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【旅行】たみトラベル Vol.4 謎を呼ぶ古代のミステリー。ペルーの「ナスカの地上絵」を散策!②

プログラミング情報まとめサイト「プロマリ」を更新しました。新しい情報収集をしたい皆様、プログラミング学習者、エンジニアの方ご参考にされて下さい。

 

引き続き、謎を呼ぶペルー古代の「ナスカの地上絵」のバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら

 

オアシスとして知られる「ワカチナ(Huacachina)」でバケーションを楽しんだ後は、ナスカの地上絵に行く前にペルー南部・海岸砂漠地域にある「迷子たちの渓谷(Canon de los Perdidos)」に立ち寄りましょう。

出典:2 enRuta


この渓谷は、イカの街から70キロ、サンティアゴ地区の南西にあるモンテグランデに位置していて、深さ200メートル、全長5メートルもの浸食された美しい谷が続いています。名前の由来は、この渓谷にたどり着く為に迷子になった人たちにちなんでいるとのことです。イカ川に流れ込むセコ川の浸食によって形成された渓谷で、2011年に発見されました。渓谷の真ん中にはラグーンがあります。この渓谷にはハゲタカが頻繁に出没するそうです。


出典:Toto Nuñez

いよいよ「ナスカ(Nasca)」に到着致しました。地上絵で有名なナスカは、ペルーの南部砂漠地帯イカ県にある人口3万人程の町です。紀元400年頃に潰えたナスカ文明の首都が築かれていたあたりに建てられた古い町で、ナスカはペルーの首都、リマから南に444km離れています。長距離バスで6~8時間(Cruz del SurとOltursaのバスがイカとパラカスを経由して運行)といったところです。

 

ナスカはナスカ文化が栄えた場所としても知られ、文化圏としてはピスコからアレキパにいたる範囲だったと推測されます。ナスカは海岸部からも遠く、経済活動としては農業が主だったと考えられています。しかし乾燥しきったこの地では、近くを流れる川も年40日のみ水をたたえるだけ、また地下水脈も深さ4~5mの場所にあり、潅漑に利用するのは難しかったといわれています。それを解決するのが、遺跡として発見されている用水路です。常に水を得るために作られた、技術的にも高い建造物と言われています。これによりナスカでは、トウモロコシ、豆、かぼちゃなどの野菜を栽培することが出来たようです。

 

ナスカの地上絵を見る前に「アントニーニ考古学博物館(Museo Arqueológico Antonini)」へ行ってみます。


出典:Aníbal Clemente

アントニーニ考古学博物館は、イタリアの考古学者ジュゼッペ・オレフィチ博士(Giuseppe Orefici)が担当するCentro Italiano Studi e Ricerche Archeologiche Precolombiane (CISRAP)によって運営されており、1982年以降、ペルーのナスカにあるナスカ時代の都市遺跡「カワチ(Cahuachi)」の儀式中心地やナスカ川渓谷の他の重要な遺跡で行われてきた「ナスカ・プロジェクト」による考古学調査の成果をもとに、ナスカ地域の考古学的遺産を保存・研究しています。この博物館にはカワチ神殿で見つかったナスカの人々の頭部が展示されています。ジュゼッペ・オレフィチ博士は、「頭というものが非常に重要なものと考えられていた。当時のナスカの人々にとって最も重要なものを神に捧げるという意味で頭が使われていた」と話しています。特に若い男性の首が生贄として捧げられたと考えられています。

ナスカのことを語りだすと、それこそブログで紹介できないくらいボリュームがありますので、まずはセスナによる遊覧飛行でナスカの地上絵を見たいと思います。町から10分ほどにあるバスターミナルほどの小さなナスカ空港からセスナでフライト致します。


出典:Viator Travel

ナスカの地上絵が見えてきました。ナスカの地上絵は長い間知られずにいましたが、1926年に、この地域の上空を飛んだパイロットによって発見されました。1941年にアメリカ、ロングアイランド大学の歴史学者ポール・コソックが古代の灌漑システムを調査するため、この地を訪れ、地上絵と出会いました。コソックが帰国する際、彼の研究を引きついだのが、当時リマの国立博物館で働いていたマリア・ライヘでした。マリア・ライヘは1903年、ドイツのドレスデンに生まれました。大学では数学を学び、27歳のときにペルーにやってきました。家庭教師などで生活費を稼ぎ、1937年にリマの国立博物館で働きはじめました。コソックが調査に来たとき、彼女はコソックの現地助手をつとめたのです。1946年、マリアは地上絵の調査を開始し、以後、地上絵の研究と保存に一生をささげました。マリアの研究とその著書“Mystery on the desert”によって、ナスカの地上絵は世界に知られることになりました。


出典:Visit Peru

ナスカの地上絵の多くは、紀元前200年頃~西暦700年頃のナスカ時代に描かれたと考えられています。地上絵は500㎢もの広大な範囲に点在しています。数は数千とも言われ、その全貌は未だに把握されていません。中でも、サルの絵は代表的な地上絵の一つで、横83メートル、縦70メートルです。ナスカ時代の初め頃に描かれました。サルのしっぽには豊かさを表す重要な表現があります。当時、ナスカの人たちは水が何よりも大切な乾燥した地域に暮らしていました。

 

 

多くの象徴的な絵柄のうち、最も多くみられるのはハチドリです。ハチドリはしばしば花と一緒に描かれ、花の蜜を吸っています。ハチドリは非常に象徴的な存在です。なぜならハチドリは危険にさらされると心拍数が落ちて仮死状態となり、その後再び元の活動に戻ることができるからです。ある意味ハチドリはナスカの人々にとって再生のシンボルのような存在となったのではないかとイタリアの考古学者ジュゼッペ・オレフィチ博士は考えています。


出典:Discovery UK

なぜ古代ナスカ人は上空からしか全体像を把握できないような巨大な絵を描いたのでしょうか。読者の皆様はなぜだと思いますか。これらの地上絵は空の上から眺めるためのものであり、人々が自分の目で見る必要はありませんでした。神々への儀式であり捧げものだったからです。神ともいうべき擬人化された神話的存在は土器や織物に度々描かれており、常に空を飛んでいる姿をしています。考古学者ジョニー・イスラはハチドリやサル、クモなどの絵を地上から判断するのは困難、重要なのは、人間に見せることではなく高みの存在に見てもらうことだったと考えています。


出典:Travel And Discover

紀元前200年~紀元650年頃にかけ栄えたナスカ文化の英知を今に語り継ぐ証左は、なにも地上絵だけではありません。ナスカの前身とされるパラカス期から受け継がれた色鮮やかな織物や土器もまた、5000年におよぶアンデス文明で傑出した芸術性を誇っています。パラカスはナスカの地上絵によく似た線ですが、実際にはもっと古いものです。チンチャの地上絵がナスカより前に存在したパラカスの文化に属することは明白です。ナスカの地上絵に代表される砂漠に線を引くというアイディアはパラカス時代に生まれたと考古学者チャールズ・スタニッシュは話します。


ナスカの地上絵を解くこのビデオシリーズは面白いのでご紹介します。日本語なので分かりやすいです。


出典;HISTORY公式

 

近年、ドローンを手にしたペルーの考古学者たちが、ナスカのすぐ隣のパルパで、地上からは見えない、かすかな線で描かれた地上絵を新たに50点以上発見しました。さらに、地元の人々だけに知られていた地上絵をドローンで初めて調査し、これまでにない詳細な地図を作ったんです。新たに発見された地上絵のなかには、この地域で西暦200年~700年まで栄えたナスカ文化のものもあったが、その多くはもっと古く、紀元前500年~西暦200年のパラカス文化やトパラ文化のものと考えられています。


出典;HISTORY公式

最初の地上絵の描き手パラカスの人々については、フランスとペルーの考古学者による合同の調査が行われています。有名なナスカの地上絵は、大半が上空からしか見えませんが、それより古いパラカスの地上絵は山腹に描かれていて、ふもとの村から見ることができます。二つの文化は、芸術的なテーマも違っているんです。ナスカの地上絵の多くが直線や幾何学図形であるのに対し、新たに発見されたパラカスの地上絵の多くは人間を描いているのです。地上に絵を描くために、当時の人々はナスカ台地の特徴をうまく利用しました。

 

ではどうやって何十メートルにも及ぶ大きな絵を描いたのでしょうか。これは今ではほぼ解明されています。まず元となる原図を描き、それを中心点から杭とヒモを使って拡大して行くという方法です。これは難しいようで実は簡単で、やり方さえ知っていれば小学生でもできることを、九州産業大学が日本の小学校で証明しています。


