東京日本橋から東海道53次を徒歩で巡り、一度も帰宅せずに京都を目指す無謀旅
(7日目 掛川ー磐田編)
前書き
- このブログは、私が一人旅にて行った東海道五十三次を徒歩で巡る旅の記録。
一番の目的は後で見返す自己満足用だが、偶然見つけた人にも読めるように、できるだけ自分目線だけでなく書こうと思う。 - そもそも何をしたかったは、この辺↓
今回の経路全体は、赤矢印部分。
ガイド上は156km。
でも、実際には既に昨日までで、無駄に198kmも歩いてるらしい。
「一気に京都まで」は、できなかったが結果には大満足。
やめそうになって、やめなかった日の翌朝
- とうとう7日目。
昨日は、一旦「もう帰る」宣言したのに、結局、続けてしまった。
ただ、足の状態は酷くなる一方だ。
足をテープでぐるぐる巻きしながら考えてみる。
- まだ半分に達してないので、京都まで270kmはある。
無駄なく30km/日で行けても、9日間。
このペース、この足の状態で、京都まで行けそうにないことは
頭では理解できた。
- 一日、頑張ったけど帰るか・・・
切りのいいところ
- そこで地図を見ていて、気がついた。
あとひとつ、袋井まで行けば、丁度半分だ。
掛川で止めるのは、いくら何でももったいない。
半分を超えて磐田まで行って、そこで素直に電車に乗ろう。
- そう決めたら元気が出て、支度をして出発した。
- 昔の掛川は、こんなだったらしい。
ちょっと雰囲気だけ残ってるか。。
- 朝の道を西へ西へと歩く。
大池一里塚は日本橋から59里。
- ルート上で通りがかった寺の張り紙。
何故か、「そうだよな」と、すごく納得してしまった。
他責にしてもだめで、謙虚さが大事だね。
(でもこれって、最近よく見る”自己責任論”か?)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240601/14/choco3genki/a2/b6/j/o1388164615446028109.jpg?caw=800)
残し続けるのも大変だ
- 相変わらず、松並木を残してるところが多い。
維持にも手間がかかるだろうに、みんな頑張ってるんだ。
- やはりこの辺は、ヤマハ王国か。
- 徐々に、広い水田地域に入る。
水田にいる白い大きな鳥は、サギかな?
- 松並木、水田、そして、サギが飛ぶ。
ここだけ見れば、江戸時代と変わらないかもしれない。
- ここで国道に合流。
急に現代に戻る。
- ホント、良く手入れしてるなぁ
地元の皆さんのご苦労のお陰だ
- 「ここでは外せない」と思って行った、”どまんなか茶屋”は開いてなかった。
注目の店が閉まってるのは、今回の旅のお決まりパターン。
- さあ、いよいよ磐田。
見附宿だ。
- もう浜松までも、もう少し。
駅の近くで、浜松餃子のランチを食べた。
炭水化物が多いが、まあ、いいだろう。
- 磐田駅
満足感
- 何日も前からこの状態の足で、よく頑張った。
これ以上続けられなかったのはもちろん残念だが、不思議なほど満足感が強い。
丁度半分を超えた。気分は完全に晴れ晴れ。
5日目の、宇津ノ谷峠の集落で買ったおちょこに書かれてた「吾唯足知」の気分。十分満足だ。
- 還暦越えオジサンには上出来。
残りは次回にの楽しみに取っておこう。
- おかしなもので、ひとつでも、新幹線で西に進むのは変な抵抗感があったけど、
この場所からは、どうみても浜松に出てから東京に戻るのが妥当らしい。
無理やり自分を納得させて、浜松まで移動してから東京行き新幹線に乗った。
新幹線からは見えないもの
- 新幹線では、私があれほど苦労した山道を、あっと言う間にトンネルで駆け抜ける。
峠を越え、川を越え、3日も掛けた静岡市までも、たったの30分程度。
- そんな事を考えている間にも、小田原。品川。
文明の利器ってやつは凄い。
- でも、この7日間の歩きで、大都市を点と点で結ぶ新幹線からは見えないものをたくさん見て、多くの事を感じた。
- 外国人観光客だらけの箱根の喧騒
- 何故か日本人がいない箱根の夜
- 江戸時代と変わらなく維持された松並木
- 昔の面影を残すひっそりとした峠の景色
- 箱根以外の昔の宿場町で見た、
人のいない駅前商店街
- 川から思わず見返した絶景
- 古い宿場町の家を守り、
今もそこで生活する人々
- 今回は半分
で断念した。まで歩いた。
また次回、残りを歩き、また新たな発見をしたい。
5/21 Apple watchとiPhoneのヘルスケアアプリより:
1.ワークアウト時間:4時間35分
2.歩数 :31,936歩
3.ウォーキング距離:24.3km 累積距離 222.2km
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くそ~
俺の歩き方のどこがまずいのか確認して、絶対に続きをやる!