「神智学」について 〔聖パードレ・ピオ〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “しばしば告白者は告白室でピオ神父と論戦した。勿論、告白者は負け、神父の妥協を許さない信念の前に折れる事になった。しばしば彼らは告白の後、公衆の面前で告白し、ピオ神父を神の恩寵の奇蹟を起こす人として讃えるのであった。そのような一人がフェデリコ・アブレッシュ氏であった。

「最初にピオ神父に会った時、私はちょうどルーテル派教会から改宗したばかりであったが、社会的理由のために改宗したのであった。私には信仰がなかった。信仰を持っていると言う錯覚があったに過ぎない・・・私はオカルトや不思議な事象に心を奪われていた。一人の友人が私に交霊術を紹介した。しかし墓から来るこれら一切のメッセージに、すぐあきてしまい、神秘学や魔術の領域に熱心にのめり込んだ。」

「唯一の真理、神智学を体得したと宣言する人に私は出会った。すぐに弟子になり、最も魅力があり、興味をそそる題の書物を集めた。偉大な自己保証を持って、生まれ変わり、ロゴス(理法)、ブラーマ(インドの創造神)、マヤ(ヒンズー教の幻影の女神)と言うような言葉を口にした。偉大で新しい何かが必ず来ることを絶えず待ち望んだ。」

「何故だかわからないが、妻を喜ばすために、カトリックの秘蹟に時々あずかっていた。このような気持でいた時、生きながらにして十字架刑を受け、奇蹟を起こすカプチン会の神父について聞いたのであった。」

「わたしは好奇心にかられ、・・・行って、自分の眼で確かめることにした。」

「私はピオ神父の所へ行って告白した。そして神父は私が以前の告白でいくつかの大罪を告白しなかったことを直ちに指摘した。私が良い信仰を続けていたかどうか、神父は質問した。告白は社会的に教育的に良い制度であると思うが、告白の秘跡の神聖さについて少しも信じなかったと答えた。次いで、私が見聞きしたことに深く感動し、私は付け加えた、『神父さま、私は信じます』と。」

「激痛を感じているかのように、ピオ神父は言った、『あなたが抱いていたあらゆる考えは異端です。あなたの聖体拝領は瀆聖となりました。あなたは総告白をしなければならない。あなたの良心を糾明しなさい。真面目な告白はいつ最後にしたか一生懸命思い出しなさい。イエスは、ユダにたいするよりも、あなたに対してはもっと慈悲深いでしょう。」

「ピオ神父は私の頭越しに一瞥し、大きな声で言った『イエスと聖母マリアは祝せられ給え』そして女性の告白を聞くために教会の中へ入っていった。」

「その間、大いに感動し、震えながら、私は聖具室に留まっていた。私は動転し、集中できなかった。『最後の告白はいつであったか思い出しなさい』という言葉だけが頭の中で鳴り続けていた。」

「私はためらいつつも、決めた。心をプロテスタント信者であった事、条件付きでカトリックから再洗礼を受けたことをピオ神父に話すつもりになった。告白の秘跡のお陰で、私の過去のあらゆる罪は拭い去られた。しかし、それでも、心の平和の為に、子供のころからのすべての過去について反省しよう。」

「私が告白室に戻ると、ピオ神父は同じ質問を繰り返した。『あなたの最後の良い告白はいつでしたか?』『神父さま、私はちょうど・・・』と答えかけると、神父は私をさえぎり、『そうです。あなたが良い告白をしたのは、『新婚旅行から帰ってきた時です。それ以前のことは全部省略し、その時以後のことを話して下さい』と言った。」

「私は超自然と接触しているという事を実感して、あっけにとられ、圧倒された。神父は私に考える暇を与えなかった。私の過去全部を知っているにも関わらず、私に質問したのだ。私の過失のすべてを正確明瞭に列挙し、私が何回ミサに出なかったかさえも語った。」

「神父は私の大罪すべてについて明細に述べた後で、私の状態がどんなに重篤であったかを、印象深い言葉で説明した。決して忘れられない声の調子で神父は付け加えた、『あなたは悪魔を讃美して歌っていたが、イエスは素晴らしい愛で、あなたのために自分の首を折ったのです』神父はそれから私に罪を償うための罰を課し、罪を許した。」”

  

(ジョン・A・シュグ「ピオ神父の生涯」(聖母の騎士社)より)

 

