5/31(木)の小谷攻めレポ行きまーす!
(前回 小谷城①はコチラ )
では、いざ出陣!
番所までは車でいけるらしいですが、
今回は出丸と金吾丸も見たいので、麓から歩きます!
出丸への登城口
はい、のっけから藪~
やはりこの時期は山城はシーズンオフなんですよね
それともここから登っていく人はあまりいないのでしょうか?
登り始めて10分ほどで出丸に到着~。
が、このわずか10分でハチ(クマバチ?)に歓迎されました
立ち往生してる私たちの後から「先、行ってます」と取材の方の3名 {えええー
下の出の丸 (たぶんこんなカンジ)
木や草が伸びていたり、土嚢で補強(補修?)されていましたが、
ちゃんと三方向に土塁が築かれているのが確認できました!
説明版によると、
「“月所丸”と共通の土塁があり朝倉氏の救援によって築かれた可能性が高い」
とのことですが、言い換えれば他の曲輪の土塁とは違うってことですよね?
何がどういう風に違うのでしょう?
ちなみに月所丸は城の最奥にある曲輪です。
ここから次の金吾丸までが長いのなんの。
遺構がまったくない、ただ歩くだけの登山は精神的にも肉体的にも疲れます
関ヶ原の戦いの西軍が好きな方たちは、この曲輪の名前だけでも嫌悪感を覚えるとか(笑)
(小早川秀秋・・・通称:金吾)
ようやっと石碑についても、上までの階段がまた長くて、曲輪4段分。
そして、苦労して登ってきたその報酬が――――
金吾丸(虎口・・・のはず)
藪
でも絵図には土塁の虎口が描かれています。
途中の土塁は登るのに必死で、まったく見ていませんが、
四段目をよーーーーーーーく見ると、それらしいものが見られました。
おそらく本当の虎口はもう少し左で、
現在の道は土塁を切って造った道(画像の緑の点線)ではないかと思います。
リベンジ時にぜひ確認したいです。
では今回はこの辺で~
次回はコチラ