この間見た映画「オーシャンと11人の仲間 」は

リメイク版と違って集まった仲間たちが戦友だったわけですけれど、
それだけに会話の中にも「バルジ作戦」やら「アンツィオ作戦」といった、後に映画にもなるような
第二次大戦・欧州戦線での激戦に纏わる言葉が飛び出してくるのですね。


そうしたことから「そうだ、まだ読んでなかったっけ」と思い出した一冊を取り出したわけでして、
小説の背景は第二次大戦末期、連合軍到達間際のドイツというだけの予備知識で読み始めた
「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」でありました。


カレーソーセージをめぐるレーナの物語 (Modern & Classic)/ウーヴェ・ティム


本書を読んで後付けの知識ながら、

どうやらカレーソーセージというのは北ドイツの典型的なジャンク・フードらしい。
とてもハイソな方々が寄り付くことはない屋台で提供されるB級グルメ。
それも屋台ごとに微妙にレシピが違って、あちこち食べ歩きした結果をまとめて

HPにしているような人たちまでいるという。


今から思えばそういう食べ物だったのか…と思うわけですけれど、
卒業旅行 で初めてヨーロッパに行ったときに、確かトリアーでだったと思うんですが、
デパートの中のフードコートみたいところで、食べたんじゃなかったかなと。


第二外国語でドイツ語 をとっていたというだけでドイツを中心に廻ってまして、
いざソーセージの類いを食してみようと思ったときに、

さすがにソーセージをドイツ語で「ヴルスト」ということだけは知っていても、
「ヴルスト」の前に何やらあれこれくっついてる単語が如何せん分からないものですから、
唯一イメージできたお品書きが「カレーヴルスト」だったという。
確かにカレー風味であったことくらいしか思い出せませんが…。


閑話休題。
これでは「カレーソーセージをめぐるjoshの物語」になってしまいますね。


とまれ、ドイツにあってはかほどに有名なB級グルメ、

カレーソーセージはいったいどのようにして誕生したのか。
どこかの誰かが突然ひらめいたのか?


これに対する答えとして、

以前よく訪ねた伯母と同じアパートに住むレーナ・ブリュッカーさんが生みの親であろうとの噂を頼りに、
今ではアパートを離れて養護施設に入っているレーナおばあちゃんを「僕」は訪ねるのですね。


「カレーソーセージを発明したのは、貴女ですか?」
単刀直入に切り込んだ僕の質問に対して、レーナおばあちゃんはぐぐっと時代を遡り、
敗戦間際のハンブルクの様子から語り起こすのでありました。


聴いているとどうも、戦時下で出会った兵隊との密かな恋物語が語られるばかり。
「それで、カレーソーセージとどういう関係が?」
時折軌道修正を試みる「僕」でありますが、

レーナおばあちゃんは「まあ、お待ちよ」的にどんどん昔語りを続けるという。


タイトルからして「カレーソーセージ」が肝心な役回りであろうことは想像されますが、
レーナおばあちゃんの話には、ついぞカレーソーセージが出てくる気配がないのですね。


相手の兵隊さんがインドに行ったことがあって、

レーナのアパートにカレーがないかどうか尋ねられたという話が出るに及んで
「それで?!カレーがあったんですか?!」といきおい混む「僕」に

「んなもの、あるわけないじゃないか」とおばあちゃん。


さあて、いったいどうなってカレーソーセージに辿り着くのかは、最後の最後のお楽しみ。

核心ですからこれ以上語るのは控えておきましょう。


素直な感想としては、「いい話だぁね」という印象。

戦時下の、ゲシュタポがまだまだ睨みを利かしてるような状況下であっても、

(そうした世知辛さとそれに対するささやかな抵抗のあれこれがさりげなく出て来ます)

どっこいみんな生きている!てなふうなことも含めて。


後から考えると、悲惨さ一色であったかのような、

あるいはそう考えなくてはいけんかのような感じ支配されがちな頃合いのお話。

もちろん余りにお気楽にばかり受け止めるのも、またこれも違うのでしょうけれど、

一色には染まらないしたたかさが人間にはやはりありますね。


あ、そうそう、道ならぬ恋の思い出話。

この語り手がおばあちゃんだと思うと、語られる内容にギャップを感じたりもしますが、

これもまた「おばあちゃんは昔からおばあちゃん」であるかのような「おばあちゃん一色」で

見てはいけんですよね。

一般的に音楽を、お気に入りの音楽を聴こうとした場合には、
曲と歌手、演奏者は一体のものとして受け止めているのではないかと。
それこそ誰それの何々という曲ということで。


