテーマだったのですけれど、
当時「旅情」という映画の名前は聞いたことがあっても見たことがなかったものですから
(あれ?もしかして未だ見たこと無いかも…)
タイトルを英語で(もちろんイタリア語でも)言えるはずもなく、
曲を知らないので一節を口ずさむこともできない…。

たぶん「ヴェネツィア!」とか「キャサリン・へプバーン!」とか叫んでみたのではなかったかと。
楽師殿も良くしたもので「Oh!Summertime in Venice!」かなんか言って、演奏開始。
一同満足そうに音楽に身を委ねたというひと幕でありました。

辛うじて主演女優を知っていて助かったなぁと思う一方、
「旅情」のオリジナル・タイトルが「Summertime」だというのは
死んでも忘れないのではないかと…たぶん。
せっかくですから、聴いてみましょかね。




ところでもう1曲思い出したんですが、そちらは映画「リトル・ロマンス」の挿入曲で、
「あ!」と思ってみればヴィヴァルディのギター協奏曲なのでありました。
元々はマンドリンのためのものとかリュートのためのとか言われてますけれど。

ヴェネツィアの「ためいきの橋」の下でキスを交わせば愛は永遠に…
みたいな話を信じた男の子と女の子。
女の子の方は今やすっかり性格俳優になってるダイアン・レインですが、
男の子はどこへ行ったものやら…。

そして、彼らの手助けをする不思議な老紳士役というのが、
ローレンス・オリヴィエでありました。

話自体は(似てないにせよ)
「どうしたって『小さな恋のメロディ』に勝てんなぁ」と思ってしまって、
どうでもいいといえばどうでもいいんですが、
ヴェネツィアの街とこのギター協奏曲の音楽はなかなかに印象的でして、
ふいっと思い出されたわけなのですよ。

ということで、こちらも聴いてみますかね。
ヴィヴァルディ作曲のギター協奏曲から第2楽章ラルゴであります。




なんだかゴンドラに揺られてたゆたうが如しではないでしょうか。
こうしたゆったりめの曲からは「ヴェニスに死す」で使われた
マーラーの交響曲第5番~アダージェットにも思いは飛ぶところではありますけれど、
サンタ・ルチア駅前やらサン・マルコ広場の賑々しさを思うときには、
先のギター協奏曲の第1楽章の方がぴったりくるんですけどね。