小谷城⑤~本丸・御局屋敷跡~『城ガール隊 スピンオフ 近江攻め』 | kai遊録

kai遊録

日本国内の城郭を回遊してます



小谷攻めレポ、行きまーす!(前回はコチラ

いよいよ、本丸ですaya



kai遊録



【本丸の説明版 要約】



「東西の石垣の下には土塁が築かれ、敵が側面に回れない構造」



彦根城の西ノ丸の三重櫓は小谷城の天守と伝わる





思わず「うっそだー」と呟いてしまいましたaya



だって想像画に描かれている天守、二層じゃん。


wikiペディアにも「二層の天守が推定される」って書いてあったし。



まあ「伝わる」ですからねー・・・(´ε`;)



kai遊録

本丸の石垣




kai遊録   kai遊録
本丸の石垣大きさ比較(彼女は確か162cm)   本丸(二段構造)





kai遊録

竪土塁




kai遊録
竪土塁(大堀切側からみる)



竪土塁ですが、裾部分は石塁になっていましたおおーっ!!



本丸側から石が見えないのは埋もれてしまったのかな。



想像図ではこれら一帯が石垣で描かれてるけど、ご覧のとおりのです。



崩壊したにしても、石を持って行ったにしても


こんなピンポイントで残すのは不自然だから、実際は本丸の南側だけ石垣だったんじゃないかな?考える





やや石垣が斜面を登っているので、崩れた“登り石垣”かと思いましたが、


あれは、秀吉の朝鮮出兵時(1592年~)に考案されたものなので違うそうです。


(登り石垣は国内では伊予松山城、洲本城、彦根城の限られた城でしか見られません)




追記:読者さまよりご指摘いただきました。


「登り石垣は九州豊前の長岩城というところにもある」そうです。


(syunpasturyoku1号さん、情報&ご指摘ありがとうございましたaya







桜馬場からずーーっと続いている帯曲輪は“御局屋敷跡”



【(竪土塁脇にある)御局屋敷跡 説明版要約】


「本丸を守るための曲輪」


竪堀が何本が配置されている」




御局屋敷跡に降りる道は整備されてませんので、


降りる場合は十分気をつけてください




kai遊録  kai遊録
屋敷跡内にある説明板              同 石碑


kai遊録
御局屋敷跡




帯曲輪全体を御局屋敷跡でくくられていますが、屋敷があったのはこの一角でしょうね。


籠城時の女性たちの屋敷といったカンジだと思いますンー



kai遊録


で。


「こんなにくっきり描かれた竪堀なら遺ってないの?」ってことで


また例のごとく竪堀を探して、尾根を伝い歩きましたエヘあせる




想像図にあるような、明確な竪堀は見当たらなくて、


「それらしいかな~?」っていうのがコレ。




kai遊録 kai遊録
竪堀?

竪堀っていうより、両脇が盛り上がってる感じですが・・・。…(汗)






マネしないことをオススメします。×


こんな危険を冒さずとも、素晴らしい遺構を見られますようしし♪





次回 大堀切はコチラ