アマヤドリ -35ページ目

『フラニーとゾーイー』

何度もトライしたのにいつも残り3分の1くらいで読むのをやめてしまっていた。
サリンジャーの文章もしくは野崎さんの翻訳は、私にとってある状態にないとすんなり入ってこないもののようだ。

フラニーみたいに、なにもかにもがちょっぴり許せないような受付け難いときがあったなぁ。自分の友達や親や兄弟でさえ。
そして自分のエゴに自己嫌悪を覚える。
私が接するなにもかもに、透き通るほどの潔白を求めてた。
自分のことは棚にあげて。
でもそんなことを求めるのは実はただ遠ざけたいということに等しいのだ、私はほんとうはそんなのいやなんだ、と気付いたのはいつのことだろう…と書きながら、その境のことを私はよく覚えている。
大人になっても生まれ変われるんだと知ったとき。

自分のなかに存在する矛盾に、いつか頭が狂っちゃうんじゃないかと、小さい頃夜中によく泣いた。
世の中で一番恐いものといったらそのことだった。
大人になったらきっと一緒にこのぎざぎざも成長して、エイリアンみたいにいつかからだを突き破って出てくるんだろう。
いや、恐いのは、そんなことになってもまだ私が生きていること。
私がそのとき選ばなきゃいけなくなることについて。

きっとこうして今みたいにかたちにならないからただやみくもに恐かったんだろうな。
でもやみくもに時間や世界は明るかった。


最後にゾーイーがかたちにしたそのことは、ドイツの北の町で読んだ本のことを思い起こさせた。
それから星の王子さまのことも。
たぶんまだ私のそのもの、は、輪郭がもやもやしている。
だからいろんなものとつながるのだろう。

タプローム


カンボジアに行くにあたって、あまり用意周到ではなかった私。
いつものことなのだけれど、今回は自分ひとりではないという安心感がそれに拍車をかけ、本当に直前まであまり何も調べなかった。
でも友人の貸してくれた本を読んでいるうちにむくむくと憧れが沸いてきたのがこのタプローム。


石でできた寺院が樹に侵食されている。
この侵食によっていずれこの寺院は崩壊してしまうだろうと言われている。
けれどこの樹に支えられている部分もあるので撤去作業は簡単ではないらしい。
それにガイドさんは言う。
もし、この樹がなかったらあなたたちこの場所に来たいと思いますか?

  

樹って、液体みたいだ。


全体像を撮ろうとして、ついつい同じアングルの写真ばっかり。


通りすがりにくつろぎ中の親子を発見。

夢/ミシン、不機嫌な母や雨


夢。

たたみの部屋に大きな古いミシンとそれをばらばらにした跡がある。
ミシン調整したの?と母に聞くと、あのミシンはすごくいいミシンだからっていって買ったんだけど年に1度ああして細かく丁寧にメンテナンスをしてあげてもダメ。ふつうは10年に1度磨けばいいくらいなのに、騙されたんだわ、と涙を浮かべている。

ネズミと猫がたくさんいるとても小さな2階建て。
うちの真ん中は吹き抜けになっていて、シルバニアファミリーのおうちみたいにすべての部屋が見えている。

いつのまにか屋上へあがり、さらにその屋上を俯瞰する目線へ。
私はカメラをもっていて屋上の犬小屋にいるゴールデンレトリバーを撮ろうとする。
自分のからだが何によってそこに固定されているのかはまったく考えていないのだけれど、カメラが落ちたら大変だと感じているからすごく高いところにいる意識はあるんだろう。


部屋にいるとずしんずしんと鋭く振動する。
父と母にあれはなんだろう、と話す。
地震というよりは巨人が歩いてくるみたい。
すると父が、雨が降って水が溜まると建物と地面との間に隙間ができているから、子供が水溜まりで遊ぶとその振動がじかにコンクリートに伝わるんだよ、と教えてくれる。
弟が客間で寝ていた。
顔は見えない。

夜ご飯を食べにいこうということになる。
坂を降りてゆくと坂の最後のところが段になっていて、雨水が溜まっていた。
私は飛んでそれを乗り越えたが母をみるとサンダルに靴下履きなのにその水にちゃぷちゃぷ入っている。
濡れちゃうよ?と言うと、だってこれからいくお店美味しくないんだもん、とむくれている。

