アマヤドリ -30ページ目

アンコールワット1


今でこそ日本ももう夏だったけれど、このころはまだ梅雨があけず涼しい日が続いていた。
汗をかくことに体が疲れていないから、日差しの中あるくこともそんなには苦じゃない。
汗をかいてもいいや、と思っているのもあるし。


2日間案内をしてくれたガイドさん。
すっかり名前を忘れてしまった…。

彼ははじめに飛行場に迎えに来てくれたときからとても人懐っこくて、いたずらっぽい笑顔を浮かべていて、元気だった。女好きな正体を知ったり見た目ほど可愛らしい性格ではなくもっと人間らしいんだなあ、ということもだんだん分かったけれど、彼といるのは楽しかった。
お父さんをポルポト政権時代に亡くしている。
長男だから弟や妹の働き先とか嫁ぎ先が決まらないことには自分も結婚できない、と言っていた。
この国のひとは家族を大事にするんだなあと、あらゆる場面で思った。
仏教の国だからだろうか。

このところ毎日スコールがくるから、と傘を持っているのだけれど、派手なおばちゃんみたいな傘だ。
貸してくれた傘もピンクに色んな色が混ざってど派手だった。


アンコールワットに向かう門。
僧侶や観光客がぞろぞろ向かう。
ガイドさんもど派手傘を日傘にして、ぞろぞろ。


なんだかわからないけれど石のひとつがこんな風に足跡になっていた。
なんだろうなー。もしかしたら意味があるのかもしれない。
ガイドさんにも聞いたけれど分からなかった。


入り口にて。

二丁目

夜の11時半から新宿2丁目だか3丁目のまさしくそこ、なお店へ。
伊東美咲似もお笑いの石塚さん似もいたけれどこころひかれたのは上司が長年仲良くしているというひと。なんとなく繊細でたまに淋しそうで、ひとが苦手そうに、けれど本当は懐っこそうに静かに話す。たまに辛口なことを言うのだけどちゃんと愛情がある、というような。
踊りのショーもお笑いのショーも演出がうまかったしいい作品だなと思うものもあった。そりゃプロだものな。
「おかまちゃんです」って自分で言うから目の前にいるひとが女の子なんだか男のひとなんだかあまりわからなくなってくるし性別のことをことさら考えちゃう。相手はそうして売っているのだから私もそれをそのように受け取るるべきなのか?とか。けど実際普段目の前の人が男か女かなんてそんなには私にとって重要なことではないし意識しないんだよなぁ、ああ、でもやはり私は女のひとと話すときのほうが緊張するか。とかとりとめもなく考えたり。
写真を撮るとき、考えてみたらここに写るの全員オトコよね、みたいに話しているし私の上司もほんとうには女のひとと考えていない。男性からするとそうじゃないのかな、まあそれも個人差か、と微妙なずれを感じた。


ますますやらなきゃいけない仕事は増える。
けれど慣れればたぶんなんとかなる。今までもそうだったしそれだけのタフさが私にはあると信じてる。
気持ちがむずかるのは自分が求めてることがあるから。そう考えたら幸せなことなんだもの。

『命の森』名嘉睦稔

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名嘉睦稔さんの版画を見に明治神宮のなかにある宝物展示室へ。

墨で大胆に描かれる下絵や木を削る姿を見て荒々しく力強い印象を受ける。
けれど実際の作品は、強さも優しさも夢を見るようなはかなさも大地の器もそれを包み込む母性のようなものも風も、なにもかもが同時に存在していた。
はっと、気付く。
だって人間こそそういう存在であるかもしれないんだものな、と。
強さだけとか、やさしさだけとか、そんな風に生きものは単純じゃない。
全部抱えてここにいる。

自然とか、無垢とかいったことばのなかに私は自分にとって都合のよいものを見いだそうとする。
たとえば子供を見たときに子供は純粋だなぁって考えたとして、その純粋さってなんなんだろう。
未来が明るくひらけていてまだ何も知らなくて生きる喜びにあふれていて…なんてそれだけの単純なものじゃない。かえって子供のほうが負の部分も鮮やかだ。もしかしたら大人よりもずっと死に興味があったりする。だからいろんなものが怖かったのかもしれない。とか。
自然のこともそう。
美しいって、安全だったり清潔だったりすることだけじゃない。
生きていてあらゆることが絡まりあっていて突き進んだり停滞したり、ゆるしたり淘汰したりする。包んだり腐敗したり輝いたり、傷つけたりも。
そのすべてがこの私たちを取り巻いている世界のありかただし、わたしだってその中にいる。


