2019年10月2日(水) カッパドキア ギョレメ

 

 私は、まず、ギョレメの町中から見える大きなトルコ国旗が掲げられている丘を目指します。(行政区分では、ギョレメは町では無く村らしい)

 

♡サンセットポイント。正しくはアイドゥン・クラウの丘と言うらしい。

 

♡町を歩いていると、そこかしこにトルコ絨毯を扱う店が。

 

 

♡町中にもニョキと奇岩が。

 

♡そして、たいがいの岩に人の手で掘られた様子が。

 

♡これは住居だったのだろうけど(現役?)、ずい分凝った作り。いつごろのものだろう。 

 

♡現在でも実際に住居として使われている穴居ハウスも多く見られ、不動産屋でも紹介してもらえるそう。地震への備えは万全で耐火性抜群。一度、ご購入頂ければ未来永劫子子孫孫、お住みになれ、つるはし一本でお部屋の増改築も自由自在。(多分)

 

 坂道を登って行きますと台地状になった見晴らしの良い場所に着きました。

 

♡西側。ギョレメの街並み。

 

♡南側。奇岩群。数千年前に火山噴火を繰り返し、火山灰と溶岩が蓄積し層となったが、長い年月の間に風や雨で柔らかい層が浸食され、上の固い層が残ってこのような形になったとか。

 

♡南西側。突き出ているのがウチヒサル。岩山全体が掘りぬかれた城塞になっていて頂上からギョレメの奇岩風景を見渡せる。

 

♡北側。ローズバレー方面。ピンク色の岩の渓谷が続く。

 

 ここカッパドキアは、紀元前8,000年頃にはすでに人間が住み着いていたそうで、紀元前12~13世紀にはヒッタイト王国の中心地として栄えました。

 

 さらに、紀元前4世紀にはビザンツ帝国の領土となり、キリスト教を信仰する人々がカッパドキアの岩の洞窟を利用して暮らしていました。

 

 その後、カッパドキアはイスラム勢力の支配下に置かれましたが、その後もクリスチャンの人々はひっそりと迫害を逃れる様に生活していました。

 

 そして1923年、トルコ共和国が成立した事をきっかけにギリシャとの住民交換が行われ、この地からキリスト教の人々は居なくなったそうです。

 

 

 

 さて、360度の絶景を堪能した私は、写真を撮ってもらうため、辺りを見回しますと、ちょうど女性が一人、近くにいましたので「あの~、すみません。写真を撮ってもらえませんか?」と声を掛けます。(日本語で)

 

 余談ですが、こういう場面、私は基本的に日本語を使います。手にはカメラを持っていますし、場所やニュアンスでほぼ、こちらの意図する事は相手に伝わります。また、「ありがとう」などと言いますと、「お~、あなたは日本人ですか?」と言われ、「私は日本に行ったことがあります」などと親し気に話し掛けてくれる場面もよくあり面白いものです。(単に英語に苦手意識)

 

 話を元に戻しますと、私が頼んだ女性は、「ええ、いいですよ」と日本語で返事をします。私はギョレメのそこら中にいる中国人だと思っていたのですが、何の事はない、意外にも日本人だったのです。

 

 ところが、意表をつかれた私は「あれ、日本人?」と、間の抜けた言葉をつい、口にします。すると女性は「日本語で話し掛けて来たのに」と、途端に警戒心丸出しオーラを全身から発します。

 

 どうやら私は、同じ日本人を良い事に親し気に話し掛け、油断させて同朋を言葉巧みに罠に陥れる極悪非道、人間の風上にも置けぬ日本人だと思われたようです。(タイなどでは、こういう日本人をだまそうとするやからが多いとか)

 

 胡散臭い奴と思われつつも聞いた話では、この女性は貿易の仕事でマルタ島に行き、仕事もひと段落したのでカッパドキアに来たとの事です。地中海産マグロのディーラーでしょうか。世界を飛び回り、日本の食を支える尊い仕事の合間に息抜きで来た地で身構えさせて、誠に申し訳ないことです。(仕事内容は私の推定、アンティーク等の買い付けかも)

 

 

 こうして、不本意な出来事もありましたが丘を後にして坂を下りますと、オトガル(バスステーション)近くにレンタルバイク屋がありましたので、オートバイを借りるために主人と話しましたが、レンタルするためには日本の免許証が必要との事でした。(国際免許証でなくても可)

 

 失敗です。タイなどではパスポートさえあれば借りられるので免許証は持って来ていません。私はそこを何とか、と哀願しましたがダメでした。

 

 カッパドキアでの見所はけっこう広い範囲にちらばっているのですが、私のカッパドキアでの機動力はこれで大きく減殺されてしまいました。(グリーンツアー、レッドツアーと言った各種ツアーは毎日、数多く催行されてはいる)

 

 仕方ありませんので今度は20分ほど歩いて野外博物館へと向かいます。

 

 この野外博物館とは、ギョレメ谷にある30以上の岩窟教会の事を言い、保存状態の良いフレスコ画が見られ、カッパドキア観光の目玉の一つでもあります。

 

♡野外博物館に行く途中の道端で。これはナザール・ボンジュウと言うトルコのお守り。邪視からの災いをはねのけてくれるそう。どこの土産物屋にも置いていた。

 

 野外博物館に着きますとたくさんの観光客で賑わっていますが、その大半は中国人の団体客です。中国の人はカッパドキアが大好きなのでしょうか。それにしてもカッパドキア・ラブにも程があります。(それほど何処へ行っても溢れ返っていた)

 

 ここへ来る前に行ったネムルト山では中国人は見掛けなかったと思うのですが。

 

♡この写真からはそれほど多いようには見えないが・・・。

 

 私はさっそく、一つ目の岩窟に入ってみます。広さはそれほどではないので入口には行列が出来ています。中には色鮮やかなフレスコ画が残っていて、キリスト教に題材をとった宗教画でした。

 

♡岩窟内は写真撮影禁止になっていて警備員が目を光らせていた。ここは大丈夫の場所。

 

 私はこの後も幾つか岩窟内に入ってから、外で少し休憩をしていますと珍しく日本人の団体さんがいましたので、さりげなく中国人を装い、近くに行ってみます。ガイドさんの説明が聞ければ儲けものです。

 

 するとツアー客の中年男性が、トルコ人の若い女性ガイドに、「キリストさんやマリア様の絵は下手くそだねえ」と言っています。

 

 これに対してガイドさんが、少し悲しそうな顔をして「ええ、でも・・・」と困惑しています。

 

 確かに絵はヘタウマ風とは思いますが、これはこれで味が有り、真摯な宗教心が感じられると思うのですが。ミケランジェロやレンブラントの描いたような宗教画を期待していたのでしょうか。

 

 もし、仮に中国人観光客が高松塚古墳を見学して「飛鳥美人、下手くそあるよ。美人ないあるね」とでも言ったら、日本人としては面白くないのでは。(変な例え)

 

 私は空気を読まない、この男性に猛省を求めます。

 

♡野外博物館の敷地内。

 

 私は野外博物館の見学を終え、またギョレメの町中へ歩いて戻ります。(レンタルバイクを借りれなかった事がつくづく悔やまれる)

 

 途中、堪らずに茶店でチャイを飲んだのですが、そこでハタと気付きました。これだけ中国人が多いのは、ひょっとすると中国で秋の大型連休になっているのでは?と。

 

 そして、この事でここカッパドキアで想像だに出来ない恐ろしい事態になっていたのですが、私がそれに気付くのは翌日まで待たなくてはなりませんでした。