ヴォルフガング・ティルマンスと街を見あげる
ヴォルフガング・ティルマンスを観にいった。
今まで、写真にうつしだされているその時間を旅するのが写真の見かただと思っていたのかもしれない。
私じゃない誰かが感じた時間がそこにあるから、その絵をとおりぬけておりていく、というように。
写真は媒体であって、その向こうの現実…というか3次元を見ようとしていた。鏡を見るときには鏡自体じゃなく、その向こうに結ぶ象を見つめるのと同じように。
けれどティルマンスの写真を見てこの日はじめて私は、ただその印画紙そのもののことと、光のことを考えたのだった。
写真の平らで2次元にすぎないその表面にほどこすなにものか自体。
そこにはただ光がやきつけられているのだということ。
けれどそこに透明な光が生まれ、立体を帯びるのはなぜなんだろう。
新しいこころの動きだった。
盲点にひかりを当てられたみたい。
そのあと六本木美術館のターナー賞展を見に行ってもティルマンスが一番いい、と感じた。
どんなものでも写真をとってみたい。
街を歩くとそこここに気持ちを揺さぶられるものがあって、その揺れごと、しるしておきたい。
と、思った。
遺稿
高校時代からなんとなく考古学とか神話とか生きていることの不思議みたいなことが好きで、そんな分野の研究をしてゆきたいと思っていた。
でも自分が興味を覚えていることがとても曖昧にひろがっていて(考古学から哲学から生物学、心理学、教育や芸術のこと)しかも浅すぎて、なにを選んだらよいのかさっぱりわからなかった。
そんなときにとても面白い教授の授業を受けた。
すぐにこのひとのゼミに入ろうと決意した。
教授はいつも豪快で面白くて、私はこのひとが大好きだった。
いつも不思議なおしゃれをしていて色んなことを知っていて。
お酒を飲むと奥さんとのなれそめを話してくれたりしてちょっぴりジェラスだったり。というのは友達の間での冗談。
私の教育実習の最後の日、上下真っ白のスーツに白い蛇皮の靴できてくれた。
教室の誰もが度肝を抜かれるなか、先生はまったくそのざわめきに気づいていなかった。
授業を終えてから、先生なんでそんないかしたいでたちなんですか?と訊くと、君の大事なときだから一張羅を着てきたんだと得意気だった。
校長先生に挨拶をしたいと言ってくれたのだけれど、先生、多分その蛇皮の靴はワシントン条約に反しているからやめときましょうとうやむやにした。
結局私だけがちゃんとした就職をせずに踊ることを選んだ。
卒業もぎりぎりな私を先生はずっと心配してくれた。
君のことが一番心配なんだよ、と。
先生とみんなとは卒業してから2回くらい逢った。
美ヶ原高原に旅行に行ったのも卒業してからだっけ?忘れちゃった。ハンガリーから先生の友達が来て湿地を歩いた。
そんな集まりが何度かあったのだけれど、私はやっとただの生徒じゃなくて踊りを教え始めた頃だったから1ヵ月に1回くらいしか青空を見られないくらい忙しくて精神的にも逼迫していて、何回かはお断りしたんだった。
ほんとうにほんとうにある日突然、先生が亡くなった、というメールが友達から来た。
うそだ、と思った。
でもお葬式にいったらうそじゃあなくって、いつも先生がかけていた黒ぶちのめがねがいつもの笑顔の写真の前にぽつんと置いてあるのを見た。
先生なしのめがねだけなんて。
親族の方がそこにいるのに、どうしても泣くことをやめられなかった。
***
つい先々月、ゼミの女の子がメールで先生の遺稿を後輩がまとめて本にしたみたいだから、ということを教えてくれた。
卒業してからの私の薄情ぶりも手伝って私と大学時との関わりは残念ながらものすごく密度の薄いものになってしまったけれど、先生とその周りの空気だけは時間が止まったみたいにそこにくっきりと、ある。
この本の存在を知って、それがまた温度を取り戻したみたいな気持ちになった。
先生が亡くなって何年たつんだろう?
今でも先生の携帯の番号を消すことができない。
でも自分が興味を覚えていることがとても曖昧にひろがっていて(考古学から哲学から生物学、心理学、教育や芸術のこと)しかも浅すぎて、なにを選んだらよいのかさっぱりわからなかった。
そんなときにとても面白い教授の授業を受けた。
すぐにこのひとのゼミに入ろうと決意した。
教授はいつも豪快で面白くて、私はこのひとが大好きだった。
いつも不思議なおしゃれをしていて色んなことを知っていて。
お酒を飲むと奥さんとのなれそめを話してくれたりしてちょっぴりジェラスだったり。というのは友達の間での冗談。
私の教育実習の最後の日、上下真っ白のスーツに白い蛇皮の靴できてくれた。
教室の誰もが度肝を抜かれるなか、先生はまったくそのざわめきに気づいていなかった。
授業を終えてから、先生なんでそんないかしたいでたちなんですか?と訊くと、君の大事なときだから一張羅を着てきたんだと得意気だった。
校長先生に挨拶をしたいと言ってくれたのだけれど、先生、多分その蛇皮の靴はワシントン条約に反しているからやめときましょうとうやむやにした。
結局私だけがちゃんとした就職をせずに踊ることを選んだ。
卒業もぎりぎりな私を先生はずっと心配してくれた。
君のことが一番心配なんだよ、と。
先生とみんなとは卒業してから2回くらい逢った。
美ヶ原高原に旅行に行ったのも卒業してからだっけ?忘れちゃった。ハンガリーから先生の友達が来て湿地を歩いた。
そんな集まりが何度かあったのだけれど、私はやっとただの生徒じゃなくて踊りを教え始めた頃だったから1ヵ月に1回くらいしか青空を見られないくらい忙しくて精神的にも逼迫していて、何回かはお断りしたんだった。
ほんとうにほんとうにある日突然、先生が亡くなった、というメールが友達から来た。
うそだ、と思った。
でもお葬式にいったらうそじゃあなくって、いつも先生がかけていた黒ぶちのめがねがいつもの笑顔の写真の前にぽつんと置いてあるのを見た。
先生なしのめがねだけなんて。
親族の方がそこにいるのに、どうしても泣くことをやめられなかった。
***
つい先々月、ゼミの女の子がメールで先生の遺稿を後輩がまとめて本にしたみたいだから、ということを教えてくれた。
卒業してからの私の薄情ぶりも手伝って私と大学時との関わりは残念ながらものすごく密度の薄いものになってしまったけれど、先生とその周りの空気だけは時間が止まったみたいにそこにくっきりと、ある。
この本の存在を知って、それがまた温度を取り戻したみたいな気持ちになった。
先生が亡くなって何年たつんだろう?
