カウベル
玄関のドアには両親がスイスで買ってきたカウベルがかかっていて誰かが出かけるときと帰ってくるときに(それから地震のときにも)からんからんと音を鳴らす。
うちから外に出たことのないちゅんはドアの外が恐いみたいで私が出かけるとき、どんなにしつこく付きまとっていてもドアの外までは追い掛けてこようとしない。
ドアとカウベルを揺らして行ってしまう私を、首をのばして見ている。
そしてまた音をさせて帰ってくる私に飛び掛かる。
私がしばらく留守にしていたとき、父はそのカウベルが鳴るのをきいたらしい。
どうやらちゅんが鳴らしてみたみたい。
あのベルを鳴らしたら私が帰ってくると思ったのかもしれない。
なにせちゅんはドアの外の世界がどのくらい広いのか知らないのだから。
石の蔵で
宇都宮まで友人の舞台を見に行きました。
宇都宮ってとても遠い!驚きました。
新幹線でいけばすぐなんだけど鈍行でいくと5回くらい乗り換えなきゃいけない…んだけど、空いている電車にぽやーっと座っていることは好きなので苦ではありませんでした。
なんでもその舞台はアートフェアの中のひとつの出し物だったので、時間になるまで出品されている細々としたものを見たりタイカレーを食べたり。
会場である石の蔵によく馴染むやさしい作品ばかり。
私はきりんややぎや鳥の絵はがきを、友達はシンプルで可愛らしいおうちのかたちの箸置きを買いました。
で、友達の作品。
前々から絵とコンテンポラリーダンスのコラボレーションだということをきいていてすごく楽しみにしていた。
ただ同じ時間や空間を絵描きさんとダンサーとが共有する…という同時進行のものは見たことがあったけれど、そういうんじゃないよ!と本人が話してくれていたから。
Yちゃんの絵はすがすがしい気持ちの時に眺める雨の牧場のようなかおり(『対岸の彼女』という角田光代さんの本の表紙を、彼女はえがいています)。
キャンバスにきゅるきゅる音をたてながらその風景があらわれてゆくさまはとても素敵でした。
なんだか思い出がどんどんクリアになってゆくような、積もってゆくような。
お寿司屋さんの職人が寿司を握ったりさかなを薄く切り分けるところとか、ピアノを弾く人が音を試すために指を鍵盤におとすのとか、その道のひとがそのものを慣れた様子ですすめていくさまはとても美しいと思う。
いい字を書くひとがどんどんくりだす文字とかも、見ているの大好き。
そんなふうに、しゃわしゃわいう音とともに生まれてゆく景色。
ダンサーのKちゃんはとても細かな余韻の残し方をする動きで、次々に、どんな展開があるのかと目の離せない踊りでした。
絵とおどりと、どちらもを同時に見たくて、けれどどちらかに見入ってしまうというジレンマ。
Kちゃんは猫のようだった。おとなになる直前の猫。
しなやかなラインがそう感じさせたのはもちろんだけど、あのキュートさはやっぱり性質からのもの…なんだろうなぁ。
可愛いって変な感想だけど、愛らしさがにじむ動きって誰にでもできるものじゃあないと思う。
後ろに流れる遠いアジアの鈍色の小鐘のシンプルな音と、キャンバスをこする直線的な、衝動的な音。
Yちゃんの縦横の動きとKちゃんの流動的なパターン。
おもしろいなー、と思って見ていたら、ラストに見事に今までの踊りの軌跡がばんばんと留められて、ああこれか、と納得させられました。
終わってから2人と話してKちゃんが、今の不安定さが踊りに出ちゃった、と言っていたけれど、そのこころの有りようがからだにひびくことが、私にはすごいことだと思えた。
私はといえば感情や感動と肉体のあいだには遠いみちのりと分厚い鈍い壁があって、すんなり映ってくれたりしない。
もしかしたらKちゃんにとっては納得のいかなかったことかもしれなくても、今の私には、そのからだのクリアさは大切なことのように思われた。
自分が求めてることだからって、そのことだけで評価をするのはあさはかかもしれないけれど、でも。
毛糸がほぐれてくる前の時間はもう少し短くてもよかったかもしれないね、と帰り道話していました。
おもしろい動きでもある一定の時間見ているとそれに慣れ、おもしろいのにただ流して映るようにして見るようになってしまう。小さな変化も、それごとがひとつのパターンとして繰り返されるように、感覚するようになってしまう。
決して飽きたりはしなかったけれど少し削いだら、より鮮やかだったのかも!って。
…なんていってはみたけれど、Kちゃんの動きはもっともっとみていたかったのだけれど。実際には。
お疲れさまでした。
素敵だったし、次またどんな作品ができるのかなあって楽しみにしています。
ぜひ私も一緒に踊らせてほしい!!って、ずうずうしくおこがましくここでお願いしたりして。
