【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!⑤
プログラミング情報まとめサイト「プロマリ」を更新しました。新しい情報収集をしたい皆様、プログラミング学習者、エンジニアの方ご参考にされて下さい。
引き続きペルーとボリビアの国境にまたがる琵琶湖の12倍もの面積があるチチカカ湖のバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
「アマンタニ島(Amantaní Island)」と、「タキーレ島(Taquile)」」を散策した後は、プーノ市街からボートで約4時間かかる離島「スアシ島(Isla Suasi)」を散策します。
出典:Pictures HD Hotels Reviews
スアシ島は、チチカカ湖のペルー領では唯一の私有島で、そこには多様な植物や動物が生息しています。島内には一般的な住居はなく、テラス、庭園が備わった大きなカントリーハウスがあるのみ。美しいチチカカ湖の絶景を見ながらリラックスして楽しみたい方にはピッタリの離島でございます。
スアシ島を訪れた後は、ボリビア領のコパカバーナ市街から船で約1時間半の離島「太陽の島(Isla del Sol)」に行ってみます。チチカカ湖はペルー南部とボリビア西部にまたがる淡水湖ですので、ボリビア領にある離島にも足を運んで読者の皆様にご紹介しようという訳です。
出典:Amazing Places on Our Planet
この島は、チチカカ湖最大の島。伝承によるとこの湖にある太陽の島はインカ帝国の発祥の地としてもされており、太陽神インティが子供であるマンコ・カパック(Manco Capac)とママ・オクリョ(Mama Ocllo)にインカ帝国を成立することを命令したと言われており、インカ帝国の重要な聖地の一つとして位置づけられています。
出典:digitalphat
そしてこの島ではピルコカイナ遺跡、若返りの泉、インカの庭、インカの農地、トトラ(藁のような植物)の船等を見ることができます。
出典:Isla del Sol
島内には段々畑が広がっていて、家畜として飼われている牛、クイ(テンジクネズミ)、アルパカなどにも出会うことができますので一緒に散策してみましょう。
出典:サミュエルとオードリー - 旅行・食品ビデオ
どのアングルから眺めても美しい湖に感動を覚えます。美しい景色を求めて島内をくまなく散策したいところですが、実際には自殺行為にあたるほど酸素が薄いので、読者の皆様と一緒にバーチャルツアーを楽しみましょう。
太陽の島の近くにある月の島(Isla de la luna)にも行ってみましょう。
出典:farhad4art
月の島は乙女の為の島で、女性たちは機織り、料理といったアンデスの女性に必要とされる技術を身に着ける訓練をしているそうです。
チチカカ湖の壮大な景色と歴史、そして先住民の伝統的な習慣や風習を見学したところで、お料理コーナーといきましょう。本日は、ペルーでポピュラーなおやつ「ピカロン(picarones)」を。
出典:AmigoFoods
ピカロンは、さつまいもとかぼちゃを練りこんだペルーのドーナツでございます。生地にかぼちゃがたっぷり入っていて素朴な味。シナモンなどのスパイスが入ったシロップをたっぷりかけて食べます。ペルーの国民的スイーツとも言われていて、道端の屋台などでも売られています。
ペルーのスイーツはとても甘いそうです。特にススピロ・リメーニョ(リマっ子の溜息: Suspiro Limeño)というスイーツは、コンデンスミルクを煮詰めて、その上にメレンゲをのせた激甘スイーツ。これだけ食べるというよりは、何かにつける甘いソースのようだといいます。また、ボリュームのあるものが多いため、日本人には少々重く感じられるのかも知れませんね。
出典:Tastemade Español
如何でしたでしょうか。標高3800mを越える天空の湖チチカカ湖。インカ時代の遥か昔からこの地方に伝わる神話の創世の地でもあり、世界中で20カ所ほどしか確認されていない古代湖のひとつでもあります。皆様も、是非トトラで作られたバルサに乗って神秘の湖チチカカ湖でミニクルージングを楽しんでみては如何でしょうか。
written by たみと
【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!④
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引き続きペルーとボリビアの国境にまたがる琵琶湖の12倍もの面積があるチチカカ湖のバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
トトラと呼ばれている葦で作られた浮き島「ウロス島(Isla de los Uros)」を散策した後は、「アマンタニ島(Amantaní Island)」へ。
アマンタニ島は段々畑やパチャママの遺跡などが美しい小さな島です。アマンタニ島は、チチカカ湖にある島の中で、2番目に大きな島ですが、人口は最も多く、約5000人が住んでいます。島には10のコミュニティがあり、それをまとめる大統領が居るそうです。約300家族のインディヘナ(先住民)たちが8つの村に分かれて、昔ながらのつつましい生活を送っています。
出典:Qay Pacha
ペルー公用語はスペイン語ですが、山岳地帯のインディヘナはインカ時代からのケチュア語を、チチカカ湖周辺ではアイマラ語が話されています。アイマラ語は、南米で、スペイン語とポルトガル語を除くと、ケチュア語とグアラニー語に次ぐ話者をもち、アンデス山地の高原部で約200万人の話者をもっています。ちなみに、ペルーなどのスペイン語圏で、日本語と同じアクセントで、パパ、ママというと、パパはじゃがいも、ママは、おっぱいの事になるので、気をつけてください。パパ、ママと言いたい際には、アクセントを最後に持ってきて、Papá パパー、Mamá ママーと発音をしてくださいね。
出典:Bien Taypá Tv
アマンタニ島の散策を楽しんだ後は、「タキーレ島(Taquile)」へ。タキーレ島は、人口約1600人のケチュア族の島です。
半世紀ほど前までは、島民以外は立ち入ることさえ許されておらず、旅行者が気軽に訪問できるようになったのは、比較的最近のこと。この島は、 電気も水道も無く、自給自足、相互扶助のスタイルで成り立っているそうです。
出典:Buen Viaje
この自給自足の島の生計を支えているのは、農業と伝統的な織物。男女分け隔てなく機織りをするのも特徴的で、村人の日常的な服装や文化もユニークです。男性は手編み帽子を被り、女性は黒いポンチョを身に纏います。女性のポンチョ(Poncho)に付いている飾りが大きければ既婚者、男性の被る帽子の先が白ければ、未婚者なのだというから面白いですね。貴重な織物の技法を数千年に渡って継承され、比類なき技法は島の文化的空間と共にユネスコの無形文化遺産に登録されています。
