骨を正す、極めて個人的な事柄
少し腰が痛いのでたまにはからだをいたわってあげなきゃ…と整体を紹介してもらった。
からだのどこも凝っていないと思っていたらからだ中凝っていた。
力を抜くということが分かっていないみたいでだらんとしているつもりなのにいつもどこかにぐっと緊張がある。
骨盤がとてもずれていていつ怪我をしてもおかしくなかったよ、と教えてもらった。
ちゃんとサインを出してくれたんだね、からだくんは。
からだをさすったりほぐしたり押したりしてもらっている間ずっと頭のなかには骨をたどる指の感覚が、もむ側の意識に重なって見えていた。
その映像によると私の骨は白くて頼りなくて、なんだか太古の小動物みたいだった。
どんなふうにしてくれたいのか、その指の意志に波長を合わせてゆく。
実際の意志がきちんと正しく読み取れているかそれはやっぱりわからない。読み取ることのへたくそな私でもあるから。
だけど私の想像のなかで、いい。
なんだか会話のようだった。
ほんとうにわかっているのか、わかっていないのか、不安になりながらもそれも含めた大きなところを括って感じて、そのようになろうとからだをつくりかえる。
骨の位置も肉の柔らかさも温度も、少しずつまったく違うものになってゆく。
おわったとき、からだの中に涼やかな風が抜けるようだった。
手も足もいつもよりやわらかく長い。
肉が抵抗しないからシンプル部分、骨を積むように立ってる。
この感覚をずっと覚えていたい…!と思うけれどやはり1回では難しい。
けれど骨盤の位置は少し覚えたので、変な癖のところに逃げようとするのを制することができる。
なので痛みはじきにひくだろう。
リハーサルを中断して踊る友達をみたとき、今まで自分が踊っていたにもかかわらずものすごく踊っている自分が懐かしく、きりきりするくらい踊りたくなった。
このごろ3つのリハーサルと会社との間でこころががさがさして、時間がうまく作れないのは自分のせいじゃないかのように錯覚していた。
会社にも踊りを「仕事があるから」というふうに言っていたけれどそれはちっとも、自分の中から出たことばではない。
私は踊りたくて踊ってる。それがもしかしたらお仕事かもしれないし、お仕事としての責任があるかもしれない。だけど私は、踊りたいだけなんだ。
いっかな辿り着かないけれど、タジオを追った老音楽家のように、かたちに見える成功をつかむことじゃない結末でいいんだという気がする。
芸術とか美とか、なんでも、追い求められるものごとすべてには答えがない。辿り着くってなんだ。どこに?終点がないものに辿り着くわけもない。
得たいのは辿り着くことじゃなくて、探すことだったり、小さな気付きだったり、自己嫌悪だったり、わずかな変身だったり、なんじゃないかな。
だから芸術ってたぶんとてもわがままで個人的なところからはじまって(もしかしたら終わったとしても)、いいんだ、と思う。
あんまり自分でも整理できないけど。
からだのどこも凝っていないと思っていたらからだ中凝っていた。
力を抜くということが分かっていないみたいでだらんとしているつもりなのにいつもどこかにぐっと緊張がある。
骨盤がとてもずれていていつ怪我をしてもおかしくなかったよ、と教えてもらった。
ちゃんとサインを出してくれたんだね、からだくんは。
からだをさすったりほぐしたり押したりしてもらっている間ずっと頭のなかには骨をたどる指の感覚が、もむ側の意識に重なって見えていた。
その映像によると私の骨は白くて頼りなくて、なんだか太古の小動物みたいだった。
どんなふうにしてくれたいのか、その指の意志に波長を合わせてゆく。
実際の意志がきちんと正しく読み取れているかそれはやっぱりわからない。読み取ることのへたくそな私でもあるから。
だけど私の想像のなかで、いい。
なんだか会話のようだった。
ほんとうにわかっているのか、わかっていないのか、不安になりながらもそれも含めた大きなところを括って感じて、そのようになろうとからだをつくりかえる。
骨の位置も肉の柔らかさも温度も、少しずつまったく違うものになってゆく。
おわったとき、からだの中に涼やかな風が抜けるようだった。