テイクによって演奏にバリエーションのあるジャズでも、
基本的にその数々のテイクは同一演奏者の手になるからこその別テイクであって、
オリジナルは誰それと定番的に曲と一体化している点では似たふうかもしれません。


ところが、クラシック音楽の場合そもそもオリジナルというべきものがないわけでして、
残された楽譜を頼りにいろんな人がいろんな演奏を繰り広げるのですね。


もちろん楽譜からの逸脱はそうそうありませんから(といって皆無ではないですが)、
そうであれば「おんなじなんじゃないの?」と思われても致し方のないところ。


されどこれが違うんですよね。
よくまあ、これだけ違ったことができたものだ!というものまでありますから、
そうなるとへんてこ演奏を探すこと自体がひとつのお目当てになる場合もあるやもです。


とまあ、藪から棒の話でありますけれど、
読響の演奏会チャイコフスキー のヴァイオリン協奏曲を聴いて、
そんなことを書いてみようかと思ったわけなのですね。


ソロを務めたのがバーナバス・ケレマンというハンガリー出身のヴァイオリニスト。
見たところ若いなと思いましたら、1978年生まれということですので33歳になるかならぬかというところですね。


例によって業界事情にちいともアンテナをはってませんので、
日本の辻井君 のようにあれこれマスコミに取り上げられて目にすることがあるのと比べ、
全くどんな奏者なのか知らずにいたのですが、すらりとした長身で

なかなかに舞台栄えする雰囲気というのが第一印象。


そして弾き始めて「お!」と思いまたのが、実になんとも言えぬ外連味を感じさせる演奏なのですなぁ。
度が過ぎるとチャイコフスキーのイメージをぶち壊しにする寸前(僅かに線を超えてるか)くらいのところで、
緩急やらここぞの溜めやらを自在に操っているふうなのですよ。


「こりゃ、ナージャ の弟子か?」と思いかけたものの、彼女ほど科の作り方がエロくない。
さりとて、面白く聴かせる術をすでにたんと身に着けておいでなのはないかと。


個人的にはクラシック音楽を聴くとは言ってもかなりオーケストラ演奏に偏ってるものですから、
そうそう特定楽器のソロ・リサイタルに足を運んだりすることもないのですが、
ケレマンの演奏は一度ソロ・リサイタルで聴いてみたいものだと思ってしまったという。


…てなことを、いくら書き言葉で連ねたところでぴんくるはずもありませんし、
ここで触れたバーナバス・ケレマンの演奏をこそ聴いてごらんくださいましというわけでもないのですけれど、
ともかく同じ曲であっても、演奏者によってずいぶんと曲の面持ちが変わるのだということなわけです。


騙されたと思って、クラシックの何かしらの曲を

Youtubeか何かで幾種類かの演奏で聴いてみてくださいませ。


最初は「やっぱりおんなじじゃん」と思われるでしょうけれど、
何度か聴いてみると「ここがびみょ~に違う」と気付かれる点が出てこようかと。
そうなると、聴き比べの お愉しみからクラシック音楽の深みにいつしか引き摺りこまれて…
といったことになるやも知れませんですよ。

武蔵小杉駅からバスに乗ること少々の、川崎市市民ミュージアムに行ってみたのですね。


昨今の川崎からはすでに遠いイメージなのかもしれないながら、
旧世代に属する者としては?どうしても川崎には「工業地域」の印象がいまだにあるのですけれど、
ミュージアム前にどお~んとこうした産業遺産が置かれていることは、
川崎の歴史を考える上で大事な点でもあるのでしょう。


川崎市市民ミュージアム前に置かれたトーマス転炉


ちなみにこの大砲のようなものですけれど、
トーマス転炉という製鋼炉だそうでありますが、ほんまもんのレトロSFですなぁ。


ところで、ここまでやってきましたのは川崎の歴史をたどりにきたのではなくして、
開催中の「福田繁雄大回顧展」を見るためなのですね。


「福田重雄大回顧展」@川崎市市民ミュージアム


先ごろ亡くなられた福田繁雄 さんは川崎市市民ミュージアムの設立に関わったというご縁があるそうで、
エントランスを入るとやおら「Time 時」という大型作品が置かれているのですね。
もうのっけから「いかにも」な福田ワールド全開というところでしょうか。