ポンチョは、南米のペルーやボリビアなど、アンデス山脈地帯に住むインディオ(原住民)の民族衣装で、形は布の中央部に穴を開けて首を通して着る貫頭衣です。ただし、貫頭衣のデザインがポンチョというのではなく、ポンチョはあくまでも、アルパカなどの毛で織られたもので、民俗調の独特な幾何学模様が色とりどりに織られているものです。
出典:wocomoHUMANITY
ケチュア族の民族衣装ポンチョを羽織ったところで、ペルーのお料理コーナーといきましょう。本日のお料理は「ポーヨ・アラ・ブラッサ(Pollo a la Brasa)」を。
出典:COOK WITH MEAT
ペルー料理の代表格とも言えるペルー風チキンの炭火焼でございます。鶏肉を丸い一羽じっくりと炭でまわしながら焼きます。その味わいは、まさに皮はパリッと、中はジューシーで瑞々しいとされます。フライドポテトや野菜がつけあわせで出てくることが多いようです。アヒ(唐辛子)ソースを少しかけるとさらに美味しい。ペルー人の日常の食卓はもちろん、クリスマスや家族の誕生日、独立記念日といったイベント事にも欠かせない一品です。
アヒは赤や黄色や紫、色がミックスしたものなどさまざまな色、形があり、辛さも激辛のものからあまり辛くないものまで多様。いろいろな料理に調味料として使われるといいます。なんでもペルー人はキロ単位でアヒを買うといいますから驚きです。
出典:Tejiendo con Midori
ペルーの代表的な黄色い唐辛子は「アヒ・アマリージョ(Ají Amarillo)」で特に料理に使われることが多い唐辛子です。Amarilloというのはスペイン語で黄色を指します。なんとペルー国内では約300品種もの唐辛子があって、ほぼ全てのペルー料理に使われているといいますから驚きですねね。そのまま使うよりもペースト状にしたり粉末の状態でえ売られている事が多いようです。辛さは抑えられていて、からしと言うより着色や料理のアクセントとして使う場合が多いそう。インカ帝国時代から使われているこの唐辛子は、ペルーの食文化を語る上で重要な役割を果たしてきたのです。
今日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!⑤」をお届けしますのでお楽しみに!
written by たみと
【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!③
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引き続きペルーとボリビアの国境にまたがる琵琶湖の12倍もの面積があるチチカカ湖のバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
ペルーの南部、標高約3800メートルの小さな町「プーノ(Puno)」の散策を楽しんだ後はいよいよチチカカ湖(Titicaca)へ。
出典:Drink Tea & Travel
アンデス山中のペルーとボリビアの国境にまたがるチチカカ湖は、世界中で20カ所ほどしか確認されていない古代湖のひとつ。標高3810mに位置し、汽船が航行する世界最高所の湖といわれています。約8500平方kmという琵琶湖の約12倍もの面積を持ち、そのうち60%がペルー領、40%がボリビア領になっています。チチカカ湖はインカ時代以前から先住民が暮らしていた地であり、現在もチチカカ湖やその周辺にはケチュア族やアイマラ族といった先住民族が住んでいます。
出典:wocomoHUMANITY
“チチ”はケチュア語で“ピューマ”(インカの神聖な動物)、アイマラ語で“ブロンズ”、“カカ”は両者とも“石”という意味で、“ピューマの石”または“輝く石”という意味になります。
湖には大小41もの様々な島が点在し、中にはプレインカ時代の遺跡が残されている島もあります。インカ帝国発祥の地とされている太陽の島は、インカ帝国初代皇帝マンコ・カパックとその妹ママ・オクリョが降臨したという神話が伝えられています。
出典:Votocek Art Company
まずはトトラと呼ばれている葦で作られた浮き島「ウロス島(Isla de los Uros)」を巡ってみましょう。ウロス島へはチチカカ湖畔の街、プーノから船を利用します。ウロス島へはプーノから30分ほど約3時間程度で回ることができます。
出典:CineView
ウロス島はトトラと呼ばれる葦を多数重ね合わせて造られた人工の浮島群です。これらの浮島は、先住民の「ウル族」がスペイン人の侵略を逃れて造るようになったとされ、チチカカ湖にはこのような葦で造られた人工島が40以上も存在しています。
出典:Manutravel
湖には大小さまざまな島が浮んでいますが、どの島も島全体が湖に浸かっているので、徐々に腐っていきます。そうすると、また新しい葦を重ねていくというやり方で補強し、島を作り上げていくんです。大きな島には学校や教会もあり、約700人のウル族が生活しています。
出典:Rafa Ocón
トトラは人が食べることも出来て、島の子供たちはおやつ代わりによくトトラかじっているそうです。トトラは新たな土地にもなり、建築材料にもなり、餌にもなり、食料にもなってしまうというわけです。実際に島に降り立った人の島に感触を聞くと、フワフワ、ムギュムギュした感じで、場所によっては足がズボっといきそうな感じだと言います。
出典:Kiss From The World
ウル族はかつてはウルキージャ語という独立した言語を話すチチカカ湖で最も古い民族と言われていましたが、純血のウル族は1957年に絶え、現在島に住んでいるのはケチュア族とアイマラ族の混血の新しいウル族なのだそうです。そのウル族の人口は現在700人ほど。男性はプーノなど街へ出稼ぎに行くほか、女性を中心に観光業で生計を立てています。ウル族は観光客に慣れてはいますが、とてもシャイなんだそうですよ。
ウロス島の生活は、一見すると不便かもしれませんが、考えようによっては自由に土地を取得でき、アンカーを外せば好きな場所へ引っ越しも簡単、家族が増えれば増築し放題、子供が独立する時は切り分けて分譲も可能と、日本ではなかなか難しいことが簡単に出来てしまい実はとても便利なのかもしれませんね。
ウロス島でウル族とのコミュニケーションを楽しんだ後は、恒例のお料理コーナー。本日は「パリウエラ(Parihuela)」を。
出典:A comer
パリウエラは魚をメインとした魚介類を煮込んだ魚の煮付けのようなペルー料理です。少しだけ唐辛子が利いていて、魚の出汁が一杯に出ているスープは、ご飯ともよく合うので、魚介類好きの日本人にはおすすめのペルー料理です。魚介類は、えび、たこ、ムール貝、カニ、白身魚、魚介類なら何でもOK。ペルー人は魚介類をよく食べていて、意外ですが、パンよりお米の方がよく食べられているんだそうですよ。
今日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!④」をお届けしますのでお楽しみに!