手も足もいつもよりやわらかく長い。
肉が抵抗しないからシンプル部分、骨を積むように立ってる。
この感覚をずっと覚えていたい…!と思うけれどやはり1回では難しい。
けれど骨盤の位置は少し覚えたので、変な癖のところに逃げようとするのを制することができる。
なので痛みはじきにひくだろう。
リハーサルを中断して踊る友達をみたとき、今まで自分が踊っていたにもかかわらずものすごく踊っている自分が懐かしく、きりきりするくらい踊りたくなった。
このごろ3つのリハーサルと会社との間でこころががさがさして、時間がうまく作れないのは自分のせいじゃないかのように錯覚していた。
会社にも踊りを「仕事があるから」というふうに言っていたけれどそれはちっとも、自分の中から出たことばではない。
私は踊りたくて踊ってる。それがもしかしたらお仕事かもしれないし、お仕事としての責任があるかもしれない。だけど私は、踊りたいだけなんだ。
いっかな辿り着かないけれど、タジオを追った老音楽家のように、かたちに見える成功をつかむことじゃない結末でいいんだという気がする。
芸術とか美とか、なんでも、追い求められるものごとすべてには答えがない。辿り着くってなんだ。どこに?終点がないものに辿り着くわけもない。
得たいのは辿り着くことじゃなくて、探すことだったり、小さな気付きだったり、自己嫌悪だったり、わずかな変身だったり、なんじゃないかな。
だから芸術ってたぶんとてもわがままで個人的なところからはじまって(もしかしたら終わったとしても)、いいんだ、と思う。
あんまり自分でも整理できないけど。
『ベニスに死す』
冒頭からマーラーの5番が流れてきて、まだ青いバックに字しかでてきてないのに胸がぐっと詰まる。
もう一回再生しなおして音楽に浸っているとその青いバックがベニスの夕闇の空に変わってゆく。船からたなびいた煙が水平にはしって、カメラはその煙を追いかけながら船上へズームしてゆく。
惚れぼれするような、出だし。
何故だか私は美しい少年と老いた作曲家の恋と裏切りの話だとおおきく勘違いしていたのだけれど、もっと深遠な、芸術とはなにか、美とは?老いとは?というようなことが胸に湧き上がり、迫る映画だった。
ヴィスコンティはとにかく絢爛な舞台装置のひと、という印象が強かったのだけれど、舞台となったこのホテルはこの撮影のために建てられたものだそう。なんて、贅沢な。
調度品や衣装も時代に寄せて作られたらしい。
特に海辺にたたずむ婦人たちの、顔隠しのレースのついた帽子や、母親役のシルヴァーナ・マンガノの淡いグレーピンクのドレスとか、とても綺麗だった。
なにかでもともとヴィスコンティは衣装に携わっていたことを知って、あのこだわりにも納得。
「美とは努力の末に創りだすもの」という信念を持ち、その上に自分の存在意義を見出そうとするグスタフ(グスタフってやっぱりこのモデルはマーラー?)。
だけどこのホテルで「ただそこに存在する美」である少年に出会ってしまう。
自分の追い求めていたものが覆されるその衝撃よりも、グスタフはその美しさに魅了されてしまう。
追い求めるってこういうことだなあ、と思う。
構築して構築して、だけどあっというまにそれを上回るなにかに打ち崩されてしまう。
でもそのときの喜びったら、ないような気がする。
たぶんグスタフが少年を執拗なまでに追い求めたのは単なる恋心のようなものではなくて、長年こころを寄せ、尽くし、ゆだねてきた芸術(ということばにするとなんだかなあ、だけど)とか生きてきた意味、みたいなものをすべて、この少年の美しさが凌駕してしまったからなのではないかな。
少年の微笑みはちょっと誘うようでもあるんだけど、でも否定的な冷たさじゃない。
凌駕だけど否定じゃない。
だからグスタフは今までの自分の音楽へのあり方について、考えることになるんじゃないかな。
グスタフがかなしいまでに執拗に追い続けたのはかたちとしては少年だけど、自分が追い求めてきたなにかなんだと思う。
最後の方はもうはじめの渋いグスタフは影を完全にひそめて、見ている私が、そんなんじゃ美少年くんに嫌われちゃうよ、とはらはらさせられるくらいの風貌と行動だった。