福田繁雄「Time 時」


会場内には、グラフィック・デザインからスタートした福田さんの作品が

ポスター等の印刷物から立体造形まで幅広く展示されておりました。


初期のポスター作品からして「にやり」とさせられる捻りが見られますけれど、
反戦アピールの一環で作られた、降り注ぐ爆弾が遠目には髑髏を象って見せるような作品もまた
「意表をつく」という点では同じ発想なんだろうなと思ったり。
ソフトタッチながらインパクトは十二分かと。


立体造形では、つとに有名な「ランチはヘルメットをかぶって…」も置かれていました。
フォークやスプーンといった食器が雑然と積み重なったガラクタの山にしか見えない代物が、
ある一点から光を当てると、浮かびあがったシルエットがバイクに見えるというもの。


この展示にあたっては、照明を加減できるスイッチが置かれていて、
少しずつ光の当て方を変えることでやおらオートバイが浮かび上がる「おお!」という瞬間が

体験できるようになっとりました。


また、錯視を利用した作品 というのも多々ありましたけれど、
例えば印刷物や絵画といった平板なものでも錯視を得ることはできるものの、
これを立体化してしまうのが福田作品の個性的な点。


「フクダの階段」のように、階段に置かれた一房の葡萄が片目で見てみると
その葡萄は垂直面にへばりついているように見えるといった趣向は、
平面作品としても見慣れたものではありますけれど、いざ立体で提示されると、

人間の目というものがいかに両目で得る遠近感に頼っているかということに
思いを馳せるのでありますね。


展示された作品のそれぞれに関してあれこれ語りつくすこともできませんけれど、
も一つの刺激ある点はといえば、こうしたユーモアを感じさせる作品、

からくりめいた作品を生み出すために福田さんがやってきたこと、

たくさんのメモ書きの一部を見ることができるのですよ。


ホテルの電話脇によくあるメモ帳に書き付けたものなどを含めて、
ひらめきを逃さず、また捻りを考えて考えて、試行錯誤を繰り返すさまが偲ばれるという。


ただ、福田さんの場合には生みの苦しみを想像するというよりは、
何となく楽しんでやっておられたような気がしてしまうのですけれど…。


ま、いずれにしても、これだけ人を驚かす作品を作り出すのは

一朝一夕のことではなかろうな、福田さんといえども…と思ったりするのでして、

それをたゆまず続けられた姿にまた刺激を受けたりするのでありました。

ちょっと前に和田誠展 を見てからというもの、ちいとばかり古めの映画を気にかけておりまして、
先にディーン・マーティン に触れたからには「七人の愚連隊」が見たいなあと思ったのですね。


DVDで出てはいるのようなのですけれど、どうもレンタルショップで見当たらないので諦めて、
(膨大な品ぞろりのわりには、結構古めの映画で見当たらないのがありますね…)
「オーシャンと11人の仲間」を見ることにしたわけです。


ご存知のとおり2001年にリメイクされた「オーシャンズ 11」のオリジナル、
1960年制作のアメリカ映画でありますね。
つうことで、この際ですから新旧両作を見てしまおうかと。


オーシャンと11人の仲間 特別版 [DVD]/フランク・シナトラ,ディーン・マーティン,サミー・デイビス・Jr. オーシャンズ11 特別版 [DVD]/ジョージ・クルーニー,ブラッド・ピット,ジュリア・ロバーツ


似ているところ、というより旧作から持ってきたのは、
11人のメンバーでもってラスベガス のカジノから大金をかっさらうというところと、
主人公のダニー・オーシャン(旧作ではフランク・シナトラ、新作ではジョージ・クルーニー )が
奥さん(旧作ではアンジー・ディキンソン、新作ではジュリア・ロバーツ )に愛想をつかされてながらも
なんとか縁りを戻したいと思っているあたり。