アンコール・トム3、ごみを捨てたおじさん



苔なのかなんなのか、色合いの綺麗だった塀。


崩れた隙間からお土産ものやさんが見える。
遺跡には必ずこういうお土産を売っている店があってどこもほとんど同じものを売っている。
近くを通りかかるとちゃんと日本人には日本語で話しかけてくる。
4歳くらいの女の子までちゃんと。

たくさん値切って麦藁帽子を買った。

  

ときどき、何故こんなに急なのか?という階段に出くわした。
おいそれとはのぼってこれないようにだろうか。
いや、これはのぼるよりも下りるほうがずっと怖いから、逃げ出し防止なのかな、とか考えていた。
本当のところは何故だかわからない。

石が崩れていて危険だから階段が作られている。(右)
これは細くて一人しか通れないから、誰かが下りてくるのを待って上がったり、誰かが上がってくる途中だったら上で待っていたりしなければならない。

中国の団体さんにちょうど出くわしたのだけれど、階段の途中で記念撮影とかしていてかなりマイペースだった。


たまたま中国のひとについてもうひとつ思い出したことがあるので書く。

ガイドを受けながら遺跡を見ている中国のおじさんが、その世界遺産の建物の階段のちょっとした隙間に自分の持っていたごみを捨てたのを見た。
すぐ近くにゴミ箱があるし、ごみなんかひとつも落ちていない。
なのに平然と、しかも見えづらいくぼみのところに、なんの躊躇もなくごみを捨てていった。
中国にはわりとどこにでもごみを捨てる習慣があるというのは聞いていて知っていた。
(もちろんこれもすべての人ではないと思うし、もしかしたら私の友達たちの印象がたまたまそうだっただけなのかもしれないけど)
たとえばお店でご飯を食べていて鳥の骨を捨てるのに、お皿にではなくて床に捨てちゃうひともいるらしい。
私にはそういう習慣がないからええ~って思うけれど、それが文化なのだから、へえ、違うもんだね、というしかない。

けれどいくらもしかしたらこのおじさんのなかにそういう習慣があったとしても、世界遺産にごみを捨てていくというのはおかしいことだとわかるだろう、と思う。
しかも明らかにおじさんは悪気なく捨てたというのとは違ったし。
石と石の隙間に、すばやくすっと、隠したという感じだった。

でもおじさんに注意したりはできなかった。
あんまりびっくりしたからというのもあるし、ことばも通じないかもしれないというのもあるけれど、それだけじゃないんだろうな。
相手が一人前のおとなだから?
どうせ私が注意したところでほんとうに悪かったと思ってくれるわけじゃないから?
捨てた時点で恥ずかしいと思ったことがこのひとにとって罰だから?

わからない。


ここ、涼しかった。

アンコール・トム2





この日はガイドさんに案内してもらった。

到着するまではそんなにはっきり計画を立てていなくて、でもなんとかなるだろうと思っていたのだけれど、たぶんなんとかなりはするけれど時間がもったいないかもしれない、ということで。

ガイドさんはとても朗らかな人で、ずっといろんな話をしてくれた。

写真を撮りたいからせっかくのお話が右から左に抜けていったこともしばしばだったけれど。








鳥のレリーフ。

ちゅんの影響か、鳥をモチーフにしたものを見かけるとこころが動いてしまう。








鹿。

だと思う。

でもなんだかお友達のトナカイさんを思い出したので。








破壊と創造の神さまである、シヴァ。

私がこの神様を知ったのは『サイファ』という漫画だった。

主人公は双子の男の子で、ひとり女の子が出てくるんだけれどその子が私に似ているので是非読んでほしいと貸してもらったのをよく覚えている。

破壊の神様だから新しくうみだす、というその矛盾を併せもった存在に、衝撃を受けたのを覚えている。







いくつも続く回廊。

こういう写真をたくさん撮った。



天井だけが落ちてしまっている。

石じゃないからなくなっちゃったんだっけ?

それとも構造上、天井だけ崩れてしまったんだっけ…

ガイドさんの話をちゃんと覚えていない。