アンコール・トム

アンコールとは大きいという意味で、トムとは街という意味だそうです。
(ちなみにワットは寺院。だから有名なアンコールワットは大きな寺院、のような意味です。)
名前のとおりここはもともと大きな街で、ひともいっぱい住んでいたそう。
今は住人は少なくなっているのだけれど、それでも住んでいるんだって。
こういう遺跡の中にひとが住んでいることが最初はぴんとこなかったけれど、お寺自体、ひとの生活に密着したものだものね、と納得。
入り口の長い通路には、この世界ができたときの神話にまつわる石像がずらりと並んでいる。
左側が良い神様の列で右側が悪魔の列。
お互いが、しっぽのない蛇をひっぱって世界の中での優劣をつけようとしている。
もともとカンボジアはヒンズー教の国だったそう。
今は仏教の国になっているのだけれどヒンズー教時代のものが残っていて、取り入れられて、特別な色合いが残っている。
日本もそうだけれどアジアにひろまっている宗教は結構柔軟だよなあ、と思う。
うまく異端を取り入れていいように解釈して、いつのまにか我がもの顔で居座る。
けれどよく見ると神様の首は殆ど全て、一度落ちた跡がある。
かんたんに全てがまるく収まったわけではないのだ。
小さい頃にスケッチして、色を塗ったのはこの顔たち。
私はいったい何を、この顔にみたんだろう。
たらこくちびるだなあ、とかそんなんかもしれないけれど。
ちょうどそのあたりの記憶がすっぽり抜け落ちていて、なにを感じたり考えたりしていたのか覚えがない。
カメラを向けたらにっこりポーズをとってくれた女の子。
夢/かつての確執、そしてご報告
夢。
私は彼のような存在のひとと一緒にいる。
なじみの公園で高校時代に仲のよかった、けれど今はほとんど連絡を断った友人を見かけた。
髪が伸びさらにすらりと綺麗になっていた。
彼のほうも彼女とは知り合いらしい。
でも私との感情のもつれのことも知っているらしくあえて声をかけようとはしない。私に任せようとしている。
近くにとても懐いてくれている小さな男の子がいて、私はその光景をあの子が見たら幸せな親子のような、と感じるのだろうかと思う。
気付いているのに気付かない振りをするのはいやだったので思い切って話しかける。
知らなかったのだけれどその公園ははずれのところに地下があって、下が大きなスパ兼スポーツプールみたいになっていた。
小さな男の子はずっと私に愛情を注いでくれていた。
私もずっと大切に両腕でくるんでいた。
***
オーディション合格との連絡がきました。
(これは夢ではなく)
秋にトゥーランドットに出演することになりました。
その他ダンサーとしてだから顔とかわからないかもしれないけれど、お父さんやお母さんに初オペラ鑑賞をしてもらえるのもうれしいです。
出演者もイタリアのひとが多いから内容はもしかしたらちんぷんかんぷんかもしれないけど本場の感じを味わってもらえるかも。
縁あって選んでいただいたのだから精一杯がんばろうと思います。
舞台に携わっているものとして恥ずかしいのかもしれないですが実はオペラを実際見たことがありません。トゥーランドットもお話をなんとなく知っているだけ。あとはあの有名な曲を聴いたことがあるくらい…。
しっかり予習をしなければ。
…おそらくDVDなどになりそうだけど。10月までにどこかで同じ演目やってるかしら。
オペラの裏側リポートを楽しみにしていてくださいね~☆
『amjad』La La La Human Steps
ラララを観るのは10年ぶり。
10年前もBSか何かで放送していた抜粋を観ただけなのでひとつの作品として観たのは初めてでした。
身体の想像力を超えたスピードでのピルエットや足さばきには息を飲むしかない。
日頃どんな稽古をしているんだろう。バーとか10倍速でやっているんじゃないかなぁ。軸もほとんどまったくぶれることがないし。
ひとは果たして訓練でこんなふうになれるものなのだろうか。