決定的な違いは、旧作が最後の最後で作戦失敗に終わるのに対して、新作は大成功なんですね。
そして細かな相違点は山のようにあるのでして、そうであれば新作の方は

何も「オーシャンズ11」として制作しなくても良かったんじゃあないですかね、もしかして。


例えばドライバー役の口げんかばかりしてる兄弟は本来ひとりで充分の役回りながら、
11人の数合わせだったようにも思えなくもないですし。


とまあ、このように新作のメンバー11人は警戒厳重なラスベガスのカジノ・ホテル、ベラッジオの

大金庫を襲撃するために必要なメンバーを集めて、
プロフェッショナルな盗人たちのプロジェクト・チームなわけですけれど、
旧作ではこれが第二次大戦の第82空挺部隊の戦友たちの集まりであって、
特に盗みのプロばかりという話ではなさそうなのですね。


これは1960年制作という時代背景から出てきたことなんでしょうけれど、
どうも大きな危険を冒してカジノの金庫を襲うという理由がいささか理解しがたいところで、
難しい仕事を持ち込まれたから昔の仲間が一丸となって立派なやりおおせ、
世間を驚かそうじゃあないか!みたいなところなんでしょうか。


とまれ、旧作の弱いところは練り直せるのが後出し側のメリットですから、
やはり新作の方が面白く出来てるかなとは言わざるをないような。


ただ、あまりに何ごともうまく行きすぎではないかと思ってしまいますけれど。

例えば、カジノの元締めベネディクト(これをアンディ・ガルシア がやるあたり「ゴッド・ファーザー 」が香る…)に
疎まれたダニーが警備員に別室へと連れ去られ、巨体の用心棒に張り倒されるというシーンがありますが、
(おっと!これからご覧になろうという方は、この先スキップしてください)
その巨体の用心棒までがダニーと通じているというのは、「そりゃあ、出来すぎだろう!」と。


そして最終的にテス(奥さんです)はダニーの元に戻ってくるんですが、
(旧作にそんな話はないですね、最初の方でちょこっと登場するだけですから)
恋人になってたベネディクトは確かにテスより金のが大事という人物ではありましたけど、
ダニーだって結局極めつけの大泥棒ではないか…というのに、また仲良くなるわけ?と。


どちらも、最初見たときにはそれぞれに面白いように感じたのですけれど、
どうやら何度も楽しめるというところまでには到達していないのかもしれないですねえ。


お、そうそう、新作には旧作で11人のメンバーの一人だったヘンリー・シルバらしき顔が

ちらりと見えたものですから、エンド・クレジットに注目しておりますと、確かにヘンリー・シルバ。


さらにはアンジー・ディキンソンまで出ていたようなのですが、

そっちには残念ながら気がつかずじまい。そのシーンを探すためにまたいつか見てみますかね。

「オーシャンズ11」をご覧になる方は、どこいらに出てくるのか見つけてみるのも一興かと思われます。


と、なんだか新作のことばかりになってしまいましたが、もそっと旧作のことも。
お話の舞台となってるラスベガスでシナトラ一家自体がショーをやってたこともあるわけで、
(その様子を別人が再現したミュージカル・コメディをサンフランシスコで見たことがあります)
ディーン・マーティンもサミー・デイヴィス・ジュニアも歌ってくれてますね、作中で。
こうしたいかにもラス・ヴェガスっぽいエンタメ的お楽しみは新作にはありませんものね。

先日のNHK-TV「ヒストリア」は、江戸時代の鎖国の状況に関する内容でありましたね。
江戸時代といえば「鎖国」。これは決まり文句のようなイメージではあります。

が、それはどうやら「そうとも言えんぞ」ということらしい…。


だいたい鎖国という言葉自体、

日本オリジナルというよりは洋書翻訳の過程で編み出されたものだということのようで。

(オランダ)長崎商館付きの医師として来日したエンゲルベルト・ケンペル…の著書『日本誌』の序文に、日本を「閉じた国」と書いた一節がある。十九世紀に入って、その序文が「鎖国論」という標題で翻訳出版されたとき、「鎖国」という日本語が誕生したのである。

「鎖国」という言葉が生まれたのは19世紀になってから。
江戸時代としてはもはやお終いの方に近いではありませんか。


たぶんに日本の側としてみれば、その時になって

「そうだぁね、鎖国といえば鎖国なんだね、今の状況は」
なんつうふうに思ったやもしれません。


では、日本の側としてはどういう意識であったかといえば、
江戸期を通じて切支丹 を御法度としたがために、

とにもかくにも南蛮人の渡来を制限しようとしたわけですね。


当時の日本人にヨーロッパ方面からやってくる人はとにかく南蛮人とひっくるめて、
しかも誰が宣教師だか、カトリックの信仰を持ってるかは判別しようもありませんから、
「とにかく全部だめ!」としたのでありましょう。