出典;HISTORY公式
 

紀元前200年以降、ナスカを中心とする文化が発展し、次第にパラカスの文化を吸収していきました。その後、ナスカもまた衰退の道を辿り始めました。この地域で水が枯渇し始めたのです。ナスカはゆっくりと進む砂漠化に直面しました。ナスカの時代には、パラカスの時代より多くの地上絵が作られました。砂漠化の進行によって水を祈願する儀式は増加したと考えられます。


出典;HISTORY公式

水を得ることは権力を得ることでした。カワチの神官たちは川から水を引いた肥沃な帯状の土地に居を構えていました。しかし、気候変動は否応なく進み、干ばつや洪水が度々起こるようになるとナスカの人々の信仰は揺らぎました。捧げものをしても成果が得られず共同体は危機に瀕し、信仰の中心地カワチは衰退し始めました。


ちょっとグダグダになっちゃいましたが、お料理コーナーへと参りましょう。本日は「タクタク(Tacu Tacu)」を。


出典:Llama Kitchen

ペルーの言葉で「混ぜまぜ」という意味のタクタク。ご飯に魚のソースで出来た豆の煮込みを混ぜて焼いたもので、上には目玉焼きがのっています。付け合わせに肉や魚介が付いていたり、ソースをかけたりと、食べ方のバリエーションが豊富です。食べやすく優しい味なので、自分でも試しに作ってみたくなるペルー料理ですね。

 

ちなみにペルーのお米はインディカ米で、長粒米。油、塩、にんにくと一緒に炊く家庭と日本と同じように水だけで炊く家庭があります。古くは中国人がペルーに入植してアジアの米文化が生まれ、さらに続けて日本人が入植して米の改良を重ね、今の食文化があるといといいます。


ナスカの地上絵のミステリーを探ったところでナスカの地上絵編はお終いです。次回は空中都市マチュピチュをご紹介します。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!①」をお届けしますのでお楽しみに!


written by たみと

【旅行】たみトラベル Vol.4 謎を呼ぶ古代のミステリー。ペルーの「ナスカの地上絵」を散策!①

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ペルーの首都リマから南へ400km、アンデス山脈と太平洋にはさまれた砂漠地帯に刻まれた巨大なナスカの地上絵。紀元前200年~紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたとされる絵は、幾何学模様あり、動植物をかたどった具象図形あり、とさまざま。大きさも数十mから数十kmに及ぶものまで、700を超す数の地上絵が確認されています。

ナスカの地上絵を見るために、まずはリマからペルー人の間では「太陽の地」として知られる「イカ州(Ica)」に向かいます。イカ州は、首都のリマからバスで5時間、ペルー南側のコスタ(海岸沿い)に位置し、21万人が住む都市です。


出典:Cities Plus

パラカス国立自然保護区ワカチナナスカの地上絵が有名で、ブドウ、アスパラガス、玉ねぎを国外に輸出しています。また、イカ県で作られるピスコ(ペルー独自のブドウ酒)やワインはペルー国内外から高品質と評価されています。

 

出典:A comer

 

ピスコ(Pisco)は、ペルー原産のぶどうを原料とした蒸留酒で、無色透明あるいは淡い琥珀色をしています。アルコール度数は約42度あり、レモン汁や卵白、シロップを加えてシェイクする国民的カクテル「ピスコサワー」をはじめ、ジンジャーエールで割る「チルカノ」として飲むことが多い蒸留酒です。そのほか、アロマティック種など香りを楽しむピスコもあり、ストレートで飲む楽しみ方も評判で、ペルーで一番国民に親しまれているお酒といって良いでしょう。


出典:V&R Producciones

イカの街に入る前に「パラカス国立自然保護区(Paracas National Reserve)」の景観を眺めておきましょう。

出典:MM Travels

パラカス国立自然保護区は、1975年にペルー政府が制定した国立自然保護区です。広さは、パラカス半島から南のアンタナ海岸までの約33万5000ヘクタール、65%の海洋エリアと35%の海岸砂漠エリアで構成されています。1992年には、世界的に重要な湿地帯及びそこに生息・生育する動植物の保全促進を目的とする国際条約「ラムサール条約」にも登録されました。イカ州に位置し、国内有数のリゾート観光地としても知られています。

 

観光客に特に人気なのは「リトル・ガラパゴス」と呼ばれる「バジェスタス島(las Islas Ballestas)」。パラカス国立自然保護区内エル・チャコ港から更にボートで30分ほどの場所にあります。

 

出典:voy&vengo

 

ボートを進めるとバジェスタス島に到着します。島を覆い尽くすような驚くような数の野生の鳥、オタリア(アシカ科)、ペンギンが生息しています。振り返るとカンデラブロ(燭台)と呼ばれる有名な地上絵を見ることができます。線の深さは約1m。砂で表面が覆われているので砂漠の上に描かれたように見えますが、実際は岩に刻まれています。傾斜地の砂丘にあり年中海風にさらされているにも関わらずはっきりと形を留めているから不思議です。また、砂丘の斜面にカンデラブロと呼ばれる地上絵がはっきりと見えます。ペルーでは、見慣れてしまうかもしれませんが、これも神秘的な謎の一つなんです。


美しい自然保護区の景観を眺めた後は、オアシスとして知られる「ワカチナ(Huacachina)」へ向かいます。


出典:Seven Cinematics

 

砂漠に突然現れるオアシスのような姿が印象的で、サンドバギーやサンドボーディング、夕陽鑑賞などを楽しめるリゾート地にもなっています。数百メートルの砂丘を利用したサンドボーディングやサンドバギーが人気。かつて、この地の姫が水浴び中に姿をのぞかれたため、水たまりを湖に変え人魚になって隠れたという人魚伝説が残されています。湖水を生活用水として利用しており、いずれ湖は消失すると言われています。

 

 

オアシスの周辺には、観光客向けホテルや飲食店、旅行代理店などが立ち並んでいます。

出典:Derik B. - Broshar's Adventure

ワカチナに来たのであればサンドボーディングも楽しみましょう。私もサンドボーディングは初めてでございます。それではLet's go。


出典:SurferToday

サンドボーディングはトボガニングとも言われ、上手に滑れば最高時速は50キロにも達するんです。途中でバランスを崩しても周りは砂なので大丈夫。日本では滅多にできない体験なので、思いきり風を切って全身で感じましょう。砂まみれになってしまいましたねあせる


サンドボーディングを楽しんだ後は「イカ考古学博物館(Regional Museum of Ica)」へ。


出典:rumpeltinchem

イカ博物館では、パラカス文化、ナスカ文化、ワリ文化の壷や楽器、織物、そしてミイラを見物することができます。ナスカ文化、紀元前200年~紀元600年)の出土品である「ルクマの壷」や外科手術跡の残る頭蓋骨なども見逃せません。

 

世界には、様々なミイラが存在しているということはすでに、知られていますね。現存する世界最古の自然にできたミイラ(自然ミイラ)はアメリカ合衆国・ネバダ州の洞窟から発見された「スピリット洞窟のミイラ」で、約1万年前のものと推定されています。ただ、最も重要なミイラは、南米大陸の太平洋沿岸地帯から中央高地にかけて存在していた古代アンデス文明のミイラです。チリ北部海岸の砂漠に住んでいたチンチョーロ族が人工ミイラづくりを始めたのは約7000年前にさかのぼります。

 

インカ帝国時代では、ミイラは社会的に重要な意味をもっていました。それを端的に示すものとして、ペルー北部の高地に位置するチャチャポヤス地方で発見されたミイラが有名です。この地方では、インカ帝国がこの地方を征服する以前から先祖の遺骨を布で包み、崖の岩棚に安置する風習がありましたが、インカ帝国の支配後に、ミイラのつくり方が変わったことがわかっています。古代アンデス文明では文字が残っていないため、ミイラの背景にある思想的・宗教的背景ははっきりとわかっていません。しかし、「遺体を保存し、生きているように訪問して敬う」という先祖崇拝の一つの在り方として理解することができます。

イカに来たのであればワイナリー巡りも楽しみましょう。1856年から伝統的な方法でワインを製造している「El Catador」へ。


出典:El Catador Ica

南米大陸のなかでも赤道に近いペルーは、南緯30度から50度のワインベルトからは大きく外れています。しかし、イカ州(Ica)やモケグア州(Moquegua)、タクナ州(Tacna)など、一部の南部の比較的涼しい土地ではブドウを栽培していて、そのブドウからワインを作っています。ちなみに、スペイン語でワインは、VINO(ビーノ)、赤ワインはVINO TINTO(ビーノティント)、白ワインはVINO BLANCO(ビーノブランコ)と言います。


