アマヤドリ -33ページ目

夜明け前に


いくつかの夢の断片を思い出した。
人物のこともあれば目に残っている風景だったり、そのときの幸福な気持ちであったりした。


線路を敷き直す音をきいていた。
砂利を撒くがらがらという音、レールを叩いて均す音。
私が寝付いた頃に母が起き、窓を閉めて扇風機をつけた。

おばあちゃんちだから起こること。
線路も、寝ている私のそばに母が立つことも。


夏になる前に、
花たちは精一杯濃くなっておこうとしているみたいだった。

古都散策、フィデル



蔵と芋もまち、川越を歩いていたらちょっと鎌倉を思い浮かべた。
「小江戸」じゃなくて「小鎌倉」でいいんじゃないかな。

年間パスポートを買おうかと思ったことのある飯田橋のミニシネマに似ていた。


フィデルとは、あのカストロのこと。

ちなみにこの映画は見ていません。

友達に、手でコーヒー豆を粉にする、木の器を選んだ。
それから鮮やかな絵を描くあきちゃん。
どうしてるだろう。

緞帳ではありません



鏡とか幕とかスペースがあるとすぐあばれる。

おさまることのない


川崎のラゾーナにて語る。
自分の、だいぶん前とつい最近の気持ちにときどき接触するようでどきどきしたり澄んだりする。

どうしてこんなにあることに対しては開けているんだろう。
それがおおらかさであればいいのにと思う。
無関心ではありえない。
けれど無知からくることではありうる。
どんどん入り込んでいっているように思うその空間が、気づいてみたら私の部屋だったということでなければいい。

どんどんつみあがっているのだろうか。
もしかして損なっていることのほうが、それも私が大切にしている部分に、多いのではないかという恐れが頭にのぼることがある。
なにも具体的な感触があるわけではない。
だからまだ落ち着いていられるしのへへ、と楽観的に歩いていられるのだけれど。
この私の鈍感さが、皮膚にも覆いをかけているのだとしたら。

ときどき分裂する自分のあれこれに麻痺して、そのあれこれ同士にひどく揺すられることがある。
これはただの「あれこれ」であるのだ、とわかっていれば収束するんだけど振り回されはじめたときにはたいていそのことを忘れている。
知らない動物か反対にへこむ空間を飼っているみたいだ。
ほかのおとなのひとはこれとどう折り合いをつけているの?

考えすぎなのだ、といわれた。
長いこと、考えなさすぎな自分を恥じていたからとてもびっくりした。
そんなに、全部が循環してしまうほどに自分をつきつめて分析していったら出口がなくなっちゃうよ、と。
終わりがないことは、からっぽであることと勘違いしやすい。
自分がじぶんをしばっていることにも気づかなくなっちゃう。
それで強くいられればいいけれど、でも感覚がもがくのを諦めてしまう前に。


たくさん言いたいことがいつもあるのに、全部がぜんぶを殺してなにひとつことばにならない。
こんがらかるくらいに情熱が走り回っているのに、つきやぶることができずにいる。

踊ることを知らなかったら私はどうなっちゃっていたのかな。


友達と話して、すごく楽しかったからこそ、そんなことが浮かんできた。
ときどきこんなふうに感情がやわらかく迫ってくる。

たぶん、いいことだ。

Dance Sanga ショウイングのお知らせ

中村恩恵さん主宰のスタジオ、Dance Sangaのショウイングに出演します。

私は恩恵さん振付・構成のカルテットとインプロ作品に少し出演させていただきます。
スタジオショウイングなのであまり広い会場ではないのですが、もしよろしければいらしてください。


日時:2008年7月21日(月・祝)
   1st Performance 15時30分開演
   2nd Performance 17時30分開演
場所:Dance Sanga
   http://www.meguminakamura.com/contact.html
料金:任意(入場料は一部ユニセフに寄付されます)

※座席数に限りがあるため、私までメッセージを下さるか、下記にご予約をお願いします。
   dancesanga@meguminakamura.com