『ベニスに死す』 | アマヤドリ

『ベニスに死す』

冒頭からマーラーの5番が流れてきて、まだ青いバックに字しかでてきてないのに胸がぐっと詰まる。
もう一回再生しなおして音楽に浸っているとその青いバックがベニスの夕闇の空に変わってゆく。船からたなびいた煙が水平にはしって、カメラはその煙を追いかけながら船上へズームしてゆく。
惚れぼれするような、出だし。

何故だか私は美しい少年と老いた作曲家の恋と裏切りの話だとおおきく勘違いしていたのだけれど、もっと深遠な、芸術とはなにか、美とは?老いとは?というようなことが胸に湧き上がり、迫る映画だった。


ヴィスコンティはとにかく絢爛な舞台装置のひと、という印象が強かったのだけれど、舞台となったこのホテルはこの撮影のために建てられたものだそう。なんて、贅沢な。
調度品や衣装も時代に寄せて作られたらしい。
特に海辺にたたずむ婦人たちの、顔隠しのレースのついた帽子や、母親役のシルヴァーナ・マンガノの淡いグレーピンクのドレスとか、とても綺麗だった。
なにかでもともとヴィスコンティは衣装に携わっていたことを知って、あのこだわりにも納得。

「美とは努力の末に創りだすもの」という信念を持ち、その上に自分の存在意義を見出そうとするグスタフ(グスタフってやっぱりこのモデルはマーラー?)。
だけどこのホテルで「ただそこに存在する美」である少年に出会ってしまう。
自分の追い求めていたものが覆されるその衝撃よりも、グスタフはその美しさに魅了されてしまう。

追い求めるってこういうことだなあ、と思う。
構築して構築して、だけどあっというまにそれを上回るなにかに打ち崩されてしまう。
でもそのときの喜びったら、ないような気がする。
たぶんグスタフが少年を執拗なまでに追い求めたのは単なる恋心のようなものではなくて、長年こころを寄せ、尽くし、ゆだねてきた芸術(ということばにするとなんだかなあ、だけど)とか生きてきた意味、みたいなものをすべて、この少年の美しさが凌駕してしまったからなのではないかな。
少年の微笑みはちょっと誘うようでもあるんだけど、でも否定的な冷たさじゃない。
凌駕だけど否定じゃない。
だからグスタフは今までの自分の音楽へのあり方について、考えることになるんじゃないかな。

グスタフがかなしいまでに執拗に追い続けたのはかたちとしては少年だけど、自分が追い求めてきたなにかなんだと思う。
最後の方はもうはじめの渋いグスタフは影を完全にひそめて、見ている私が、そんなんじゃ美少年くんに嫌われちゃうよ、とはらはらさせられるくらいの風貌と行動だった。
でもそれでもおいかけたかった。

最後のシーン、あんまりうつくしくて、苦しいぐらいだった。
グスタフはぜんぜんうつくしくない。でも、グスタフがみてるものは比類なくうつくしいもので、最期のさいごに彼がそこに手を伸ばせたということが、ほんとうによかった。


ビョルン・アンドレセンはとても綺麗だった。
天使が間違って成長してしまったみたい。
だけど手を後ろに組んで歩く姿は、グスタフの頑なさに通ずるのではないかな、とちょっと感じた。
絵のように綺麗な顔だけれど体つきは子供でも大人でもない不完全さで、それは美しい不完全さともまた違ったように私は感じた。頼りないような、青すぎるような。
多分一瞬のその時間をグスタフが愛したのは分かるような気がする。

シルヴァーノ・マンガノは『アポロンの地獄』で彫刻のように綺麗なひとだ、と思っていたけれど、やっぱり人間離れした雰囲気を持っている。
このお母さんと少年と家族はポーランド人という設定だったらしいんだけど、どういうわけかこのひとたちの会話には字幕が付いていなくて、それがよけいに触れられないなにかを醸しだしていてよかった。
ただ実際はこの映画を見たヨーロッパのひとたちはポーランド語がわかるひとも多いのだろうから、また違う楽しみ方ができるんだろうな。

ダーク・ボガードの微妙な表情の変化もよかった。
ベネチアに帰らざるを得なくなった、あのときのにやけ顔は、可愛らしかった。


私は、伝染病がこの街に蔓延している、というのは死期を間近にしたグスタフの妄想かと思っていた。
心臓が弱かったというのと、美を追い求めるために燃やしすぎて命を落としたのだろうと思っていたけれど、どうやら、本当に伝染病にかかってしまったという話だったみたい。
いや、でも私の中では伝染病は妄想だということにしておこう。
少年がそこから逃れると知ったとき、老いた自分はその病のなかに置き去りにされ、手折られる。
ワーナー・ホーム・ビデオ
ベニスに死す