*ここで誤解してはならないのは、ピオ神父は、決してインドのヒンズー教を否定されたわけではないということです。1960年代に開かれた第二次ヴァチカン公会議において、カトリック教会は、他の宗教にも聖霊の働きがあるということを認めていますし、ピオ神父ご自身が、信徒に対し「人は、それぞれ自分の宗教に執着するものだし、私たちは自分たちと同じ宗教を信仰しない人々をも尊重しなければならない」と語っています(参考:レンゾ・アレグリ著「パドレ・ピオ 希望の人」(祈りの園))。ここで批判されているのは、ニューエイジなどの、主なる神よりも人間の潜在能力の偉大さを強調するオカルト的な教えのことだと思います。低次の自我、エゴそのものが、あたかも神になろうと企てるものであるなら、その願望は悪魔から来るものです。マダム・ブラバツキーが創立された当初の神智学協会は、マハトマたちの指導に従い、比較的健全な団体だったと思うのですが、徐々にオカルト的な色彩が強まり、神・真理ではなくひたすら神秘体験、超能力ばかりを求め、霊的なエリートになることを夢見るような連中ばかりになってしまい、さらには「救世主(世界教師)」を人為的に地上にもたらそうとする企てまでが始まり、そのような動きを批判し続けていた神智学協会ドイツ支部長のルドルフ・シュタイナーは、ついに脱会して、彼等と袂を分かつことになりました。また、ヒンドゥの聖者ラーマクリシュナも、神智学協会については否定的な事を述べており、高弟のスワミ・ヴィヴェーカーナンダは公の場で神智学協会を名指しで批判しています。

 

*残念ながら、今の日本には、このかつてのフェデリコ・アブレッシュ氏のような方が、数多くいらっしゃるように思います。

 

*聖パードレ・ピオは、彼の霊的子供たちに、聖母マリアへの崇敬煉獄の霊魂のための祈りを命じられました。マルタ・ロバンによると、最後のとき、聖母マリアが介入されるということでもありますし、このことの重要性はもっと強調されて然るべきだと思います。また、最近「聖パードレ・ピオの予言」として、「暗黒の三日間」がどうのとか言っている方がおられますが、この予言はピオ神父によるものではありません。もともとは福者アンナ・マリア・タイージ(1769~1837)の手記の中にあったものですが、アロイジオ・デルコル神父(サレジオ会)によると、それが起こる日時具体的な内容については明らかにされていないということですし、そもそも彼女は、『天的なこの災難が何であるかは、神は、誰にも、親友にさえも、お示しになりませんでした』と書いています。

 

Did Padre Pio make a prophecy of three days of darkness?
No, he did'nt. He himself denied this with a resounding "No" to a spiritual daughter a few years before his death. The prophecy of three days darkness would be of Anne Marie Taigi, among others.

(「Voice of Padre Pio」Nov.2,1997)

 

*ローマ・カトリック教会と大本の関係についてですが、カトリック教会のエキュメニカル運動の一環として、1976年10月12日に、ローマ教皇庁の諸宗教聖省長官セルジオ・ピネドリー枢機卿と次官補でサレジオ会士でもあった尻枝正行神父が亀岡天恩郷を訪問されました。そして、ちょうど一年後に今度は大本側がヴァチカンを訪問し、1977年10月12日にサンピエトロ寺院内の聖壇での祝詞奏上の後、聖堂に付属するサンタマルタ宮殿で大本式の祭典が行なわれています(ヴァチカン内で異教の祭典が行われることについては、多くの高位聖職者たちの反対があったようですが、最終的に当時の教皇パウロ六世の判断によって実現したそうです)。私はカトリックの霊性は、日本人にとって決して異質なものではないと思っています。

(「おほもと」昭和52年11月号より)

 

*ルドルフ・シュタイナーは、マダム・ブラバツキーに対して、彼女の霊能、及び彼女がヨーロッパに与えた霊的、精神的な影響、功績を高く評価し、尊敬の念を持っていたと伝えられているのですが、以下のように、もともとブラバツキー夫人には人間的にかなり問題があったとも思っていたようです。

 

 “神智学協会が犯した最大の過りは、ヘレナ・ペトロヴチ・ブラヴァツキーが本人の願望や欲望、つまり通常の意識においてはキリスト教的—ユダヤ教的なものすべてに根強い反感、激しい嫌悪さえ抱き、地上のそれ以外のあらゆる精神文化を愛好するという状態で、キリストが見いだされる領域に霊的なまなざしを寄せたことにあります(ヘレナ・ペトロヴィチ・ブラヴァッキー(一八三一~一八九一)は旧姓をハーンといい、ロシアの神智学者で、一八七五年にヘンリー・スティール・オルコット大佐とともに神智学協会を創設した。雑誌も公刊し、多くの著名な人々を神智学にひきつけたが、女史いうところの奇跡の多くは心霊研究協会によっていかさまと断定された。『ベールを脱いだイシス』、『秘教』など)。そして、きょうお話ししたようなことを一度も経験したことがなかったために、ブラヴァッキーのキリスト観は当然ながら完全にまちがったものでした。彼女はそれをもっとも近しい弟子たちに伝え、爾来それはグロテスクなまでに単純化されて今日まで引きずられてきたのです。こうした事柄は最高位の次元にまで拡がります。隠れた領域で多くのものを見ることは、それを見わけられることとはちがいます。このことはしっかり強調されなければなりません。”

