ゲテモノと言ってしまいますと語弊がありますけれど、

普段あまり耳する機会の無い曲が演奏される!となると、ついつい食指が動いたりするものでして。


ということで、新日本フィルの演奏会に出かけてきたのですね。

プログラムのコンセプト(この場合、そうまで言っていいのか…)は「ふたりのフランツ」。

フランツ・シューベルトの交響曲第3番とフランツ・シュミットの交響曲第2番の2本立てでありました。


新日本フィル2011年12月定期


シューベルトの3番シンフォニーは、しばらく前のシューベルト探究 の時以来、

先日の日フィル演奏会 でも聴きましたし、差し当たりのお気に入りになっているものの、

ここでの注目はとにもかくにもフランツ・シュミットでありましょう。

なかなか聴けませんよ、これは。


ちなみにシュミットというドイツ人の名前は英語のスミスと同様(同義?)によくある名前ながら、

およそ作曲家では聞かない。

にもかかわらず、たいていはフランツ・シュミット、フランツ・シュミットとフル・ネームで呼ばれるのは、

ほぼ同世代のフロラン・シュミットというフランスの作曲家(といってもやはり名前的にドイツ系でしょう)との

混同を避けるためなのですね。


ところで、そのフランツ・シュミットの交響曲第2番ですけれど、

1913年にできたことからすれば、やはり「20世紀音楽 」ということになりますけれど、

まずもってさほどに耳に障る(?)ような点は無かったなとは思うところです。


それでも、演奏会で配布されたプログラム・ノートに曰く

「音数が多く、編成も大きく、曲は長く、多彩な内容が凝縮され、演奏は難しい」とあっては

晦渋さを予想するところで、確かに一度聴いてだけで全体像を把握しきれるものではないなと。


でもですね、茫洋とした出だしの先に現れるのは「朝」のイメージと行ったらいいでしょうか。

ちょうど「マイ・フェア・レディ」の頃のコヴェント・ガーデンで

夜明けの光が多くなるにつれて市場が目覚め、だんだんと人が出て、荷車が行き交い、

喧騒が増していく…といった雰囲気が何度か繰り返し出てくるのですよ。


第2楽章のコラールと変奏では、やはり「朝」の雰囲気ながら今度は「野の風景」と申しましょうか。

もちろんプログラム・ミュージックではありませんから、作曲者自身が意図していたは思いませんけれど。


確かに音は多く、ぶ厚さがいささか聴き手を圧倒するようなところもありますけれど、

このようなイメージ喚起につながるある種の聴き易さも併せ持ってるところが、

フランツ・シュミットらしいところのようでもあります。


ところで、同じく演奏会のプログラム・ノートにこんな一節がありました。

・・・シューベルトの交響曲は、生前公式な初演にめぐり合えなかった。ブルックナーの交響曲も、なかなかウィーンでは演奏されなかった。その弟子シュミットはといえば、4つの交響曲は完成から年月を置かず、すべてウィーンで初演されている。最晩年のオラトリオ「七つの封印を有する書」は、ウィーン楽友協会の125周年の栄えあるモニュメントであった。