輪郭を際立たせるような照明も、その身体の動きの構造、奇跡を記憶に写しこむのには効果的。
上手から、下手から、とあてる方向を変えることでがらりと印象がかわる。
舞台上のふたりの関係性もかわるし、それを観ている観客との関係も。
光ってすごい。
アフタートークでエドゥアール・ロックが「ひとは感じたり考えるということ、精神や記憶というものがこの頭のなかにあると思っている。でも実は太古の昔からこの連綿とつづいてきているからだこそにそれがあるんじゃないか」というようなことを言っていた。
フェルデンクライスのことをふと考えたりした。
この作品は音楽と振付けの間に乖離があるように感じていて(ロックはアフタートークで振りと音楽は必ずしも関係がある必要はないと言っていた)そのことがダンサー自身の呼吸のような情感を感じ取るには少し遠すぎる気がしていた。
けれど、共感できないくらいスーパーな動きを重ねているにもかかわらず、やはりその身体のパターンを見つめている私自身から常になにかが沸き起こる。
もしかしたらその感触は、いつも感じる舞台のそれよりもずっと本能に近い部分だったのではないかなぁということを考えた。
生の部分を極限まで削った結果、観客の一番深いなまなましいところを揺るがせる。
すごくおもしろい。
ひとはパターンを見つけることの天才だな、ということも考えた。
まったくのカオスの中ではなかなかそのどれかをこころに留めることが難しい。(カオス、というそのこと自体を引き伸ばせば別の話。それ自体がパターンになる)
秩序のないところにルールを見つけるととたんにおもしろく感じる。
でもそのことにすぐ飽きてしまいもする。
あと、男性が上半身裸で、白鳥の音で、腕を頭の後ろに回してくちばしのようにかたちづくると、アダム・クーパーをどうしても連想してしまって一種のパロディみたいに感じてしまう瞬間があった。…のは私の勉強不足からくる狭い固定観念のせいかもしれない。
でももちろん、おそらくそれももしかしたら含めて考えられていたのかもしれないとも思う。
あえて白鳥と眠りをもってきたロックだもの、考えなかったはずはない。
パロディをパロディと認識せずにやってしまうことは創り手として恥ずかしいことだけれど、それをうまく使うことができたらおもしろい。
10年前に私がルイーズの踊りを観たときに感じた、内側に爆発したいような情感を含みつつそれをからだという拘束から解放することができない、動きは爆発的なのにそれ以上のほとばしりを皮膚いちまい下にたぎらせつつこの身体にとどまるしかない、みたいな熱が、今回のからだたちにはあまり感じられなかった。
ロックが創るものがそうかわってきたのか、ルイーズがそういうダンサーだったのか、わからない。
どちらも素敵だけど。
でもルイーズのあの熱いバネみたいなものをまた観たいと思ったのも事実。
10年前もBSか何かで放送していた抜粋を観ただけなのでひとつの作品として観たのは初めてでした。
身体の想像力を超えたスピードでのピルエットや足さばきには息を飲むしかない。
日頃どんな稽古をしているんだろう。バーとか10倍速でやっているんじゃないかなぁ。軸もほとんどまったくぶれることがないし。
ひとは果たして訓練でこんなふうになれるものなのだろうか。
輪郭を際立たせるような照明も、その身体の動きの構造、奇跡を記憶に写しこむのには効果的。
上手から、下手から、とあてる方向を変えることでがらりと印象がかわる。
舞台上のふたりの関係性もかわるし、それを観ている観客との関係も。
光ってすごい。
アフタートークでエドゥアール・ロックが「ひとは感じたり考えるということ、精神や記憶というものがこの頭のなかにあると思っている。でも実は太古の昔からこの連綿とつづいてきているからだこそにそれがあるんじゃないか」というようなことを言っていた。
フェルデンクライスのことをふと考えたりした。
