タゴールの神秘体験 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “タゴールは、アジア人として初めてのノーベル賞を受賞した文学者として有名です。特に、インド独立運動の精神的支柱としての役割を果たし、英領期のインドを代表する知識人として普及の名前をとどめました。

 そのタゴールが、まだ若き二一歳の時に得た神秘体験が、詩人であり宗教思想家としてのタゴールの、その後の活動に大きな影響を与えることになりました。

 タゴールが遭遇した神秘体験は、次のようなものでした(Tagore,1912、引用者訳)。

 

 私の人生にひとつの出来事が起き、それは今日までも消し去ることのできないものとなりました。

 サダル・ストリートの通りが途切れた、ちょうど自由学校の庭の木々が目に入る辺りでした。ある朝、私はベランダに立って、そちらのほうを眺めていました。ちょうど木々の葉隠れに、昇りつつある朝日が見えました。それを眺めているうちに、突然、一瞬にして私の目の前を覆っていたものが、消え失せたのです。

 私は目の当たりにしました。形容しがたい崇高な光に世界中が満たされて、歓びとたとえようのない美しさのなかで、すべてが打ち震えているのを。私の胸のひだを捉えていた悲しみの覆いがわずかな瞬きの間に取り払われて、世界に満ちる光輝が、私の胸の奥をくまなく照らし出したのです。

 

 サダル・ストリートは、コルカタ最大の商業エリアであるニューマーケットとインド博物館に挟まれた、コルカタのにぎやかな雑踏を象徴するエリアです。

 今では世界のバックパッカーの溜まり場として知られるようになり、物乞いの遊行者からリキシャ引きの労働者まで、あるいはマザー・テレサのボランティアから旅行者目当てのポン引きまでが行き交っている、喧噪で猥雑なコルカタの街を凝縮したような安宿街となっています。

 しかし、このタゴールの回想には、そんなサダル・ストリートの喧騒からは想像もつかないような、静謐な心象風景が描かれています。かつて宗教学者ウィリアム・ジェームズは、神秘体験の特徴のひとつが、言葉に出来ない直観的な意識状態にあると述べましたが、タゴールは、その直接に言葉には表すことのできない神秘的なヴィジョンを、自伝のなかの回想というスタイルを通して、文学者らしい簡潔な文章で描き出しています。”(P252~P254)

 

 “タゴールはその後、精神の高揚した状態がしばらく続き、数日間にわたり、心の内奥から全宇宙を照らし出す歓びの波という神秘的なヴィジョンを見ることになります。町の風景も通りを歩く人びとにも、その不思議なヴィジョンが重ね合わされて見えたと言います。しかし、その至福の状態も永遠ではなく、やがて冷めてゆくことになりました。

 その時にタゴールは、若者らしい好奇心から、この不思議なヴィジョンをより力強いものとして体験しようと考えて、美しい景勝地として知られるダージリンを訪れることにします。

 世俗の雑踏から隔絶され、清明で神々しい空気に包まれたヒマラヤ山脈の眺望を前にすることで、コルカタの雑踏を通して得られた神秘的なヴィジョンを、もう一度、より美しい景勝の地で、体験しようと目論んだのです。

 しかし、壮麗なヒマラヤの峰を前にしたタゴールは、その不思議な世界を開示する視力が、もはや自分から失われていることを知ります。タゴールは次のように述べています(Tagore,1912、引用者訳)。

 

 私は、ヒマラヤスギの森をさまよい、滝のかたわらに座り、その水で沐浴をし、そして透き通るように晴れ渡った空に、カンチェンジェンガの壮麗な頂を望みました。しかし、そういうものがたやすく見つかりそうな場所に、それを見つけることができませんでした。確かにそこにあるということはわかるのですが、もはや見ることはできないのです。

 ちょうど、宝石を眺めようと思っているうちに、宝石箱のふたが閉じてしまい、ただ箱を眺めているようなものでした。その宝石箱の装飾がいくら手が込んでいようとも、それはただのカラ箱なのだと納得することはできません・‥‥‥

 壮麗なヒマラヤがどれだけ空に高くそびえたっても、それは私に、何も与えてはくれなかったのです。

 ところが、惜しみなく与えつくすそのお方は、あのごみごみとした路地裏で、ほんの瞬きの瞬間に、永遠の宇宙のヴィジョンを見せてくれたのでした。

 

 サダル・ストリートでタゴールが体験した神秘的ヴィジョンは、それを体験する人びとの内的変容の体験と切り離すことのできないものでした。タゴールにとっては、それは景勝地であるヒマラヤの壮麗な峰に見つかるのではなく、猥雑な喧騒と雑踏の只中であるコルカタの、市井の人びとのなかにこそ見出されるものでした。

 肩を組む若者、子供をあやす母親、道端の牛の戯れる姿のなかにさえも、永遠の歓びの泉から湧き上がる無数の笑いのほとばしりが、タゴールには見えたと言います。

 人里はなれた荘厳な聖地では、それは決して得られないものであることを、タゴールは知ることになるのです。”(P256~P258)

 

       (外川昌彦「聖者たちの国へ ベンガルの宗教文化史」(NHKブックス)より)

 

*ラビンドラナート・タゴールの父、デヴェンドラナートは、ブラフマサマージ(梵協会)という宗教団体の指導者であり、もともと宗教的な環境に生まれ育ったことが、ラビンドラナートの人生に決定的な影響を与えたように思われます。聖者ラーマ・クリシュナが、デヴェンドラナートと会見した時の記録が残っていますが、少し高慢の気があるようだったが、彼の中にも確かに神の力が働いていた、と語っています。

 

*この外川昌彦氏の著書「聖者たちの国へ ベンガルの宗教文化史」は、ベンガル、バングラデシュの宗教について、特に聖者信仰やスーフィー(イスラム神秘主義)に焦点を当てて紹介されています。実在する神秘家の生々しい体験がかなり詳しく載せられており、また神秘主義の境地ではイスラムとヒンドゥが融合していることなど、外川氏が言われるように、聖者信仰こそが、対立するイスラムとヒンドゥの融和の鍵となるのかもしれません。

 

*ラーマ・クリシュナの弟子であるナレンドラナート(のちのヴィヴェーカナンダ)が、「近くのジュート工場の騒音がうるさくて瞑想できない」と不平を言うと、師は、「ならばその音に意識を集中せよ」と答えました。霊性の修行は、「「今いるところで始める」のが原則であり、環境が整ってから始めようとする者たちに、ラーマ・クリシュナは、「愚か者だけが、波が治まってから沐浴しようと考える」と叱りつけています。とにかく先ずアクションを起こしさえすれば、環境はひとりでに少しずつ整えられていくようです。

 

*ある観相家の方から、「目指すべきは街中の仙人じゃ」と言われたことがありますが、この言葉は、多くの人に当てはまるような気がします。