まずはホーチミンへ。
用意なんてすぐできると思っていたのに、服に悩んで手間取った。
夏に何を着ていたか思い出せなかったから。
5時に起きなきゃいけないのに2時まで起きていた。
成田空港はいつもわくわくする。
きりっとしたよそおいが、旅に価値を与えてくれるからいい。
機内食。
持ってきてくれたスチュワーデスさんのアオザイに、友達はずっと萌えてた。
私はそのひとのあごから首にかけて浮いている血管に、もえる。
私のほうが100倍、変質者ぽい。
ずっと海を通っていった。
陸じゃなくて海を通ってゆくと、日本からどのくらい離れているのかわからなくなる。
はじめて日本を離れたときに自分の残像のようなものを残して遠くの島に離れてしまうことがとてもつらかったのを覚えている。
雨のなかのさくらを見たからかもしれない。
南のあたたかい太陽の中でもこころのなかのどこかには雨に打たれてかおりをけしてゆく花びらがしんしんと冷えていって、窓の外ばかりをみつめた。
なつかしいな、と思う。
そう思えるようになるとは分かっていたけれど、信じていなかった。
くねくねと曲がりくねった川。
これはトランジットのため立ち寄ったベトナムの風景です。
写真には撮らなかったけれどもっと大きな川だか、海峡だかが見えたのだけれど全部水の色が茶色だった。
ホーチミンの空港。
とても綺麗で、無駄じゃないかと思われるほどに広い。
空港はとても少ない柱で広い天井が支えられている。
構造のことが、つい、気になる。
気になったところで知識はゼロなので、なんの解決もないのだけれど。
空港は今まさに増設中だった。
この写真の突き当たりの窓の外には作業員さんがいて、なにか計画を練っているか、油を売っているところだった。
外をみると現場に傘をかぶったおばちゃんがいて、日本だったら一発で監督署に怒られてアウトだ、と笑う。
UFO爆発?
ベトナム通信、カンボジア沖で「UFO」爆発と報道
ベトナム通信(VNA)は28日、同国南部プーコック島の上空で未確認飛行物体(UFO)が爆発したと報じた..........≪続きを読む≫
なんだこりゃ。
ふと、タイムリーな話題を見つけてしまったので引用。
なにか大きな事故でなければいいのだけれどなあ。
私の乗った飛行機ではありません、とにかく。
ベトナム通信(VNA)は28日、同国南部プーコック島の上空で未確認飛行物体(UFO)が爆発したと報じた..........≪続きを読む≫
なんだこりゃ。
ふと、タイムリーな話題を見つけてしまったので引用。
なにか大きな事故でなければいいのだけれどなあ。
私の乗った飛行機ではありません、とにかく。
帰国しました
カンボジアから無事戻りました。
ホーチミン経由でシェムリアップという街に飛んだのだ けれど、飛行機のうえからすでに興奮。
黄土色の水田や水溜まりにおおわれた濃い緑が重く湿った空気に包まれていて、南に来たんだなぁ!という実感があったから。
アンコールワットやらラピュタのモデルになったとも言われる崩れた寺院にいったり、タクシーの運ちゃんのおうちに夕食に招かれたり、毎日ぎゅうぎゅうにあそんできました。
ここには載せきれないほど写真を撮ったのでどうやって、どこに載せたらいいだろう?という感じです。
とにかく、
無事に帰りました。
明日からまたちゃんと働いて、ちゃんと踊ろう。
ホーチミン経由でシェムリアップという街に飛んだのだ けれど、飛行機のうえからすでに興奮。
黄土色の水田や水溜まりにおおわれた濃い緑が重く湿った空気に包まれていて、南に来たんだなぁ!という実感があったから。
アンコールワットやらラピュタのモデルになったとも言われる崩れた寺院にいったり、タクシーの運ちゃんのおうちに夕食に招かれたり、毎日ぎゅうぎゅうにあそんできました。
ここには載せきれないほど写真を撮ったのでどうやって、どこに載せたらいいだろう?という感じです。
とにかく、
無事に帰りました。
明日からまたちゃんと働いて、ちゃんと踊ろう。
こもれび
職場のちいさな窓からはあまりたくさんの景色は見えない。
けれどふと息をつきたいときに、ここから外を眺めるのが好き。
昔から、ひらけた場所を狭いところから覗くことが好きだった気がする。
完成させたかったのにできあがらなかった脚本も、壁に囲まれていて世界は空しかないというおはなしだった。
影からひなたを見るのも好き。
決して踏み出さないぎりぎりのまま。
どうしてかな。
このごろ自分がなにを好きなんだろう、ということを前より考えるようになった。
何がこころをとらえるのか。
似たものが別にもあるのに、それとは何が違うのか。
好きなもの同士にはなにか共通点があるのか。
過去にさかのぼって関連付けてみたり。
そんな作業をほんとうになんとなくだけど、こうしてことばにしてみるよりももっとぼやんとしたかたちで。
もしかしたらかたちに落とすことは必ずしもよいことではないのかもしれない。
まるのままを受け取ることよりも、そこに姿をあたえることは大雑把だし、似ていてもそのものではいられないかもしれないのだから。
それに、輪郭を与えることはなにかとなにかとを不用意に区切ることにつながるかもしれない。
けれど、今までの時間のなかのところどころに指標みたいに立っているものごとを思い出し、触れることで、からだやこころのどこかに漠然と漂っていたあれこれがお互いにやわらかく溶け合い重みを持ち、どこかに定着するような感触がある。
