2019年10月13日(日)~ チャナッカレ(トロイ遺跡)
♡チャナッカレ港、黄昏のダーダネルス海峡。対岸はヨーロッパ。ジョージアのトビリシから遥か2,000kmを乗り継ぎ乗り継ぎし、よくぞここまでと思うと感無量。
エフェス観光を終え、木馬伝説で知られるトロイ遺跡目指して、そのゲートシティとなるチャナッカレへ向かいました。
チャナッカレはトルコ西部、ヨーロッパとアジアを隔てるダーダネルス海峡に面した港町で、ここセルチュクを午前中発の夕刻着、バス料金は総額、1、615円です。(途中、イズミル乗り換え)
私の乗ったバスは、これまでとは異なり、キラキラと輝くエーゲ海を左手に海沿いの曲がりくねった起伏のある道を進んで行きます。
まるで私の故郷の四国、南西部の海岸線を思い出させ、私は思わずその旅情に歌を口ずさみます。
♫ あなたがいつか話してくれた 岬をぼくはたずねて来た 二人で行くと約束したが 今ではそれも叶わないこと~ 岬めぐりのバスは走る~ 窓に広がる 青い海よ~ 悲しみ深く 胸に沈めたら この旅終えて 街に帰ろう~ ♪
岬めぐり/山本コータロー
陽も傾きかけた頃、バスはチャナッカレのダーダネルス海峡横断フェリーが発着するターミナル前に到着しました。バスから降りた私は、冷気に思わず襟もとを引き寄せます。季節はいつしかすっかり秋めいていました。
私は背を丸め、今夜の宿、フェリーターミナルから歩いてすぐの「アンザック ハウス」に向かいます。
♡久しぶりの野戦病院型ドミトリー。一泊603円。立地抜群。フェリーターミナルすぐ近くで、賑やかな通りにも徒歩3分。館内は清潔できれい。WIFIは部屋の中でも使用可。何と初日は私一人でこの部屋を独占したが、返って落ち着かなかった。
♡すっかり陽も暮れた港町チャナッカレ。旅も終盤、感傷に駆られた私は残された時間を惜しむように夜のちまたをさすらい歩く。(実はビールを飲みに出ただけ)
♡翌朝のチャナッカレ。ここへ来る前に寄ったセルチュクといい、トルコの地方都市は良い感じ。
次の日の朝、私はトロイ遺跡に行くために10分ほど歩いてドルムシュ・ガラジュに行き、ミニバスに乗って遺跡を目指します。
♡トロイ遺跡行きドルムシュ。30分、133円。
ドルムシュは郊外に出ると視界の開けた場所を走り、やがて集落を抜けると遺跡の入口に到着しました。
1,368円の入場料を払い、中に入りますとさっそく復元されたトロイの木馬がド~ンと出迎えてくれます。
♡上に登れる。
古代ギリシャの詩人、ホメロスの「イリアス」では、トロイは王妃ヘレネをめぐり、ギリシャと10年に及ぶ戦争となったそうです。(ギリシャ王の弟の嫁ヘレネをトロイのバカ王子パリスが、かどわかしたのが原因らしい)
可愛い弟のかたき討ちとばかりにギリシャ王はトロイに猛攻を仕掛けますが、なかなか陥落しない事に業を煮やした末に一計を案じ、兵隊を潜ませた木馬を城門の前に置いて軍は撤退したと思わせました。
翌朝、ギリシャ軍の姿が消えたのを見てトロイ軍は戦争が終わったと大喜び。この木馬を戦利品として場内に引き入れ、鯨飲馬食酒池肉林、飲めや歌えやの大祝賀会となりました。
しかし、その日の深夜、誰もが酔いつぶれた頃合いを見計らって木馬の中から兵隊が出て来て、当たるを幸い大暴れ。転びまろびつ、寄せては返す、上に下への大乱闘の末、結局トロイは陥落したとあります。
しかし、誰もがこれは伝説・おとぎ話の類であって事実ではないと思われていましたが、ドイツ人シェリーマンは、ベッドの中で母親に読んでもらったこの物語を事実だと信じ、長じて事業家として成功すると、人々の嘲笑もなんのその、私財を投げうって発掘調査を行い、ついにヒサルルクの丘でトロイの遺跡を1871年に発見したのです。
このトロイ遺跡は発掘史上でも記念碑的な遺跡とされ、世界遺産に登録されています。
私も小学生の時、学校の図書室でこの物語を読んで感激し、よし、竜宮城を必ず見つけて鯛やヒラメの舞い踊る様をこの目で見てやる、日本のシェリーマンになってやる、などと妄想したり、また、アキレスを演じたブラット・ピット主演の映画「トロイ」を見て、いつかトロイ遺跡に行ってみたいと思っていたのです。
このトロイ遺跡はガッカリ遺跡との評判もちらほら聞かれます。実際はどうでしょう?