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【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!②
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ウマヨ湖を見下ろす高台にある「シユスタニ遺跡(Sillustani)」に立ち寄った後は、「プーノ(Puno)」の街へ
出典:Drone Snap
プーノはペルーの南部、標高約3800メートルのチチカカ湖の中継地点となる小さな町です。
出典:Puno
世界最高地にあるチチカカ湖(Lago Titicaca)に接し、周りを山々に囲まれています。このチチカカ湖には「ウロス島(Uros Islands)」と呼ばれる人工の島が約45も存在し、その地では今でもなお2000人ほどのウル族が生活をしています。
出典:Journeyman Pictures
それではプーノの街を歩いてみましょう。まずは市内中心地を散策します。鉄道駅からアルマス広場を目指していくと、だんだん街が賑やかになっていきます。ペルーらしい色とりどりの建物が美しいですね。
出典:Jack and Gab Explore
スペインの侵略後、1668年にできた比較的新しい街になっており、港町の活気あふれる雰囲気が漂っています。
プーノにある「アルマス広場(La Plaza de Armas)」へ。
出典:Néstor René Mayma Quispe
アルマス広場には、ペルーでは珍しいと思われる荘厳な大聖堂があります。そして広場の中央には、美しい庭園に囲まれたフランシスコ・ボロネーゼ大佐のモニュメントがあります。
アルマス広場から歩いてすぐのところにある考古学博物館「カルロス・ドレイエール考古学博物館(Museo Carlos Dreyer)」にも行ってみましょう。
プーノの街やティティカカ湖、そして先住民の文化を愛し、30年以上もこの地に住み続けたドイツ人画家、カルロス・ドレイエールの収集品の数々が展示されています。
続いて「コンドルの丘(Mirador de Kuntur Wasi)」へ。
出典:SUBGERENCIA DE TURISMO Y COMERCIO EXTERIOR PUNO
海抜3,990メートル(13,087フィート)のコンドルの丘には、金属製の長い翼を持つコンドルが空に向かって伸びています。この鳥は、この地域のアンデスの遺産を思い起こさせる重要な存在。コンドルの丘は、プーノの街とチチカカ湖を見渡すことができる素晴らしい展望台の一つです。
チチカカ湖を散策する前に、プーノ市から約18キロ離れたチュクート近郊にある切石構造の遺跡「インカ・ウヨ遺跡(Inca Uyo)」へ立ち寄ってみます。
入り口には寺院の内部と似たような80個の石に加えて、男性の陰部が彫られた2つの岩があります。インカ・ウヨは不妊症を癒すことを目的とした寺院だったと考えられています。
遺跡巡りを楽しんだ後は、恒例のペルーのお料理コーナーです。今日のお料理は、南米の豚バラ肉料理「チチャロン(Chicharon)」を。
出典:VICKY RECETA FACIL
チチャロンは、ペルー人にとって朝食の定番料理。サンドウィッチの一種ですが、豚肉を塊のまま茹でてからスライスし豚脂でカリカリに揚げ焼きしてからバンズやバゲットに似たパンで挟みます。適度な塩味がついているので、スナック菓子のような感覚でそのままビールのお供にぴったりのお料理です。
ペルーはサンドイッチといっても日本でお馴染みの食パンを使ったものではなく、パン・フランセスと呼ばれる丸形のフランスパンに具材を挟んで食べるスタイル。かつてチチャロンサンドが「世界一の朝食」に選ばれたことも。ペルーでは朝食としてだけでなく、ランチや軽食、夜食にと重宝がられており、サンドイッチがいかにペルーの人々の暮らしに欠かせない料理なのかがよく分かります。
本日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!③」をお届けしますのでお楽しみに!
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【旅行】たみトラベル Vol.6 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策!①
プログラミング情報まとめサイト「プロマリ」を更新しました。新しい情報収集をしたい皆様、プログラミング学習者、エンジニアの方ご参考にされて下さい。
ペルーとボリビアの国境にまたがるチチカカ湖。富士山より高い場所にあり琵琶湖の12倍もの面積があるチチカカ湖は世界中で20カ所ほどしか確認されていない古代湖のひとつ。また、汽船などが航行可能な湖としては世界最高所であることが知られています。
今回のたみトラベルではこのチチカカ湖にフォーカスを当て、周辺散策を含みその神秘の湖をとことん楽しんじゃいます。まずはチチカカ湖へ向かうために、リマから航空機で「フリアカ(Juliaca)」という都市にある「インカ・マンコ・カパック国際空港(Aeropuerto Internacional Inca Manco Capac)」に向かいます。飛行機以外にリマからバスで移動する方法もありますが、20時間以上かかりますので、治安の面や快適さを求める外国人観光客が最も多く利用するポピュラーな航空機で移動したいと思います。
出典:KuQu
リマから飛行機で1時間半ほどでフリアカに着きました。
出典:Paul de JULIACA
アンデス山脈の東側、チチカカ湖にほど近い標高3825メートルにフリアカはあります。フリアカは、ペルー南部の主要都市及びボリビアを結ぶ交通の要衝にあり、アルティプラノ(アンデス山脈の高原地帯)有数の商業都市です。毛織物や羊毛取引がとても盛んな町で、市内は国際空港や世界有数の高所を走るペルー南部鉄道が発着する駅がある交通拠点となっています。
出典:Paul de JULIACA
旅行客はこの街に立ち寄ることは少なく、フリアカ空港についたらチチカカ湖最寄りの「プーノ(Puno)」という街に直接行くことが多いですが、少しこのフリアカの街にも寄り道して散策してみましょう。
出典:LimaInTransit
フリアカのマヨール広場の南東のワイナロケの丘の頂上にある「クリスト・ブランコ(Mirador Cristo Blanco)」から街を見下ろします。
出典:LeninOz Trujillo
バーチャル旅行ではフリスコの街を楽しみましたが、フリアカはプーノと比べて治安の悪い町とされているので、宿泊はプーノですることをお勧めします。さて、フリアカからチチカカ湖最寄りのプーノまで移動します。途中、「シユスタニ遺跡(Sillustani)」にも立ち寄ります。
出典:Maria Pereda
シルスタニ遺跡は、プーノの北33㎞にあるウマヨ湖を見下ろす高台にあります。この地に人が居住し始めたのは紀元前200年から紀元500年に栄えたプカラ文化の時代。その後、1200年から1450年にはコリャ文化(Cultura Qolla)が占有し、1450年から1532年の間はインカの支配下にありました。