続いては、ペルーのイカ州に約150haの農場を持つ、ペルー最大級のワイナリー「タカマ・ワイナリー(Tacama Winery)」へ。


出典:Jeremy Baldacchino

タカマで生産されるワインは、世界中の様々なコンクールで上位に入賞し、各国の同国大使館の公式行事やパーティーで振る舞われるペルー最高級のワインブランドとして知られています。1540年代スペイン人のFrancisco de Carabantes(フランシスコ・デ・カラバンテス)が造ったものであり、なんと南米大陸の中で最も古く歴史あるワイナリーだそうです


ワイワリー巡りをした後は、ワインに合わせるお料理をご紹介致します。本日のお料理は「サンコーチャド(Sancochado)」を。

出典:A comer

ニンジン、キャベツ、イモなどの野菜と牛肉のぺルーの煮込みスープでございます。 野菜とお肉の旨味が凝縮した滋味あふれるスープ料理で、その優しい味わいが何とも言えず、アンデスに行くとつい注文してしまうお袋の味的一品です。野菜はお店や家庭によって、トウモロコシが加わったりして、それぞれの好みで変わるようなので、スープの味もその都度楽しめます。

 

 

オススメは牛の内臓とモテ(茹でトウモロコシ)のスープ「パタス(Patasca)」や、羊の頭で出汁を取った「ソパ・デ・カベッサ・デ・コルデロ(Sopa DE Caeza De Cordero」。見た目はグロテスクですが、味は絶品。臭みはまったくなく、一口飲めば身体の芯からぽかぽかと温まります。他にも「カルド・デ・ガジーナ(Caldo De GAllina)(雌鶏出汁のスープ)」や「チュペ・ベルデ(Chupe Verde(ミルクベースの野菜スープ)」などさまざまな種類いのスープがあります。アンデスのスープはいずれも具沢山で、ボリューム満点です。

本日はナスカの地上絵を紹介する前に終わってしまいました・・・。次回こそナスカの地上絵をご紹介しますので、お待ちくださいあせる。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.4 謎を呼ぶ古代のミステリー。ペルーの「ナスカの地上絵」を散策!②」をお届けしますのでお楽しみに!


written by たみと

【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑨

プログラミング情報まとめサイト「プロマリ」を更新しました。新しい情報収集をしたい皆様、プログラミング学習者、エンジニアの方ご参考にされて下さい。

 

引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
 

チョリス(Chorrillos)」地区の美しいビーチで楽園気分を満喫した後は、Via Express Paseo de la Republicaを通って以前ご紹介したリマ旧市街の北にある「リマック(Rimac)地区」へ。

出典:Construcción Ingeniería


リマックの東側には、南米で最も有名な闘牛場であり、世界で最も有名な闘牛場の1つである「アチョ闘牛場(Plaza de Acho)」があります。それではまずその闘牛場に行ってみます。

出典:Paseillo Toros


南米最大にして最も古い闘牛場として知られ、毎年11月の「Feria del Señor de los Milagros(奇跡の主祭り)」の闘牛イベントでは国内外トップクラスの闘牛士たちがその華麗な技を競い合います。日本ではあまり知られていませんが、ペルーはラテンアメリカ有数の闘牛王国。カトリックの布教と共に各地へ広がった闘牛は、首都リマの他、アンデス地方を中心に現在も盛んに行われています。闘牛士と牡牛が命をかけて戦う伝統的なスタイルだけでなく、牡牛同士や牡牛とコンドルが戦うものなど、インカ伝来の土着信仰と融合しながら現代に受け継がれているものもあります。

出典:Plaza de toros de Acho

カタルーニャでは2010年7月に闘牛禁止法が成立、スペインでの闘牛人気は年々衰退しているようですが、ペルーではまだまだ盛ん。特にアンデス地方のフィエスタ(祭り)では欠かせない催しのひとつになっています。ペルーには日系人闘牛士もいました。1962年にアチョでデビューし、その後スペインのマドリードで活躍したリカルド・ミツヤ・ヒガです。日系人らしい彼の正確な技には定評があったという。またミツヤ氏の闘牛士としての人生を追ったドキュメンタリー映画「El Samurai Matador/サムライ・マタドール」が、2010年の国内映画コンクールで賞を受けています。


出典:AGENCIA EFE

闘牛場でお祭り気分を味わった後は、「パセオ・デ・アグアス(El Paseo de Aguas)」という公園へ行ってみましょう。

出典:Néstor René Mayma Quispe

この公園は、ペルーの首都リマ市のリマック地区にある公園で、区内でも有数の知名度をります。1770年から1776年にかけて、マヌエル・アマット・イ・ジュニェット総督によって建設されました。公園内には、メインアーチのコロニアル部分と18世紀の側壁の遺跡があります。

 

ペルーでの生活に少し触れると、一般的にペルーの治安は良くないようです。スリや強盗はかなりの頻度で発生していて、それも日本人などの外国人がその対象として狙われます。貧富の差が激しいという現実は、裕福に見えて、油断をしている者が標的にされることにつながっています。ペルーでは危険だと言われているエリアが観光地化しているため、昼間を中心に気軽に足を向ける旅行者が多くなっていますが、スリや強盗の報告は後を絶ちません。特に夜間は注意する以前に出向かないことが前提です。このバーチャルツアーではその心配もありませんが。

 

お次は「アラメダ・デ・ロス・デスカルゾス(Alameda de los Descalzos)」へ。ペルーの首都リマのリマック地区にある最も知られている大通りです。大通りの長さは450メートル。周りにはイグレシア・サンタ・リベラータ教会、エル・パトロシニオ教会、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・アンジェルス教会などがあります。


出典:Distinta Foto y Video


この大通りの先には「ロス・デスカルゾス博物館(Museo de los Descalzos)」があります。この博物館は、ペルーのリマのリマック地区にある「ロス・デスカルゾス教会・修道院」にある博物館で、16世紀から21世紀までの400年の歴史と芸術の歴史を辿ることができます。


出典:ASU Hispanic Research Center

 

ペルーはナスカ文化、シカン文化などの多くの古代文明が栄えた国です。その中でもとりわけ有名なのは15世紀に栄えたクスコを首都とするインカ帝国です。インカ帝国は当時最大級の規模を誇った帝国で、一時は北はコロンビア南部やエクアドル、南はチリ、アルゼンチン北西部まで領土を広げていました。その後、スペインの侵略によって1533年にインカ帝国は滅び、植民地化されます。南米大陸の解放運動を経て、1821年に独立し、現在は大統領制のペルー共和国となっています。そのため、ペルーでは土着の文化にスペインによってもたらされたヨーロッパの文化が加わった、南米独特の雰囲気があります。


リマック(Rimac)地区から「インデペンデンシア地区(Independencia)」に移動します。ここには超巨大モール「メガプラザ(MegaPlaza)」がございます。


出典:CC MegaPlaza Oficial

このショッピングセンターは2002年にペルーで設立。国内で最も訪問者の多いショッピングセンターの一つです。20年前は、リマ市内にショッピングセンターが3カ所しかありませんでした。現在のリマは、伝統的なマーケットから最新トレンドが集まるショッピングモールまで揃うようになりました。 97年にジョッキープラザ(Jockey Plaza)、98年にラルコマール(Larcomar)という高級ショッピングセンターのオープンを皮切りに、2015年にはリマ市内だけで25カ所にまで増えたんです。中間層の拡大から国内消費は大きく増加しており、今後もさらにショッピングモールは増えていくと思われます。

買い物天国リマでのショッピングを楽しんだ後は、本日のペルー料理をご紹介したいと思います。「カウサ・レジェーナ(Causa Rellena)」というジャガイモ料理を。


出典:zoylaM

茹でた芋を潰してマッシュにし味をつけ、それをツナやアボカドなどの具材を挟んだり包んだりしたペルーの家庭料理。 ペルーのポテトサラダみたいなもので、前菜として頂けます。

 

じゃがいもの原産地は南米アンデスからメキシコにかかる高原地帯(海抜5,000~3,000m)で、野生種は広範囲に渡って見られます。じゃがいもは紀元後500年頃から栽培され、世界遺産である空中都市マチュ・ピチュの段々畑でもじゃがいもを栽培し、インカ帝国の重要な食料源となっていました。その後、インカ帝国へ遠征を行ったスペイン人により16世紀、ヨーロッパへと広められます。しかし、当初は食べ方をよく知らなかったこともあり、食中毒を起こすなど評判が悪く、なかなか食用には浸透しませんでした。花や真っ赤な実を観賞する為の観葉植物としての栽培が主だったようです。

