みろくの世の正月 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

「節分の翌日すなわち立春の日を一月元旦とするのである」    

 

(加藤明子編「出口王仁三郎玉言集 玉鏡」より)

 

 

・神聖暦 

 

 “艮の金神國常立之尊の筆先であるぞよ。永らくの神界の仕組の成就する時節が参りて、弥々(いよいよ)今年は五六七(みろく)の神政(よ)の始りとなりたぞよ。大正七年旧十月三日(注:出口ナオ開祖の御昇天の日)は、五六七の神政の守護の初りであるから、神界にては大正七年十月から以後を神聖元年と申し、大正八年の節分から神聖二年と成るのであるから、節分が済みたら此の大本の中から大変りを致すなれど、人民の眼には判らぬ事が多いから、余程身魂を研かんと、却つて神徳を外づす事が出来いたすぞよ。世界の経綸もそれに添ふて段々明白に判りて来るなれど、今の大本の役員や信者の思ふて居る様な事とは、天地の相違であるから、充分に胸に手を当てゝ神界の様子を考ヘて居らんと、神から露骨にはまだ少し発表する事が出来んから、各自に身魂を研ひて、思案いたして御蔭を取ろうより道は無いぞよ。 (大正八年一月十九日)”  

 

(「伊都能売(いづのめ)神諭」より)

 

 

・皇道大本の節分

 

四方(実之助) 聖師さまは、

 「世間の人は新暦のお正月、大本の人は旧暦のお正月、神さまは節分が正月や」

といわれていたことがあります。みろくの世になれば、節分が正月になるのでしょう。

 

出口(虎雄) そうですね、聖師さまは

 「みろくの世には恒天暦を使うようになる。それで節分の翌日が正月元旦になる」

といわれてますね。恒天暦というのは北斗暦ともいわれる宇宙運転の法則を暦にしたものと聞いていますが。

 

 

記者 大本の節分祭の一番眼目となるのは国祖の御再現を祝うという、この点ですね。

 

四方 それが一番大事な点です。

 

記者 それに大祓が密着しているというのは、国祖のご経綸そのものが第二次の大地の修理固成で、御出現と大祓とは一つになっているわけですね。

 

四方 大本としましてはそれが根本になっていますね。神道で大祓というのは、苗代の祓といって、六月に川で禊をして、やはり人型の形式をもった行事をやります。また十二月にもやります。大本で「神言」といっているのは、それらの祓のときにつかう「大祓祝詞」です。神道は祓の宗教といってもよいくらい大祓祝詞が必ずつくわけです。神道の祓の行事は大本のように深い思想はなかったのですが、これが大切だということは実際的に感じて、習慣的につづけてきたようです。節分の大祓はたいていの神社がやるようですけど、必ずどこでもと云うわけではありません。

 

 

記者 大祓がすんで豆まきに移ることになるのですが、その行事を聞かせて下さい。

 

四方 大本では生大豆をまきます。時節到来しまして、世間から悪神、鬼神あつかいされていた艮の金神様のお出ましを祝して、この節分の夜は、総長の音頭で御神前からお下げして祭員、怜人らが「福はうち、鬼もうち」と言って生大豆をまきます。

 

出口 その生の豆はまた、まめひと(神の子=人類)がいや栄えに栄えてゆくという意味であるとも二代様は教えておられますね。

 

記者 大祓の中頃からはじまる甘酒の接待も、昔からあったものでしょうか。

 

出口 開祖様時代から何かお祭りごとがある度に御接待なされたようですね。これには意味があるのです。甘酒というのは親神様の乳の象徴だと云われていますね。だから、ただ寒いから夜食がわりだとかいうものでなしに、親神様から生命のもとをいただくことを意味していますね。

 

(「おほもと」昭和32年12月号 『聖夜のかがり火 節分大祭を語る』より)

 

 

・節分大祭の「人型行事」について

 

四方(実之助) 一般の人たちは人型の取り扱いについて―― 自分の名前を書き込んで、自分がその人型になっているのだから、取り扱いを丁寧にしてほしい―― という声が多いですが、それは誤りで、聖師さまは、