今でも先生の携帯の番号を消すことができない。

- 神部 武宣, 綾部 真雄, 山上 亜紀
- さらばモンゴロイド―「人種」に物言いをつける
『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル
キャンベルのトマト缶と、輪郭と色のずれたマリリン・モンロー。
アンディ・ウォーホルといったら私はそれしかしらない。
こないだのヤン・ファーブルの舞台を見たり友達にシルクスクリーンのことを聞いたりしてそろそろ知りたいなと思っていたところこの本を借りた。
「哲学」と書いてあるけれどせんぜん堅苦しいことはなくて、友達と延々と長話をしながらジャムを舐めたり、ホテルのロビーで誰かさんを観察したり、香水を集めていたり、1ページにもわたって好きな匂いを挙げたり、爬虫類的と言われたことを書いたり。
なんだか早回しで、いろんなものをぶちまけたみたいな日常だな、と思う。
子供っぽくておちゃめだけどどこかひとに対して一線を忘れない。(この本は襲撃よりあとにかかれているからそのことも関係しているのかわからないけど)
とぼけたような語り口だけれどちゃんと真面目で、ときどき鋭い感覚にどきりとさせられる。
とにかく知らないことだらけだから感想をかくのもなんか恥ずかしいからこのへんで。
以下、気になった部分をいくつか。
***
B、なんてったって無は無の反対側にあるからね。
*
お喋りというのはなにかを“している”のだ。
美しい人というのは“である”だけなの。
*
洗濯物が回ってると、プリント地でも、チューリップ柄でもなんでもだけど乾燥機の中で回ってるとケネス・ノーランドの絵みたい。みんな直線になって。
*
ぼくが絵を描くとき。
ぼくはキャンバスを見て、その空間を測る。「さて、これはこの角のところにあったほうがいいのかな」と思い、「うんそうだ、そこにあったほうがいい」と言う。それでもう1度見て「あの角のところは青が少しあったほうがいいかな」と言い、その時そこに青を置いてみて、そして眺めるとそこに青が見えてくる。そして筆を取って動かし、そこを青くする。もうちょっと青の空間を増やしたいときは小さな筆でそこを青くする。そして緑の筆を手に取って、緑の筆をそこにおいて緑を塗り、そして後ろに下がって眺めてみて空間取りがそれでいいかどうか見る。空間取りがうまくいってないときもあるわけだから、その時は絵の具を取り出して別のところに緑を少し塗って、そしてうまくいったらそのまま放っておく。
ぼくの哲学
音の消えない部屋
ヤンソンを好きだと言ったら、そのことが少し恐くなる、と言ったひとがいた。
女のひととしては強すぎるし彼女は瞳に自然のことばをただ純粋に映したがっているように見えるから、と。素敵だしわかるんだけど、なんかね。と。
私にとってはもっとなまなましく豊かなその姿がそのひとには清冷すぎ、輪郭が際立ちすぎるように見えたのかもしれない。
そのことばを聞いたときに深く打たれたことを覚えている。
もっとヤンソンを読めば魅力がわかるかもしれないのになぁと笑いながら。
私がわたしのなかにそれを宿すことと、たとえば隣にいるひとがそれを宿してひとりで立っているのを見ていることとの、この決定的な違い。
隣り合っていてもわかりあえないことのかなしさのことではない。
触れたいからこそ知るすれ違いと、けれども「触れたいしつかんでおきたい」と願いあえる、ひとを想うことのやさしさと切なさみたいなもの。
それがうみだすしんとしたなにかは、とおくとおく落ちて揺るがし、ひろがった波紋は今でも続いている。
誰にも理解されないでもいいなんて、ひとりの人間としてもなにかを伝えるものとしても最終的には考えたことはない(いじけてそんなことを思ったことは、あるかもしれない)。
でもほんとうに世界に深く結び付いていたいと願うならば、こんな気持ちの震えこそ、誠実にとっておくべきなのじゃあないかな。
私にとってはそれがとても大事なことのような気がしてる。近ごろますます。
私にのばされた手はおずおずしているかもしれないし待って、と囁く声は小さい、けれども実はこころのかぎりのそれより大切なものなんか、そうそう、ない。
もしかしたらそんなものの残像やこだまで私はできているのかもしれない、と思うくらい。
もしかしたら発したひとも忘れているかもしれない。
罪ほろぼしをしたいわけでもなくて。
いつまでも響くから。