 

出典:Great Big Story

 

食料としての普及は、深刻な食糧飢饉に悩むドイツのフリードリヒ大王が、「じゃがいも」の生産性に目をつけて栽培を奨励することで、大きな広がりを生むこととなります。日本へは慶長3年(1598年)にオランダ人が長崎に持ち込んだのが最初で、ジャワのジャガトラ港経由(現ジャカルタ)だったため、「ジャガタラ芋」と呼ばれ、それが「じゃがいも」の由来となったと言う説や、ジャガトラ港には由来せず、当時のジャワがジャガトラと呼ばれていたから等、諸説あるそう。

 

日本においても当初は観葉植物としての色合いが濃く、食用としてなかなか普及しませんでした。じゃがいもの本格的な栽培は北海道へと移ることとなります。北海道では宝永3年(1706年)に栽培が記録されていますが、本格的な栽培は明治以降になります。北海道開拓史によって、アメリカ・ドイツ・イギリスからじゃがいもが北海道へ導入されると、高原地帯の原産であることからも伺えるように、北海道の気候・風土に適合し、大々的に栽培・定着し、今では広大なじゃがいも畑は北海道の代表的な風景とまでなっています。

 

出典:take-factory Hokkaido


ポテトチップスが食べたくなってきたところでリマの散策もお終いです。お付き合い頂きありがとうございました。いよいよナスカの地上絵をご紹介します。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.4 謎を呼ぶ古代のミステリー世界遺産ペルーの「ナスカの地上絵」を散策!①」をお届けしますのでお楽しみに!


written by たみと

【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑧

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引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
 

美術館やオシャレなレストラン、バーが立ち並ぶアーティスティックな「バランコ(Barranco)地区」を散歩した後は、バランコ地区の南にある「チョリス(Chorrillos)」地区へ。

出典:MI DIARIO DE VIAJE


チョリスは、バランコのすぐ南、太平洋岸に沿って位置しています。

 

 

リマでは街のほとんどが岩だらけの海岸線であるのに対し、このチョリス地区は砂地のため、リマの最も美しいビーチの一つとして挙げられます。ペルーは知る人ぞ知るサーフィンのメッカ。国際大会も頻繁に開催されており、何人ものペルー人プロサーファーが世界中で活躍しています。ただのんびりと甲羅干しをするもよし、積極的にマリンスポーツを楽しむもよし。漁師や土産物屋など、地元の人々との触れ合いも良いかと思います。


出典:Construcción Ingeniería

海で獲れた魚でセビチェを楽しんでも良いかもしれません。セビチェは、ペルーやメキシコなどの名物料理で魚介類のマリネでしたね。ペルー国内では特に、海産物が豊富な海岸地域(コスタ)でよく食されます。ペルー以外でもメキシコなど中南米の多くの国で食されていますが、ペルー人ほどセビチェを愛する人種はいないでしょう。


出典:Mark Wiens

セビチェで一番ポピュラーなのが「セビチェ・ミスト(ミックス・セビチェ)」で、ヒラメやタイなど白身魚やエビイカタコカイなどのシーフードをレモン汁であえ、紫タマネギやコリアンダーを加えて、アヒ(トウガラシ)を効かしたさわやかな酢の物風の一皿。必ずサツマイモが添えられていて、その甘みでアヒのピリ辛味を中和することと、ネタが新鮮な午前中からお昼過ぎまでに食するのがペルーの食文化です。


セビチェを味わった後は、アトラクションを楽しむために、チョリスの遊園地「La Granja Villa」へ。


出典:Mami Vlogs
 

ここは、家族での遠出やデートにぴったりの場所です。思う存分遊園地を満喫しましょう。遊園地の南に行くと「Paraiso del Sur」というウォーターパークがございます。ただ、ペルーには通常、決まった場所に遊園地があるのではなく、移動式の遊園地が一時的に町にやってくるのが普通のようです。


出典:Grandes Viajeros
 

滑り台のあるスイミングプール、5,000人以上の企業イベントやスポーツイベントのためのイベント会場がございます。

 

リマでは「Matsuri AELU(マツリ・アエル)」というイベントがございます。このイベントは、日系人団体が運営するスポーツ施設「Asociación Estadio La Unión(通称:AELU/アエル)」で開催されるお祭りで、毎年11月にリマで行われる日本文化週間のフィナーレを飾る、いわば目玉イベントです。日系人が主役だけあって日本のお祭りにはない催しもありますが、それはそれで異国情緒というもの。日本となんら縁のないペルー人たちにも大人気で、大勢のリマ市民がこのマツリ・アエルを楽しみにしています。

 

出典:Asian Zone Station TV

 

そして南米好きの人なら一度は聞いたことがあるであろう「インティ・ライミ(Inti Raymi)」というお祭りがペルーにございます。インティ・ライミは、この後このブログでもご紹介する予定の世界遺産都市クスコで繰り広げられる世界的に有名な祭りのことです。「インティ」とはケチュア語で「太陽」。その年の収穫を感謝し、翌年の豊作を願う祭りとして、1年のうちで昼が一番短い冬至の日に、生贄と共に太陽神へ祈りを捧げます。スペインの征服によるインカ帝国の崩壊後、太陽神を祀る事は禁止されました。一部の人たちによって秘密裏に続けられてきたというこの祭りが復活したのは、1944年になってから。それ以降、祭りの規模も毎年拡大し、今ではこの祭りを見学するために、世界中から観光客がやってくるようになりました。

 

出典:Visit Peru
 

ペルーのお祭りで盛り上がったとっころで、お料理のコーナーといきましょう。本日は「クイ・チャクタード(Cuy Chactado)」を。


出典:Aprendiendo con Vanessa


クイとはアンデスの人々が古来より家畜としている食用のモルモットのことです。少し衝撃的かもしれませんが、クイをまるごと開き、フライにしたのがクイ・チャクタードです。場所よっては、お祭りや特別な時に食べられます。

 

 

クイとは、天竺鼠(てんじくねずみ)つまりモルモットの原種に当たります。アンデス山脈の高地に生息していたクイは古来よりペルーの人達にとって貴重なタンパク源でした。野生のクイを捕獲後食べることもあるそうですが、現在はほぼ飼育されたものを食しています。一般家庭で飼っていることも多く、都市部ではあまり目にしませんが、地方ではアルファルファという植物が道端で売っている姿をよく見かけます、これはクイの餌です。牛もだいたいアルファルファの畑に放されて、この植物を食べています。

どのような味がするんでしょうね。ペルーでは特別な時に出されるということなので、出されたら食べないといけませんね・・・。本日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑨」をお届けしますのでお楽しみに!

written by たみと

【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑦

プログラミング情報まとめサイト「プロマリ」を更新しました。新しい情報収集をしたい皆様、プログラミング学習者、エンジニアの方ご参考にされて下さい。

 

引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
 

超極大ショッピングモール「ジョッキープラサ(Jockey Plaza)」でショッピングを楽しんだ後は、Avenida Circunvalación通りを南下し、サンティアゴ・デ・スルコ地区の「アミスター公園(Parque de la Amistad)」へ。

出典:2Trazos

アミスター公園は、リマで最も人気のある公園の一つです。高さ29メートルのアーチと、復元された1926年の機関車「エル・スルカニート」が公園の見所です。ここでサンティアゴ・デ・スルコ地区をご紹介致します。

出典:Construcción Ingeniería

サンティアゴ・デ・スルコ(Santiago de Surco、通称スルコ)はペルーのリマにある地区です。北はアテ・ビタルテとラ・モリーナ、東はサン・フアン・デ・ミラフローレス、西はサン・ボルハ、スルキージョ、ミラフローレス、バランコ、南はチョリージョスと国接しています。サン・ボルハやラ・モリーナに近いスルコの北部はモンテリコとチャカリヤとして知られており、地区の南側よりもかなり発展しています。

 

ペルーでは、黄色は幸運を呼ぶ色と呼ばれ、1月1日の新年の前から黄色い物が売られ始めます。そして、1月1日の新年には、家の周りにも、パンツなどの下着にも、頭の上にも黄色、黄色、黄色になります。国も違えば、文化、習慣も違うので、興味深いですね。


ここからMariscal Ramón Castilla通りを走り、バランコ(Barranco)地区へ向かいます。まずは「現代美術館(Museo de Arte Contemporáneo)」で美術を鑑賞しましょう。


