ここ2~3日の日記にコメントくださった方、返信が滞ってましてスミマセン。
旅先からスマホで返信しようとしたのですが、何回も強制終了になってしまいました。
今日中にコメントしますので、見てやってください
小谷城攻めレポ行きまーす!
(前回はコチラ )
御馬屋のすぐ脇に“首据石”がありますが、
お墓の類になるので、写真掲載は端折ります。
【首据石の説明版 要約】
「初代 浅井亮政が敵方に内通していた家臣の首をさらした石」
このときだけなんですかね、首を据えたのって
ドラマでよく出てくるルミノール反応液を使ったら、青く光るかなぁ?
この脇の道を行くと“赤尾屋敷”です。
家臣団屋敷は清水谷にあるのに、赤尾清綱さんだけ城内にあるんですね。
そしてここが浅井長政自刃の地であります
ググってみたところ、赤尾さんは浅井三将のひとりで赤尾城の城主とのこと。
他2名の雨森清貞さん(あめもり きよさだ)と海北綱親(かいほう つなちか)さんの
屋敷跡(の看板)は清水谷にも見当たりませんでした。
奥の腰曲輪はみつけたのですが、虎口は手前だったのか~
腰曲輪
黒金門
ここは通らなかったので、門の礎石を確認するの忘れていました。
「ここを通らずに、どこを通って大広間に行ったんだ?」
そんな声が聞こえてきそうな、聞こえてこなさそうな・・・
大広間 説明版(加筆)
図の竪堀を見たくて帯曲輪沿いに歩いていたら、大広間に突入していました
帯曲輪に下りる道があってもよさそうなんですけど、見当たらなかったです
帯曲輪
城址碑
次回はコチラ