そうは言っても…とうまいこと取り入ったのが、新教徒オランダ人ということでしょうか、
「わしらはカトリックではありませんです。商売さえさしてもろたら、それで何も問題ございません」と。


これが結局、欧米では唯一日本との交易にオランダ が携わることになるのでして、
そうした「特権」を与える見返りとして幕府がオランダに要求したこと、
それが国外情勢の情報提供であったのだそうですよ。


最初はもっぱら来航するジャンク船(中国あたりとの貿易はオランダとは別にあった)に、
宣教師が乗り込んだりしていないかといった話を伝えよというのが眼目でしたけれど、
やがて日本以外の地域で起こる戦争やら何やらあれこれの情報提供になっていったのだとか。


そうした情報提供は「オランダ風説書(ふうせつがき)」というレポートにまとめられ、
長崎から江戸表に送られたそうです。


ですから、ペリーの来航 なんかも

「突然やってきやがって。びっくりさせてくれるじゃあねえか」というのは庶民感覚であって、

幕府の中では「オランダ風説書」を通じて周知のことであったわけですね。
ということで、この「オランダ風説書」にまつわる本を読んでみたのでありました。
(先に引用した「鎖国」に関する言及も本書からもってきました)


オランダ風説書―「鎖国」日本に語られた「世界」 (中公新書)/松方 冬子


本書の冒頭には関連地図として

インドから東南アジア、そして中国、日本の南側を載せた図が置かれています。


これを見ると、ペリーが交易路としての太平洋を考える以前に

欧米からの船は喜望峰まわりでゴア、マラッカ、マカオ あたりを経由しながら、

つまりは南方から日本に到着したことがよく分かります。
(南蛮人という呼び方もむべなるかなです)


その点から考えれば(また中国との位置関係も加味すればなおのこと)

長崎を窓口にしたのにも得心がいきますね。

また、当初目的である切支丹が入り込む防波堤としては、

江戸表からできるだけ遠いほうがいいわけですし。


一方、オランダの側からすると「風説書」を通じての情報提供は、

多分に情報操作の意味合いも含んでいたようで。


ペリーが来航したときのコミュニケーションは

英語→オランダ語→日本語→オランダ語→英語というものだったように、
日本にとっての欧米語はとにかくオランダ語になるくらいの日蘭関係になってますから、
都合の悪いことは言わずにおこうとか、事実と異なっても都合のいいように言っておこうとか、

そんなようなこともあったらしい。


それが露見しかかって、長崎奉行や通詞(通訳)ともども

極めて立場の悪くなりそうなこともままあったようですが、
いつの世にも、癒着の構造のようなものはあるものですね。


立場を変えれば誰にでもあるかもしれませんけれど、

オランダ側のあれこれの言いつくろいようからはその商魂のたくましさを感じなくもありません。


海運国の旗手として一時期黄金時代を築いたオランダも

だんだんとイギリス に押されるようになってきますし、
米国に先駆けてロシアあたりからも日本との交易を求める使節が出没するようになってくると、
「風説書」でイギリスとロシアが手を組んで、日本に押し寄せる気配あり!なんつうご注進に及んだり。


時にロシアの南下政策を巡ってイギリスとロシアはクリミア戦争(1853-1856)を戦い、

敵対している状況があるにも関わらずです。
それだけに、日本側の世界情勢への疎さが偲ばれるというものですね。


それでも、欧米からの船が通ってきた地域、

たとえば現在のインドやインドネシアなどはおよそ欧米列強の食い物にされてきたところがありますし、

清のような大国でも徐々に蝕まれていったのですが、日本はそうならなかったですね。


オランダの対応や、オランダを蹴落として日本と交易しようとした他の国々の対応もみれば、
当時の日本は機械文明に触れていない後進国とは見たかもしれませんけれど、

少なくとも国の端の方まで統治機構ができている点で、

侮りがたしと考えたんではないですかね。


江戸の中央集権と諸大名の地方分権の微妙なバランスの上とはいえ、

統治が隅々まで行き渡っている。
もしかしたら、これが日本が植民地への道を進まなくてすんだひとつの理由なのやもしれぬと
思ったりしたのでありました。