『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』 | アマヤドリ

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』

Yちゃんから薦められた映画。

ブリュッセルのカフェでホットショコラを飲みながら話した、その時の景色をいまでも覚えている。
探してみたけれど写真がなくて、どうしてあのカフェを撮らなかったのか、と悔やむくらいかっこいいカフェだった。
夜更けまでずっと語り合ったあのとき、私たちのまわりはいつのまにか女の子でも男の子でもないかんじのひとたちばっかりになっていた。
観たあとの今では、この映画を特別、中性というか性を選んでいないというか…のひとをテーマにした映画だと感じてはいない。感じたのはそれを越えるもの。
けれどそのカフェをふと思い出したら、その繋がりにほほえまずにいられなかった。


とにかく、ロック!な映画だった。
語るべきなにかをこうして熱くぶつけるのがロック、なのだろうな。
間違えば下品になってしまいそうなところを絶妙なセンスで仕上げている。
痛快。
あんなエネルギーどこから出るんだろう、というような、叫び。
だけどそれだからこそ、切ない。

懸命に生きて、全霊でひとと対面するということ。

歌もすごく上手。
歌詞ですべてを説明されるのはちょっときびしかったけれど、パフォーマンスと歌に惹かれて、乗り切れる。


お化粧や衣裳を身にまとうごとにこのひとは、どんどん曝け出していっているように見えた。
ときにはそれがひりひりと痛々しいし、けれどときにははっとするくらい美しい。


この日、とても優しくて切なくて、甘いかおりのする夢をみた。
ほんとうにいまだに、私はそんなことを欲しているのだろうか、それはわからない。
だけどその夢のにおいとそのシーンは驚くくらいに近くて、こいびとと優しく歌をかわすその時間がひびいた。


ヘドウィグが最後に自分の姿に戻ったのは、自分自身がとらえつづけていることから、自分を解放することができた、ということなんだろう。
自分のこころの望みや葛藤や、愛情や矛盾…。
自分をとらえているそのこと自身が、自分を解放もする。
今まで纏ってきたものをすべて取り払ったら、裸だけれど一番シンプルな核が残った。シンプルの中には今まで纏うことで痛々しくさらしていたことも、美しさも、醜さも、…すべてが含まれてる。
迷わないから(今は)、シンプルになれた。

またふたたびよくわからなく悩んだり、恋愛で泣いたりするんだろうな。このひとも。
だけどそのたびに、エネルギーをもやして、ずたずたになって、けれど力強く歌ってるんだろうな。
パワーをもらえる気がする。
なんだか、切ないんだけど、そのなかからきりっとしたすがすがしいちからを。


このヘドウィグ役の人と若いこいびと役のひと、両方を見て、ドイツにいる友達を思い出した。
びっくりするくらい透明なあおい目をもっていて、赤ちゃんみたいな巻き毛とくちびるをもっていて、たぐいまれなるひかりと、パフォーマンスの才能と、チャーミングなしぐさをもっている。


ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