しばらく前に中近東文化センター でロゼッタストーンのレプリカを見てからというもの、
関連する本でも読んでみようかなと思っていたのですね。
大英博物館で本物を見たときにはそうした気にはならかったですが、
たぶんタイミングということでありましょうか。


ずうっと探し回っていたわけではないのでずいぶんと時間が経ってしまいましたけれど、
ようやっとこれなら読めそうというものを見つけて、このたび読み終えたとまあ、そういうわけであります。


ヒエログリフ解読史/ジョン・レイ


邦題では「ヒエログリフ解読史」といういささかやっかいそうなタイトルになってます。

もちろんロゼッタストーンが何ゆえに有名かといえば、

あらためて申すまでも無く古代エジプト文字解読の礎になったからですので、

邦題もあながち的外れではありませんが、

原題は「The Rosetta Stone and the rebirth of Ancient Egypt」。

主役は解読の歴史というより、完全にロゼッタストーンというわけです。


ところで、ロゼッタストーンといえば歴史的遺産そのものだろうと思うのですが、
ロゼッタストーンそのものがとんでもなく「すごいもの」かというとどうやらそうでもないらしい。


アレクサンダー大王の遠征でその勢力下におかれたエジプトは、
大王亡き後靡下の将軍たちによる領土争奪戦の末、プトレマイオスが版図とするのですね。

エジプトは豊かな国と考えられていたことから、これを機にギリシアからの移民がたくさん入り込み、
元々のエジプトの民と同化していく歴史が刻まれていき、やがてプトレマイオス5世の時代。


侵略王朝とはいえエジプトの風習を大事にしてきたのでしょう、
神官が王の行いを讃えて広く知らしめるため大石に文字が刻まれます。


エジプトで神の言葉とも言われたヒエログリフ(聖刻文字)を刻むのはもちろんのこと、
広く伝えるにはデモティック(民衆文字)も刻み込み、さらに広く伝えるにはギリシア文字も必要だろうと
三種の文字で同一の内容が併記されることになった…とまあ、これがロゼッタストーンなわけです。


つまり、書かれていることはその時の様子を知る多少のよすがになろうものの、
歴史的な大発見といったことが書かれているわけではない。
そして広く知らしめる目的からして、同じものがたくさん作られたのではないか…ともなりますと、
ありがたみもまた減じようというもの。


もっともそれでも何千年の時を経て、

実物で見られるのはたったひとつロゼッタで発見されたこの石だけですが。


では、そのようなロゼッタストーンの「すごい!」ところはといえば、
解読に困難を来たしていた古代エジプト文字を読み解く大きな鍵となったことであって、
それこそヒエログリフ解読史上ではスーパー級の発見。

つまりは、歴史的遺産というよりも歴史学的遺産というのが当たっているのやもしれませんですね。


しかしまあ、ロゼッタストーンが拓いた古代エジプト文字の解読は大変な成果に繋がっていったような。
あまりピンと来てなかったですが、古代エジプト文字が読めることで開明される歴史の長さが

尋常ではないのですね。
ちと長いですが、関連部分を本書から引いてみましょう。

古代エジプト語は、記録が残されている言語としては世界でもっとも長い歴史をもつ。短いヒエログリフなら紀元前3200年ごろのものが見つかっており、冒頭の章で見たように、紀元後394年に記された碑文が最後のものとなった。ヒエログリフがギリシア語のアルファベットに置き換えられたコプト語時代を加えれば、さらに1200年間、その歴史は続いた。言語の体系自体はほとんど変わらなかったのだ。つまり、ファラオの言語が完全に消滅してアラビア語に変わるまでの4700年間、おそらくはそれより長くエジプト語は使われていたことになる。歴史の長さという点では、これに続くのはギリシア語と中国語である。
ギリシア語の歴史は3400年前までさかのぼり(ただし、ミュケナイ文化からアルファベットの使用までには数世紀の空白期間があった)、中国語はとぎれることなく3200年間伝えられてきた。この二つの言語は現在も使われているので、いつかはエジプト語の記録を抜くことになるかもしれない。しかし、それが現実になるまでにはもう千年待たなければならない。ロゼッタストーンはこの気が遠くなるほどの年月の長さを、私たちに思い出させてくれる。

なかなかに壮大な話ではありませんでしょうか。
ロゼッタストーンを糸口にして、4700年に及ぶ歴史を紐解くことが出来るとは。


ところで、このロゼッタストーン発見の経緯もまた有名でありますね。
ナポレオン のエジプト侵攻の際に発見されたわけですが、よおく考えれば「なぜ軍隊が?」との思いも。
誰もが気付くような場所にあったのなら、それこそナポレオン軍以前にとっくに見つけてる人がいたでしょうし。
例えば塹壕を掘っていてたまたまてなことはあるかもしれませんが。


この謎の部分を、ナポレオンの野望と絡めてもそっと引用させていただくことにします。

フランスは、エジプトを植民地化するという夢も抱いていた。それは聖王ルイと十字軍の時代から断続的に続いていた夢であり、エジプトの征服はシリアとエルサレムの支配にもつながるはずだった。さらに、エジプトは神秘の国であり、その土地にはさらに神秘的で壮大な歴史遺産が存在した。そのため、フランス艦隊には150人の学者が随行することになった。天文学、数学、農学、さらには音楽まで、ほぼすべての分野の専門家たちが、見聞きするものすべてを記録するために集められた。ナポレオン遠征のこの文化的な側面は、歴史上ひじょうにめずらしいものである。

なるほど大勢の学者が同行していたとは。
あたかも博物学者が同行したジェームズ・クック の冒険航海のような一面があったのですなぁ。


しかし、ナポレオン率いるフランス軍が発見したものの、イギリスとの戦闘を経て、
ロゼッタストーンは戦利品としてロンドンに送られてしまうのですから、ロゼッタくんの運命も二点三点。
その後は大英博物館を安住の地として今でもロンドンに鎮座ましましているわけですが…。


話は文化的遺物の返還問題にも及ぶわけですね。
こうなるとロゼッタストーンばかりの話ではなくなってしまうところではありますが、
「戦利品みたいにもってっちゃったんだから、返せと言われれば返さんといけんような…」という気はします。


されどイギリスのエジプト学者である著者にしてみると、

「そんなこと言い出すと、大変なことになりますよ」というご指摘。
本書の中で著者が展開する意見に「全くそのとおりだぁね」とは言えないものの、
ことロゼッタくんに関しては、歴史的というより歴史学的遺産の側面があって、
ヒエログリフ解読という歴史の転換点と大きく関わっているから、

一概にエジプトに戻すのがいいということでもないかと。


では、解読したのは誰かといえば、昔世界史で習ったとおりフランス人のシャンポリオンですから、
じゃあ「フランスに置く?そもそもフランス軍が見つけたし」となるかと言うと、黙っていないのはイギリスで
「シャンポリオンが読み解くヒントを、イギリス人のトーマス・ヤングが作ってやったではないか」

てな話にもなってきそうな気配。


ロゼッタくんにしてみれば、砂の中から掘り出されて落ち着いた先がロンドンで、
200年近く住んでる?となれば、もはや第二の故郷くらいにはなっているかもしれませんね。


安直に例えとして引き合いに出すのは適切ではないかもですが、
バーミアンの磨崖仏も切り出されて持ち去られていたとしたら、破壊の憂き目にもあわずに済んだかも。
結果的に何がいいのかは曰く言いがたしであります。
それこそ悠久の歴史の流れの中では小さなことであるにしても…。