でもそれでもおいかけたかった。
最後のシーン、あんまりうつくしくて、苦しいぐらいだった。
グスタフはぜんぜんうつくしくない。でも、グスタフがみてるものは比類なくうつくしいもので、最期のさいごに彼がそこに手を伸ばせたということが、ほんとうによかった。
ビョルン・アンドレセンはとても綺麗だった。
天使が間違って成長してしまったみたい。
だけど手を後ろに組んで歩く姿は、グスタフの頑なさに通ずるのではないかな、とちょっと感じた。
絵のように綺麗な顔だけれど体つきは子供でも大人でもない不完全さで、それは美しい不完全さともまた違ったように私は感じた。頼りないような、青すぎるような。
多分一瞬のその時間をグスタフが愛したのは分かるような気がする。
シルヴァーノ・マンガノは『アポロンの地獄』で彫刻のように綺麗なひとだ、と思っていたけれど、やっぱり人間離れした雰囲気を持っている。
このお母さんと少年と家族はポーランド人という設定だったらしいんだけど、どういうわけかこのひとたちの会話には字幕が付いていなくて、それがよけいに触れられないなにかを醸しだしていてよかった。
ただ実際はこの映画を見たヨーロッパのひとたちはポーランド語がわかるひとも多いのだろうから、また違う楽しみ方ができるんだろうな。
ダーク・ボガードの微妙な表情の変化もよかった。
ベネチアに帰らざるを得なくなった、あのときのにやけ顔は、可愛らしかった。
私は、伝染病がこの街に蔓延している、というのは死期を間近にしたグスタフの妄想かと思っていた。
心臓が弱かったというのと、美を追い求めるために燃やしすぎて命を落としたのだろうと思っていたけれど、どうやら、本当に伝染病にかかってしまったという話だったみたい。
いや、でも私の中では伝染病は妄想だということにしておこう。
少年がそこから逃れると知ったとき、老いた自分はその病のなかに置き去りにされ、手折られる。
もう一回再生しなおして音楽に浸っているとその青いバックがベニスの夕闇の空に変わってゆく。船からたなびいた煙が水平にはしって、カメラはその煙を追いかけながら船上へズームしてゆく。
惚れぼれするような、出だし。
何故だか私は美しい少年と老いた作曲家の恋と裏切りの話だとおおきく勘違いしていたのだけれど、もっと深遠な、芸術とはなにか、美とは?老いとは?というようなことが胸に湧き上がり、迫る映画だった。
ヴィスコンティはとにかく絢爛な舞台装置のひと、という印象が強かったのだけれど、舞台となったこのホテルはこの撮影のために建てられたものだそう。なんて、贅沢な。
調度品や衣装も時代に寄せて作られたらしい。
特に海辺にたたずむ婦人たちの、顔隠しのレースのついた帽子や、母親役のシルヴァーナ・マンガノの淡いグレーピンクのドレスとか、とても綺麗だった。
なにかでもともとヴィスコンティは衣装に携わっていたことを知って、あのこだわりにも納得。
「美とは努力の末に創りだすもの」という信念を持ち、その上に自分の存在意義を見出そうとするグスタフ(グスタフってやっぱりこのモデルはマーラー?)。
だけどこのホテルで「ただそこに存在する美」である少年に出会ってしまう。
自分の追い求めていたものが覆されるその衝撃よりも、グスタフはその美しさに魅了されてしまう。
追い求めるってこういうことだなあ、と思う。
構築して構築して、だけどあっというまにそれを上回るなにかに打ち崩されてしまう。
でもそのときの喜びったら、ないような気がする。
たぶんグスタフが少年を執拗なまでに追い求めたのは単なる恋心のようなものではなくて、長年こころを寄せ、尽くし、ゆだねてきた芸術(ということばにするとなんだかなあ、だけど)とか生きてきた意味、みたいなものをすべて、この少年の美しさが凌駕してしまったからなのではないかな。
少年の微笑みはちょっと誘うようでもあるんだけど、でも否定的な冷たさじゃない。
凌駕だけど否定じゃない。
だからグスタフは今までの自分の音楽へのあり方について、考えることになるんじゃないかな。
グスタフがかなしいまでに執拗に追い続けたのはかたちとしては少年だけど、自分が追い求めてきたなにかなんだと思う。