コリャ文化の時代に、石を円柱の塔のように積み上げたチュルパと呼ばれる墓が数多く作られ、亡くなった支配層が葬られました。この習慣を受け継いだインカも多くのチュルパを残しています。数多くあったチュルパは、その後、盗掘などによってほとんど破壊されてしまい、現在、元の形が残っているのは6基程度といいます。
シユスタニ遺跡を取り囲む「ウマヨ湖(Lago Umayo)」も眺めてみます。
出典:Coast Traveller
シユスタニ遺跡を取り囲むウマヨ湖は、イルパ川を通しチチカカ湖と繋がっています。フンコ(葦の一種)が生い茂る湿地帯は、バードウォッチングのポイントとしても有名。また湖に浮かぶ小さな島では、ペルーの国獣ビクーニャが飼育されています。ビクーニャは政府によって保護されている希少動物なので、リャマやアルパカほど簡単にはお目にかかれません。島民がビクーニャを遺跡に連れてきていたら、ぜひ「神の糸」と呼ばれるそのつやつやとした毛に触れてみましょう。
出典:国際ドローン協会
カシミヤより10倍高価な幻の繊維がこのビクーニャで作られた布です。絨毯のような毛は“繊維の宝石”や“アンデスの黄金”といわれ、その手触りはあのカシミヤよりもなめらかとされています。ビクーニャの毛で織られた布は、かつてインカ皇帝の一族しか身につけることができない大変貴重なものでした。ビクーニャで作られたショールは60万円、毛布なら300万円という驚きの値段です。ビクーニャ生息エリア周辺の村では、ビクーニャの毛を売ったお金でインフラが整備され、学校も建設されているといいます。
但し、ビクーニャの毛は関係者以外、毛を刈ることも触ることも一切禁止。祭り中に落ちた毛を持ち帰ることすら禁止というほど、厳重に管理されているようです。
さてここで恒例のお料理コーナー。本日は「タマル(Tamal)」を。
出典:Aashpazi.com
タマルは、メキシコおよび中央アメリカ、南アメリカの伝統的な食品のひとつで、トウモロコシをすりつぶし、ラードと合わせてこねた生地(マサ)を、トウモロコシの殻(から、包葉)かバナナなどの葉に包んで蒸したもの。甘いものから辛いものまで種類も豊富。小さくてもずっしりしているため、かなり食べ応えがあります。お店によって味も様々なので食べ比べてみてもいいかもしれません。
南米と言えば、ダンスとイメージを持たれている方もいますよね。そう、ペルーの生活には、ダンスと音楽は欠かせません。祝い事や、お酒を飲む際には必ず音楽とダンスもセットで付いてきます。若い人はレゲトンという、ラテン音楽とヒップホップが融合した音楽を聴きながらダンスを踊ります。大人はサルサやクンビアという、ラテン音楽を聴きながらダンスを踊ります。日本人はお酒を飲むときは会話を楽しみますが、ペルー人は雰囲気を大切にして会話よりもダンスをしてリラックスします。ペルー人がいつも陽気でいられるのは、こうした文化の習慣からなのしれません。
本日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの標高3800mを越える天空の湖「チチカカ湖」を散策する!②」をお届けしますのでお楽しみに!
written by たみと
【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!⑤
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引き続きペルーのアンデス山脈に位置する天空の要塞都市マチュピチュのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
読者の皆様お待たせ致しました。「マチュピチュ村(Aguas Calientes)」の街並みを散策した後は、いよいよマチュピチュに行きたいと思います。
マチュピチュは南米ペルーのアンデス山脈、標高約2,450mの尾根に位置する古代インカ帝国の遺跡。山裾から遺跡の存在が確認できないことから、「空中都市」「インカの失われた都市」などと称されます。世界遺産だけでなく、2007年7月には新・世界七不思議のひとつにも選ばれました。
日本語での解説を楽しみたい方はこちら。行き方・日程・予算全部解説してくれます。
出典:LT VLOG
遺跡は神殿と居住区で構成され、その総面積の約半分の斜面には段々畑が広がっています。建造物の石積みはカミソリの刃すら隙間に通さないほど精密に組まれており、数百年経った今でもしっかりと姿形が残存しています。
マチュピチュは1450年頃、インカ第9代皇帝パチャクティの時代に造られたとされています。壁に囲まれた都市は広場を中心に、皇帝や神官ら特別な人々の住む場所、神殿などがある地域と、一般の人々の居住地などに分けられています。山の水を引いた水路が整備され、水汲み場や沐浴場などもありました。周囲に広がる段々畑では、ジャガイモやトウモロコシなどが生産されました。
出典:Amazing Places on Our Planet
スペイン人がインカ帝国を滅ぼしたあとも、マチュピチュの存在は知られることなく400年が過ぎ去った1911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムにより発見されます。発見から100年以上が経った今も多くの謎を残し、研究や調査によって当時の人々の暮らしが少しずつ分かってきているという段階です。インカ帝国では太陽を神として崇め、マチュピチュに存在する建物は太陽の観測をすることを目的として作られていることがわかっています。
マチュピチュの見どころといえば美しい石組みの建造物です。見張り小屋、インティワタナ(日時計)、天体観測の石、コンドルの神殿などは押さえておきたいスポット。特に太陽の神殿の美しい曲線と、冬至と夏至を判断していた東側の窓は是非チェックしましょう。
出典:AKIRA-Travel-Channel/ジャーナリスト大川原 明アキーラ海外見聞録
またマチュピチュの背後そびえるワイナピチュの頂上から望むマチュピチュは感動の絶景です。また、尾根の反対側にはマチュピチュ山がそびえており整備された登山道はワアイナピチュよりも歩きやすくなっています。マチュピチュ山の頂上は360℃のパノラマが楽しめ、ワイナピチュとマチュピチュ遺跡を眼下に望む絶景を満喫できます。ただし、マチュピチュを見下ろすことができるワイナピチュは1日に入山できる人数制限があるので事前の予約が必要です。
出典:秘境トラベラーMegumi
この街ができたのは15世紀のこと。当時、絶大な力を誇っていたインカ帝国の皇帝の命によって建設されたといわれています。しかし、16世紀半ば、インカの人々は突如、マチュピチュを放棄。以後、400年以上もの間、その存在は忘れられていました。しかし、1911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムが、草に覆われて廃墟となったマチュピチュを発見。外の世界に再び存在が知られることとなったのです。
出典:WorldMoments
「太陽の神殿(the Temple of the Sun)」は、マチュピチュ遺跡観光の人気スポット。高さ5mのカーブした石壁に囲まれ、東の窓からは冬至の朝、南の窓からは夏至の朝、日が差し込む太陽信仰に基づいた造りをしています。インカ帝国の太陽信仰では、王は太陽の子孫だとされていたのです。