 「人型をしているが、あれはその人の形代ではなしに罪、穢れの塊であって、壷の中へ封じ込むものだ」

とおっしゃったことがあります。それで御神前に供えたりはしません。人型を封じ込む時は、サラシの布を引き裂いて青竹で叩きのめしたものです。御神前に置いてあるからか、お供えしているような感じを抱いておられますが、あれはこういう方々の罪穢れ、邪気をお祓い頂きますようにと御祈願のための形代です。自分の着ている汚れた着物を祓わして頂くのと同じような意味でやっているのです。で、御神前の人型を入れる二十近い箱の一箱には五万入ります。それを大潔斎の終わった後、人型行事の始まる前に御神前に運び込んでおきます。そして「神言(かみごと)」が始まり中潔斎に入るとすぐに読み上げを始めます。

 

四方 人型に自分の穢れを移すという想念が大切ですね。それで聖師さまはよくおっしゃっていましたね。

 「節分で大祓いしたあとはみんなの罪穢れがすっかり無くなったのだ。それだから翌朝みろく殿へ入場する際に大幣の祓いはいらんのだ、みんな罪がないんじゃ」

と云われてね。それで少なくとも大祓行事の終わった日は、罪がないんじゃという自覚を持つことですね。またそうなのですから。

 

(「おほもと」昭和32年12月号 『聖夜のかがり火 節分大祭を語る』より)

 

・節分の「甘酒」の由来 (出口すみ子)

 

 “大本の節分のお祭りは、長年の間天地の艮におはいりになっておられた先祖の神様が、いよいよ時節が参り、明治二十五年、開祖様に神がかりになりまして、この世におあがりになりましたまことに結構なお祭りでございます。

 その節分祭に皆さんにあがって頂く甘酒は、天地の元の神様が世にあがられましたとき、お祝いとしてお供えになったのが甘酒でありまして、その甘酒をあやからして頂くのであります。

 天地の親神様が世に落ちなさるにつきましては、艮の金神様とご一緒に、その系統(ひっぽう)の神様が皆世に落ちてござって、長らくの間苦労なされたのでございます。

 これは霊のことで、人間の目には見えないのですが、聖師様が初めて大本においでになりました頃なども一番初発から世に落ちておられた神様が、なんぼおあがりになったか判りません。業をなさって苦しんでおられた神様や、根底の国に落ちておられた霊が沢山あがってきました。この霊のあがって来る有様は、実際口では云えません。

 まるで蜂が集団(たま)になって宿替えするときのようなゴーッという音をして何万という霊があがって参りました。みな大変に喜んで、親子の対面とか、夫婦の対面、主従の対面とかいうふうにそれは芝居のようでありました。その頃には、私などまだ霊のことがはっきり判らない時分でしたから、「おかしなことやなぁ、開祖様も聖師様も、おかしいことを仰るし、しなさるもんやなぁ」と思うて笑っておりましたけれど、ボツボツその時分の事を考えてみますと、なかなかそうしたわけのものではございません。これは一番初発の地獄の蓋開けで、大神様がお出ましになりましたに就きまして、沢山の霊がつぎからつぎと出て来たのであります。

 「助けてくれ、助けてくれ云うて、なんぼ出て来るやら知れん」と開祖様も云われました。わたしたちは根底の国に行ったことがないから、その苦しさは判りませんけれど、怖ろしい処に落ちていた霊が、こんどの神様のお出ましに際して、ちょうど陛下が御位につかれたり、お子様がお出来になったりお目出たいことがありますと懲役に行っている人が許してもらえますように、つまりああゆうふうに許されなさるのでしょう。

 そのときにあがってきた沢山の霊にこの甘酒を頂かしてやったのです。これは根底の国からあがってきた霊ばかりでなく、前に申しました大神様の系統の神々様も沢山ありました。その霊たちが喜んでこの甘酒を頂いて、元気一杯になって、どんどん世界にご活動なさるのです。”  

 

*今日は節分で、明日は立春です。大本信徒にとっては国祖国常立尊が御再現になられた日で、キリスト教徒の復活祭(イースター)に相当する大変に喜ばしい日です。出口聖師が「みろくの世の暦」として提唱されていた「恒天暦」では、節分の翌日の立春が1月1日で元日となりますが、この日は前夜の節分での大祓神事による潔斎で天地一切のあらゆる罪汚れが祓われているので、一年で最も清浄な日とされています。もともと明治以前は立春が正月でしたし、九星気学でも立春からを新年として、この日から「気」が変わるといわれています。おそらく節分・立春を境に、運命が劇的に変わる人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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