「とげぬき地蔵」の霊験 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “今から三百七十七年前の慶長元年(一五九六年)東京の下谷屏風坂に、この曹洞宗満頂山高岩寺は開かれ、明治二十四年に区画整理のため現在の地(北豊島郡巣鴨町)に移転して今日に至っております。

 高岩寺の縁起によりますと、正徳三年(一七一三年)五月の事、当時の江戸川小石川に住んでいた田村と云う人の妻は常に地蔵尊を厚く信仰していたそうですが、或る時男の子を出産して以後重い病に見舞われて床に臥し、手足はまるで「細い竹の如く」にやせ細ってしまったと云う事です。諸々方々の医者が手を尽くしても一向に快方に向かわず、遂にこの妻は臨終を覚悟して、「私の家には怨霊が有って、女はみな二十五歳までしか生きられないと、父母から聞いております。姉も二十五歳で亡くなりました」などと云い出すしまつ。

 夫は悲嘆にくれながらも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがり申すより方法が無いと思い付き、毎日一心に病気平癒の祈願をつづけたそうです。或る日の事、田村氏は不思議な夢を見ました。それは、黒衣に袈裟を掛けた一人のお坊さんが現われて「私の像(かたち)を一寸三分の大きさに彫刻して、川に浮かべなさい」「急にその様な事を云われても出来ない事だが」と応えますと、「それではあなたに印像をあたえよう」と云われて、夢からさめました。さて、何とも不思議な夢だ、とふと枕元を見ますと、何か木の様なものが置いてあります。よく見ますとそれは、彫ったものでも書いたものでもない不思議な地蔵尊のお影(すがた)だったと云う事であります。

 そこで命じられた通り、これを印肉にしめして、宝号を称えながら、一万体の御影をつくりました。そしてこれを両国橋に持参しまして、一心に祈願しながら河水に浮かべたのです。翌朝のこと、病床の妻が呼ぶので傍らへ行って見ますと、「今、この枕元に死魔が現われたのですが、錫杖を持った黒衣のお坊さんが現われて、手にした錫杖で外に突き出して下さったのです。私はそれを見ておりました」と告げたのです。田村氏は、「何とありがたい事だ」とそのあらたかな霊験の程に我を忘れていたそうですが、それから以後は、あれ程に重かった妻の病気が薄紙をはぐ様に快く成って、その年の十一月には床を離れることが出来る様になり、それ以来無病で過ごしたとの事であります。

 この事を田村氏が山高氏と云う人の家で話しましたところ、一座の中に毛利家に出入りしております僧侶で西順と云う名の人がおりまして、ぜひその御影を頂戴したいと云われ、田村氏は持っていた二枚をその僧侶にあたえたそうです。その後正徳五年の或る日、西順が出入りしていた毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。苦しみもがけど医者は手のほどこし様も無く、そこで西順は「ここに地蔵尊の御影があります。頂戴しなさい」と云って一枚を水で飲ませたそうです。すると間も無くこの女中は腹中のものを吐き出しましたので、水でそれを洗ったところ、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いて出て来たと云う事であります。以上はこの田村氏と云う人が自ら配して享保十三年(一七二八年)七月十七日に高岩寺に献納された記録の一部であるそうです。

 この霊験記に似た話を私共も数々聞いておりますが、私も自分で体験しております。昨年の秋のこと、部屋に飛び込んで来た蜂を追い出しそこねて、左の中指を刺されたのです。ほんの少しちくりとしただけで、大したことは無いと思って居りましたところ、中々腫れがひかずに一週間近くぐずついておりました。その時、ふと亡き祖母が受けて来て呉れた御影の事を思い出しました。それは約十年程前のものですが、御影を貼ってみました。その時には、物はためし的な無責任な気も手伝っておりましたが、翌日はすっかり腫れもおさまり、かゆみすら去っていたので、何とも不思議で、改めて疑ったことさえ申し訳なく心の中でお詫びした次第でありました。丁度治る時期と一致してのかも知れませんが、世の中には理屈で割り切れる話ばかりでは無いのですから、この答は心霊的に解釈するより説明が出来ないと思われます。”

 

(「心霊研究」1973年2月号 『全国神社仏閣巡り(二) 満頂山高岩寺』)

 

*巣鴨の「とげぬき地蔵」を知らない人はいませんが、この「御影」はもともとは「地蔵流し」のためのもので、しかもそれが人の手で彫ったものではなく、地蔵尊ご自身がお姿を現わした、それはそれはありがたいものであるということまでは、知っている方は少ないのではないでしょうか。この高岩寺でいただける「御影」は一袋に五枚入っており、子供が喉に魚の骨を詰まらせたときや、病気平癒を祈願して服用させるためのものとして配られておりますが、本来の使い方、つまり「地蔵流し」を行なって水子や未だ浄化されていない霊たちを供養することもできるはずです。もちろん、個人で千体や一万体もの地蔵流しは無理ですが、四国の光明真言行者、仲須ランさんによれば、地蔵流しは『三体でもよい』らしいので、数体の地蔵尊の御影を、ご真言「おんかかかびさんまえいそわか」を称えながら川に流すことで、未だ成仏出来ていない多くの霊たちを救うことができるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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