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日本国内の城郭を回遊してます

「もっと食べてみや~ち × 2


名古屋といえばスガキヤラーメン (以下略)」



というCM、東海地方の方なら一度は聞いたことあると思いますテレビ


スガキヤラーメンのHPはコチラ (スガキコシステムズ株式会社





先日、オフ会で「スガキヤラーメン食べたことないんです喜ぶと言ったら



「ええ!?何やってはりますの!」



「それって、大阪人がたこ焼き食べたことないっていうのと同レベルだよ」



などと驚愕されましたびっくり!{え、そこまで大ごと?!




親が「スガキヤ、美味しいと思わない」って言うもんで、


そんなの聞いてたら食べたいと思わないわけでポリポリ




そのくだりを会社で話すと


「ホントに愛知県民か!?」と驚愕され、( ̄▽ ̄;o〇(○ここでもかぃ・・・)


「確かに昔に比べりゃ、多少味落ちたかも知れんけど、いうほどマズくないぞ。


ためしに食べてみぃ」


というわけで、店舗を検索ぱそこん。




・・・・・・・kai遊録






わが町にないよ、スガキヤ。



愛知県なのに、わが町ないよ、スガキヤ。




あー、県境だから?




いやいや、隣接県どころか大阪にもありますがな。




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・・・ちゅーわけで、城攻め帰りにジャスコのフードコートによって食べることにはぁ・・・ため息




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温野菜ラーメン \420-




これが話に聞く“ラーメンフォーク”なるものですな(写真撮るの忘れた)kai遊録


東海地方の給食のスプーンに驚いたけど、それの強化版ですな!



随分前にTVで取り上げてたけど、受け取ったとき面食らったですよ(ラーメンだけに顔あせる



ラーメンをスプーンで食べるのに抵抗あって、割り箸ないか探したけど見当たらなかったさふりむきひよこ




ではでは、いただきまーすラーメン


やっぱスプーンというかフォーク(?)でラーメンは食べにくいよーくまった…{慣れなんかな?



ラーメン通じゃないからお味については細かく書けないけど、コシはないですね。


小谷攻めレポも残すとこあとわずか!


(前回は コチラ



六坊のさきは“月所丸”“清水谷”“大嶽城”の分岐点


ここでNHK大津さんとはお別れごあいさつ{お疲れ様でした~!




私たちは“月所丸”へ向かいますトコトコ


その道ですが―――



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一歩踏み外せば尾根で滑り台仕様でございますジェットコースター 顔文字あせる



土砂崩れや倒木で月所丸へ行けなくなりそうでとても心配です。


というのもこの月所丸も見所がたくさんあるのですサーチcheck-or






この日、散々探したけど、お目にかかれなかった竪堀ビックリマーク



(清水谷の竪堀はこのあとの帰り道です)



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竪堀

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(加筆)



 

続いて、後北条氏の城でよく見られる畝堀!!


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(間違っている可能性大)




出丸のレポで紹介したように(詳細はコチラ )ここは朝倉氏が築いたという説があります。



畝堀は小谷城ではこの月所丸でしか見られないのに対し、


朝倉氏の居城 一乗谷城では多数見られるそうです星に願いを{見たい





続いて二重堀切!



・・・・といいたいところなのですが、ここで日没時間となりましたので、


ここで泣く泣く下城しました泣く




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次回、大嶽城や福寿丸などと一緒にリベンジしたいと思います。



ただ、清水谷を延々と登ってくるのは謹んでお断り申し上げますNG


遺構がない(屋敷跡郡があるけど)ひたすら階段の登山は身に応えます故。


下山でも辛かったもの・・・。ガックリ・・・{まだー?麓まだー??



竪堀や水ノ手は京極丸のレポで紹介しましたので端折ります(詳細はコチラ



丸子岩とかいろんな岩があったけど、大きすぎてコンデジでは収まらなかったので(ry



屋敷郡はだだっ広い草むらでしたので(ry エヘヘ♪あせる



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大野土佐守屋敷の石垣              御屋敷跡


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追手道(金吾丸へ繋がる)             追手道からみた清水谷への道と大嶽城




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小谷寺



詳しい場所が分からなかったので、行きませんでしたが


小谷寺の裏山(?)に浅井長政さんのお墓があるようです。





清水谷以降カナリ端折りましたが、これにて小谷城レポ終了しまーすEND



ですが、城ガール隊のスピンオフ近江攻めはまだまだ続きますよいぇ~い!





番外:

米原駅の近くにある“大谷吉継さんの首塚”に寄り道しました。


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説明版



数年前までは畑の片隅に塚がポツーンと置いてあっただけだったそうですが、


いまはキレイに整備されていますアーメン


(お墓の類になるので写真掲載は省略します)





参拝していたら、地元の方が話しかけてくださって、


なんと!祠の扉を開けてくださいました顔


ホント近江のかたは親切な方ばかりです~♪




この後、宿泊メンバーの楽しそうな飲み会のツイートを羨ましく眺めながら帰路につきました(=´;ω;`=)ニャン・・

ようやっと終盤に差し掛かりました、小谷攻め行きまーす!


(前回はコチラ)




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小丸


浅井長政のお父さん 浅井久政が自害したところなのですが、供養塔がないです!!


Wikiペディアによると、小谷城内にお墓があるとのことなんですが、


清水谷の屋敷跡にあった石塔群のことかな?


どれが誰のかサッパリわからなかったです・・・・Me





小丸から山王丸へ行く道には石がゴロゴロと転がっています。


これは自然崩壊ではなく、秀吉が二度と使えないようにと壊した“破城”の跡です。




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山王丸の石垣                     本丸の石垣


同じ城の石垣でも本丸の石垣とは大きさが随分違いますね!aya





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大石垣


【大石垣 説明版 要約】


小谷城で最も壮大な石垣


「本丸を上回る規模で高さ約5m

京極丸の土塁といい、やはり小谷城は東側から攻められることを推定しているようですねなるほど




【山王丸 説明版 要約】


「標高約400mの小谷城の詰の丸」


「南に馬出を配し、鎌刃城と同形態の石垣で固められた虎口を二重に備える」


「小谷城跡絵図には山王丸から清水谷に向けて絡め手道が描かれている」

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現地案内板                      馬出




これも馬出なの?」という心境でしたえーっ


どっちかというと出丸”じゃないのかなと・・・。



馬出っていうと『土橋があって、空堀があって、土塁があって』の構造ですが、


ご覧のとおり、小谷城の馬出は土橋がありませんチエッ(石蹴り)



え?「フツー『空堀がありません』っていうでしょ」って?


細かいことは気にしちゃダメです(笑)






【六坊 案内板 要約】


「領国内にあった6つの有力寺院の出張所」



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六坊の石垣



ここはあまり手入れされていませんでした(^^;)