アマヤドリ -49ページ目

椅子だらけのお店、時間の部屋


だいぶ前だけれど行ってきた福生でみつけた、椅子専門店。
お店全体のつくりもアメリカの古い倉庫みたいでかっこよく、こんなところに住みたいよねー!とあちこちを見回していた。

椅子が大好きなAを、このお店に連れてきてあげたい。
でもいつそれがかなうかわからないから、こっそりと写真を撮った。

*

『モモ』のなかに出てくる、時間の部屋の奥のすべての秘密みたいなところでモモが見る永遠に再生しつづける花のシーンが美しくて好きだ。
それは世界の時間のみなもとの姿だとモモも読んでいる私も思うのに、マイスターホラは「それはおまえだけの時間のすがただよ」と言う。
その瞬間、モモも私も自分が唯一無二であり、同時にすべてのなかのひとつであることを知る。

ドイツでAに借りて読んだ本で知ったこと。
思いがけなく、でも生まれたときから手渡されていたプレゼント。
知っていたはずのその秘密をもういちど授けてもらった瞬間だった。

でも輪郭を意識しないだけでほんとうは、うたを聴くことはあるんだろうと思う。
こころからの励ましやまっすぐな恋のはなしをきいたり。一緒に見た空のことを思い出させてくれたり。ただふと笑ってくれたり。大雨の音、可愛くて泣きたくなること、もう見ることのないさくらの樹。
この瞬間はこんなにも懐かしいのだもの。


私はまだモモほど、この声をはっきりと聴くことはできないけど。

夢/飛行物体墜落


夢。

航空母艦の飛行機が着陸する部分の機能だけが主になった四角くて薄い飛行機が低空飛行している。
空の母艦のような姿はものものしくて、そんなものがこの田舎に飛んでくるとは…とただごとではないことにこころがざわざわする。
ふと傾いたかと思うとそれは家々の向こうに墜落してしまった。
私はその光景を母と窓からみていたのだけれどその瞬間窓際にある鉄のロッカーの背後に母を押し込んで、自分で蓋をするみたいにして飛んでくる破片から身を守った。
なんか夢では危機がおとずれるといつもこういう男前な行動をとるんだけど、実際に危ないことがあってもこうなれるんだろうか。

墜落現場から半径何キロは立入禁止地区になってしまった。
何故かドイツのポリツァイが厳重に街を囲っている。

避難するあいだ友達にこのことを伝えたくてメールを打つんだけど、携帯がレストランのメニューくらいにひらひらと大きくてくにゃくにゃ曲がるから全然メールできなかった。
パソコンからメールしたい…と思った途端うちのパソコンを付けっ放しにしてしまったことに気付いてうちに戻ることにする。

厳戒態勢のなかを縫うようにして、お墓を通ったり途中何故か殺人事件の手がかりを理科室に探す女の人になったり、お笑いのクイズ番組にでたりした。

*

飛行物体はときどき夢に出てくるのだけれどものすごく詳細がはっきりしていてかっこいい。
初めて見るデザイン。
質感や窓枠とかも素敵。

昔飛行機の設計図のことをずっと悩む白昼夢を見たことがある。
山手線のなかだった。
目は開いてるから夢なのかなんなのかわからない。
いろんなパーツが目の前の白紙には描いてあってそれが何故か飛行機のものだということはわかっていて、はっと我にかえって混乱した。

生まれ変わったら飛行機に携わるひとになるのかもしれない。

煙草の縁、のんびり夕飯


写真美術館を出たあと友達との待ち合わせまでに少し時間があったから入ってみたかったカフェに寄ることにした。

天井には大きなアネモネ。
分厚い緑のガラスの吊り照明。
古びた木のテーブル。
想像どおり素敵なお店だった。

手紙を出しそびれている友人にカードを書こうと持ってきていたので広げ、ホットチャイを注文し、まずは一息つこうかなと煙草に火をつけたら後ろから
「何の煙草吸ってるの?」 と声をかけられた。
ダックスフントを連れた男のひと。
バニラのかおりの巻き煙草だったからめずらしくて声を掛けてくれたみたい。
犬の名前はミニーちゃん。ミニーちゃんはしきりとくんくん匂いをかいでいる。おっきな目はまっくろでつやつや。
男の人はこのカフェの常連さんで、ご近所にすんでいる方だった。
恵比寿のことやこのカフェのことを色々話してくれた。
煙草をおすそわけしたり。

私もあんなふうに年をとりたいなぁ。


そしてその後踊り仲間とごはん。
すごーくおいしい中華でした。ふたりとも久しぶりだったからうれしかった。バレエ界のお話もおもしろかったし。
誘ってくれてありがとね。

