アマヤドリ -48ページ目

恵比寿づいてる


友達と逢った。
ドイツに行く決心をした時、ふわりとそこに抱き込むようなあたたかさと、ただそこに迷いにだけいくのではないという道すじをくれたひと。

ただ楽しくお話をしているのにいつも、いちばん真剣なところに降りていっている。
おもてむきにあらわれる部分は一見毛色が違うのだけれど、たぶんその根が吸い込む水場は近い。
彼女がゆるしてくれることで私はもうひと呼吸、枝を潤す。
彼女の脈をたどることで私はわたしのなかのぶれを正し、真っすぐに立ちたいと思う。

友達と話していると、こんなにも私のなかに抱えているものは漠然としているのだなぁと感じる。
少しはかたちにできるようになってきていると思い込んでいたけれどまだまだ。
抱えているものが大きいから表せないのならばまだいい。
でもそうじゃないみたい。
漠然としか吸い込んでいないんだと思う。
何となく鏡に映してみた、というだけ。
焼き付けるところまでいっていない。

ひとのことばを借りたりせず差し出せるようになりたい。
揺れたらすぐにそれと気付いて立ち止まれる鋭敏さも。
鈍感なんだ。気付くことにもだし、すでに気付いていることがらを認識することにも。


なんか堅苦しい会合だったみたいに書いちゃったけど全然そんなふうではない。
かえりみるのはまた手をのばすため。


南の国の、大きな二段ベッドみたいなお店の、美味しい時間。

母とのつながり、ちゅんはジャイアン


母の日はバスローブをあげた。
私と同じでなんとなくお洒落とか女性らしいことが苦手な母…(内面はめっちゃ女性なのに)。
バスローブなんていつ着ればいいの~?と困惑していました。
ふはは。

それからおまけに、ちゅんと遊べるように飛ぶ鳥のおもちゃをfranc francで。
ゴムみたいのを巻いて飛ばすという単純なおもちゃ。
がりがりとものすごい回数を巻いているのにすぐ墜落しちゃう。外で遊ぶものだからきっとある程度の空気の流れが必要なんだろうなぁ。
ちゅんはけたたましい羽音に最初は驚きつつもすぐついてゆき、そして墜落した飛ぶことのへたくそなそいつを首を傾げながら見ていた。
停止しているとビニールの羽根を厳しくつっついています。
やはりいじめっこなのだ、こいつは。

ちゅんはますます私に甘えるようになりました。
かたときたりとも離れようとしない。
新しい友達を得てもしかして私への愛が薄らぐのでは…という不安は杞憂におわったけれどやっぱり別の趣味を見つけてほしいとも思う。

*

母は一人暮らしのおばあちゃんのうちを月一度訪ねて病院へつれてゆく。
このあいだ友達との電話で、もしお母さんがいなくなったら私はどうなるんだろうということを笑いながらだけれど話していた。

もし母が今のように元気でいられなくなったら私は母のためにどれほどのことができるだろう。
もちろんできることは全部に決まってるんだけど。

けれどそういうことに、私はあまりに子供だから。

ぐるぐるぐる。

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私のバイト先のいつもは使わない部屋にこんなものがありました。

「肩関節回転運動器」

…なんだこれ。
しかも旧字体で書いてある。
メモリとかも刻んである。
どうやって使うんだろう。

ハンドルがついていてぐるぐる回ります。
試しにぐるぐる回してみました。
肩関節が回ったような気もしますがよくわからない。

ちなみにバイト先は、ダンスとは無縁の場所です。


なんだこりゃ?

四大浮世絵師展

新聞やさんにもらったチケットがあったので大丸デパートの浮世絵展へ。

北斎の絵をはじめてちゃんと見て、とても好きになった。
世界に愛されている北斎を今まであまり知らなかったなんてちょっと恥ずかしいけど。

線ひとつひとつの輪郭が確かで、綺麗。
なんか書みたいだと思う。どんなに些細な線も、取りだして子細に見てみると様になっている。
直線も含んだ曲線。
広重もとてもよかったし(特に、切手になったという鴨が3連で飛んでいる縦長の絵)好きだけれどこの、線まで好き、というところまでばしっとこころをつかんだのは北斎だった。
ふくらはぎの、アキレス腱とつながる部分とか足の指の先がまあるく尖っているところとか、女性のからだの背骨のS字ラインとそれを着物がやわらかく沿って、重力を感じさせながら床にたまっているところ。
どんなに小さな部分でもバランスが保たれていて画面のどこを見てもおもしろかった。

