スサノオによる世界の浄化 〔植芝盛平〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・スサノオによる世界の浄化 〔合気道開祖、植芝盛平翁〕

 ”古事記にスサノオノ大神が天上界を追放されたことが書いてあるが、宇宙経綸のため営みの世界を果たすためには汚れが出るのは当然のことで、汚れがでてヤマタノオロチの姿も現われて来たのである。
 スサノオノ大神とは、その体はすべての気の神であり気の動きそのものである。暴風雨天変地異もスサノオノ命の気の現れである。ヤマタノオロチは全世界の汚れより生まれた有様で、つまり世界のことである。
 そこで汚れが満ちてきたので、スサノオノ命はオロチの腹をたちわって、中から神剣をとり出し、浄めて、天照大御神にさしあげたのです。剣とは天照大御神のみ魂ものである。
 『もの』というものが主になると、気が停滞する。そうするとどう動きようもなくなる。それでスサノオノ大神は神やらいにやられざるを得なくなった。それは世の様を示したものである。スサノオノ大神も大掃除にかかったのである。即ち剣を取り出し、そして天照大御神にお返しした。この剣こそ祭政一致の根源であって、武の現れである。合気の根源である。
 前にも言ったが、武とは鉾を止めるとよくいわれるが、よく味わうべき言葉である。それは魂の中に鉾を止めるのである。その魂が汚れれば浄めなければならぬ。汚れた体をたちわって剣を出したということは、スサノオノ命ご自身の体をご自身が浄められたということにもなる。つまり世界のことを意味し、我われのことでもある。我々はスサノオノ大神のご誠忠に神習い、自己をふりかえって自己を浄めることである。魄を魂にふりかえる最後の審判である。
 ヤマタノオロチというものが、はじめからあったわけではない。皆の邪気、諸神諸仏のけがれが現れて、オロチと化したのである。人類の汚れから生まれたのがオロチなのである。”

 

        (植芝盛平先生口述「武産合氣(たけむすあいき)」白光出版より)