最後の方はもうはじめの渋いグスタフは影を完全にひそめて、見ている私が、そんなんじゃ美少年くんに嫌われちゃうよ、とはらはらさせられるくらいの風貌と行動だった。
でもそれでもおいかけたかった。
最後のシーン、あんまりうつくしくて、苦しいぐらいだった。
グスタフはぜんぜんうつくしくない。でも、グスタフがみてるものは比類なくうつくしいもので、最期のさいごに彼がそこに手を伸ばせたということが、ほんとうによかった。
ビョルン・アンドレセンはとても綺麗だった。
天使が間違って成長してしまったみたい。
だけど手を後ろに組んで歩く姿は、グスタフの頑なさに通ずるのではないかな、とちょっと感じた。
絵のように綺麗な顔だけれど体つきは子供でも大人でもない不完全さで、それは美しい不完全さともまた違ったように私は感じた。頼りないような、青すぎるような。
多分一瞬のその時間をグスタフが愛したのは分かるような気がする。
シルヴァーノ・マンガノは『アポロンの地獄』で彫刻のように綺麗なひとだ、と思っていたけれど、やっぱり人間離れした雰囲気を持っている。
このお母さんと少年と家族はポーランド人という設定だったらしいんだけど、どういうわけかこのひとたちの会話には字幕が付いていなくて、それがよけいに触れられないなにかを醸しだしていてよかった。
ただ実際はこの映画を見たヨーロッパのひとたちはポーランド語がわかるひとも多いのだろうから、また違う楽しみ方ができるんだろうな。
ダーク・ボガードの微妙な表情の変化もよかった。
ベネチアに帰らざるを得なくなった、あのときのにやけ顔は、可愛らしかった。
私は、伝染病がこの街に蔓延している、というのは死期を間近にしたグスタフの妄想かと思っていた。
心臓が弱かったというのと、美を追い求めるために燃やしすぎて命を落としたのだろうと思っていたけれど、どうやら、本当に伝染病にかかってしまったという話だったみたい。
いや、でも私の中では伝染病は妄想だということにしておこう。
少年がそこから逃れると知ったとき、老いた自分はその病のなかに置き去りにされ、手折られる。
- ワーナー・ホーム・ビデオ
- ベニスに死す
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
Yちゃんから薦められた映画。
ブリュッセルのカフェでホットショコラを飲みながら話した、その時の景色をいまでも覚えている。
探してみたけれど写真がなくて、どうしてあのカフェを撮らなかったのか、と悔やむくらいかっこいいカフェだった。
夜更けまでずっと語り合ったあのとき、私たちのまわりはいつのまにか女の子でも男の子でもないかんじのひとたちばっかりになっていた。
観たあとの今では、この映画を特別、中性というか性を選んでいないというか…のひとをテーマにした映画だと感じてはいない。感じたのはそれを越えるもの。
けれどそのカフェをふと思い出したら、その繋がりにほほえまずにいられなかった。
とにかく、ロック!な映画だった。
語るべきなにかをこうして熱くぶつけるのがロック、なのだろうな。
間違えば下品になってしまいそうなところを絶妙なセンスで仕上げている。
痛快。
あんなエネルギーどこから出るんだろう、というような、叫び。
だけどそれだからこそ、切ない。
懸命に生きて、全霊でひとと対面するということ。
歌もすごく上手。
歌詞ですべてを説明されるのはちょっときびしかったけれど、パフォーマンスと歌に惹かれて、乗り切れる。
お化粧や衣裳を身にまとうごとにこのひとは、どんどん曝け出していっているように見えた。
ときにはそれがひりひりと痛々しいし、けれどときにははっとするくらい美しい。
この日、とても優しくて切なくて、甘いかおりのする夢をみた。
ほんとうにいまだに、私はそんなことを欲しているのだろうか、それはわからない。
だけどその夢のにおいとそのシーンは驚くくらいに近くて、こいびとと優しく歌をかわすその時間がひびいた。
ヘドウィグが最後に自分の姿に戻ったのは、自分自身がとらえつづけていることから、自分を解放することができた、ということなんだろう。