シューベルトの曲はそもそも仲間うちでの演奏を考慮されたところがありますから、

同じ土俵にはしにくいものの、ともあれフランツ・シュミットがウィーン 「では」人気作曲家であったことが

偲ばれます。でも、ウィーン以外ではさっぱりだったような…。


思うにですね、ウィーンの聴衆が実に保守的であったのではと考えるのですね。

例えばですけれど、ポーランド を発ったショパン はウィーンに立ち寄りはしたものの、

「俗な音楽ばかりで!」と逃げ出すようにパリに向かってしまうわけです。


ショパンがウィーンにやって来たのは1830年。

ナポレオン戦後の処理に当たったウィーン会議(1814~15年)の十数年後ですけれど、

「会議は踊る」と揶揄されるウィーンは相も変わらぬ享楽的なところでもあったのでしょうか。


ショパンの考える「俗な音楽」にはヨハン・シュトラウスあたりのダンス・ミュージック(!)も

当然入りましょうけれど、そのヨハン・シュトラウスが奇しくも「ウィーン気質 」で描きだしたような風情が

ウィーンでもあったのでしょうね。


そんなウィーンの聴衆も世紀末を経て、いささか耳も新しい音楽の傾向には馴染みつつあった…

としても、ロマン派の伝統に踏みとどまったフランツ・シュミットは彼らのとって何とか許容範囲に入る

新しい音楽だったのかもしれないなぁと思ったわけです。


他の諸都市での音楽受容はどんどん先へといいますか、より広がりあるものとなっていたかもしれない。

でも、ウィーンでは…と考えると、フランツ・シュミットがウィーンでのみ称揚されたのも

何だか分からないでもない。


それにしても現代の演奏会プログラムも、もそっと多様化してもいいような。

でないと聴く方は保守的になってしまうかも。

もっとも保守的なプログラムでないと、すでにチケットが売れないのかもですが…。

国立新美術館で開催中の「モダン・アート,アメリカン」展に対して
「いささか物足りぬなぁ」と不遜なことを申しましたけれど、
先にエドワード・ホッパー 、そしてここでジョージア・オキーフに触れることになるのですから、
結果的には思うところの多い展覧会であったと言うべきでありましょうかね。


「モダン・アート,アメリカン」展@国立新美術館


さて、ジョージア・オキーフでありますけれど、
やはり本展のフライヤーにあしらわれた作品「葉のかたち」(1924年)が目玉ということになるのでしょうか。


さりながら、個人的にはもう一枚の葉っぱの絵、

「白地に暗褐色の大きな葉」(1925年)の方にビビっと来ましたですね。
これを見て、また「葉のかたち」の方に戻って見るというふうでもありました。


ジョージア・オキーフ「白地に暗褐色の大きな葉」


それにしても4点出ていたオキーフ作品の中で、「葉のかたち」はフライヤーに取り上げられ、

一方で「ランチョス教会、No.2、ニューメキシコ」は確かNHK-TV「新日曜美術館」のアートシーンで

クローズアップされていたのではないかと思いますが、個人的にあれこれ思う素材となったのは、

これらと違う2点というのはひねくれ者であることの現われかも。


それはともかく「白地に暗褐色の大きな葉」でありますけれど、
肉感的もいえる「生」を感じさせる葉を描きながら、

見る者の脳裏には「これがやがて朽ちていくのだなぁ…」という意識を呼び覚ますのはどうしたことでしょう。


昔からの静物画のヴァニタスでは、時の移ろいによって

誰にも何物にも容赦なく迫り来る儚さを象徴するあれこれが描き出されてきましたけれど、

確かに植物はそうしたものの一つでありました。


とはいえ、ヴァニタス作品というのは寓意が伝わるようにしてあるものでしょうけれど、
オキーフの「白地に暗褐色の大きな葉」は同じような寓意を明らかな視覚性を伴って

放射しているようには思われません。


たぶん本作を印刷物で見たのであれば、

「あ、葉っぱだな」くらいにしか思わなかったのではと考えると、
実物を見ることで伝わる何かしらがあるものだと改めて思ったのでありますよ。


でもって、この隠された(というより勝手な妄想かもですが)、

つまり直接的には描かれていない「朽ちていくであろうイメージ」を想起させる点で、
予め破れが描かれてすでに完全性が失われている「葉のかたち」よりも

強く印象に残ったのかなと理解しておる次第。


「葉のかたち」が1924年の作で、「白地に暗褐色の大きな葉」の方が1925年作。

一年の違いでの変化、勝手な思いで言えば進化というか、深化というか、

作品を見比べる楽しみもまた呼び覚ましてもらえたなぁと思うのでありました。

開催されることを知ったときから「これは!」と楽しみにしていた展覧会。
公開されたばかりの頃には逸る気持ちを抑えつつも、出かけた方々の記事を拝見しては
弥増す期待を膨らませておりましたんですね。そして、ようやっと出かけた国立新美術館。
「モダン・アート,アメリカン」展を見てまいりました。


「モダン・アート,アメリカン」展@国立新美術館


のっけから何ですが、じらしが効きすぎたのか、どうやら期待が華々しく過度なものになっていたようで、
「う~む、もひとつもの足りない…」と思ってしまったという。
まあ、贅沢に過ぎる望みなのか、無いモノねだりといいますか…。


館内は平日夕刻とあってか、さほどの混雑も無く見て廻るにはほどよい環境。
何となく薄めの空気感からして「う~ん、あめりかぁん!?」でありました。


これまでおよそ目にも耳にもする機会のなかった作家たちの作品に接する
「新鮮さ」もまたアメリカンな印象(?)でありましたけれど、
19世紀末から20世紀が進んでいくにつれ、所謂アート・シーンにおけるアメリカの比重の高まりが
この会場に集った作家たちを通じてなされていったのだなと思ったりもしたわけです。


