“現界も霊界も含めて世の中は広いもので、日本心霊科学協会の会員になって十五年もたちますから、霊界の事は何でもわかりそうなものですが、会員同士のお話を聞いても理解できない事ばかりで、お恥ずかしい限りで御座います。此の、下世話に申せば御利益話に属する、とげ抜き地蔵さんのお話も、私自身で体験しながら、何で効いたのか、わからないお話です。
長野県佐久市にお住まいの中戸永子先生は、私の師匠と仰ぐ方ですが、其の先生が三年程前
『迷信くさいお話ですが、水天宮さんの安産のお札と、巣鴨のとげ抜き地蔵さんの御影は霊験あらたかですよ』
と、おっしゃったんです。
浅野和三郎先生のお弟子で間部先生にも鍛えられた中戸先生の事ですから、必ず事実の上に立っておっしゃって居られるに違いないとは思ったのですが、御婦人ではあるし老齢の事でもあるから、少々焼きがまわって来たのかな、なぞと大変失礼な事を考えながら、『ま、それでもいいや、高いものでもあるまいし、一丁買って置くか』ぐらいの気持で、巣鴨のとげ抜き地蔵さんの縁日〈四の日〉に行きましたら、いや物凄い人出で、押すな押すなの人の数なのでびっくりしました。
その人達をかきわけて、やっとの思いで買い求めた『御影』は幅一・四センチ、長さ三センチの薄い和紙に地蔵菩薩のお姿が印刷されて、それが四枚一包になっておりまして、代金は百円です。
家に帰り仏壇にしまって、そのまま二年たちました。申し訳のない事ですが、すっかり忘れておりました。
ところが、今年の二月から三月にかけて流行性感冒が大はやりとなりまして、家内も三月中頃やられました。朝食の時、味噌汁を飲もうとしても、咽喉が痛くて呑み込めなく、大いに苦労して居た時、パッと眼の前に地蔵尊のお姿が見えたそうです。それで家内は、『アッそうだ、巣鴨のお地蔵様』と思い出しまして、私に、『お父さん仏壇から、とげ抜き地蔵さんの御影を持ってきて』というものですから、しかたなしに探して家内に渡しました。
早速家内が御影を丸めて口に入れ水で呑み下しましたら、さき程までは味噌汁も通らなかったのに、すらすらと御影は咽喉を通り抜け腹に納まりました。これは有難い痛みも消えた、それでは御飯を試しに、という事で、怖わ怖わ御飯を口に運び呑み下しましたが、これ又すらすらと咽喉を通りました。実に有難い事で御座いました。
前に協会の心霊治療の講習を受け、遠隔治療もやり、直接治療もやった事は御座いますが、その原理は、背後霊というか治療霊団というか、それらの霊が病を治して下さる事になって居る、のでありますが、私が治療に当たって見た実感は、パッパッと気持ちよく快方に向かってくれたと思える事はただの一回もなくて、熱心に治療を受けに来られる方々に『大分良くなって来ましたよ』と私の方が元気づけられるくらいで、極めて不満足なものであったのに、地蔵尊のお姿を印刷した紙を呑んだだけで、ケロッと快癒したのを眼の前で見ると、何だか狐につままれたような気がしましたが、事実は事実なので報告致します。
それからこちら、孫共や私も含め、調子の悪い時は御影を服用させて頂いて居りますが、それなりの効果はあるようであります。が残念ながら家内のようにドンピシャリというわけにはいかぬにしても、相当なものであります。やはり霊視してそれに縋る場合と、そうでない場合とは効果に差があるのは或いは当然なのかも知れません。
いつぞや、『どうも肩が重いから視てくれないか』と、いう人が居られたので拝見した所、赤いよだれ掛けをした地蔵さんを見たので、その旨をお話したら、『いや、昨日、地蔵さんの並んでいる前を通った』とのお答えなので、その時軽く憑依されたらしいのですが、同じお地蔵さんでありながら一本調子でいかぬ所が面白いと思います。”
(「心霊研究」1982年9月号 井上一之『〈とげ抜き地蔵〉霊験談』)
*とげ抜き地蔵尊の「御影(おみかげ)」は、現在は200円となっています。郵送もして頂けます。
*おそらく現在の新型コロナについても当てはまるはずですが、出口王仁三郎聖師によると、『伝染病はすべて悪霊の作用』ということですので、やはり完全に終息させるためには物理的な対応だけでなく、霊的な対応も必要であろうと思います。
*決して現代医学を軽視しているわけではないのですが、新型コロナやその後遺症の決定的な治療薬が開発されていない現在では、神社仏閣での祈祷とか今回紹介させていただいた「とげ抜き地蔵尊の御影」のような霊符に頼るのも良いかも知れません。真言宗にも同じように水と一緒に飲む「千枚通(『南無大師遍照金剛』の御宝号)」というのがありますが、似たようなものは他にもあるかもしれません。
・伝染病は悪霊の仕業 〔出口王仁三郎聖師〕
“本年(昭和九年)も大分流行性感冒がはやるようであるが、戦争と流行性感冒はつきものである。あれは霊の仕業である。近年、満州事変、上海事変などで多くの戦死者を出したが、それに対して、禊(みそぎ)の行事が行われていない。禊の行事の大切なることは霊界物語に詳しく示しておいたが、昔はこの行事が厳格に行われたから、戦争などでたくさんの死者があっても地上波時々に清められて、流行性感冒のごとき惨害からまぬがるることを得たのであるが、今の人たちは霊界のことが一切分からず、禊の行事などのある事をすら知らぬ人たちのみなるがゆえに、邪気充満して地上は曇りに曇り、濁りに濁り、爛(ただ)れに爛れて、眼を開けて見ておられぬ惨状を呈しているのである。気の毒にもこうした事情を知らぬ世間の人々は、医師や薬にのみ重きをおいて、焦心焦慮しているのであるが、霊よりくる病気を体的にのみ解せんとするのは愚である。
禊の行事の偉大なる効果を知る人は凶事あるごとに常にこれを行うべきである。さすれば一家は常にほがらかでめったに病気などには罹らぬものである。(昭和九年三月)”
(加藤明子編「出口王仁三郎玉言集 玉鏡」より)
“伝染病はすべて悪霊のなす作用であるから、それを根絶しようと思えば、年に一度くらい餓鬼に供養してやるとよい。団子を作り河べりにおいて叮嚀に慰霊祭をすれば、決して悪病は蔓延せぬものである。(昭和二年十一月)”
(加藤明子編「出口王仁三郎玉言集 水鏡」より)