小谷攻めレポ、行きまーす!(前回はコチラ
)
いよいよ、本丸です
【本丸の説明版 要約】
「東西の石垣の下には土塁が築かれ、敵が側面に回れない構造」
「彦根城の西ノ丸の三重櫓は小谷城の天守と伝わる」
思わず「うっそだー」と呟いてしまいました
だって想像画に描かれている天守、二層じゃん。
wikiペディアにも「二層の天守が推定される」って書いてあったし。
まあ「伝わる」ですからねー・・・(´ε`;)
本丸の石垣
本丸の石垣大きさ比較(彼女は確か162cm) 本丸(二段構造)
竪土塁
竪土塁ですが、裾部分は石塁になっていました
本丸側から石が見えないのは埋もれてしまったのかな。
想像図ではこれら一帯が石垣で描かれてるけど、ご覧のとおりの土です。
崩壊したにしても、石を持って行ったにしても
こんなピンポイントで残すのは不自然だから、実際は本丸の南側だけ石垣だったんじゃないかな?
やや石垣が斜面を登っているので、崩れた“登り石垣”かと思いましたが、
あれは、秀吉の朝鮮出兵時(1592年~)に考案されたものなので違うそうです。
(登り石垣は国内では伊予松山城、洲本城、彦根城の限られた城でしか見られません)
追記:読者さまよりご指摘いただきました。
「登り石垣は九州豊前の長岩城というところにもある」そうです。
(syunpasturyoku1号さん、情報&ご指摘ありがとうございました)
桜馬場からずーーっと続いている帯曲輪は“御局屋敷跡”
【(竪土塁脇にある)御局屋敷跡 説明版要約】
「本丸を守るための曲輪」
「竪堀が何本が配置されている」
※御局屋敷跡に降りる道は整備されてませんので、
降りる場合は十分気をつけてください。
帯曲輪全体を御局屋敷跡でくくられていますが、屋敷があったのはこの一角でしょうね。
籠城時の女性たちの屋敷といったカンジだと思います
で。
「こんなにくっきり描かれた竪堀なら遺ってないの?」ってことで
また例のごとく竪堀を探して、尾根を伝い歩きました
想像図にあるような、明確な竪堀は見当たらなくて、
「それらしいかな~?」っていうのがコレ。
竪堀っていうより、両脇が盛り上がってる感じですが・・・。
※マネしないことをオススメします。
こんな危険を冒さずとも、素晴らしい遺構を見られますよ
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