アマヤドリ -58ページ目

春、はる。

本番づくめの毎日。
けれど、昼に少し時間があったからさくらを見てきました。
はかないさくらは、つよい。
なんだかそんなことばが不意にあたまをよぎって、目を細めてしまった。

日本のさくらの写真を、こんどのせるね。


コメントとかにお返事をぜーんぜんしていなくてごめんなさい。
なんだかいつも少し浮き足立っている状態で、おちつかないから。


素敵な春を。

春の実感、磨きあげる作業


夢のなかでさくらを見た、その6時間後。
ほんとうのさくらを見ました。
電車に座ってふと外を見たら、あたたかく淡い日差しにつつまれてまだ5分咲きくらいの小さな枝。


青梅はうめが満開みたい。
うめの花はなんともいえないいい香りがする。
来年はうめを見に、青梅に遊びにいこうかしら。

***

明日は本番も4日目を迎えます。
お客さんに伝えることの難しさはもちろんのこと、一緒に演じている仲間へなにかを伝えることの難しさも感じている。
よかれと思って厳しく発してみたひとことは、思わぬ刺を含んでしまうこともありうる。
正しいとか間違っているとかは芽生えさせる心情の問題に比べたら小さなことだ。
ことばにも無頓着になってはいけない。
丁寧に伝えたいと思うならば。


同時に4月の舞台もリハーサル。
世界ができてきてわくわくする。
感覚で話すことができる心地よさ。

私にとって大切な場所。
この仲間と踊ることが出来るのは幸せだしその気持ちを共有していることもすごいな、と思う。
明日は衣裳も決まってくるのかしら。
どきどきするな。

夢/がくと、さくら

夢にGackt←こんなつづり? が出てきた。
彼の友達の絵か写真を見て関心を持って、2人が住むお家にいくようになったようだった。

芸能人なのでひっそりと彼のうちを訪ねる。はちみつ色の木でできた扉だった。
彼は家のなかではすっぴんで、ナチュラルな服装をしていた。
にこにこと私を招き入れてくれて友達の新作を見せてくれる。
いい匂いだね、と私は言う。何の香水?と訊くと当ててみて、と言う。

部屋の奥には大きな書庫がある。ちいさな町の図書館くらいある。いいなぁ…と眺めていたら友達が部屋から出てきて、この書庫はちょっと自慢なんだ、と案内してくれる。

いつのまにか私は香水やさんにいる。色々かいでみてどれがあの香りなんだろう、と考えている。

そのころGacktは体づくりかなにかでマラソンをしている。でも何か彼には病気があるらしく、途中でお尻の栓みたいなのが抜けて倒れてしまう。
彼は伴走のひとに私を呼んでほしい、と言う。

しかしそのころ私はのんきに街を歩いている。
見慣れた風景。
ここは、私が世界で一番思い入れのあるいっぽんのさくらの樹があるところだと気付く。
辿り着くまでにほかにもたくさんさくらがあるけれどまだ咲いている様子がない。けれど幹を霞のように、もも色が覆っている。
溢れだす花びらの前兆。
私の足はどんどん軽くなる。
途中右手に、さくらが咲いている枝をみつけてしまった。
ほんとうは今年最初のさくらがあのこだったらよかったのに、と思いながらも、立ち止まってさくらを仰ぐ。
やわらかそうな花びらがぴちぴちしていた。


***


ということで、今年はじめのさくらとの出会いは夢のなかでした。
あまりにさくらのことを考えすぎたのかもなぁ。


…あ、でもGacktのことは普段考えすぎたりしたことは全然ありません。
なぜだ。

昔、筧利夫←こんな字? と両思いだった夢を見てから、TVに彼がでるたびに他人じゃないような気がしてちょっと気にかかってしまったように、これからTVにGacktがでてきたらじっと見ちゃったりするんだろうか。

手をのばしに。


雨あがりの厚い雲を裂いて夕日が差し込んでいる。
生々しくて、胸がたかなる。

とびらをあけてもまたひとつ大きな部屋にでるだけだ、という寝る前に読んだ本のフレーズを思い出す。
ロッカーに入れられて隙間から世界をみることとこうして雲の向こうをのぞむこととはそういってみれば同じことなのだ。たまねぎみたいに。どんなに解放されたつもりでも、しっかりとどこかに釘づけされている。

けれど。
やっぱり、そらはうつくしいよ、とも、思うし。


これから一緒におどってゆきませんか?とのお誘いがあった。
私のまわりにはしあわせなことに素敵なひとがたくさんいていろんな影響を受けているけれど、けれど踊るということ、創るということのほんとうに深いところを切実に求めたいと思ったのは、このひとに触れたからかもしれなかった。
だから、うずうずするくらいにうれしい。


さぁ。
今日から1週間、本番です。
頑張ってきます。

からださぐり

小屋入り二日目。
背景と映像と照明と仕掛けがほぼ決まる。
そこが決まってくるとこの作品にもだいぶ世界ができてくる。なにしろ、この場、というものが重要な作品だから、ここにきて初めて膨らみはじめるイメージが私には多かった。

リハーサルは遅々として進まない。
テクニカルとのすりあわせがうまく運ばないのはたぶん、演出家自身もこの空間にダンサーをおいてみて初めて感じることが多くて迷いが生じているんだろう。

空白の時間には自分の動きをつめることにする。
正直に言えば、私が作って育ててきた風景や空気の温度とここにきて色々指示され動かされていることとは少し隔たりがある。少し、だけれど、その少しは育みたかった場所からの少しだから、私のなかでは大きな変更。
でも自分に引き寄せてへたに辻褄をあわせるのはよそう。
委ねて、新しいことに向き合ってみる。
どうせどこかで私の育てた景色は顔をみせることになるのだろうし、わたしにはわたしの温度を消すことなんかできないんだから。

知らない動きを感じる時間っていいものだ。
だいだい色の照明の下では蛍光灯の灯りのもとよりも自由に籠もることができる。
流れたり断ち切ったり、裏切ったり任せたり、おちゃめになってみたり絶望に沈んでみたり。
だけど感情を見せるのではない。
そのはたらきかけは空間に対して、でなければ。


来週は夜が本番で昼間は4月にある別の舞台のリハーサル。
頭にもからだにもハードな週だけれど踊ることだけ考えていられるのがうれしい。