プトレマイオスの宇宙 〔薔薇十字の学堂〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「地球中心の宇宙体系」 ルドルフ・シュタイナー

 

 “‥‥‥十五世紀には霊的認識はほぼ完全になくなります。大きな転回がなされたのです。

 けれども、十五、六世紀、また、もっと後にも、人里離れた、ほとんど人に知られていない薔薇十字の学堂がありました。少数の弟子が教育され、何よりも、一人一人がある一つの神聖な伝統を保管するように指示されました。物語の形でお話ししましょう。

 新しい弟子がこの人里離れた土地にやってきました。まず、古代から伝えられてきた、いわゆるプトレマイオス〈八七~一六五〉の宇宙体系が教えられました。プトレマイオスの宇宙体系は今日考えられているように、時代遅れの陳腐なものではありません。いかに地球は宇宙内での自らの運行を自ら決定できる力を有しているかが示されているのです。宇宙体系を正しい仕方で、つまりプトレマイオス的な意味で、表現しなければなりません。人間にとって、地球は宇宙の中心であり、他の星々は地球に指揮されて回転しています。「地球を研究すれば、プトレマイオス以外の宇宙体系に至ることはない。だが、そうではないのだ。人間が罪を犯したことによって、地球は不当にも太陽の領域に移行した。太陽が地球の活動の君主となったのだ。それゆえ、神々から与えられた地球を中心とするプトレマイオスの宇宙体系に対して、太陽を中心として、そのまわりを地球が回るというコペルニクス〈一四七三~一五四三〉の宇宙体系が立てられたのだ」と弟子に語られます。

 そして、人間の罪によって引き起こされた宇宙の誤謬がここにある、と弟子に明かされました。弟子は魂の奥深く、心の奥深くに「人間は古い宇宙体系を克服し、別の体系を立てた。この別の、正しいものと人々に見られている宇宙体系が、人間の罪の結果なのだということを人々は知らない。人間の罪を表現し、開示するものが正しい宇宙体系と見られている」と銘記しました。―― 「近代に何が起こったのか。科学は人間の罪に支えられている。科学は悪魔の科学になった」と師は弟子に語ります。―― 十八世紀末にはこのようなことも不可能になりました。少数の弟子たちは感情による認識、感情による観照を通して、孤独な薔薇十字の学堂から霊的な養分を受け取るようになりました。たとえば、偉大な哲学者ゴッドフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ〈一六四六~一七一六〉は、コペルニクスとプトレマイオスの宇宙体系の関係を正しい方法でまとめることのできる学院をどこかに見出したいという衝動を持ちましたが、見つけることはできませんでした。

 近代に生じた、人間と宇宙の関係についての見解の激変を正しく把握するためには、このようなことを知らねばなりません。自分自身とのいきいきとした関係の喪失、自分自身からの疎外とともに、人間は今日支配的な、外的な理解にすがりつくようになりました。この外的な理解はいったい人間的な体験なのでしょうか。もし人間的な体験なら、これほど外的な仕方で体験されることはなかったでしょう。この外的な理解は実際、個々人にはまったく結びついていません。この理解は何か形式的なものです。この理解は内的な人間の体験から湧き上がるものではありません。この理解は本来何か外的なものとして現われます。” (P145~P147)

 

 “十五世紀から十八、九世紀にかけて、神的なものへの一般的な衝動として生じた感情は、真正で真実なものでした。この時期には非常に美しく、素晴らしいものが見出されます。当時は霊の息吹が感じられていました。けれども、同時に、古代の霊的真理への理解は不可能になり、それに伴って、時代に相応しい方法で霊界に近づく能力も失われていきました。十八世紀の人々は、人間的なものすべての破壊と、恐るべき唯物論の登場について語りました。十八世紀の人々が語ることは、しばしば今日にもあてはまるように見えます。それでも、十八世紀の人々の語ることは、十九世紀の四〇年代以降にはあてはまりません。十八世紀には嫌悪をもって見られた悪魔的なものが、十九世紀には自明のものとなったのです。人々は「コペルニクスの宇宙体系は素晴らしいが、それは、人間が地上でなるべきものであったものになることができず、地球には君主がいなくなり、地球の統治は宇宙の不法の侯爵に委ねられたために生じたものだ。そのために、キリストは太陽を去って、地球の運命と合一したのだ」というだけの力をもはや持っていませんでした。

 そのような事柄に関して再び明瞭に認識されるようになるのは十九世紀末のことです。ミカエルの時代になって初めて、再び明瞭に認識することが可能になったのです。ミカエルの時代の始まりとその性格については何度もお話ししてきました。ミカエルの時代に結びついた任務があります。そして、クリスマス会議に並行してお話しした、さまざまな時代における霊観照の発展に引き続いて、今、ミカエルの時代の任務についてお話しすることができます。”(P150~P151)

 

(ルドルフ・シュタイナー「秘儀参入の道 シュタイナー講演集」(平河出版社)より)

 

*リブログ先でも紹介させて頂いておりますが、「霊界物語」第四巻の『神示の宇宙』において、出口聖師はある種の天動説、地球中心の宇宙体系を述べておられます。プトレマイオスとは異なり、出口聖師は太陽、地球ともに位置を変ずることなく、それぞれが傾斜運動を行っていると説いておられますが、地球中心の宇宙論であることは共通しています。多くの方がこのあまりにも非科学的な宇宙論を受け入れることが出来ず、早や第四巻にして躓かれ、霊界物語を荒唐無稽なもの、馬鹿々々しいものとして否定するようになってしまわれたのは残念ですが、シュタイナーによると、薔薇十字の学堂では、まず最初にプトレマイオスの宇宙体系が教えられたということですので、やはり早い段階でこの「神示の宇宙」を示す必要があったのだと思われます。もちろん、決して現代の科学、天文学を否定しているのではなく、より霊的な高次の認識が必要であるということを説いているのであって、各人の霊性が向上していくにしたがって、外界についての認識も、これまでとは異なったものになるのは当然だと思います。

・「霊界物語」第四巻より

 

「‥‥‥自分の宇宙観はすべて神示のままなれば、現代の天文学といかなる交渉を有するや否やは全然自分の関知するところにあらず。自分は神示に接してより二十四年間、ほとんど全く世界の出版物その物から絶縁しゐたり。したがって現在の天文学がいかなる程度にまで進歩発達しゐるかは無論知らざるなり。ゆゑに自分の述ぶる宇宙観に対して、ただちに現代の天文学的知識をもって臨むとも、にはかに首肯し難き点少なからざるべし。‥‥‥」(47章)

 

「‥‥‥瑞月王仁(わたし)は前述のごとく、現代の盛ンな学説に少しも拘泥せず、霊界にあって見聞きせるそのままを、出放題にしゃべるばかりである。これについては、満天下の智者学者が邪説怪論として、攻撃の矢を向けて来るであろう。‥‥‥」(49章)

 

*当時、批判されるどころか、嘲笑、軽蔑されることを覚悟で、出口聖師は、この「神示の宇宙」を発表されたわけですが(「こんなことを書けば世間の学者はワシを狂人だと思うだろう‥‥‥」)、私は、いつの日か必ず、この宇宙論が多くの人に認められるときが来ると信じております。