辿り着いたどこか、すら漂っているそのものなのでもっとクリアにするには時間がかかりそうだけれど。
たぶん私はいつかのあのときに、自分の核のようなものにまっすぐ降りてゆくためにいろんなものをかきわけて蹴散らしたのだと思う。
たどりついた時にそれに手を触ながら今までよりもたくさん酸素を吸えるようになったと思ったけれども、見上げてみたらちかちか瞬くまぶしさが散乱していて、どこを寄る辺にしていいかわからなかった。
わからないけれどそれを見つけたこと、蹴散らせるほどに手ごたえのあるものなのだとわかったこと、それが大事だったんだと思う。
きっともうひとつ潜ってゆける。
と、自分を鼓舞して。
限りある場所から覗く枠のある視線のそのむこうは、どこまでも続いていて、すべてがある。
たぶん。
そう想像できるから好きなんだろう。
『コーラス』
ある特定の音階を聴くとどうしても涙が出てくる。
涙が出ないまでも胸の底がきゅっと深く細く絞られるようになる。
やがてゆるゆるとゆるんだそのあとに体温よりも少しひえた液体みたいなものがそこを満たし、次第にからだ以外のところにまで抜けてゆく。
ずいぶん長いことエレクトーンを習っていたし音楽を好きだと思うのだけれど、どこかで私は音楽に対するなにかが鈍い、とも感じている。
音痴ではないけれど、移動ドだし、8分の6拍子と4分の3拍子の違いがあまりよくわからないし、何度聴いても覚えられない種類のメロディーによく出会うし。
けれど踊りが音楽のようなものと切り離せないこと(実際にきこえる音だけではなくもっと広い意味で)にたぶん関係しているのだと思うけれど、私のからだのなかにはいつも音が流れている。
誰でもそうかな。
きこえているのではなく、まるでふいごとかテルミンとか…ときには弦楽器みたいに呼吸や血のめぐりが、いろんな強さや色合いでからだのなかに籠もりながら流動する。
でも私はそれを実際の音にして表現するということはしていなくて、エレクトーンを弾いていたころにもそういう意識は確か、なくて(もったいない)、だからきっとこのからだに重なるななにかがクレッシェンドしたり吐ききったり、という感触は踊りによって拓かれているんだろうな。と感じている。
うたえたらどんなにかいいだろう。
とよく考える。
この少年の声を聴いてまた、響くようにそう思った。
声を出すときになぜあんなに瞳が澄むのだろう。
響きが淀まないのは、そのためかな。
ちょっとよくできすぎなくらいの、悪ガキたちのこころを音楽のちからで動かすというお話だった。
けれど先生がこの少年とみつめあいながらうたを受けている時間はとてもどきどきした。
先生のまなざしはまるで想いをよせるひとをみつめるようでもあったし、自分の内部を旅したときの驚きでもあったし、失った音楽への望みへの哀悼や…羨望でもあった。
それがないまぜとなって、あの殻からはっせられる。
ペピノ役の男の子がとても可愛かった。
紙飛行機は全部もっていかないのかなー。
クールなのか、もうその行為自体を受け取ったことでいいのだからむしろ豊かなのか…。
コーラス メモリアル・エディション
涙が出ないまでも胸の底がきゅっと深く細く絞られるようになる。
やがてゆるゆるとゆるんだそのあとに体温よりも少しひえた液体みたいなものがそこを満たし、次第にからだ以外のところにまで抜けてゆく。
ずいぶん長いことエレクトーンを習っていたし音楽を好きだと思うのだけれど、どこかで私は音楽に対するなにかが鈍い、とも感じている。
音痴ではないけれど、移動ドだし、8分の6拍子と4分の3拍子の違いがあまりよくわからないし、何度聴いても覚えられない種類のメロディーによく出会うし。
けれど踊りが音楽のようなものと切り離せないこと(実際にきこえる音だけではなくもっと広い意味で)にたぶん関係しているのだと思うけれど、私のからだのなかにはいつも音が流れている。
誰でもそうかな。
きこえているのではなく、まるでふいごとかテルミンとか…ときには弦楽器みたいに呼吸や血のめぐりが、いろんな強さや色合いでからだのなかに籠もりながら流動する。
でも私はそれを実際の音にして表現するということはしていなくて、エレクトーンを弾いていたころにもそういう意識は確か、なくて(もったいない)、だからきっとこのからだに重なるななにかがクレッシェンドしたり吐ききったり、という感触は踊りによって拓かれているんだろうな。と感じている。
うたえたらどんなにかいいだろう。
とよく考える。
この少年の声を聴いてまた、響くようにそう思った。
声を出すときになぜあんなに瞳が澄むのだろう。
響きが淀まないのは、そのためかな。
ちょっとよくできすぎなくらいの、悪ガキたちのこころを音楽のちからで動かすというお話だった。
けれど先生がこの少年とみつめあいながらうたを受けている時間はとてもどきどきした。
先生のまなざしはまるで想いをよせるひとをみつめるようでもあったし、自分の内部を旅したときの驚きでもあったし、失った音楽への望みへの哀悼や…羨望でもあった。
それがないまぜとなって、あの殻からはっせられる。
ペピノ役の男の子がとても可愛かった。
紙飛行機は全部もっていかないのかなー。
クールなのか、もうその行為自体を受け取ったことでいいのだからむしろ豊かなのか…。
コーラス メモリアル・エディション




