ようやっと終盤に差し掛かりました、小谷攻め行きまーす!
(前回はコチラ)
小丸
浅井長政のお父さん 浅井久政が自害したところなのですが、供養塔がないです![]()
Wikiペディアによると、小谷城内にお墓があるとのことなんですが、
清水谷の屋敷跡にあった石塔群のことかな?
どれが誰のかサッパリわからなかったです・・・・
小丸から山王丸へ行く道には石がゴロゴロと転がっています。
これは自然崩壊ではなく、秀吉が二度と使えないようにと壊した“破城”の跡です。
山王丸の石垣 本丸の石垣
同じ城の石垣でも本丸の石垣とは大きさが随分違いますね!
大石垣
【大石垣 説明版 要約】
「小谷城で最も壮大な石垣」
「本丸を上回る規模で高さ約5m」
京極丸の土塁といい、やはり小谷城は東側から攻められることを推定しているようですね
【山王丸 説明版 要約】
「標高約400mの小谷城の詰の丸」
「南に馬出を配し、鎌刃城と同形態の石垣で固められた虎口を二重に備える」
「小谷城跡絵図には山王丸から清水谷に向けて絡め手道が描かれている」

現地案内板 馬出
「これも馬出なの?」という心境でした
どっちかというと“出丸”じゃないのかなと・・・。
馬出っていうと『土橋があって、空堀があって、土塁があって』の構造ですが、
ご覧のとおり、小谷城の馬出は土橋がありません![]()
え?「フツー『空堀がありません』っていうでしょ」って?
細かいことは気にしちゃダメです(笑)
【六坊 案内板 要約】
「領国内にあった6つの有力寺院の出張所」
ここはあまり手入れされていませんでした(^^;)