自分にはなにができるだろう。
少しずつとっかかりに気付いている(気付かせてもらっている、が正しい)のも感じている。
なにか、なにか。
宇都宮ってとても遠い!驚きました。
新幹線でいけばすぐなんだけど鈍行でいくと5回くらい乗り換えなきゃいけない…んだけど、空いている電車にぽやーっと座っていることは好きなので苦ではありませんでした。
なんでもその舞台はアートフェアの中のひとつの出し物だったので、時間になるまで出品されている細々としたものを見たりタイカレーを食べたり。
会場である石の蔵によく馴染むやさしい作品ばかり。
私はきりんややぎや鳥の絵はがきを、友達はシンプルで可愛らしいおうちのかたちの箸置きを買いました。
で、友達の作品。
前々から絵とコンテンポラリーダンスのコラボレーションだということをきいていてすごく楽しみにしていた。
ただ同じ時間や空間を絵描きさんとダンサーとが共有する…という同時進行のものは見たことがあったけれど、そういうんじゃないよ!と本人が話してくれていたから。
Yちゃんの絵はすがすがしい気持ちの時に眺める雨の牧場のようなかおり(『対岸の彼女』という角田光代さんの本の表紙を、彼女はえがいています)。
キャンバスにきゅるきゅる音をたてながらその風景があらわれてゆくさまはとても素敵でした。
なんだか思い出がどんどんクリアになってゆくような、積もってゆくような。
お寿司屋さんの職人が寿司を握ったりさかなを薄く切り分けるところとか、ピアノを弾く人が音を試すために指を鍵盤におとすのとか、その道のひとがそのものを慣れた様子ですすめていくさまはとても美しいと思う。
いい字を書くひとがどんどんくりだす文字とかも、見ているの大好き。
そんなふうに、しゃわしゃわいう音とともに生まれてゆく景色。
ダンサーのKちゃんはとても細かな余韻の残し方をする動きで、次々に、どんな展開があるのかと目の離せない踊りでした。
絵とおどりと、どちらもを同時に見たくて、けれどどちらかに見入ってしまうというジレンマ。
Kちゃんは猫のようだった。おとなになる直前の猫。
しなやかなラインがそう感じさせたのはもちろんだけど、あのキュートさはやっぱり性質からのもの…なんだろうなぁ。
可愛いって変な感想だけど、愛らしさがにじむ動きって誰にでもできるものじゃあないと思う。
後ろに流れる遠いアジアの鈍色の小鐘のシンプルな音と、キャンバスをこする直線的な、衝動的な音。
Yちゃんの縦横の動きとKちゃんの流動的なパターン。
おもしろいなー、と思って見ていたら、ラストに見事に今までの踊りの軌跡がばんばんと留められて、ああこれか、と納得させられました。
終わってから2人と話してKちゃんが、今の不安定さが踊りに出ちゃった、と言っていたけれど、そのこころの有りようがからだにひびくことが、私にはすごいことだと思えた。
私はといえば感情や感動と肉体のあいだには遠いみちのりと分厚い鈍い壁があって、すんなり映ってくれたりしない。
もしかしたらKちゃんにとっては納得のいかなかったことかもしれなくても、今の私には、そのからだのクリアさは大切なことのように思われた。
自分が求めてることだからって、そのことだけで評価をするのはあさはかかもしれないけれど、でも。
毛糸がほぐれてくる前の時間はもう少し短くてもよかったかもしれないね、と帰り道話していました。
おもしろい動きでもある一定の時間見ているとそれに慣れ、おもしろいのにただ流して映るようにして見るようになってしまう。小さな変化も、それごとがひとつのパターンとして繰り返されるように、感覚するようになってしまう。
決して飽きたりはしなかったけれど少し削いだら、より鮮やかだったのかも!って。
…なんていってはみたけれど、Kちゃんの動きはもっともっとみていたかったのだけれど。実際には。
お疲れさまでした。
素敵だったし、次またどんな作品ができるのかなあって楽しみにしています。
ぜひ私も一緒に踊らせてほしい!!って、ずうずうしくおこがましくここでお願いしたりして。
自分にはなにができるだろう。
少しずつとっかかりに気付いている(気付かせてもらっている、が正しい)のも感じている。
なにか、なにか。
集合、わらじでてくてく
中目黒のまるでおうちみたいにゆっくりできるお店で踊り仲間とご飯。
一緒に踊るようになってから3年半。
公演のときにしかなかなか集まれないとはいえ、稽古期間がそんなに短くはないのでかえって顔を合わせないと落ち着かないくらい、なじんでしまったなあと思う。
前回の舞台では別の作品を踊ったからあまり話もできなくて、実は私はとっても寂しかった。
さみしかったんだよー!
