5/31(木)の城ガール隊の小谷攻めレポ行きまーす!
(前回 小谷城②はコチラ )

“金吾丸”を下ると“番所”に到着~!
ちなみに番所の通りに熊出没時に逃げ込む車がありました{これがウワサの・・・
番所
現地案内板
創造図には通路のすぐ脇に石垣(土塁かも?)があるのですが、すっかり取り払われ、
また説明版には「北に石垣」と書いてありますが、石はほとんどなかったです。
秀吉さんが長浜城に持って行っちゃったのかな?
現代の状態ではとてもそうは思えませんが、絵図の上部の虎口が大手道だったそうです。
【虎ヶ谷道の説明版要約】
「虎ヶ谷道は清水道から番所跡へ通じる道」
「大手道の可能性がある」
ですが現在、虎ヶ谷道は通行不可です。
番所からお茶屋へ向かう途中、信長軍が布陣した“虎御前山”が見えます。
信長軍はこの虎午前山から横山城まで要害を築いたとのことですが、
直線距離にして約8kmもあります。
要害というと壁で覆われているイメージなんですけど、
石垣のガチガチな要塞ではなく、幔幕や垣盾を設置したということでしょうか?
【お茶屋 説明版要約】
「L字の土塁がある」
「小規模の御殿があったと思われる」
「お茶屋という風雅な名前に似つかない軍事施設」
庭の跡?
防御施設といいつつ、御殿があって庭があったってことは、
番所を通したお客さんの待合室だったとか?
櫓台とか腰曲輪とか案内板に描かれているものを探っていたら、
ディレクターさんに「何かあるんですか?」と質問されました(笑)
見つけたからといって「ここが弱いから曲輪が設けてある」とかの考察はできないんですけど、
描かれている遺構が残ってて「これがそうだな」って判別できるだけで嬉しいです☆
そして大勢だといろんな想像や意見が聞けるので、楽しいし勉強になります
【御馬屋の説明版要約】
「名称のとおり馬屋があったかどうかは意見が分かれる」
「馬洗池は実際に馬を洗った池ではなく、上の曲輪を守るための水堀」
御馬屋 説明版(想像画) 馬洗池
水堀とのことですが、横矢のほうにはなくて、
横矢を掛けられる側だけにあるというのは防御上おかしいのでは?
麓で借りてきた杖でツンツンしてみたところ、馬洗池内の土は柔らかかったです。
雨が降ったあとにきたら、水が溜まっているかもしれません
御馬屋
(加筆)
加筆せずとも分かるくらい、くっきりした土塁で高さは1.5mくらいです。
木を伐採して整備されているようですが、遊び心が見えますね
(ところどころ木が椅子になっている)
大嶽(おおずく)は標高495mで、小谷城で一番の高いところにあります。
浅井長政さんのおじーちゃん、浅井亮政さんが築城した説と
朝倉氏が築城したとの説があるようです。
しっかし、ここまでそこそこ登ってきたのですが、それでも高いですね
こちらまで行く予定だったのですが、
各曲輪をじっくり見たため、タイムオーバーになってしまいました
では今回はこの辺で~
次回 本丸はコチラ