出典:Coralia en Youtube

通称MACと呼ばれる2013年に設立されたこの現代美術館には、1950年以降の現代美術と現代美術の専門コレクションがあります。

出典:anthony chilquillo

 

ペルーの建築家フレデリック・クーパー・ローザが設計したモダニズムの建物で、コレクションや企画展が配置されている3つの部屋に対応する3つのメインモジュールと、水鏡を見下ろす大きな窓が島のコンセプトを際立たせています。

 

出典:Museo de Arte Contemporáneo de Lima

 

アメリカやヨーロッパなどの国に比べて美術館が少ないリマですが、街中にはアーティスティックな1面も。クラブが多く夜の時間を楽しみたいペルー人が集まる街バランコとではグラフィティアートが盛んです。街を歩いているとふと見つけて、足が止まります。


現代美術を鑑賞した後は、「ラ・トラスティエンダ(La Trastienda)」でランチを頂きましょう。


出典:La Trastienda

2016年12月にオープンしたばかりのレストラン「ラ・トラスティエンダ」は、ペルーの海を一望できる絶景が大きな特徴のひとつ。バランコのボルドマール・コスタ・ベルデにあるレストランで、美しい景色を眺めながらフュージョン料理を楽しみましょう。

 

読者の皆様は、世界の美食家の注目を集めている「ニッケイフュージョン料理」という新ジャンル料理をご存じでしょうか。これは、世界美食国ランキング1位を獲得したペルー料理と我が国日本の伝統和食とが融合した最先端料理です。ペルーで最も美食家に愛されているのが日系3世のツムラ・ミツハルシェフによるMAIDO。MAIDOはThe World's Best 50 Restaurants 2019の10位にランクインしている超有名店で、ジューシーに焼き上げた鱈を味噌とナッツで和えた料理や、ウニライス、50時間かけて作った牛ショートリブ、豆腐チーズケーキアイスクリームなど前衛的な和食とペルー料理のマリアージュが楽しめます。

 

出典:Martin's Peruvian Kitchen


バランコ地区には美味しそうなレストランが沢山あります。「Isolina Taberna Peruana」。


出典:KOcinas

世界的な美食として注目される「ペルー料理」は、2000年代に入ってから急速に進化した料理です。「世界で最も美食を楽しめる国」としてワールド・トラベル・アワードで最優秀賞を何度も受賞した美食の国としても知られています。

 

出典:Food Lover

 

ペルー料理の世界的なブームを背景に、2008年から毎年首都リマでは、ペルーの食の祭典「ミストゥーラ(Mistura)」が大々的に開かれています。

 

出典:Chef Timour

 

ミストゥーラでは、プレインカの時代からある調理法、大地に穴を掘りその中に焼けた石と肉やイモ類、豆などを入れて作る蒸し焼き料理「パチャマンカ」をはじめとし、ペルーの地方料理や、日本料理・中国料理とのフュージョン料理など、多彩な食で訪れた人を楽しませてくれています。

お腹が減って参りました。ペルーのガストロノミーツーリズムを楽しんだところで、「バランコ(Barranco)地区」を振り返りましょう。

出典:Manutravel


美術館やオシャレなレストラン、バーが立ち並ぶアーティスティックなイメージのこの地域。市内で最もロマンチックで自由奔放な街と考えられており、ペルーを代表するアーティスト、ミュージシャン、デザイナー、写真家の多くが暮らし、働いている場所です。 

出典:look a moment

 

バランコは「芸術の町」。「ペドロ・デ・オスマ博物館」の他、「現代美術博物館」や「電気博物館」、ミラフローレス区の「恋人達の公園」にある、あの恋人達の像を制作した彫刻家ビクトル・デルフィンの工房兼アトリエなどがこの小さな区に集っています。また、若き芸術家たちの発表の場となるギャラリーがいくつもあるので、散歩がてら覗いてみてもよいかもしれません。

 

街歩きを楽しみたい方はこちら。

出典:MI DIARIO DE VIAJE

あちこちにグラフィティ(壁の落書き)があります。 世界のヒップな街BEST25にリマのブランコエリアが選ばれているそうですよ。

街歩きを楽しんだところでお料理コーナー。本日のお料理は「パパ・ア・ラ・ワンカイーナ(Papa a la huancaina)」を。

出典:Sazón y Corazón

ゆでたじゃがいもにチーズを使った濃厚なソースをかけた一品です。パパ(Papa)はジャガイモのことで、ワンカヨ(Huancayo)は地名。したがって「パパ・アラワンカイナ」というのは、「ワンカヨ風ジャガイモ料理」という意味。ソースにはペルーでよく使われる黄色い唐辛子ソースのアヒ・アマリージョを少し加えられているため味わいが奥深いことで知られています。

 

ペルーは、毎年5月30日には「Dia Nacional de la Papa(全国じゃがいもの日)」というのも制定されているんです。ジャガイモのルーツにあたるアンデス原産の赤や紫色をした珍しいパパ・ナティーバの販売だけでなく、グルメスタンドも出店。カウサやパパ・レジェ―ナといった定番のジャガイモ料理に加え、ジャガイモ・カクテルやアイスクリームなんかも登場するそうです。


シンプルなじゃがいもとクリーミーなソースに舌鼓を打ったところで本日はお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑧」をお届けしますのでお楽しみに!

written by たみと

【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑥

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引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
 

ペルー国立博物館(Museo de la Nación)」でペルーの歴史を学んだ後は、「Casino Golden Palace」でカジノを楽しみましょう。

出典:Casino Golden Palace

ポーカー、ブラックジャック、バカラ、ルーレットなどの25種類以上のテーブルゲームと同様に、最新のゲーム機やスロットを楽しむことができます。

 

カジノを楽しんだ後は、ビエル・プラド・エステ通り(Av. Javier Prado Este)を進み、超極大ショッピングモール「ジョッキープラサ(Jockey Plaza)」へ。

出典:Darek Vlogs

リマにある国内最大規模のショッピングモールがこのジョッキープラザ。有名ブランドから、多くの雑貨屋さん、スイーツなどが売っているお菓子屋さんやスーパーマーケットなど、多岐にわたるショップが入っていますので、一度のショッピングで多くのショップを見比べることができます。

 

ペルーの通貨はソル(Sol)です。通貨の表記としては、S/です。2015年の12月15日までヌエボ・ソル(Nuevo Sol)という通貨で、通貨の表記はS/.だったのですが、変更になりました。ペルーでは一般的に偽札、偽金も流通していますので、注意する必要があります。最近では2015年の5ソレスという偽の小銭がたくさん流通したそう。見分けるのは難しいので、もしおつりで2015年の5ソレスの小銭を渡された際は、別のものに変えて「オトゥラ・ポル・ファボール(Otra Por Favor)」といって変えてもらうのがいいそうです。


出典:Samid Rivero

競馬好きの小生はお隣の「モンテリーコ競馬場(Hipódromo de Monterrico)」にも足を運びます。

コース左回りでダートコースは1周1800m、芝コースは1周1600m。 ダート・芝ともに1000mの直線コースがあります。開催主に木・金・土・日曜日の週4日開催されています。

出典:Monterrico TV HD - Carreras

ペルーのダービー、「ダービーナシオナル(Clasico Derby Nacional)」の様子。

出典:Turfe em Ação

すってんてんになる前に引き上げましょう・・・。

 



ここでエル・デルビ地区にある「Villa Chicken」でお食事を致します。

出典:Red TvWeb
 

ペルーは、他の中南米諸国と同じように夕食よりも昼食を重視する傾向があって、1日の中で最も重たい食事を昼食に取る傾向があります。ペルーで信じられている迷信の1つに「夜の魚は腹を壊す」という言い伝えがあります。そのため、夕食で魚を食べる人は非常に少なく、セビチェなどの魚類を取扱いしているお店は夕食の時間帯に営業をしていないことも多いんです。新鮮なお魚料理をペルーで食べたい場合には、お昼に食べるようにしましょう。


お腹を満たしたところで、「黄金博物館(Gold Museum)」へ。


出典:PeruTravelTrends

1960年代、ミゲル・ムヒカ・ガロが生涯に渡って集めた個人のコレクションを使って、サンティアゴ・デ・スルコ地区に黄金博物館を開館しました。博物館では、コロンビア以前の金、銀、銅の芸術作品がまばゆいばかりに展示されています。ペルーの金属細工師によって作られた作品は、パラカス、チャビン、ナスカ、モチェ、ワリ、ランバエケ、チムゥの文明からインカに至るまで多岐にわたります。また、世界各国のアンティーク銃器のコレクションも展示されています。    