ただ取り分け印象的な作品はと言えば、月並みな選択であるとは承知の上ですが、
やはりエドワード・ホッパーとジョージア・オキーフになるのではなかろうかと。

今回の展示作が両者の代表作とは言えないであろうにしてもです。


まずはホッパーですけれど、フライヤーにも使われた本展の目玉作品「日曜日」。
画中の人物のように思わず両肘を抱えてしまいたくなるほどの寂寥が肌を刺さんばかりでありますね。
ひと目でホッパーと気付く作品でありましょう。


この「日曜日」の誰もいない感は、昨年出かけたロサンゼルスのダウンタウンはバンカーヒル
ひしと感じたところでありまして、実体験的にもよくわかるような気がするわけですね。

いないんですよ、日曜日にはだぁれも。


「おーい、みんなどこへ行ったんだ。昨日まであんなに賑わっていたのに」
いささかSF的な世界にも通じる誰もいない感。

ただですね、本展のホッパー作品のもうひとつ「都会に近づく」を見ていて思ったことがあるのですよ。


エドワード・ホッパー「都会に近づく」


先の「日曜日」の人物のようにだぁれもいない中でたったひとりの存在となると

「孤独」という言葉が思いつきますけれど、「都会に近づく」の方はそれこそ人間はひとりも描かれていない。


こうした画面は、例えば岡鹿之助 作品なんかでもそうですが、
誰もいないことからくる静謐感や時が止まったような感覚を得るところでして、
無人であることにシュールさを感じたり。


一方でホッパー作品の方はといえば、「誰もみえないけれど、誰かいる」感があるのですね。
(この感じは、以前
ユトリロ に感じたことがあります)
こうなると「孤独」という言葉よりは「孤立」という言葉が似合うような気がします。

(といいつう、かつてのホッパー探究 の折には「孤独」と言ってますけれど…)


現実世界では人里離れた山に分け入ったようなときに

ふと「孤独感」を抱くてなことはあるでしょうけれど、それは「孤立感」とは違う。


先の「日曜日」の方は「孤立感を抱えていようなぁ、きっと」という人を描きこんでいるので、
見ている側共振するだけですけれど、「都会に近づく」の方はどうでしょう。


人間の姿は見えども背景のビルの中には「きっと誰かいるはず」とも思え、
トンネルから現れるはずの地下鉄(?)には「きっと誰か乗ってるはず」なのに電車は姿を現さない。
ふと気付けば、孤立感を抱いているのは見ている当人に他ならないことになってきますね。
都会の寂寥をひしと受け止めてしまったような…。


ホッパーはアメリカの画家であって、そしてアメリカを描いているわけで、
それを見るアメリカの方々の心に兆すものを予めイメージしていたかもしれない反面、
彼の地を離れた場所でおそらくはメンタリティーが必ずしも同じでない者が見て、
かような思いに至るのはホッパーの描く都会の寂寥が普遍的である故でありましょうか。


というところで、もう一人、ジョージア・オキーフにも触れようと思っていたのですけれど、
長くなってしまいましたので、そちらは次の機会にということで。

このところ「文体」がどうのこうのという小説を続けて読んでいたものですから、
もそっと娯楽的要素の強いお話を読んでみるかと思ったのですね。


そこで近くの図書館で物色したところ、「お!懐かしいじゃん」と手に取った一冊。
懐かしいのその本そのものではなくして、タイトルに付けられた人物の名の方。
タイトルはといえば、「ノストラダムス 封印された予言詩」というものであります。


ノストラダムス 封印された予言詩〈上〉 (新潮文庫)/マリオ レディング ノストラダムス 封印された予言詩〈下〉 (新潮文庫)/マリオ レディング


それにしても「ノストラダムスの大予言」なる本が一大ベストセラーになったのは
いつ頃のことでしたですかねえ。出た頃に読みましたですよ。
「1999年の7の月、恐怖の大王が空から降ってくる」とか何とか。


予言が当たってるかどうかよりも、人間の足が生えてる(ように見える?)魚の写真が載っていて、
えらく気味が悪く夢見の悪い思いをしたことを覚えておりますです、はい。


「大予言」はその後映画になったりしましたけれど見るでもなく、
「2」とか「3」とかそれ以上も続刊があったようですけれど読むでもなく、
ほんの束の間の興味であったなぁと。

ですから、考えてみればブームであったという社会現象を懐かしく思ったのかもですね。


ところで、ノストラダムスという人は実在の人物でありますけれど、
どうやら予言詩を1000篇残したはずながら、942篇しか見つかっていない。


この部分までは本当のことのようでして、
では残りの58篇はいったいどうなってしまったのか?