♡入るとすぐ崩れた城塞跡があり、往時のトロイの戦士の息吹が感じられる。また、遊歩道もしっかり整備されている。
♡木の上には愛らしいリスの姿が。
♡トロイの遺跡は丘の上にあり、当時はこの下に港があったそうだが現在は海岸線は後退して6km先にあり、海は見えない。
♡城塞へと続く坂道。
♡上の写真の当時の想像図。ところでこの二人は何者なのだ。
♡建物の基礎となった石積み。
♡上の写真の当時の想像図。
♡トロイの遺跡の中心部。中央向こうに見えるテントの下で8千点ものお宝が発掘され、シュリーマンがトロイ王の名からこれらをプリアモスの財宝と名付けたとか。
♡上の写真の当時の想像図。
こうして、ひと通り、遺跡を巡りましたがトロイの遺跡の遺構はかなり崩れていて、また、遺跡自体も3千5百年の時代の開きがある上に、9期に分けられる都市の断片が不規則に現れるので分かり難くく、それがガッカリ名所と言われる所以かもしれません。
遺跡見学ではパムッカレのヒエラポリス、あるいはエフェスの遺跡を見ればあえてトロイ遺跡にまで来る必要は無いかもしれませんが、もし時間があればここも興味深い場所なのでぜひ訪れてみて下さい。私的には、この日は天気も良く、また前記2カ所と比べて人も少なく、ゆっくり見学出来たのが良かったです。
私は遺跡の外に出ると、ゲートから歩いて10分ほどのトロイ博物館へと向かい、トロイ遺跡から発掘された出土品を見学しました。
♡アフロディアの像。
♡矢じり。これがギリシャ軍に加わっていたアキレスのかかとを射抜いたと説明にあった。思わぬ所に弱点があると言うアキレス腱の由来となった故事だが?
♡黄金製の髪飾り。
ちなみにシュリーマンの発掘したプリアモスの財宝はベルリンへと持ち出され(この点でシュリーマンは批判されている)、その後、第二次世界大戦中、連合軍の爆撃で失われたとかベルリンを占領したソ連軍によって持ち去られたとかで、その大部分の所在が分からなくなってしまっているそうです。
すっかり満足した私はチャナッカレに帰るために博物館前の乗り場でドルムシュを待ったのですが、時刻表の時間が過ぎてもやってくる気配がありません。
仕事を終えたチケット売り場の美しいお姉さんが通リ掛かりましたので、ここでいいのか聞いてみましたが、お姉さんは、すぐ来るわ、と微笑んで村の方に歩き去りました。
私はさらに待ちましたが来る気配がありません。堪りかねてトロイ遺跡寄りの三叉路まで行って結局、3時間弱!も待たされてしまいました。(ここで別の日本人も待たされていた)
トロイ遺跡見学の際は、午後からは極端に便数が減るらしいので気を付けましょうね。