出典:PERÚ MILENARIO

 

世界で最も親しまれている炭酸飲料といったら何を想像しますか。昔から各国で不動の人気を誇るコカ・コーラを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。けれどペルーには、なんと“インカ・コーラ”と呼ばれる黄金色のコーラが存在します。日本では聞きなれない“インカ・コーラ”は、ペルーの首都リマの建設400年を記念して、1935年にリンドレー社より発売されました。かつて南米に黄金をもたらす一大文明を築いたインカ帝国の名を冠しており、色もそれに則った通常のコーラのイメージを覆す鮮やかな黄金色です。アメリカなど一部では、別名“ゴールデンコーラ”とも呼ばれています。甘く優しい口当たりが魅力的で、ペルー料理に非常に合うそうですよ。


眩いばかりの黄金に目がくらんだところで、お料理コーナー。本日は「チュペ・デ・カマロネス(Chupe De Camarones)」というお料理を。


出典:Movistar Plus Perú


カマロンという川海老をチュペ(煮込んだ)料理。大きな海老のうまみを存分に引き出した贅沢なスープです。海老のスープというとシーフードのスープという印象ですが、本来は、アレキパという山岳地帯の名物料理で川海老を使います。ペルー料理ならでは、アンデス原産のじゃがいも、そしてアヒ・パンカという唐辛子のペーストが入るところが特徴的です。

プリプリとした川海老を頂いたところで本日はお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑦」をお届けしますのでお楽しみに!


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【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑤

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引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
 

サン・フランシスコ教会・修道院(Basílica y Convento de San Francisco de Lima)」と、「サント・ドミンゴ教会・修道院(Iglesia y Convento de Santo Domingo)」の散策を楽しんだ後は、リマ市ラ・ビクトリア区に広がる巨大繊維問屋街「Gamarra(ガマラ)」に行ってみましょう。

出典:Portal Gamarra

ペルーファッションの発信源、衣料品なら何でも揃う「ガマラ」。衣料繊維に関するありとあらゆる業種が2万件以上集まるラテンアメリカ一の衣料センター街でございます。「ペルーファッションはガマラから始まる」とさえ言われており、世界三大綿花の一つピマコットンやアルパカ毛など、ペルー原産の最高級素材を活かしたブランドも次々に生み出されています。

出典:Milagros Alegria


ベビー服からウェディングドレスまで何でも揃うガマラ通りは、左右に立ち並ぶ建物にはありとあらゆる衣料品店がひしめきあい、客を呼び込む声が絶えません。週末には何万もの買い物客が訪れるため、店の多さに戸惑うだけでなく人の波にも酔ってしまうこと間違いなし。特に独立記念日やクリスマスには1日35万人以上が訪れるため、特別な理由がない限り休日は避けたほうが無難でしょうね。

 

 

品質の高い綿やアルパカなどの繊維素材を中心に、ペルーは世界のアパレル業界から注目を集めています。繊維生産から縫製技術に至るまで、高い技術を持っているペルーには、世界の有名ファッションブランドの生産拠点が多数存在します。近年では、ペルー人デザイナーが伝統的なフォークロアスタイルと欧米のファッションを融合させ、『ペルー・モード・ファッション』という独自のファッション文化を生み出し、ペルー独自のファッションブランドも世界に進出しつつあります。


お次はアビアシオン通りを下り、サン・ファン・マシアス(San Juan Masias)地区にある「ペルー国立博物館(Museo de la Nación)」でペルーの歴史を学んでみましょう。


出典:Carlos del Álamo

ペルー国立博物館は、ペルー国立考古学・人類学・歴史学博物館と並ぶ2大重要博物館で、そのコレクションの数・規模はペルー最大です。主に、ペルーで起こった文明の歴史について、当時の本物の土器などが展示されています。紀元前2500年から現在に至るまでのペルーの歴史を学ぶことが出来る素晴らしい博物館です。

出典:konvideoful

チャビン文化の石彫刻や、インカ文明のキープと呼ばれる紐に結び目を付けて数を記述する伝達方法なども展示されています。ほかにも、プレ・インカ時代、チャビン、ナスカ、モチェ、ワリと言った様々なアンデス文明が手に取るようにわかります。

 

ペルーは古代から中世まで、険しい山岳に護られながら高度な文明を築いていきました。その文明は「アンデス文明」とも呼ばれ、今でも独特な遺跡や建物が残っています。

歴史を探索した後は、お隣の「国立大劇場(Gran Teatro Nacional)」でライブを楽しみましょう。


出典:Agencia de Noticias Andina

国立博物館や、国立図書館が並ぶこの通りは「文化の並木道」と称され、芸術やカルチャーを愛する人々が集う場所となっています。現代の音響学と建築構造学の粋を集めて建てられたこのホールは、日本とデンマークに並ぶ世界最新鋭の設備を有した劇場としても名高いことで知られます。

出典:Eva Ayllon

ペルーの歌手EVA AYLLON(エバ・アイヨン)が登場しましたので、アフロ・ペルーと呼ばれる舞踊を楽しみましょう。ペルーの人たちは、踊るのが大好き。何かというとホームパーティーを開き、記念日や誕生日はとくに盛大に祝いますが、音楽と踊りは欠かせないアイテムとなっています。特にマリネラはペルーを代表する国民的に愛されているダンスで、男女の出会いと愛する喜びを表現していて、最もエレガントなラテンダンスと言われています。

 

※写真はイメージです。

本日はハビエル・プラド・エステ通り(Av. Javier Prado Este)を渡るとある「マンダリン・レストラン(Restaurant Buffet Mandarín)」でビュッフェを楽しみます。

出典:Nuestros Clientes

最後はこの地区を空から眺めて本日のお料理コーナーへと行ってみましょう。

出典:2LC- PER

本日のペルー料理は、「ロコト・レジェーノ(Rocoto relleno)」です。ロコト・レジェ―ノは、アレキパという街の郷土料理です。

 

出典:Buenazo!

 

トウガラシの仲間である伝統野菜、ロコトの中にひき肉やチーズなどの具材を詰め、アヒを使ったソースをかけたもの。辛いものがお好きな方にはおススメしたいお料理でございます。

 

日本人からすると南米のほうの料理はなかなか馴染がなく想像が難しいですよね。実はペルーは世界的な美食大国で有名な国です。ペルー料理は世界5大料理と称され、ワールドトラベルアワード 「世界で最も美食を楽しめる国」部門にて、4年連続最優秀を獲得し、現在世界の美食家達に注目を集めている料理です。土地柄豊富な種類の食材があり、16世紀からの移民の影響で、ヨーロッパやアジア、日本も含めた様々国の食文化が融合されています。クックパッドなどでレシピも数多く紹介されていますので、皆様もご家庭でペルー料理にチャレンジしてみては如何でしょうか。

 

 

ロコトで舌がピリピリしたところで本日はお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑥」をお届けしますのでお楽しみに!


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【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!④

プログラミング情報まとめサイト「プロマリ」を更新しました。新しい情報収集をしたい皆様、プログラミング学習者、エンジニアの方ご参考にされて下さい。

 

引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
 

マヨール広場(Plaza de Armas de Lima)」と、「リマ大聖堂(Catedral de Lima)」の散策を楽しんだ後は、「サン・フランシスコ教会・修道院(Basílica y Convento de San Francisco de Lima)」へ行ってみましょう。

出典:miguel 1331


サン・フランシスコ教会・修道院は、1535年に建設された南米最古の教会・修道院です。

 

 

すらりと伸びた2棟の鐘楼とバロック様式のファサード(正面装飾)が有名なこの教会が、ユネスコの世界文化遺産に登録されたのは1988年(リマ歴史地区全体の世界遺産登録は1991年)。南米において「もっとも威厳のある教会建築」ともいわれており、その美しいメインファサードは南米で初めてマニエリスムの要素を反映し、のちに大陸の他地域でそのスタイルの基準ともなりました。教会内部は外部のルネサンス様式とは違い、ムデハル様式とバロック様式の要素が強く、エキゾチックなゴールドとブルーで装飾されています。主祭壇、側面礼拝堂、説教壇など、その傑出した美しさで訪れる人々を感嘆させています。

サン・フランシスコ教会・修道院の後は、「サント・ドミンゴ教会・修道院(Iglesia y Convento de Santo Domingo)」にも行ってみましょう。

出典:Filmaker José M.

