【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!① | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!①

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ペルーのアンデス山脈に位置する天空の要塞都市、マチュピチュ。大航海時代のスペイン軍の侵略からも逃れた、この空中都市は、あまりの到達しにくさのためその後も発見されることはなく、1911年のアメリカ人探検者、ハイラム・ビンガムの登場まで、誰にも知られることはありませんでした。

 



その空中都市を一目見ようと、まずはリマからマチュピチュに向かう際の拠点の街となる「クスコ(Cusco)」に向かいます。移動手段は、飛行機か長距離バスの2つですが、長距離バスだと21時間。飛行機だと1.5時間でいきますので、ホルヘ・チャベス国際空港でクスコの「アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港(Alejandro Velasco Astete International Airport)」へ降りたちます。

出典:Airfares Cart


クスコは、ペルー南部の都市。アンデス山中、標高約3400メートルの高地にあります。インカ帝国の首都として栄え、太陽神の神殿跡など数多くの遺跡が残っています。1983年「クスコの市街」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。そう、街全体が世界遺産なのです。

出典:Votocek Art Company

クスコは11~12世紀頃に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えました。ケチュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、あらゆる地方から人々が集まり、まさに世界の中心地とされていました。

出典:Amazing Places on Our Planet

1533年侵略者ピサロがクスコを蹂躙、破壊しましたが、インカの石組みは崩せず、その上にスペイン風の都市を再建しました。1650年、1950年、1986年とクスコ地方を襲った大地震は、スペイン人が建てた教会などに大被害を与えましたが、インカの石組みはびくともせず、インカ帝国当時のまま残されています。

まずは「インカ・パチャクテックの塔(Monumento Inca Pachacutec)」へ。

出典:Dircetur Cusco

インカ・パチャクテックの塔は、サン・マルティン通りとルイス・バジェーホ・サントーニ通りと7月28日通りが交わるパチャクテック公園にあります。塔は5階から6階建てぐらいの高さで、360度クスコ市の景色を塔の上から眺めることができます。塔の中は、フロアごとにインカ・パチャクテックの博物館になっています。

お次はクスコの「サント・ドミンゴ教会(インカ時代のコリカンチャ=太陽神殿)」へ。


出典:Viator Travel

クスコのコリンカチャはスペインが造った教会ですが、元はインカ時代のコリカンチャ=太陽神殿でした。スペイン人はインカ人が造ったコリカンチャの土台の石組を利用し、その上に教会を建てたのです。インカ帝国の公用語であったケチュア語で「コリ」とは「黄金」、「カンチャ」とは「部屋」とか「囲い場」を意味します。コリカンチャは黄金の太陽の神を祭ったインカ帝国最高の神殿でした。

そしてクスコに来たのであれば是非訪れたい場所が「アルマス広場(Plaza de Armas)」でございます。

出典:Alma Na Mala

アルマス広場はクスコの中心となる広場。建築物はスペイン式、そして道路は石畳と、まるでヨーロッパに来たかのような景色を見られます。広場には木々や植物、花壇などが綺麗に整備されており、観光客や地元の人たちの憩いの場となっています。

 

こちらはクスコの旧市街アルマス広場にある「クスコ大聖堂(Cusco Cathedral)」。


出典:INCA'S PARADISE TRAVEL AGENCY


クスコ大聖堂と呼ばれるこのカテドラルは、インカ帝国侵略後に100年もの長い期間をかけて作られた世界遺産です。1559年から約100年の歳月をかけて作られた大聖堂の材料は、サクサイワマン遺跡から運ばれた石であると言われています。建築様式は、当時スペインで流行していたゴシック・ルネサンスの形式。塔のある外見が特徴的。カテドラルの屋根にあるのは、南米最大ともいわれる巨大な「マリア・アンゴラの鐘」。1964年に設置されました。高さは約2m、重さは約6000kg。その音は20マイル先までも聞こえると言われるものです。


出典:Cusco Cathedral

カテドラルの中に入ると、黒いキリスト像があります。この黒のキリスト像は「黒いキリスト像(Black Jesus、Cristo Moreno)」と呼ばれて親しまれていますが、「地震の神(Señor de los Temblores)」とも。これは、1650年の大地震の際に、地震を鎮めるために市民が担いで街を歩いたことから来ています。カテドラルには巨大な祭壇があります。この祭壇はポトシ銀山の銀を300トンも使って作られた巨大なもの。かつてのこの地域の金銀の豊富さが、このようなところにも表れています。

アルマス広場から北東に200m歩いたところにあるのが、「12角の石(La Piedra de los DOce Angulos)」です。

出典:Néstor René Mayma Quispe

ペルーのクスコにある12角の石は、手をかざすと太陽のエネルギーを得るという有名なジンクスがあります。ケチュア語で「大きな石」を意味しており、有名な12角の石を記念して付けられたと想像されます。この石造りの基礎は、スペイン人が到着する以前の1350年頃このクスコ王国を支配していたロカ皇帝の宮殿のものであったと言われています。幅約1メートルある12角形に切られた巨大な石で、隣接する石とはカミソリの刃も通らないほどピッタリと密着しています。インカ帝国時代には車輪や鉄器がありませんでしたが、ここまで精巧な石を築き上げたインカ文明の凄さを見てとることが出来ます。

太陽のエネルギーを得たところでお料理コーナーといきましょう!本日は「アロス・コン・マリスコス(Arroz Con Mariscos)」を紹介します。

出典:A comer

アロス・コン・マリスコスは、魚介類の炊き込みご飯でございます。アロスはスペイン語でごはん、マリスコスは魚介のことを言います。ペルーというとアンデスの国=山地というイメージが強いかもしれませんが、西側は海。海岸地域はシーフードを使った料理が多く、とても美味しいんです。

 

ペルーの国土は、乾燥した沿岸部のコスタ、アンデス山脈が連なる高地シエラ、アマゾン川流域の熱帯雨林セルバと、おおまかに3つの地形に分けられ、食文化もそれぞれに違うんです。海岸地帯(コスタ)で育ったクリオーヨ料理はペルー料理を代表するひとつであり、黒人、インディヘナ、スペイン人、中国人、日本人、イタリア人などの多様な国民の影響を受けて独特のペルー料理を形成しています。

 

 

海岸地帯の料理には以前ご紹介したセビチェのように魚介類を豊富に使った料理が多いんです。シエラ(山岳地帯)では旧文明の食文化が多く残っており パチャマンカ料理やエクアドルやボリビアのように、クイと呼ばれる天竺鼠や、アルパカの肉も貴重な蛋白源として食べられています。アマゾンの密林地帯では料理用のバナナ(プランテイン)を含め多くのフルーツやアマゾンで獲れる淡水魚(ピラニアも含め)や陸生の動物も食べられています。

魚介たっぷりペルーのご馳走ごはんを頂いたところで本日はお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!②」をお届けしますのでお楽しみに!


written by たみと