自分のこころの望みや葛藤や、愛情や矛盾…。
自分をとらえているそのこと自身が、自分を解放もする。
今まで纏ってきたものをすべて取り払ったら、裸だけれど一番シンプルな核が残った。シンプルの中には今まで纏うことで痛々しくさらしていたことも、美しさも、醜さも、…すべてが含まれてる。
迷わないから(今は)、シンプルになれた。
またふたたびよくわからなく悩んだり、恋愛で泣いたりするんだろうな。このひとも。
だけどそのたびに、エネルギーをもやして、ずたずたになって、けれど力強く歌ってるんだろうな。
パワーをもらえる気がする。
なんだか、切ないんだけど、そのなかからきりっとしたすがすがしいちからを。
このヘドウィグ役の人と若いこいびと役のひと、両方を見て、ドイツにいる友達を思い出した。
びっくりするくらい透明なあおい目をもっていて、赤ちゃんみたいな巻き毛とくちびるをもっていて、たぐいまれなるひかりと、パフォーマンスの才能と、チャーミングなしぐさをもっている。
ブリュッセルのカフェでホットショコラを飲みながら話した、その時の景色をいまでも覚えている。
探してみたけれど写真がなくて、どうしてあのカフェを撮らなかったのか、と悔やむくらいかっこいいカフェだった。
夜更けまでずっと語り合ったあのとき、私たちのまわりはいつのまにか女の子でも男の子でもないかんじのひとたちばっかりになっていた。
観たあとの今では、この映画を特別、中性というか性を選んでいないというか…のひとをテーマにした映画だと感じてはいない。感じたのはそれを越えるもの。
けれどそのカフェをふと思い出したら、その繋がりにほほえまずにいられなかった。
とにかく、ロック!な映画だった。
語るべきなにかをこうして熱くぶつけるのがロック、なのだろうな。
間違えば下品になってしまいそうなところを絶妙なセンスで仕上げている。
痛快。
あんなエネルギーどこから出るんだろう、というような、叫び。
だけどそれだからこそ、切ない。
懸命に生きて、全霊でひとと対面するということ。
歌もすごく上手。
歌詞ですべてを説明されるのはちょっときびしかったけれど、パフォーマンスと歌に惹かれて、乗り切れる。
お化粧や衣裳を身にまとうごとにこのひとは、どんどん曝け出していっているように見えた。
ときにはそれがひりひりと痛々しいし、けれどときにははっとするくらい美しい。
この日、とても優しくて切なくて、甘いかおりのする夢をみた。
ほんとうにいまだに、私はそんなことを欲しているのだろうか、それはわからない。
だけどその夢のにおいとそのシーンは驚くくらいに近くて、こいびとと優しく歌をかわすその時間がひびいた。
ヘドウィグが最後に自分の姿に戻ったのは、自分自身がとらえつづけていることから、自分を解放することができた、ということなんだろう。
自分のこころの望みや葛藤や、愛情や矛盾…。
自分をとらえているそのこと自身が、自分を解放もする。
今まで纏ってきたものをすべて取り払ったら、裸だけれど一番シンプルな核が残った。シンプルの中には今まで纏うことで痛々しくさらしていたことも、美しさも、醜さも、…すべてが含まれてる。
迷わないから(今は)、シンプルになれた。
またふたたびよくわからなく悩んだり、恋愛で泣いたりするんだろうな。このひとも。
だけどそのたびに、エネルギーをもやして、ずたずたになって、けれど力強く歌ってるんだろうな。
パワーをもらえる気がする。
なんだか、切ないんだけど、そのなかからきりっとしたすがすがしいちからを。
このヘドウィグ役の人と若いこいびと役のひと、両方を見て、ドイツにいる友達を思い出した。
びっくりするくらい透明なあおい目をもっていて、赤ちゃんみたいな巻き毛とくちびるをもっていて、たぐいまれなるひかりと、パフォーマンスの才能と、チャーミングなしぐさをもっている。
『オールド・ボーイ』
韓国の映画はいままで何故か敬遠してきたので、多分はじめて。
好きなレビューを描いているひとが見ていたからなんとなく手に取ってみた。
見たことない人でこれからこの映画を見ようと思っている人は、これから先はもしかしたら読まないほうがいいかも。話がわかっちゃうといけないから。