色も構図も完璧ではないか?と思うような絵ばかり。
ちょっと洋画に影響された絵とかもあった。

アムステルダムのゴッホ美術館でゴッホが模写した北斎の雨と橋の絵を見たのだけれどその実物があって、なんだかひとまわり繋がったような気がした。
ゴッホのだけを見た時には、日本という特殊な文化への憧れが北斎に繋がっている、という単純なとらえ方しか何故かしていなかった。
友達がゴッホの本を貸してくれると言っていたから、もっとそのへんも知ることができたらいいな。


帰りにどうしても画集が欲しくて『北斎の花』というそんなに厚くない本を買った。
うちに帰ってよく見て気付いたけれど、絵を切り抜いて余計なページを増やしてあったりて、あまりいい本とは思えない。図録を買ったほうがいいかもしれない。
でもまあ季節のさまざまな花と鳥や虫などの生きものをあわせて描いた鮮やかな作品のいくつか、しかも展示にはなかった種類の絵がみられるからそれはそれでよかったかな。
版画もいいけれど絵の具(?)で描いたものもよくて、中でも12月を描いた連作の中の12番目、鶴と蓮の絵は実物を見てみたいと思った。
それからほおずきの絵と、西瓜も。

*

東京の大丸デパート内の美術館で今日12日まで開催です。
作品数も多いし、四大絵師が分けられてわかりやすく紹介されています。
ぜひぜひ。


浮世絵ギャラリー〈1〉北斎の花 (浮世絵ギャラリー (1))

パリ100年展、雨の上野、雨のカフェ


上野の東京都美術館へ。
あのへんは雨の日に訪れるのもなかなかいい気がする。
たてものがうえからじわじわ濡れて、緑がかおって。
修学旅行生に混ざってピザを食べてから。

*

ポール・シニャック
…虹みたいな厚みがありながらも輝く色彩がきれいだった。こんなセーヌ河も見てみたいな。

モネ
…水溜まりの青がきれいだった。あと雲間から光る空も。

ユトリロ
…ベルリオーズの家という題名の絵がよかった。背景の全面に白い壁が気持ち良く横切っていて。

ウジェーヌ・シセリ
…モンマルトルのムーラン・ギャレットという古びた風車。しばらく雨が降っていたのに今まさに雲の切れ間から光が差し込んだ!という感じの、みずみずしい空気。

ルノワール
…肌の色がきれいだな。たくさんの色が映りこんでいる。白って、やっぱりそういうものなんだろう。

エドゥアール・ヴュイヤール
…ヴィリエ駅。パステルの絵。私も小さい頃絵を描くのが好きだったからサンタさんにパステルを貰ったことがある。でもうまく使いこなせなかった。今なら使えるかも。

モーリス・ドニ
…色使いが好き。背景の藍色やグレーぽい、輪郭のラインのはっきりした田舎の風景もよかった。額縁の模様も可愛い。

ヴィクトル・ユゴー
…絵も描くなんて知らなかった。嵐の石城という題名どおり、重厚で胸騒ぎをおこす。

ギュスターヴ・モロー
…このひとの絵はあちこちで見ていたように思うけれどこのときほど胸を揺らしたことはなかった。レダと白鳥をテーマにした絵なのだけれど、全然出来上がっていない。輪郭の下書きが見えているし、地塗りのかんじも実験段階みたいだし。けれどレダの肌の、温度は低いけれど確かに生きている様子とすべてを委ねて目を閉じている横顔、やわらかくのばされた爪先と白鳥の左翼のライン、背景の藍色と天使がかかげる濃い朱色のなにものかの配置。綺麗で何度も見に戻った。
ドレスデンで見たイサクを思い出した。
それからこの藍と白の使い方、こないだ作った仮面に似ている。

*

そのあと少し歩いて別のギャラリーへ。
お風呂やさんだったたてものを可愛く使っている。
踊れそうなギャラリー…と思った。

帰りに寄ったカフェがとても可愛かった。
あそこらへんもいいなー。

雨の日のカフェもいい。
友達がお手洗いに立ったときに大きな窓の外を見つめながらゴットランドで入ったカフェを思い出していた。
熱があってどぎまぎして雨垂れをみて、ひとりで。