2人の踊ることに対する姿勢をすごいなあと思っているから、踊りのことでもやもやしているときにはうまく話すことができなかったあれこれを、埋めるようにぽつぽつと話した。
ほんとうはもっとたくさん話を聞きたかったし話をしたかった気もするけれど、一緒にいたことで満足してしまった。
逢ってみたいなあと思っていたひとにも会えたし。
私の周りには私よりも少し年下の友達が多い。
それぞれがそれぞれの局面を迎えながらぐんと、その先が広がっているように思える。なんだか強く輝こうとしているひとが多くて、ああ、いいことだな、としみじみ思う。
その年の時私はこうだったなあとか、今大変でも何年かしたらきっと大丈夫になるよとか、もちろんひとそれぞれだから「こうしたらいいよ」という種類のことは簡単には言えない。
けれど「その状態ならきっと悪いようにはならないし、それはそんなに未来のことではない」という確信を持ったり、できるようになった気がする。
お姉さんぶるつもりはないし私はひとより随分と苦労を知らないのでなおさら自分は何にも知らないのだ、と言い聞かせて毎日を過ごしているつもりだけれど、でもやっぱりちょっとだけ昔よりも、いろんなことのみちすじを読めるようになったのかもしれないとも思う。
経験の知恵やひらめきというよりは、統計に近いのかも。
だって不思議なくらい、パターンってあるのだ。
…とはいってもひとはほんとうにそれぞれだし、そこに当てはめようとして考えたり話したりはしないようにと心がけているけれど。
それに「大丈夫だよ」というその確信には私の願いや祈りもたくさん含まれていることだし。
鈴虫寺のお守りをもらった。
このお寺のお地蔵さんはわらじを履いていて、だからてくてく歩いて願い事をかなえてくれるんだって。
なにを願おうかな。
ひとつだけ、いちばん大切な、地道なお願い。
夏にはam.pmも帰ってくるし!
