アマヤドリ -31ページ目

ちょっと焦る

バイトがなんだか大変なことになってきた。
働く日数は減ったのに仕事量は倍になりそう。
どうしたらよいかわからない。けれどやれるまでやるしかない…んだろうなぁ。
普通の人が5日かけて3人でやっている仕事を3日で1人でやらなきゃいけない。
新しい仕事も増えてしかも百万円単位でのお金のことも入ってくる。
責任も時間も、ぎゅうぎゅうと私を締め付ける。

でもみんながいいひとだから頑張らねばと思うんだなぁ…。
今日は試行錯誤の末に申請した書類を事務長に見せたら「もう覚えたの?偉いえらい」と頭をなでなでしてもらった。
同い年の男の人に頭をなでなでしてもらうなんて変な感じだけどなんだかほっと嬉しくなった。
きっと少しきりきりしていたんだろう。

しかし、仕事にますますパワーをとられてしまうことが心配。
息も忘れて働いて、へとへとで足が震えるくらいなのだ。実は。(でもお菓子は食べる)
稽古したいから派遣社員であるはずなのに仕事にたましいを吸い取られている。

どうしたらいいんだろ。
どうしたら。
だって私が休んだら代わりがいないのだ。休んでも大丈夫だよって言ってくれるけどでもその仕事がどどこおるのはどうにもならない。
私以外に私の仕事をするひとはいない。
このうえにお金のことまで。
7月で異動するひとは私にさらなる仕事を残していこうとしている。法律にかかわることじゃないかしかも。
やめてぇ。
私には時間がないの。
おじいちゃんはこまごまとしたこと言うし。
お隣からアイス買ってきてとか、力仕事とか、ちょっと人探ししたいから興信所パソコンで調べてみてとか…もう。忙しいんだよ私はー。と思いながらえへへってやっちゃうんだけど。

どうなる。

もしかしたら9月とかは週に2日くらいしか働けないかもしれないのに。


私は5日働くべきところを3日しか働けない。
ご迷惑をかけてるからいるときにはせめて、と何でもひきうけたくなる。残業もしちゃうし急いでいる風を見せたくないし。

でも9月のリハスケジュールによってはこれはなんとかしてもらわないと無理だ。


ぐるぐる。
ときどきこっそり泣きたくなる。
帰ってきてからも放心してずっと死んでいた。
去年はからだを少し壊した。
朝から夜まで仕事して、ダンスのリハーサルしたり舞台がおわってからまた職場に帰ったりして終電やタクシーで帰宅したりしてたから。
職場の人もみんなからだ壊してたけど。
職場にいないときは私は遊んでいるわけじゃなくて踊りの仕事をしているのだということをわかってもらえないことはつらかった。仕方ないけど。寝る時間以外は仕事か踊りで、分刻みで移動して、でも仕事は積もっていった。
どうしても仕事がやりきれなくて失った信用もある。
よくお腹が痛くなった。
朝、起き上がれないくらいに。
他の女の子たちとお昼ご飯を食べることがつらくなった。
いつもひとりで食べていた。
救急病院で診察をしてもらってから会社に行ったときにお腹が痛いくらいで私なら遅刻なんかしないな、私は熱があるのにちゃんと来たのにと言われて二度とその子とまともに話ができなくなった。
へらへらさぼったんだと思われるにはいつもの私にそれだけの落ち度があるんだろう。自分も情けないし、なにひとつ通じあえていなかったことがつらかったから。
もしかしたらみんなが少なからずそう思っているのかもしれないと考えるようになった。
踊りなんてちゃんと働いている人から見たら遊びみたいなもの。
だから最後の方は舞台にきてもらうことも、できなかった。

怖くてどんどん手をひいてしまった。
素直に話してみる元気もなかった。
ケガが治るまで自分で嘗めているしかないのもわかっていたから。
私の我儘のために生まれた問題なんだから。


でも…いい職場なんだよな。前のところも今のところも。

なんか色々思い出すと大変だったけど。
でも大変で当たり前だ。
それだけの会社にいるんだし。
それだけの経験もさせてもらってる。


深刻になってるわけじゃない。
またあのときのようになるのが心配なだけ。
だって私はぜったいにこの仕事を1番にはとれないのだから。

私の我儘のためだから我慢できるのは当たり前なんだけど、迷惑をかけるのは困る。

むむ。

ジル・ジョバン、できること


表参道のスパイラルホールにてジル・ジョバンの新作を見てきました。
私はこの方の存在を知らなかったのだけれど、友人の友人ということでDVDまでやいてもらい(ちゃんと予習することはできなかったけど)パーティーにまで参加してきました。
海外では舞台のあとに出演者やスタッフを交えた小さな歓談の場があることが多いのだけれど日本では会場の撤収時間などの都合により…なのか、なかなかこれができないのが残念。
舞台に立つダンサーとまた違う一面も見られて面白いのに。
ダンスと他の分野の交流にもなるし。
見てくれたお客さんにのんびりとありがとうを言ったりよもやま話をするのも素敵だなぁと思う。