出典:Templo del sol
マチュピチュ行きの話で、途中で高山病になり旅行気分ではなかったというのがよく聞く話です。日本からだと時差による疲労に加えて襲ってくるのが高山病です。マチュピチュそのものは標高約2400mのため、高山病が起きるかどうかの微妙なライン。問題はその前に立ち寄らなければいけないクスコで、ここは標高が約3400m、マチュピチュに抜ける峠は約4000mのところを通過します。このため、クスコに到着をしたときが一番高山病になりやすく、マチュピチュに向かうほど高度が下がるということを知っておくとよいようですよ。
高山病でくらくらになる前に下山しましょう。本日のお料理コーナーは「カルド・デ・ガジーナ(Caldo De Gallina)」を。
出典:Sazón y Corazón
カルド・デ・ガジーナは、チキンの入った温かいスープで、寒い日にペルーの人々から愛されているおすすめのペルー料理です。濃厚で美味しい出汁が出るこの料理は、真の食材の味を堪能することができます。寒くて温まりたいときに食べたいおすすめのペルー料理です。
如何でしょうか。標高約2450mの尾根に位置する古代インカ帝国の遺跡マチュピチュ。山裾から遺跡の存在が確認できないことから、「空中都市」「インカの失われた都市」などと称されます。皆様も是非バーチャル旅行で秘境マチュピチュの謎に迫ってみては如何でしょうか。
written by たみと
【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!④
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引き続きペルーのアンデス山脈に位置する天空の要塞都市マチュピチュのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
アンデスでも珍しい塩田「マラスの塩田(Salineras de Maras)」と、インカの農業試験場「モライ遺跡 (Moray)」を散策した後は、インカの巨大遺跡「オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)」を訪ねてみましょう。
クスコから車で2時間ほどのオリャンタイタンボは “聖なる谷” にある遺跡ひとつ。スペインの侵略に追われたインカ帝国の人たちが築いた「要塞」と言われています。見どころは、階段を300段登ったところにある小さな広場。そこにある6個の巨石が、この大遺跡の目玉です。1枚の大きさは、高さ10m×横5m×奥行き1mと圧巻。しかもこの石壁、石を積み上げたのではなく、高さ10mの1枚の岩が見事に横に繋ぎ合わされているのです。
13世紀ごろから始まったと言われるインカ帝国は、今でもペルーの有数な都市の一つクスコを中心地として、約200年間に渡って発展しました。しかし、スペイン人の侵略により、1533年に滅ぼされてしまいます。今やクスコ市街地は世界遺産に登録されましたが、これらの建物のほとんどはスペイン人がインカ帝国を滅ぼした後から築いたもの。インカ帝国時代のものは破壊し尽くされ、地下に眠っていると言われています。そんなクスコの周辺には、インカ帝国の人たちが スペイン人から逃れながら 、各地で生活していたと思われる遺跡がたくさん見つかっています。オリャンタイタンボはその中の1つなんです。
出典:オリャンタイタンボ
オリャンタイタンボに来ると、まず圧倒されるのは、とても大規模な 段々畑 。平地にも遺跡は見られますが、やはりこの急斜面はとても見応えがあります。そして「要塞」と言われる所以となった「巨大な岩の壁」は、インカ帝国の石組み技術によって並べられて見事な壁となっています。
出典:Enksirus
インカ文明の名残と民族衣装が溶け合う素朴な街並みも見所のひとつ。あちこちで可愛い民族衣装を着た人たちに出会えます。
出典:Scope Travel
遺跡に圧倒された後は、オリャイタンボ駅からマチュピチュ村まで鉄道で移動します。
出典:MetrotrenHD
マチュピチュまでの行き方は複数ありますが、今回のバーチャル旅行では、クスコからオリャンタイタンボに立ち寄り、マチュピチュ村を目指すルートを選択しました。読者の皆様、要注意なのがクスコの標高、3,400m、富士山の頂上とほぼ同じ高さなのです。空港に降り立っただけで空気が薄いと感じます。マチュピチュ自体の標高は2,430mですが、行き着くまでには4,000m以上の山道があるので高山病にかかる人も多いようです。
ようやく「マチュピチュ村(Aguas Calientes)」に着きました。
出典:AKIRA-Travel-Channel/ジャーナリスト大川原 明アキーラ海外見聞録
まずはマチュピチュ村を散策しましょう。
出典:CineView
マチュピチュ村は、人口約3000人の小さな村。半日もあれば周りきれる村ですが、年間200万人が世界中から訪れることから観光客向けのお土産屋が多く、日本食のレストランや温泉まで存在し、もはや村と言うよりは一大観光施設となっています。
出典:Diogo Kyrillos - Nômade Viajante
この村を創ったのは、人生を村に捧げた一人の日本人でした。その日本人の名は野内与吉さん。野内さんは福島県の出身。1917年移民としてペルーに渡り、鉄道建設などに携わったのち、1935年マチュピチュに本格的な木造三階建ての「ホテル・ノウチ」をオープンさせました。そして驚く事に、このホテルを村のために無償で提供し、一階は郵便局や交番として、二階は裁判所や村長室として使用される事になったのです。「ホテル・ノウチ」が中心となって、マチュピチュ村は発展していきました。マチュピチュに来て18年、与吉は誰もが信頼する存在になっていました。そして地域の最高責任者である行政官を務め、1941年にこの地域が正式に「マチュピチュ村」となったため、そのまま「初代村長」なったのです。
それでは恒例のお料理コーナーです。今回ご紹介するのは「トルーチャ(Torucha)」。
出典:Cocina en familia
トルーチャは、ペルーのチチカカ湖で採れるマスを焼いたシンプルなお料理。ペルー国民の間で親しまれている味で、海から離れた山脈地帯などでは愛されているオススメのシーフード料理です。
ペルーの食文化についてちょっとお話しすると、ペルーの主食はお米かジャガイモなんです。ペルーはジャガイモの生産が多く、5,000種類ものジャガイモが栽培されているといいます。市場やスーパーマーケットに行くと、ジャガイモだけ沢山種類があるので選ぶのが大変。中には長さが20cm以上あるジャガイモも売られているといいますから驚きです。 そんなわけでペルーの食卓には必ずと言っていいほど、ジャガイモが毎回出てきます。読者の皆様は毎日ジャガイモだったらどうしますか(笑)
本日はここでお終いです。いよいよ次回マチュピチュをご紹介致しますよ!お次は「【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!⑤」をお届けしますのでお楽しみに!