***
私はこの映画の一番大事なオチを知っていた。
これを見た友達がさらっとそのオチを私に教えてくれていたのだ。
ほんとうにとてもさらっとだったから、まさかそこが一番のおおきなタネだとは思わなかった…。
まあでも、知っていた私でも主人公がこの真相に気づいた瞬間、あの写真を見る瞬間は鳥肌が立った。
日本の漫画が原作になっているらしい。
そう言われてみれば終わりのほうにあるモンスターが離れてゆくシーンで浦沢直樹を連想したところがあった。(あ、でもこの原作は浦沢直樹さんじゃないです。)
見ていて、これはあまり現実味がないなあ…と感じるシーンはいくつもある。
ひとりで20人からのチンピラに勝てるわけないとか(でもこのシーンの撮り方はちょっとかっこよかった)、思いっきり背中を刺されてるのにちっともこたえないところとか、室長に投げられた後ぶつかったガラスがなぜか内側に割れたところとか。
なにより、15年も監禁された人間の思考があそこまではっきり保たれるものなのかな?意思のちから?
催眠術の登場が都合よすぎたところも気になる。
まあでも、漫画が原作ならば、ちょっと納得。
飽きることなく真相までぐいぐい引っ張ってゆく力強さはよかった。
犯人の過去には同情するけれど、どうしてここまでしなければならなかったのか、という気持ちのほうが大きい。
悲しいその出来事から復讐を始めるまでの期間、彼は何をしていたのだろうとふと思った。
復讐の相手を探していたのだろうか?だけど彼なら、もっと早く見つけられた気がする。
相手が家族を持つのを待っていた?
復讐を終えたそのときの彼の表情を見て、このひとはただの狂った仮面だったわけじゃなかったんだ、ということを感じた。
語られなかった空白の時間、彼はどうしていたんだろう。
気になる。
ちょっと私にはわからなかったんだけれど、娘さんはどうしてお父さんのことが分からなかったんだろう。
ストックホルムの催眠術師に、母を殺害されたというつらい記憶を消してもらっていたということなのだろうか。
でも、そのストックホルムのことまで忘れたの?もしくは、主人公の娘とストックホルムが結びついた時点で記憶のどこかにひっかかったりしないものなのだろうか。
最後にはそのストックホルムらしきところにいたし。
ああ、でももしかしたら最後のシーンはほんとうの景色じゃないんだろうか。
痛いいたい!って思うシーンが満載でした。
なんと言ってもこの主人公を演じた俳優さんがすごい。
最初のシーンでこのひとがだらしないおなかをしたおじさんとして出てきたとき、パッケージのこのにらみを利かせたひとと同一人物だとは思いもよらなかった。
びっくり。
オールド・ボーイって、15年で年をとったという意味かと思っていたけれど、OBのことだったんだ。
好きなレビューを描いているひとが見ていたからなんとなく手に取ってみた。
見たことない人でこれからこの映画を見ようと思っている人は、これから先はもしかしたら読まないほうがいいかも。話がわかっちゃうといけないから。
***
私はこの映画の一番大事なオチを知っていた。
これを見た友達がさらっとそのオチを私に教えてくれていたのだ。
ほんとうにとてもさらっとだったから、まさかそこが一番のおおきなタネだとは思わなかった…。
まあでも、知っていた私でも主人公がこの真相に気づいた瞬間、あの写真を見る瞬間は鳥肌が立った。
日本の漫画が原作になっているらしい。
そう言われてみれば終わりのほうにあるモンスターが離れてゆくシーンで浦沢直樹を連想したところがあった。(あ、でもこの原作は浦沢直樹さんじゃないです。)
見ていて、これはあまり現実味がないなあ…と感じるシーンはいくつもある。
ひとりで20人からのチンピラに勝てるわけないとか(でもこのシーンの撮り方はちょっとかっこよかった)、思いっきり背中を刺されてるのにちっともこたえないところとか、室長に投げられた後ぶつかったガラスがなぜか内側に割れたところとか。
なにより、15年も監禁された人間の思考があそこまではっきり保たれるものなのかな?意思のちから?