マヨール広場から1ブロック離れた場所に位置するサント・ドミンゴ教会と修道院は、インカ帝国を侵略・征服したスペイン人により1549年に建立されました。過去の地震にも耐え、外側は、ほぼ建築当時のまま500年近くも保たれています。特に目を引くのは、スペインのセビリアに特注し、ペルーまで取り寄せた青タイルが装飾された回廊です。また、この教会の地下の墓地には、植民地時代に活躍した聖者サンタ・ロサとフライ・マルティンが祀られており、多くの人々が参拝に訪れています。

 

ペルーでは、復活祭やクリスマスといった宗教に関連する祝祭日や独立記念日には、官公庁や銀行は休みになるほか、観光客向けのお店やレストランでも営業時間が不規則になるので注意が必要です。

 

ボリバル広場(Plaza Bolívar)」にも立ち寄ってみます。

 

出典:Gromill videos

 

ボリバル広場は、ペルー議会の議場である立法宮殿に囲まれていることから、議会の広場、または異端審問の広場としても知られています。ペルーの首都リマの歴史地区のBarrios Altos地区に位置しています。集会やパレードは、広場の名前の由来である南米5カ国の解放者であるシモン・ボリバルのために、祝日の間に広場で開催されています。

 

ボリバル広場を訪れた後はショッピングを楽しみます。舌を噛みそうな「ムニシパル・グラン・マリスカル・ラモン・カスティージャ市場(Mercado Municipal Gran Mariscal Ramon Castilla)」へ。

 

出典:Andar sin Mas

ペルーには露店が多く、そこでの買い物は値段交渉ができます。ただB級品も販売されていることが多くあるので、高額な商品を購入する場合は、信頼できるお店での購入をおすすめします。

ムニシパル・グラン・マリスカル・ラモン・カスティージャ市場で食事をしたら、「チャイナタウン(Barrio Chino)」へ。リマのチャイナタウンは、リマの歴史地区を象徴するエリアで、バリオス・アルトスに位置しています。

 

出典;Edu Garcia mkt

 

この辺りは、19世紀半ばに沿岸部の農場の人手不足をカバーするために、広東省や四川省などからペルーに中国人が大量に流入したことに由来しています。今日では商業、美食、金融のエリアとなっています。日本でいう横浜中華街や長崎新地中華街って感じですね!

 

お次は、ウカヤリ通りに位置する「トーレ・タグレ宮殿(Palacio de Torre Tagle)」へ。


出典:leslie cervera

トーレ・タグレ宮殿は、ペルー独立運動の英雄であるサン・マルティン将軍がトーレ・タグレ公爵のために建てた宮殿です。ムデハル様式の美しい出窓が特徴の宮殿は、 スペイン王フェリペ5世によって爵位を与えられ、トーレ・タグレ侯爵家の祖となったJOSE BERNARDO DE TAGLE Y BRACHOにより1735年に建てられました。スペインやパナマから輸送された建材を用いて建設され、美しい木製のバルコニーが有名です。現在は外務省の本館として使われており、内部への出入りは基本的に禁止で、土日祝日のみパティオ見学が可能です。

宮殿のお隣には「聖ペテロ教会(Iglesia de San Pedro)」がございます。

出典:Claudia Arbildo

聖ペテロ教会は、1991年にユネスコの世界遺産に登録された教会です。1638年にイエズス会によって建てられたこの華やかな教会には、金箔で装飾されたバロック様式の祭壇、植民地時代の絵画、ペルー最古の鐘であるラアブエリタがあります。

リマで最初のミサが行われた記念すべき教会「ラ・メルセー教会(Iglesia de la Merced)」にも立ち寄りましょう。

出典:spanux

ラ・メルセー教会・修道院は、1660年の地震によって崩壊し、1747年までに修復完成した、白壁が印象的な教会・修道院です。搭には巨大な鐘が括り付けられ、清々しい鐘の音を辺りに響き渡らせます。入り口には、太陽と月の彫刻とひげを生やした頭の彫刻が施されています。メインの祭壇には、聖母の素晴らしい石像彫刻があり、地震だけでなく多くの火山噴火からキトを救ったといわれています。

美しいリマの旧市街。

出典:Rony Quiñones Saavedra

インカ帝国を滅ぼしたフランシス・ピサロにより1535年に築かれたリマ。ペルーの中央部、リマック川の南岸に位置し、都市計画のモデルとなったのはピサロの母国スペインのマドリードです。ペルーはスペインのコロニアル建築と、インカ時代の石組みが融合した美しい街並みが広がります。隙間なく敷き詰められた石組みは、「カミソリの刃も通さない」と称されるほど強固なんです。日本と同じようにペルーは地震大国であるため、耐震のために建築されたと言われていますよ。

 

本日は「グラン ホテル ボリバル(Gran Hotel Bolívar)」に宿泊致します。

 

出典:ENRUTA2

 

グラン ホテル ボリバルは、ペルーのリマのサンマルティン広場にある歴史あるホテルです。ペルーの著名な建築家ラファエル・マルキナによって設計されたこのホテルは、1924年に建てられ、リマに建てられた最初の大規模で近代的なホテルでした。

お料理コーナーといきましょう。本日は串焼き料理の「アンティクーチョ(Anticucho)」を。


出典:Movistar Plus Perú


牛の心臓を串焼きにした料理でございます。日本の焼鳥のハツの牛番と言えばよろしいでしょうか。インカ帝国の血を受け継ぐ国々で広く人気のある料理で、ペルー、ボリビア、チリなどでは屋台や出店(anticucherias)などで売られています。

 

ペルーでも焼鳥が食べられるんです!そうそう。日本の食卓にも馴染み深い食材、「ジャガイモ」「トマト」「トウモロコシ」はペルーが原産地なんですよ。これらは、全て、16世紀に征服者達がスペインに持ち帰り、世界に広まったたそうですよ!

本日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!⑤」をお届けしますのでお楽しみに!

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【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!③

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引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
 

ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館(通称:ラルコ博物館:Museo Larco)」でエロティック・ギャラリーを楽しんだ後は、BRT メトロポリタンを北上し、サン・イシドロ地区にある大きな公園「カンポデマルテ(El Campo de Marte)」へ。

出典:Manutravel


この公園の周りにはペルーの重要な公共機関や他国のスポーツ団体の建物があります。政治的には非常に特殊な場面で使われ、大規模なミリタリーパレードの会場となっています。

お次はカンポテマルテのお隣にある「ボログネシ広場(Plaza Bolognesi)」へ。

出典:FilmicaPeru


ボログネシ広場は、チリとの戦争中にアリカの戦いに参加した国民的英雄フランシスコ・ボロネーシ大佐にちなんで名づけられました。毎年6月7日のペルー国旗の日に祝われる国旗の式典でのみ使用されています。

広場から南へ下ると「噴水公園(El Circuito Magico del Agua)」があります。

出典:Viajes Segara


8ヘクタールの敷地内に13基の噴水があり、どの噴水もスケールが大きく、時には美しい放物線を描きます。公共施設内における噴水施設としては、世界最大規模とギネス認定もされています。水、音楽、光、画像、レーザー効果が完璧に組み合わされて調和し、ユニークで素晴らしいナイトショーを楽しめます。

噴水ショーを楽しんだ後は、ペルー独立100周年を記念して造られた「サン・マルティン広場(Plaza San Martin)」へ。

出典:Movistar Plus Perú

この広場には、名前の由来にもなっている、ペルー独立運動に大きな功績を残したサン・マルティン将軍の銅像が立っています。

 

出典:Plaza San Martín, Lima

 

ペルーは元々インカ帝国の繁栄した土地でしたが、1535年にスペインのコンキスタドーレス一行のフランシスコ・ピサロらが征服しました。そして太平洋に面したリマック川の近くにリマの街を建設していったのです。長いスペインの植民地時代がありましたが、1821年にホセデサン・マルティンがアルゼンチンから解放して独立宣言を出したんです。その旧市街の中心にあるのがこのサンマルティン広場です。

 

有名な「ジロンデラユニオン(ユニオンストリート)(Jirón de la Unión)」を歩いていきます。

 

出典:Tour Time

ヒロン・カヤパヤ通りを北東に行くと見えてくるのは「マヨール広場(Plaza de Armas de Lima)」。


出典:Municipalidad de Lima


マヨール広場は、旧市街の中心にある広場です。広場には、1651年に作られたブロンズの噴水が配置されています。16世紀に建てられたこの広場は、スペインの征服者であるフランシスコ・ピサロによって、ラテンアメリカに領土を広げるスペイン帝国の中心地になりました。ピサロが建築したリマ旧市街は碁盤状に区画が整備され、歴史建築物が立ち並んでいます。

