国立新美術館で開催中の「モダン・アート,アメリカン」展に対して
「いささか物足りぬなぁ」と不遜なことを申しましたけれど、
先にエドワード・ホッパー
、そしてここでジョージア・オキーフに触れることになるのですから、
結果的には思うところの多い展覧会であったと言うべきでありましょうかね。
さて、ジョージア・オキーフでありますけれど、
やはり本展のフライヤーにあしらわれた作品「葉のかたち」(1924年)が目玉ということになるのでしょうか。
さりながら、個人的にはもう一枚の葉っぱの絵、
「白地に暗褐色の大きな葉」(1925年)の方にビビっと来ましたですね。
これを見て、また「葉のかたち」の方に戻って見るというふうでもありました。
それにしても4点出ていたオキーフ作品の中で、「葉のかたち」はフライヤーに取り上げられ、
一方で「ランチョス教会、No.2、ニューメキシコ」は確かNHK-TV「新日曜美術館」のアートシーンで
クローズアップされていたのではないかと思いますが、個人的にあれこれ思う素材となったのは、
これらと違う2点というのはひねくれ者であることの現われかも。
それはともかく「白地に暗褐色の大きな葉」でありますけれど、
肉感的もいえる「生」を感じさせる葉を描きながら、
見る者の脳裏には「これがやがて朽ちていくのだなぁ…」という意識を呼び覚ますのはどうしたことでしょう。
昔からの静物画のヴァニタスでは、時の移ろいによって
誰にも何物にも容赦なく迫り来る儚さを象徴するあれこれが描き出されてきましたけれど、
確かに植物はそうしたものの一つでありました。
とはいえ、ヴァニタス作品というのは寓意が伝わるようにしてあるものでしょうけれど、
オキーフの「白地に暗褐色の大きな葉」は同じような寓意を明らかな視覚性を伴って
放射しているようには思われません。
たぶん本作を印刷物で見たのであれば、
「あ、葉っぱだな」くらいにしか思わなかったのではと考えると、
実物を見ることで伝わる何かしらがあるものだと改めて思ったのでありますよ。
でもって、この隠された(というより勝手な妄想かもですが)、
つまり直接的には描かれていない「朽ちていくであろうイメージ」を想起させる点で、
予め破れが描かれてすでに完全性が失われている「葉のかたち」よりも
強く印象に残ったのかなと理解しておる次第。
「葉のかたち」が1924年の作で、「白地に暗褐色の大きな葉」の方が1925年作。
一年の違いでの変化、勝手な思いで言えば進化というか、深化というか、
作品を見比べる楽しみもまた呼び覚ましてもらえたなぁと思うのでありました。