12畳にも及ぶ大きさの作品に添えられたことばが印象的だった。
ひとことで言い表わすことばを僕は知らないし、ひとつのなかにすべてを込める方法を僕は知らない。これだと信じたものを繰り返しそこに残してゆくこと、その集積が自分が描きたかったことなのだ…
…というようなこと。
もしかしたらこれは私の解釈にすぎないかもしれない。文章すべて書き写してくればよかったなぁ…。
このことばを読んだときにああ…と思わず声を出してしまった。
何も毎回新しいことをやってみようとしなくていいんだ。一度ですべてをわかった気持ちにならなくてもいいんだ。
ここにあることに近づくために探ることを重ねていっていい。私の中にきっと蓄積さていて核を成そうとしているなにかをいつも手繰りよせようとして、何度も言いたいことを言えばよいのだ、何回でもわからなくなってみてよいのだ、と。
私が感じたり見たりしたことから生まれたなにかをどうにかして伝えたいのに、一番それに近い温度や感触をすぐさまぱっと引き出すことができないしかたちにもならない。時間が許すならたくさんのことばを発してみて色を重ねるみたいにしてやっとそこに近づいてゆく。(けれどひととの会話のペースはそんなに都合よく私を待ってはくれないし、ストレートに一点をつくことが必要だとも思うのだけれど)。
作品づくりの場合その作業はひとつひとつがただのトライでおわってはもちろんいけない。
けれどその都度全力で向かい合って言い切って、でもまたなお新しく掬いとってきて言い切る。
その繰り返しならば迷いとは違う。


『星の叢花』という沖縄の空を描いた作品が素敵だった。
見ていると星がからからかちかちしゃらしゃらきんきん、と音をたてているのを聞くことができた。そうだ、小さいときは夜空を見るといつもこんな音がしていたんだった、と急に思い出して途方に暮れた。
笑ったり、走ったり全身をパーにして爆発を遂げる星たち。

もうひとつふと頭にのぼったことは、光と影、コントラストの表現がうまいなぁ…と考えてふと、もしかしたら版画をやるひとはそこにこそ興味があるのかもしれない…だからこの手法を選んでいるのかもしれない。と思いあたった。
私は版画をただの、木に彫った絵、と考えていたのだ。今日まで。
違うよね。
この手法に辿り着くにはそれだけの理由があるのだ。
考えてみたこともなかった。

びっくり。


とても素敵だったからよかったらたずねてみてください。
17日まで「森」シリーズをやっていて、8月23日~9月28日までは「海」シリーズが始まります。
私はなんとかして海シリーズも見に行くつもり。


場所:明治神宮文化館 宝物展示室
時間:9時~17時30分
入場料:一般800円・高校生500円・中学生以下無料

名嘉睦稔さんHP
http://www.bokunen.com

夢/パートナー、靴の交換


夢。

何回か出てきているみんなの寮のようなところ。

現実にはそんなにすごい仲がいいわけじゃないMちゃん(写真をあげる約束の)がとても私に親しげにしている。
どちらかというと恋人同士か、妹と兄みたい。
私が男の子だ。
私もMちゃんをちゃんと男の子らしく守る。

公園で靴を交換する。
私はなんともない靴をはいているがMちゃんはおしゃれで、ゴムのようなスライムのようなものでできていて足袋みたいになっているほおずき色の靴だった。
最初足袋状になっていることに気付かず変なはき方をしてしまう。
雨靴みたいだね、かえるの足みたい。

2人でよく笑った。

監守のようなひとがくる。
夢もおわった。


***


昔から、妹のような存在がよく出てくる。
私はそのこのことがほんとうに大事で、たぶん永らく手を離れてやっと捜し出してここにいる、というくらいの痛切さでそのこを守る。
たいていは知らないひとの姿をしている。
ときどき、身近な人であったりもするけれど。

いつかの風景


友人は本当に細かいことまでよおく覚えている。
私が何年前の何月にはこういうことを言ったよねとか、あのときどこに行って何を食べたとか。
私はほんとうにそういうことを覚えていられない。
匂いや味や風景をそこに取り出して再度味わうことはできるけど、時系列にはそれが並んでいない。
カオスだ。
でも感触のことだけは迷わず摘み出せる。

蛍を見たのはぶどう狩りより前かあとか。
港の心霊現象は去年かおととしか。
わからなくなってしまう。
でも港でみた倉庫が月にざらざら浮かんでいたことや髪がどんな強さで顔を打ったかとか蛍がどんな軌道でどんなスピードだったかは、再現できる。
今見えてるみたいに。

「机のうえになにがあったでしょう」クイズも得意。
写真みたいに焼き付けとけばいい。

テストのときも、教科書を想像してめくって、そこにかいてある文字を読めばよかった。


でも記憶で絵をかくのはへただなぁ。

矛盾してる。


私が写真をとるのは なぜかな とときどき思う
たぶんこのことと深くつながるんだろう