マヨール広場のお隣には「リマ大聖堂(Catedral de Lima)」がございます。

出典:Movistar Plus Perú

リマ大聖堂は、南米随一の征服者であったフランシスコ・ピサロが自らの手で礎石を置いたと言われるペルーで最も古いカテドラルです。建てはじめた日は、リマ建都の日である1535年1月18日と同日であり、リマを知る上でとても重要なスポットです。その後完成を待たずに、フランシスコ・ピサロは仲間であったアルマグロの息子に暗殺されてしまいますが、現在ピサロの遺体はこのカテドラルに安置されています。1555年に第一段階の完成をみたあと、フランシスコ・ゴンサレス・ベルトランの設計により増築され現在の形になっています。

 

大聖堂の後は、最も古い植民地時代の家「アリアガ邸(Casa de Aliaga)」へ。

 

出典:peter lee

 

アリアガ邸は、リマの歴史的な中心部にあるコロニアル様式の建物です。建物は1536年5月の市制施行当初のものでドン・ジェロニモ・デ・アリアガ・イ・ラミレスが所有していました。1746年のリマ地震で破壊され、フアン・ホセ・アリアガ・イ・ソトマヨールによって再建されました。

 

お次は旧市街の癒し系スポット「ラ・ムラジャ公園(Parque De La Muralla)」へ。

 

出典:Manutravel

 

古代の街の城壁の一部が展示された都会の公園です。遊歩道と子供向けの汽車があります。

リマの歴史を紐解いた後には美味しいグルメを。「セビチェ(ceviche)」。


出典:The Stay At Home Chef


セビチェは、ラテンアメリカで食べられる魚介類のマリネです。ペルー料理でいちばん有名な料理だと言われます。白身魚やタコ、エビなどの魚介類と紫玉ねぎをレモン汁と香辛料を使って作られます。

ペルーの地にも慣れてきたところで本日はお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!④」をお届けしますのでお楽しみに!

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【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!②

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引き続きヨーロッパ調の美しい建造物が立ち並ぶペルーの首都リマのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。

サンミゲル地区にある「パルケ・デ・ラス・レジェンダス(Parque de las Leyendas)」動物園で動物との触れ合いを楽しんだ後は、「ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館(通称:ラルコ博物館:Museo Larco)」へ。

出典:Suchuriy

ラルコ博物館は、大手旅行ポータルサイト“トリップアドバイザー”の「世界で人気の美術館・博物館トップ25」で2018年は20位、ラテンアメリカでは堂々の第1位に輝く資産家ラファエル・ラルコ氏の個人博物館です。

 

出典:Larco Museum

 

ラルコの名を一躍有名にした「エロティック・ギャラリー(官能の間)」と呼ばれる展示室には、生や死をテーマにした芸術作品が並べられています。

出典:Museo Larco


7世紀のプレ・インカのピラミッド遺跡の上に建てられたモチェ文化の土器を中心に数万点の所蔵した博物館は、南アメリカ熱帯雨林原産の色とりどりのブーゲンビリアが白亜の壁に彩りを添えていて、建物自体も美しい。別館にある「エロティックな土器を展示したギャラリー」は、“エロティック”という表現力にどの観光客もただただ笑うしかないでしょう。

出典:Michael Grobman

性の美術を鑑賞した後は、ランチを食べに「ナルト・ジャパニーズ・フード(Naruto Japanese Food)」へ。

出典:El point culinario

日本が恋しくなった読者様にはラーメンや丼などの日本食を。オタク文化も遠いペルーの地で味わうことができますよ。

ペルー料理を味わいたい方は「エル・ボリヴァリアーノ(El Bolivariano)」へ。

出典:El Bolivariano Resturante - Bar

美味しいペルー料理を楽しめる一流の伝統的なレストランでございます。ペルー料理の伝統的な料理と魚介類を使ったコースに舌鼓を打つこと間違いなし。

ランチを味わった後は、ショッピングを。ペルー・リマの地元民がわざわざ足を運ぶ市場「マグダレーナ市場(Mercado de Magdalena)」へ行ってみましょう。

出典:Picnic

この市場は、「マグダレーナ・デル・マル(Magdalena del Mar)」という地区の中心にあります。なぜペルーの地元民がこぞってこの市場に買いに来るかというと、安い値段であまり手に入らない豊富な食材が手に入るからです。

出典:Wariqueando

市場での散策を楽しんだ後は、「Domos Art」にて「La Picante Orquesta」のラテン音楽演奏を楽しみましょう。

 

出典:La Picante Orquesta

ノリノリになったところでサン・イシドロ&ミラフローレス地区のリマ新市街へ。リマの中でも、穏やかで治安が良くてゆったりと落ち着いている新市街は、日本の休日のような時間を過ごすことが出来ます。まずは、「ワカ・ワジャマルカ(Huaca Huallamarca)」へ。

 

出典:Suchuriy

 

ワカ・ワジャマルカは、イシマ、インカ文明と長きに渡り、墓地として利用されていた古代遺跡です。博物館が併設されており、その中でピラミッドから見つかったインカ時代の壺が展示されています。続いてワカ・ワジャマルカと外観のとてもよく似た遺跡「ワカ・プクジャーナ(Huaca Pucllana)」にも行ってみましょう。

 

出典:Auquicu Drone Films - Peru

 

ワカ・プクジャーナは、紀元後から600年頃まで栄えたリマ文明の遺跡です。日干しレンガを積み上げられており、宗教的な場所だったと推測されています。遺跡からはいまだに色々な土器やミイラなどが発掘されており、リマ文明を知る上で重要なスポットになっております。

 

お次は「ラルコ・マール(Larco Mar)」へ。

 

出典:MOMENTiS Life

 

ラルコ・マールは、ミラフローレスの海岸沿いにあるレストラン、ショップなど何でも集まる観光スポット。ラルコ・マールから少し離れたところには、ローマ法王のペルー訪問に合わせて建てられた巨大な十字架が見えます。

 

ラルコ・マールから海岸沿いに北に歩いていくと、「恋人たちの公園(Parque del Amor)」があります。

 

出典:World Traveler

 

「恋人たちの公園」という名前にふさわしく、公園の真ん中に恋人が抱き合ってキスをしている巨大モニュメントがあります。夜になるとこの巨大なモニュメントはライトアップされ、とても幻想的な雰囲気を醸し出します。

 

ロマンティックな雰囲気を楽しんだ後は「天野プレコロンビアン織物博物館(Museo Textil Precolombino Amano)」へ。

 

出典:Julio Antón Villacorta

 

1964年に、リマ名誉市民にも選ばれた天野芳太郎氏によりオープンしたこの博物館。チャンカイ文化の土器や織物を8000点以上展示しており、2015年に50年目を迎え、アンデス文明に特化した織物専門博物館として生まれ変わりました。古いものでは約4500年前の素朴な編み物からはじまり、チャビン、パラカス、ナスカ、ワリ、チムー、インカ時代とその変化を知ることができるように展示されています。

 

今夜は洒落たレストランが並ぶミラ・フローレス地区にある絶景シーフードレストラン「ラ・ロサ・ナウティカ(La Rosa Nautica)」へ。

出典:EVENVIVO VIALIBRE


海岸からずっと伸びた桟橋の先にある360度見渡す限りオーシャン・ビューの絶景レストラン。2008年にはペルーを訪れた観光客が選ぶペルーのベストレストランに選ばれています。

思わずうっとりしそうですが、うっとりとするのは同じくミラ・フローレス地区にある5つ星「JWマリオット・ホテル・リマ」からの夜景を楽しんだ後に。

出典:Frank Otiniano

ペルーの首都の絶景が魅力のJWマリオット・ホテル・リマ。ペルーの首都の絶景が魅力のホテルで太平洋のドラマチックなパノラマを満喫しちゃいましょう。

 

絶景ビューでうっとりしたところで、本日のペルー料理は「ロモ・サルタード(Lomo Saltado)」を。

出典:Tastemade

ペルーの伝統的な料理の一つでレストランや定食屋などどこでも食べることができる国民食です。牛肉の細切りに玉ネギやピーマン、フライドポテトを一緒に炒めたもので、中華風の調理法、アジア系調味料を使うことで知られ、味付けに醤油が使われているため、日本人の口にとても合います。

本日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.3 ヨーロッパ調の建造物が立ち並ぶペルーの首都「リマ」を散策!③」をお届けしますのでお楽しみに!


written by たみと