ここの建物のエレベータにちょっとうけたけど。

シュルレアリスムと写真~痙攣する美

ジャコメッリを見たあとに目当てだった『シュルレアリスムと写真~痙攣する美』を見る。

ブラッサイから始まったから「シュルレアリスムって一体なんなんだっけ」とわけがわからなくなったけれど総括してみれば色とりどりでおもしろかったかな。

マン・レイの有名な作品もいくつかあった。
理性への回帰という作品が好き。なんだか、『ノスタルジア』のはじめのシーンを思い出す。
違う種類のなまめかしさなんだけど。
マグリットの撮った男の人が顔を手で隠している小さなスナップ写真があって可愛らしかった。

ほかに気になったのは

ブラッサイ/パリの屋根
…モンマルトルからパリの街を眺めたときに屋根にある小さな煙突みたいなものがすごく気になったのでそのことを思い出した。ブラッサイは好き。影か濃い霧みたいで。

ウジェーヌ・アジェ/ブラン・マントー通り25の古い家
…私が写した家と同じじゃないかと思った、けどよくわからない。階段の右手にある古い家なんだけどそのガラスを見た時の写真以外の景色のこともよく覚えている。

ウンボ
…通りを真上から見て、影のほうが実寸みたいに見えるのがおもしろい。

瑛久
…フェルディがこんなコラージュ好きかも、と思った。

平井輝七
…「月の夢想」の色使いや構成が可愛らしかった。ちょっとキリコぽい。

ビル・ブラント
…デヴィッド・リンチが好きそう、と勝手に。


なんだか子供ぽい感想。


一番心に残ったのはKarl Blossfeldtというひとの植物の写真。
植物とか動物って、すごく数学みたいなものに近い。パーツに秩序がある。私たちもそうなのかもしれないけど、なんかもっと、単位っぽい。
たんぽぽの綿毛とか、花びらの数が決まっていたり、螺旋で葉がのぼっていってたり、みつばちの巣とか複眼とか。
その単位の美しさと、集合したときの美しさ。
ちょっとまだおりてこないけれど、気になっているテーマだったから。

豆の新芽の螺旋階段みたいなのがよかったな。


うまく書けないからまた引用。

*

たとえばブロースフェルトは彼の驚嘆すべき植物写真において、トクサのなかに最古の柱の形式を、クサソテツのなかに司教杖を、十倍に拡大されたマロニエとカエデの新芽にトーテムポールを、オニナベナのなかにゴシック形式の飾り格子を出現させた。

~ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」

マリオ・ジャコメッリ展

空白がまぶしくとんでいるようなのにひかれた。
音がぽん、と抜かれてそのまま遠ざかるみたい。
観た瞬間にはざわめきがあるのにはっと遠退くから思わず耳をすます。
どこにつれてこられちゃったのか、これからどこに行き着くのかという手応えを探す、その彷徨いがそのままこころの中に知らず知らず沈殿してゆくような。

切り取る風景に配置されたもののバランスが心地いい。とてもやわらかくおさまっていると思った。
たとえばブレッソンがまさにここでしかない!という射るような絶妙さだとしたらジャコメッリはそれが落ち着くのを待ってあげたようなゆとりがある。
ブレッソンにあたたかみがないというわけではもちろんないし、ジャコメッリの構図が甘いというわけでもなくて。
結局はこれが一番すっと落ち着くポジションなのだろうけれど、感覚に入り込むまでに隙のような時間がある。
自分のなかに隙を与えられるからしっくりとおちる、のかな。

でも全体から感じる印象はざくざくと強くもある。
畦のがさがさした感じとか飛び立つ鳥たちが炎のように騒がしかったり、人物は生々しい夢のように輪郭が際立っているような気がしたり。
白と黒の落差が激しいことで生まれるぐっと迫るような主張と、隅とか奥にそっと配置されたちょっとした対象物へのやわらかな視線。

瞬間の激しさと、すっと…というかとろっと奥まる感触のあいだの一瞬の間。
ほんとうに、大音響が夢のように空っぽの、ごてごてしたたてものに響きながらおちていくみたいな感じ。

うまく言えないから会場にあった辺見庸さんのコメントを引用。

*

ジャコメッリの芸術は深い蠱惑の森である。薄明の中を歩けども歩けども果てなく、終わりかと思うと目眩く光が降り注ぎ、新たな風景がもう始まっている。どこか「劫(こう)」にも似た、時間的継起の失せた記憶の葉叢に囲まれるうちに、私たちの意識はいつしかめくりかえされて、陶然と、あるいは慄然として立ち尽くすほかになくなる。
(略)
たそがれゆく森の奥の底なし沼にも似た、人間意識のあわいに浮きつ沈みつする、いわゆる「閾(いき)」の風景もとらえようとする。

***

「劫」:きわめて長い時間の単位。多く宇宙の生滅などについていう。「永劫」
「閾」:光や音などの刺激の有無、同種刺激間の差異などが感知できるか否かの境目、またその境目にあたる刺激の強さ(閾値)。

…だって。
難しくてわからなかったので広辞苑にて。