written by たみと
【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!③
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引き続きペルーのアンデス山脈に位置する天空の要塞都市マチュピチュのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
インカ巨石建築の傑作「サクサイワマン遺跡(Saqsaywaman)」で古代インカの文明を紐解いた後は、ペルーのクスコから、マチュピチュへ向かう列車の発着地でもあるオリャイタイタンボへ向かいます。途中、インカ時代の前(プレ・インカ)から続く、アンデスでも珍しい塩田「マラスの塩田(Salineras de Maras)」へ立ち寄ってみます。
出典:4k Travel & Drone
南米ぺルーのクスコから約1時間半の場所にあるマラス。ここは「マラスの塩田」で知られています。山の斜面に1kmにわたって続く塩田には、田んぼのような四角い囲いが3000個以上も存在しています。ここに塩水が溜まることで、高所の強い日差しで天日干しにすることで、粒の大きいまろやかな塩が出来上がります。
出典:Great Big Story
この地帯は、約6,000年前までは海でした。それが、地殻変動で隆起してアンデス山脈が生まれ、海は巨大な塩の塊(岩塩)となったようです。岩塩は、ゆっくりと地下水に溶かされて塩水となり地上に湧き出すのだそう。なんだか神秘的な話ですよね。マラスのまろやかなお塩でお料理を頂きたいものです。
そして、クスコの北西38キロメートル、マラス塩田から7キロメートル、車で45分ほどの位置に「モライ遺跡 (Moray)」があります。
出典:CineView
聖なる谷ウルバンバ川の南側、標高3500mの大地にすり鉢状の人工的な窪みが突如として現れる、これがインカの農業試験場と考えられているモライ遺跡でございます。「モライ」とはケチュア語で「丸く凹んだ場所」という意味。円形状のアンデネス(段々畑)が広がっており、各段は人の背丈よりも高い。縁の深さは100mあり、インカ人たちは底部と上部の温度差を利用して、農業栽培の試験をしていたといいます。
出典:Samuel Magal
ここでの試験により、トウモロコシの品種改良が行われ、現在の高い標高に対応する多種のトウモロコシの栽培が可能になったとも言われます。一説では、この円形農場試験場内には20種類もの微小気候が存在するといいます。しかし温度計のないインカ時代に、いったいどうやってその差を見極めていたのでしょうか。謎は深まるばかりですよね。
麓にある「マラス(Maras)」と「チンチェロ(Chinchero)」という街も散策しておきましょう。
出典:FrooGal Fun
クスコの北方約67kmにあるマラスは、スペイン植民地時代に栄華を極めた村。とてもこぢんまりした素朴な雰囲気の村で貴族の紋章の残る家も多いことでも知られています。一方、チンチェロはクスコとウルバンバという街のちょうど間にある村で、クスコよりさらに高い標高3,700mで王室農園のあったのどかな村です。歴史の息吹、モダンな日常、そして近未来を思わせるエキサイティングな一面をも見ることができます。
出典:Turismo Interoceánico
クスコとマチュピチュの中間地点の「ウルバンバ(Urubamba)」の街並みも散策してみますよ!
インカ文明の中心を担った“聖なる谷”として知られるウルバンバ谷は、クスコとマチュピチュの中継地点としての役割だけではなく、丸一日を費やしても時間が足りないほどの魅力があります。
出典:World Travel Guide
かつてインカ帝国の皇帝は、冬の最も寒い時期にはクスコからウルバンバ谷に居を移していました。標高が割に低く気候が落ち着いているために、避寒地として利用されていたのです。穏やかな気候に恵まれたウルバンバは、かつてインカ帝国に食料を供給する拠点でした。
青空市場と銀製品の店が並び、さらに丘上にはインカのアンデネス(段々畑)が続くピサク、巨大な階段のように見えるインカ末期の遺跡オリャンタイタンボなど、周囲の町と合わせて「聖なる谷」と呼ばれ、美しく広がるアンデネス(段々畑)と、魅力的な遺跡や名所で多くの観光客を魅了しています。
本日はウルバンバにある5つ星ホテル「タンボデルインカ,ラグジュアリーコレクション・リゾート&スパ,ヴァッレ・サグラード(Tambo del Inka, a Luxury Collection Resort & Spa, Valle Sagrado)」に宿泊します。
出典:The Luxury Collection Hotels & Resorts
ホテルでくつろいだ後はペルーならではのお料理をいただきます。今回は、「ピカローネス(Picarones)」というお料理をご紹介致します。
出典:A comer
ピカローネスは、サツマイモ、カボチャをマッシュしたものと小麦粉を混ぜてドーナツ生地にしたお料理です。 日本人にもとても食べやすいお菓子で、街中のお店やワゴンなどで購入することができます。マチュピチュはまだかという声が聞こえてきそうですが、もうしばらくお待ちください。
そうそう、ペルーでは挨拶をするときに頬っぺたにキスをして挨拶をします。男性と男性の場合、お互いに握手をして「元気かい?」と聞いて挨拶をします。女性と女性の場合は、頬っぺたにキスをして挨拶。そして男性と女性の場合は互いの頬っぺたにキスをします。初対面の人に対してもこのような方法で挨拶をするので、初めてペルー観光される方は恥ずかしいかもしれませんね。
本日はここでお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!④」をお届けしますのでお楽しみに!