この作品は音楽と振付けの間に乖離があるように感じていて(ロックはアフタートークで振りと音楽は必ずしも関係がある必要はないと言っていた)そのことがダンサー自身の呼吸のような情感を感じ取るには少し遠すぎる気がしていた。
けれど、共感できないくらいスーパーな動きを重ねているにもかかわらず、やはりその身体のパターンを見つめている私自身から常になにかが沸き起こる。
もしかしたらその感触は、いつも感じる舞台のそれよりもずっと本能に近い部分だったのではないかなぁということを考えた。
生の部分を極限まで削った結果、観客の一番深いなまなましいところを揺るがせる。
すごくおもしろい。
ひとはパターンを見つけることの天才だな、ということも考えた。
まったくのカオスの中ではなかなかそのどれかをこころに留めることが難しい。(カオス、というそのこと自体を引き伸ばせば別の話。それ自体がパターンになる)
秩序のないところにルールを見つけるととたんにおもしろく感じる。
でもそのことにすぐ飽きてしまいもする。
あと、男性が上半身裸で、白鳥の音で、腕を頭の後ろに回してくちばしのようにかたちづくると、アダム・クーパーをどうしても連想してしまって一種のパロディみたいに感じてしまう瞬間があった。…のは私の勉強不足からくる狭い固定観念のせいかもしれない。
でももちろん、おそらくそれももしかしたら含めて考えられていたのかもしれないとも思う。
あえて白鳥と眠りをもってきたロックだもの、考えなかったはずはない。
パロディをパロディと認識せずにやってしまうことは創り手として恥ずかしいことだけれど、それをうまく使うことができたらおもしろい。
10年前に私がルイーズの踊りを観たときに感じた、内側に爆発したいような情感を含みつつそれをからだという拘束から解放することができない、動きは爆発的なのにそれ以上のほとばしりを皮膚いちまい下にたぎらせつつこの身体にとどまるしかない、みたいな熱が、今回のからだたちにはあまり感じられなかった。
ロックが創るものがそうかわってきたのか、ルイーズがそういうダンサーだったのか、わからない。
どちらも素敵だけど。
でもルイーズのあの熱いバネみたいなものをまた観たいと思ったのも事実。
audition
今日は10月にあるオペラのオーディションでした。
私はどこのプロダクションにも所属していないのだけれどとある縁から声をかけていただきあまりよくわからぬまま会場に行くと…なんとオーディションに集まった人数は120人超…。
知っている人がほとんどいなかったから、ダンサーってたくさんいるのだなぁと改めて感じた。
まさかこんなに待たされるとは思わなかったのだけれど朝の9時半に集合して終わったのが夜19時でした。
とても疲れた。
けれどイタリアからいらした演出家さんはずっとそれを何時間も情熱を持って見つめていて、そのことがうれしかったかも。
オーディションって、集めるだけあつめて実は宣伝だった、みたいなこともなくはないし、そうじゃなかったとしてももう通り一辺のことを流すようにやって終わり、ということも少なくない。
振付家ではない彼はそれでもあらゆる表現方法を私たちに求めていて、なんだかこのひとの作品に携われるとしたら楽しいかもしれないと思わせてくれました。
結局最終選考の11人に残ることができたのだけれどここからあとは事務所との話し合いで3人落ちるみたい。
あとは神頼みです。
選んでいただけるとうれしいなぁとは思うけれど、なによりの収穫は会場で友達ができたこと。
とても素敵な踊り手だし、大切にしていることにとても共感した。
これからこの縁が深くなってゆくといいな。
彼女と一緒に踊りたい。
オーディションが終わってから衣裳のための採寸があったのだけれど、足だけで計るところが10ヶ所くらいあるのです。
頭も、額の長さから縦横斜め…体も前も後ろもぐるりも、とにかくあらゆるサイズを出されてしまいました。
履歴書に嘘のスリーサイズを書いたのがばれちゃうじゃないか!
へとへとな一日。