内容はドイツやオランダで見たものと似ている、どちらかというと演劇的な要素の多い作品。
日本でこういう社会的なことを全面的に押し出すダンスの舞台ってそんなにないのではないかな。
たぶん今回このカンパニーを呼ぶのには相当なご苦労があったと思う。(キュレータの方、お名前はよく聞く方だけど初めておみかけしてその若さにびっくり)

世界各地で起きているさまざまな争いや事件が、スイスのとある街のとあるオフィスにネットというケーブルを通して集まってくる。
スイス、というその特殊な国に映しこんだこと、皮膚感覚が直で伝わってくる舞台という場所に情報を持ち込むこと、そしてここが島国の日本であるということ。
感覚的にそのことたちがつながって、途中戦慄を覚えた。
劇的なシーンがあるわけでもなく、しかけも派手ではない。
けれどじわじわとその空気の中に馴染んでゆく人間同士のずれや、けれど伝え合うこともできるその矛盾のようなものをずっとぼんやりと感じていることができました。

最後にコンピューターの画面の灯りだけに照らされたダンサーたち(蹂躙されたり打ち棄てられたり)が、その画面が閉じられるとともに舞台上から姿を消す。
でもその暴力や争いの存在は消えた画面とは無関係に世界のどこかしらに刻まれつづけているんだということが、もちろんこんなこと頭では知っていたことだけれど、はっとこころを捕まえた。

ヨーロッパでいくつかわりと強い社会派の舞台を見たけれど(そのころはほんとにテロのことや、その犯人とアメリカに関する作品ばかりにあたった)そこまでアクが強くないのにしみ込んでくるものは多かった。


踊ることをずっとしてきて最近やっと自分が踊りをとおしてつかまえたいことのようなものが見えてきた気がしている。
たいそうなことではない。
たぶん今までと言っていたことはそうかわらない。
でも本当に少しずつそのことを分解していって、少しずつ大事な部分に落としこんでゆきたいと思っていることが少しうれしい。
まだ確とした手応えがあるわけじゃないんだけど、たくさんのヒントに日々出会ってそれを繋げてゆける予感がうれしい。
つながるということは少しは私の中に準備があるということかもしれないから。

ずっと、自分のなかに踊るからには意味や訴えたいことがなければ、という気持ちもあって、けれどそれはいったいなんなんだろう?とわからなかった。
たとえばだけど「世界平和」なんてすごく望んで夢みているけれどそんなたいそうなこと表現するなんてちょっと私には重荷すぎる。…というか、壮大すぎて絶対にぼやける。とか。
でもそうじゃないんだ、私はわたしが大切にしてきたものを素直につかまえればいいんだ、となんとなくわかってきた。
一番ぼやんとしている部分だからいちばん踊りになどできないと考えていた。どんなことをテーマにしたとしてもこの部分はただ色合いや温度として作品を包む役割を果たすに過ぎない、と。
でもほんとうに好きな音楽にしか振り付けが進まないように、ほんとうにこころに積もっていることしか本気で編みあげることはできないのかもしれない。

でもやっと今こんなことに気付いて、からだが動くうちにこのなんかしらの回答みたいなもののひとつにでも辿り着くのかな?
ちょっとでもかたちになる日はくるのかしら。
作品としてでもいい。踊るからだにあらわれるのでもいい。


もっと頭も感じることも感度とスピードをあげないとなぁ…。

父の背中

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原宿のソフトバンクショップで、仕事中のお父さんを見かけました。

くちもとがほほえんでいて、ポーズもすっととって動かず、さすが一家のあるじでした。

お父さんお勤めご苦労さま。

ざくろソーダ



新国立美術館でざくろジュースを飲んだ。

ろうとの上のほうには三ツ星レストラン。

そのふもとのざくろジュースにはナタデココとももの角切りが入っていた。

日曜日とはいえいろんな人がアートに興味があるものなんだなあと。


水っぽい、ぴりぴりした赤いジュースをストローで飲みながら。

睡魔



何度呼んでも、なんども目を開けようとするんだけどその目がぐうっとくっついちゃうみたいだった。

いじわるをして何度もおーい、って目を開けさせる。

最後の方は目じゃなくって口をもごもご開けようとしてた。