みんなで遊ぼうね。
いまいちセンスが磨かれないこと
疲れがたまっていたから今日こそ早く帰って眠るぞ!と思っていたのに想定外の仕事が押し寄せる。
諦めて、きちんと丁寧に仕事を片付ける。パウチしたものの端っこの尖ったところをまあるく切っておいたり、送るファックスにひとこと添えたり、お菓子を余計に出しておいたり。
それは自分を整える行為。
もしかしてかたくなになりすぎていたのかなぁということを思った。
ずっとお世話になってきたひとと離れて、それでもきちんともとの関係を続けられると思っていたのにどこかでそれが気付かぬうちに壊れていた。たぶん。
私にはわたしの理由があったけれどそれを理解してもらえないこともよくわかっていた。私にもっと努力できることはあったし、それをわかっているからこそ引け目もある。
またこうして、私はいつか去る身だからと少しずつ諦めて薄まってゆくのか、またなのか、と思うと悲しかった。
だからなんとなく、きちんと笑いかけられなかったのかもしれない。
最近冷たい、と言われてびっくりした。
私はいつも感謝しているしにこにこしているつもりだったから。
でもどこかで、悲しいから決別したことはそのことに波紋をひろげていたんだろう。
今日はずっとにこにこしてた。
冷たいって言われたからってわざとらしいなぁ、というくらいに。
そうしたらむこうも、えへへってにこにこしてくれた。
いつも、わたしはひとの目にどう映っているんだろうとどきどきする。
どんな話をしたらいいんだろう。
なにを求めて私と接してくれているんだろう。
こんな話はこのひとには子供っぽいだろうか。
ここは男同士みたいにはなすべきか。
真面目な話はつまらないかな。
恐いのは嫌われることじゃなくわたしの本質をまっすぐ渡す前に顔を背けさせてしまうこと。
勘も間も悪い自分をよおく知っているから、世界中のたいていのひとにたいして、どきどきしている。
最後にはわたしでいるしかないと知っているから余計に不安なんだろう。
きっと傲慢なんだ。
だから、丁寧に。
覚悟を決めて時には、おそくまで働いているほかのひとのサポートをしているつもりになる。
尖ったパウチのはしっこが痛くないように。
てんとうむしのはんこを付箋に押したり。
好きなお菓子をリサーチしたり。
自分のためにするこのことがうまくめぐればいい。
***
その後長い付き合いの芝居仲間とごはん。
ほんとうにたのしい。
おばかさんな話ばっかりだけど。
あまりに可笑しすぎて、ほかのたいていのことではこんなに大笑いしないかも。
ちゃんといつも幸せでいてね。
memo/絵本、ダーシェンカ、切手、アールブリュット
・ハンガリー絵本原画展 レイク・カーロイを訪ねて
5/31~6/29 @絵本の店 あっぷあっぷ(FUKUOKA)
100冊以上もの絵本挿絵を手掛けたハンガリーの国民的芸術家レイク・カーロイの原画30点をはじめ、60冊を超える貴重な原書絵本も展示。
http://ehon-appuppu.noor.jp/
・『Between us, DASENKA』写真展
5/22~6/11 @Spiral Garden(TOKYO)
『Between us, DASENKA』発売を記念した写真展。
アニメーションの原画、カレル・チャペックの家や庭なども写真で紹介され、歴史がわかるとともにダーシェンカの成長もみえる展示。
http://www.aoyamabc.co.jp/15/15_200805/between_us_dasenka_1.html
・イラストレーターによるオリジナル切手展
5/27~6/1 @DAZZELE(TOKYO)
イラストレーター10人が集結し、独自のアイデアで切手をデザイン。
オリジナル切手のシールやステーショナリーなどを販売。
http://gallery-dazzle.com/
・アール・ブリュット/交差する魂
5/24~7/20 @松下電工汐留ミュージアム(TOKYO)
アール・ブリュット<生の芸術>(またはアウトサイダー・アート)と称される作品たちを集めた展覧会。
http://www.mew.co.jp/corp/museum/
5/31~6/29 @絵本の店 あっぷあっぷ(FUKUOKA)
100冊以上もの絵本挿絵を手掛けたハンガリーの国民的芸術家レイク・カーロイの原画30点をはじめ、60冊を超える貴重な原書絵本も展示。
http://ehon-appuppu.noor.jp/
・『Between us, DASENKA』写真展
5/22~6/11 @Spiral Garden(TOKYO)
『Between us, DASENKA』発売を記念した写真展。
アニメーションの原画、カレル・チャペックの家や庭なども写真で紹介され、歴史がわかるとともにダーシェンカの成長もみえる展示。
http://www.aoyamabc.co.jp/15/15_200805/between_us_dasenka_1.html
・イラストレーターによるオリジナル切手展
5/27~6/1 @DAZZELE(TOKYO)
イラストレーター10人が集結し、独自のアイデアで切手をデザイン。
オリジナル切手のシールやステーショナリーなどを販売。
http://gallery-dazzle.com/
・アール・ブリュット/交差する魂
5/24~7/20 @松下電工汐留ミュージアム(TOKYO)
アール・ブリュット<生の芸術>(またはアウトサイダー・アート)と称される作品たちを集めた展覧会。
http://www.mew.co.jp/corp/museum/