written by たみと
【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!②
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引き続きペルーのアンデス山脈に位置する天空の要塞都市マチュピチュのバーチャル旅行を楽しみたいと思います(前回の記事はこちら)。
「アルマス広場(Plaza de Armas)」と「12角の石(La Piedra de los DOce Angulos)」を散策した後は、「コンパーニャ教会(Iglesia de la Compania de Jesus)」へ。
出典:IPANC CAB
アルマス広場の南側に位置するコンパーニャ教会は、インカ帝国時代の佇まいを残しつつも、ヨーロッパを感じさせる建物です。壁画や教壇は圧巻の一言。
出典:Iglesia de la Compania de Jesus
ペルーの街には、日曜日には多くのカトリック教徒が教会に行きます。カトリックの行事で有名なのが、ブログでもご紹介した「インティ・ライミ(Inti Raymi)」という祭りでマチュピチュで有名なこのクスコで開催されます。開催される日付は6月24日で、6月はインティ・ライミの影響から多くの観光客がクスコに訪れます。インティ・ライミには、南米の3大祭りの1つとして数えられ、「太陽の祭り」という意味があります。折角なので読者の皆様と一緒にお祭りに参加してみましょう!
出典:jaderoo2
神聖な教会を散策した後は、クスコでお土産を買うため、「チョコ博物館(ChocoMuseo Cusco)」へ。
出典:SIMA
チョコ博物館は、中南米から南米で広く展開するチョコレートやカカオ製品の専門店でございます。コロンビア、ドミニカ共和国、グアテマラ、ペルーのリマにも店舗がありますが、一番おすすめなのが、カカオの名産地としても有名なクスコ県にある、この博物館です。他にはないチョコレートやカカオ製品のお土産がたくさん手に入ります。
チョコ好きにはたまらない博物館を楽しんだ後は、こちらもとっても甘い「クチャリタス(Qucharitas)」というアイスクリーム屋さんに立ち寄ってみましょう。
出典:xcape magazine
クチャリタスは2014年に誕生したアイスクリームやデザートの専門店です。すべて天然の素材を使用しており、その地域で採れた新鮮な食材を使用しています。
お料理も楽しみたい方にはこちらのレストランを。オーガニック食品のレストラン、その名も「オーガニカ(Organika)」。オーガニックでヘルシーなベジタリアン料理を堪能致します。
出典:Urubamba Organic
お腹を満たしたところで、インカ巨石建築の傑作「サクサイワマン遺跡(Saqsaywaman)」へ向かいます。
出典:Luisito viajero
サクサイワマンには「満足した鷹」という意味があります。世界遺産の街として知られるクスコは、インカの世界観において「現世」を守護し「力」と「知恵」の象徴とされたピューマの形を模し設計されています。首を前に伸ばし、姿勢を低くしたピューマ。その前脚と後ろ脚、腹部に守られた重要な位置には、街の中心であるハウカイパタ(現在のアルマス広場)が置かれました。そしてピューマの頭部にあたる丘に築かれたのが、このサクサイワマン遺跡です。また遺跡は、数あるインカ遺跡のなかで最も大きな石を積み上げてあることでも知られています。
遺跡散策を楽しんだ後は、「セントラル・デ・サン・ペドロ市場(Mercado Central de San Pedro)」へ行ってショッピングを楽しみます。
出典:Viator Travel
クスコの街にはメインのアルマス広場から約1km離れた別々の場所に市場が2つあります。メインの市場はサン・ペドロ市場(Mercado San Pedro)で、もう一つはワンチャック市場(Mercado de Wanchaq)。サン・ペドロ市場は、地元の人の買い物としても使われ、お土産・食事などなんでも揃う市場。クスコのレストランで食べると割高な食事ですが、市場内で食べると1食200円程度で食べられます。
ペルーでは市場で買い物をしていると日本語の「バカ」や「アホ」という言葉を耳にします。これ決して貶されているわけではなく、「バカ」は「牛」という意味があり「アホ」は「ニンニク」のことを意味しているです。何か市場でバカやアホと発言するのは、ちょっと抵抗がありますよね。
それではお料理コーナーに移りましょう。本日はペルー名物のデザート「ススピロ・ア・ラ・リメーニャ(Suspiro a la limena)」を紹介します。
出典:Tastemade Español
ペルーを代表するデザートと言っても過言ではないススピロ・ア・ラ・リメーニャ。日本語に訳すと“リマ娘のため息"と言うのだそうですが、本当にため息が出る程美味しいデザートでございます。
甘いスイーツを食べうっとりしたところで本日はお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!③」をお届けしますのでお楽しみに!