 

(ルドルフ・シュタイナー「魂の隠れた深み」(河出書房新社)より)

 

 

・安易に霊能力を求めることの危険性

 

 “アーリマンは個々の人間を恐ろしいほど霊視的にするでしょう。しかし、どのように霊視的になるかは、個々の人間でまったく異なっています。一人の人間の見る者は、二番目の人間には、そして三番目の人間には見えないのです。人びとは混乱し、霊視的な知恵の基礎を受け取ったにもかかわらず、互いに争ったり、喧嘩したりするようになります。なぜなら、さまざまな人間が見る者は、それぞれきわめて異なったものになるからです。しかしながら最終的には、人びとは自分の霊視能力にとても満足するようになるでしょう。というのも、かれらはそれぞれ霊界を覗き見ることができるようになるからです。しかし、その結果、地球の文化はすべてアーリマンの手に落ちることになるでしょう。自分の力で身につけなかったものをアーリマンから受け取ることで、人類はアーリマンの手に落ちるでしょう。「いまの状態にとどまりなさい。きみたちが望むなら、アーリマンはきみたちを全員霊視的にするだろう。なぜなら、アーリマンは大きな力もつようになるのだから」というのは人間に与えうるもっとも悪い助言になるでしょう。その結果、地球上にアーリマンの王国が建設され、地球全体がアーリマン化されるでしょう。そして、それまで人間の文化によって築かれてきたものは、いわば崩壊していくことになるでしょう。現代の人間が無意識的な傾向の中で欲しているよくないことが、すべて実現されることになるでしょう。ここで問題となるのは次のような点です。つまり、霊視的な種類の未来の知恵を、再びアーリマンの手から取り去らなくてはならないのです。私たちはここで、「本は一冊しかない。知恵は二つ存在しない。一冊の本だけが存在するのだ」と、いうことができます。ここで問題となるのは、その本を持つのはアーリマンなのか、キリストなのかという点です。人類がそのために戦わないならば、キリストはその本をもつことはできません。そして、そのために戦うことができるようになるためには、人類は「わたしたちはアーリマンが地球上に現われる時点までに、自分自身の努力を通して精神科学の内容を獲得し終えていなくてはならない」と、みずからに向かっていう必要があります。これが、精神科学の果たすべき宇宙的な仕事の内容です。精神科学の果たすべき宇宙的な仕事の本質は、「未来の学問は、このままアーリマン的であり続けることはないだろう」という点にあるのです。〈GA191 274〉”

 

(渋沢賛+松浦賢「ルドルフ・シュタイナーの大予言」イザラ書房より)

 

 

・神智学についてのラーマクリシュナの考え(弟子シャムとの対話)

 

シャム「師よ、神智学のことをどうお考えになりますか」

 

師「要するに、弟子づくりに奔走しているような連中はごく程度が低いのだ。ガンガーを歩いて渡ったり遠い国で誰かが話すことを言い当てたりするような通力を欲しがる連中も、やはり同様だ。このような人びとにとっては、神への純粋な愛を持つことはたいそう難しい」

 

シャム「でも神智学徒たちは、ヒンドゥの宗教を再興しようと努力してきました」

 

師「私は彼らのことはあまり知らない」

 

シャム「神智学では、魂が死後どこへ行くか、ということ、・・・月界へ行くか、星世界に行くか、またはもっと他の世界に行くか、ということ・・・を教えてくれます」

 

師「そうかもしれない。だが私自身の態度を話させておくれ。あるとき、ある人がハヌマーンに、『きょうの月齢は何日でしょうか』とたずねた。ハヌマーンはこれに答えて、『私は曜日とか月齢とか星の位置とかそのたぐいのことはまったく知らない。ラーマだけを思い続けている』と言ったそうだ。これが私の態度でもあるのだ。」

 

シャム「神智学徒たちは、マハートマたちの存在を信じております。あなたもそれをお信じになりますか」

 

師「もしお前が私の話を信じるなら、私はイエスと言うよ。だがいまはどうぞ、そのような問題は持ち出さないでおくれ。私がもう少し加減の良い時にまたおいで。もし、お前が私を信じるなら、お前が心の平和を得るための、何らかの方法が見つけられるだろう。・・・・」

 

(「ラーマクリシュナの福音」(日本ヴェーダーンタ協会)より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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