催眠術の登場が都合よすぎたところも気になる。
まあでも、漫画が原作ならば、ちょっと納得。
飽きることなく真相までぐいぐい引っ張ってゆく力強さはよかった。
犯人の過去には同情するけれど、どうしてここまでしなければならなかったのか、という気持ちのほうが大きい。
悲しいその出来事から復讐を始めるまでの期間、彼は何をしていたのだろうとふと思った。
復讐の相手を探していたのだろうか?だけど彼なら、もっと早く見つけられた気がする。
相手が家族を持つのを待っていた?
復讐を終えたそのときの彼の表情を見て、このひとはただの狂った仮面だったわけじゃなかったんだ、ということを感じた。
語られなかった空白の時間、彼はどうしていたんだろう。
気になる。
ちょっと私にはわからなかったんだけれど、娘さんはどうしてお父さんのことが分からなかったんだろう。
ストックホルムの催眠術師に、母を殺害されたというつらい記憶を消してもらっていたということなのだろうか。
でも、そのストックホルムのことまで忘れたの?もしくは、主人公の娘とストックホルムが結びついた時点で記憶のどこかにひっかかったりしないものなのだろうか。
最後にはそのストックホルムらしきところにいたし。
ああ、でももしかしたら最後のシーンはほんとうの景色じゃないんだろうか。
痛いいたい!って思うシーンが満載でした。
なんと言ってもこの主人公を演じた俳優さんがすごい。
最初のシーンでこのひとがだらしないおなかをしたおじさんとして出てきたとき、パッケージのこのにらみを利かせたひとと同一人物だとは思いもよらなかった。
びっくり。
オールド・ボーイって、15年で年をとったという意味かと思っていたけれど、OBのことだったんだ。
夜の樹
夜の樹はどうしていつもより生きている感じがするんだろう。
もしかして私のほうが、夜になるとだんだん停止してゆくからなのかな。
照明に照らされて輪郭を際立たせた樹は、私が見ているこの瞬間、ちょっと静止しているだけのように見える。
虫たちは樹の根元や、芝生の隙間で羽根を震わせているのかと思ったら、枝の先のほうからも声が聞こえてきた。
見えないからうっとりと鳴き声にひたることができるけれど、もし枝先に鈴虫がたくさんいるのを目にしたらちょっと恐いなあ、と、全然うつくしくないことを考えてしまう。
今日、夜、3日くらい出しっぱなしにしておいた植木をうちのなかに入れたらマツムシのような虫がくっついてきたらしく、大きな声で鳴いている。
電気を消すとなきやむからどこにいるのかわからない。
逃がしてあげる前に声を録音しようと携帯を近づけてムービーを撮ったのだけれど、声が録音されなかった。
どうして?
集音できる音域ではないの?
それともこのマツムシが私と父の幻だったら、怖い。
ちゅんも知らん振りしているしなあ。
***
そうだ、マグネシウムライト。
これのことかなあ?(すごく分かりにくいか、この写真じゃ…)
葉っぱの生気を急に消す、つや消しのようなひかり。