と、このあたりに想像を逞しく膨らませてみたくなるのも無理からぬ話ではなかろうかと。

ただ、最初は「古書の来歴 」のような展開が望めるのかなと思ったんですが、
どちらかと言うと「偽りの書 」寄りで、も少し突っ込んでいうと単なる冒険小説の域を出ないというか。

(映画で喩えるのもなんですが、例えば「ロマンシング・ストーン」とか…)


つまりは主人公がある物を探して歩き、その物を廻ってやっかいなことに巻き込まれ、
いったい「ブツ」は見つかるのか、苦難を免れることはできるのか…ということが主眼であって、
「ブツ」はといえば「珍しいものなら、何でもいっか」的なところがあるかもしれません。


それに結末がおそらくは誰にも消化不良感を残すところであって、
それもそのはず(訳者あとがきによりますと)続編があるのだとか。
こう聞いては「スターウォーズ /帝国の逆襲」を見終えたときの感覚にも陥るところでありますよ。


とまで言ってしまうと身も蓋もないかもしれませんが、
そうした本筋とは別のところに(と言ってももちろん本筋を大きく絡むように出来てますが)
本書の意味合いはあるのかもしれないですね。


それと言いますのは、ジプシーの生活習俗といったものが、
研究書、解説書の類いでは思い描けない、生き生きしたものとして伝わってくるのですよ。


この点については作者自らが「本書で描かれるジプシーの伝承、言語、風習、名前、習慣、神話は、

すべて正確に記述されている。わたしはただ、物語の便宜上、多くの異なる部族の風習をひとつに

まとめたにすぎない」とも言っておりますから、
(鵜呑みはどうかと思うものの)単なる想像の産物とはいえないのでありましょう。


以前も「ジプシー 」(その呼び方自体がどうなのかということは思うにしても)を少しばかり探究しましたけれど、
その際には分からなかった小集団ともっと大きな広域集団のようなものの関係やら、
必ずしもてんでばらばらに(思いつくままにあてもなく)移動しているのではないことやら、
今さらながらに「そうなんだぁね」というところもあったなとは思うのでありました。

柴又 まで出掛けたついでに、もそっと足を伸ばして水元公園に立ち寄ってみたのですね。
一応東京都ですが、すぐ目の前に千葉県と埼玉県が迫っているという場所であります。


広い園内を束の間のそぞろ歩きとばかりに、
ここのところぐっと冷え込みが強くなりだしてようやく葉の色づきも鮮やかになってきた様子を眺めたり、
メタセコイアの林に紛れ込んでみたり。


直に見たときには十二分に自然貧乏を満たしてくれる眺めだったんですが、
例によって携帯電話おまけ機能で撮ってみれと、今ひとつ、今ふたつ、今みっつくらいでしょうか。

ですが、たぶんきれいだったんだろうなぁと想像で補っていただくとして、
今回は多くを語らず写真をご覧くださいまし。


まずはこのような途を進んで行きました…


東山魁夷の「道」のよう…


即座に東山魁夷 の「道」を思い出したんですが、東山先生に叱られましょうかね。

さて、この道を抜けた先には…


水元公園の紅葉


水面に木々が映り込むあたり、またしても東山魁夷を思い出すところですが、

この写真では…ですよねぇ。

これも水元公園の紅葉


その場で見た時には綺麗な紅葉だったのですけれど…。

気を取り直して、メタセコイアの林に踏み込みましょう。


水元公園 メタセコイアの林


傾きかけの日差しが林に差し込んでいます。

影もながぁくなって・・・。


メタセコイアの影が長く…



でも、この林を見ていると何だかルネ・マグリット の「白紙委任状」を思い出しますね。

あれほどに深い森ではないですが。


マグリットの白紙委任状を思う…


メタセコイアの森から抜け出ても、こちらはこちらで「光の帝国」を思い出すというか。

光と陰のコントラストだけですけれど。


マグリットの光の帝国を思う…


こうしたことも初めて行った場所だから思ったことなのか…。

いやいや、たぶん行き慣れた近所の昭和記念公園にもきっとこうした光景はあるはずながら、

馴れが「見てるようで見てない」状況を生み出しているでしょうね、きっと。


見る側が新鮮な心持ちを忘れてはもったいないのだろうなあ…

と、そんなことも思ったのでありました。