written by たみと
【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!①
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ペルーのアンデス山脈に位置する天空の要塞都市、マチュピチュ。大航海時代のスペイン軍の侵略からも逃れた、この空中都市は、あまりの到達しにくさのためその後も発見されることはなく、1911年のアメリカ人探検者、ハイラム・ビンガムの登場まで、誰にも知られることはありませんでした。
その空中都市を一目見ようと、まずはリマからマチュピチュに向かう際の拠点の街となる「クスコ(Cusco)」に向かいます。移動手段は、飛行機か長距離バスの2つですが、長距離バスだと21時間。飛行機だと1.5時間でいきますので、ホルヘ・チャベス国際空港でクスコの「アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港(Alejandro Velasco Astete International Airport)」へ降りたちます。
クスコは、ペルー南部の都市。アンデス山中、標高約3400メートルの高地にあります。インカ帝国の首都として栄え、太陽神の神殿跡など数多くの遺跡が残っています。1983年「クスコの市街」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。そう、街全体が世界遺産なのです。
出典:Votocek Art Company
クスコは11~12世紀頃に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えました。ケチュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、あらゆる地方から人々が集まり、まさに世界の中心地とされていました。
出典:Amazing Places on Our Planet
1533年侵略者ピサロがクスコを蹂躙、破壊しましたが、インカの石組みは崩せず、その上にスペイン風の都市を再建しました。1650年、1950年、1986年とクスコ地方を襲った大地震は、スペイン人が建てた教会などに大被害を与えましたが、インカの石組みはびくともせず、インカ帝国当時のまま残されています。
まずは「インカ・パチャクテックの塔(Monumento Inca Pachacutec)」へ。
出典:Dircetur Cusco
インカ・パチャクテックの塔は、サン・マルティン通りとルイス・バジェーホ・サントーニ通りと7月28日通りが交わるパチャクテック公園にあります。塔は5階から6階建てぐらいの高さで、360度クスコ市の景色を塔の上から眺めることができます。塔の中は、フロアごとにインカ・パチャクテックの博物館になっています。
お次はクスコの「サント・ドミンゴ教会(インカ時代のコリカンチャ=太陽神殿)」へ。
出典:Viator Travel
クスコのコリンカチャはスペインが造った教会ですが、元はインカ時代のコリカンチャ=太陽神殿でした。スペイン人はインカ人が造ったコリカンチャの土台の石組を利用し、その上に教会を建てたのです。インカ帝国の公用語であったケチュア語で「コリ」とは「黄金」、「カンチャ」とは「部屋」とか「囲い場」を意味します。コリカンチャは黄金の太陽の神を祭ったインカ帝国最高の神殿でした。
そしてクスコに来たのであれば是非訪れたい場所が「アルマス広場(Plaza de Armas)」でございます。
出典:Alma Na Mala
アルマス広場はクスコの中心となる広場。建築物はスペイン式、そして道路は石畳と、まるでヨーロッパに来たかのような景色を見られます。広場には木々や植物、花壇などが綺麗に整備されており、観光客や地元の人たちの憩いの場となっています。
こちらはクスコの旧市街アルマス広場にある「クスコ大聖堂(Cusco Cathedral)」。
出典:INCA'S PARADISE TRAVEL AGENCY
クスコ大聖堂と呼ばれるこのカテドラルは、インカ帝国侵略後に100年もの長い期間をかけて作られた世界遺産です。1559年から約100年の歳月をかけて作られた大聖堂の材料は、サクサイワマン遺跡から運ばれた石であると言われています。建築様式は、当時スペインで流行していたゴシック・ルネサンスの形式。塔のある外見が特徴的。カテドラルの屋根にあるのは、南米最大ともいわれる巨大な「マリア・アンゴラの鐘」。1964年に設置されました。高さは約2m、重さは約6000kg。その音は20マイル先までも聞こえると言われるものです。
出典:Cusco Cathedral
カテドラルの中に入ると、黒いキリスト像があります。この黒のキリスト像は「黒いキリスト像(Black Jesus、Cristo Moreno)」と呼ばれて親しまれていますが、「地震の神(Señor de los Temblores)」とも。これは、1650年の大地震の際に、地震を鎮めるために市民が担いで街を歩いたことから来ています。カテドラルには巨大な祭壇があります。この祭壇はポトシ銀山の銀を300トンも使って作られた巨大なもの。かつてのこの地域の金銀の豊富さが、このようなところにも表れています。
アルマス広場から北東に200m歩いたところにあるのが、「12角の石(La Piedra de los DOce Angulos)」です。
出典:Néstor René Mayma Quispe
ペルーのクスコにある12角の石は、手をかざすと太陽のエネルギーを得るという有名なジンクスがあります。ケチュア語で「大きな石」を意味しており、有名な12角の石を記念して付けられたと想像されます。この石造りの基礎は、スペイン人が到着する以前の1350年頃このクスコ王国を支配していたロカ皇帝の宮殿のものであったと言われています。幅約1メートルある12角形に切られた巨大な石で、隣接する石とはカミソリの刃も通らないほどピッタリと密着しています。インカ帝国時代には車輪や鉄器がありませんでしたが、ここまで精巧な石を築き上げたインカ文明の凄さを見てとることが出来ます。
太陽のエネルギーを得たところでお料理コーナーといきましょう!本日は「アロス・コン・マリスコス(Arroz Con Mariscos)」を紹介します。
出典:A comer
アロス・コン・マリスコスは、魚介類の炊き込みご飯でございます。アロスはスペイン語でごはん、マリスコスは魚介のことを言います。ペルーというとアンデスの国=山地というイメージが強いかもしれませんが、西側は海。海岸地域はシーフードを使った料理が多く、とても美味しいんです。
ペルーの国土は、乾燥した沿岸部のコスタ、アンデス山脈が連なる高地シエラ、アマゾン川流域の熱帯雨林セルバと、おおまかに3つの地形に分けられ、食文化もそれぞれに違うんです。海岸地帯(コスタ)で育ったクリオーヨ料理はペルー料理を代表するひとつであり、黒人、インディヘナ、スペイン人、中国人、日本人、イタリア人などの多様な国民の影響を受けて独特のペルー料理を形成しています。
海岸地帯の料理には以前ご紹介したセビチェのように魚介類を豊富に使った料理が多いんです。シエラ(山岳地帯)では旧文明の食文化が多く残っており パチャマンカ料理やエクアドルやボリビアのように、クイと呼ばれる天竺鼠や、アルパカの肉も貴重な蛋白源として食べられています。アマゾンの密林地帯では料理用のバナナ(プランテイン)を含め多くのフルーツやアマゾンで獲れる淡水魚(ピラニアも含め)や陸生の動物も食べられています。
魚介たっぷりペルーのご馳走ごはんを頂いたところで本日はお終いです。お次は「【旅行】たみトラベル Vol.5 ペルーの世界遺産である空中都市マチュピチュを散策!②」をお届けしますのでお楽しみに!
written by たみと