アマヤドリ -179ページ目

ちゅん

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ちゅんだけど、からあげ。

まるい船とまるい青

もうすぐドッキングは成功するはずだった。
成功したら私は向こうに見えているあんなに小さなカプセルに乗り込まないといけない。閉所恐怖症気味だし、あのカプセルの入り口はちょっとぱかぱかしているし、この宇宙空間でちゃんとやっていけるか心配だ。
すごく短い間だけれど。

ドッキングを観察していたらその船がゆっくり旋回しているのか視界に地球が入ってきた。
青くてほとんど透明みたいにきらめいている。
地球上にはたくさん人がいてたくさんの建物をたてたりしているのにこうしてここからみると地球は何にもおかされていないように見えた。
同じ視界におさまったこの宇宙船がただのおもちゃのプラスチックだということが、またすごいと思う。

ドッキングは成功したけれどその接続部分はやっぱりぱかぱかしていて外にむけて静かに空気が漏れだしている。
このくらいの漏れなら平気だ、と思いながら私はなんとか自分の目が万里の長城をとらえないか、とか、ズームアップできてひとがみえるといいのに、と思う。

なぜなら私はそこに、たったひとりだったから。

まんなかにかえる

想像力のことを考えた。
毎日ぼんやり大まかな感覚で生きてる感じがするから今日は外にお使いに行くたびに空ばかり見てみた。
雲をみて魚の泳いだ後のしぶきみたい、と思い、あ、こんなのはまったく想像力でもなんでもないよ、と思い直す。
空にはいろんな色が実は混ざってるなぁ…だけどこれはただの観察か…とはっとする。
そういえば酸素の色が青だから空は青いんだったと思い出しては、これもただの知識、しかも子供図鑑の!と我にかえる。

想像力のことを考えながら空をみつめたけど、何だかわけがわからなくなった。
結局最後はただそのままを目に映すことにした。
呼吸と同じ。
染まるまで。
地上の空気をすっていた私の肺と体中の血管が全部換気されて青に染まるまで。


教えてもらった本を探したのだけれど在庫がなかったから『偶然の音楽』を買ってみた。

一度からっぽになって自分のすべてを捨ててみること。
それがポール・オースターのやりかたのひとつなのかしら。

無題

雲の隙間から差した薄い陽が大きな車庫の銀色のふちを照らすと雨上がりのようだった。
どこも濡れていないのに、湿った匂いもしないのに、雨上がりとちょうど同じ明るさで同じ色あいだった。

私は灰色の、ろばの毛皮を肩にかけている。

イーオーみたいにくたびれた毛足で一人で着るにはいくぶん長すぎる毛皮。
夜の闇にまぎれるかと思って着ていたんだと思う。

隣のうつむいたそのひとをそっと見上げる。
もしかしたら誰が見ても眠っているようにしか見えないのかもしれないけれど、瞳の奥ではちかちかおき火のように光が踊っている。
ほっとしながら私は、息を殺してそれを覗き込む。
ろばの毛皮を着ているから彼は私には気付かないはずだ。

できる限り近づいて、私が透明な事も同時に確かめる。

その時ふいに電車がゆれて私はぐらりと傾いだ彼の腰の辺りを支えた。
ひやりと冷えた薄い皮膚の下の、もっと冷えた尖った骨をてのひらに感じる。

鯛の頭蓋骨みたい、と思う。


こんなところに骨があることを知らなかったから、それを大事に指でなぞる。


もう一度瞬くひかりが消えていないことを確かめる。
そしてこの私が触れている真っ白な腰骨やうなだれた翼のような肩甲骨の中心を流れ、ひとつに連ね、積みあげているものに想いをめぐらす。



ひとりぼっちの月とその骨をあたためるために、

もうひとつの手でそれを包んだ。




Birthday/ありのまま

今日はお母さんのバースデー。


どうしよかな、と考えて、そうだ、お母さんはいつもTVを観ながらうたたねしちゃうんだ、ということを思い出した。

だからブランケットを買ってあげることにする。


会社が終わってそのまま銀座へ。

銀座は会社から近いのにあまり行ったことがない。ご飯を食べに行くときはいつもタクシーで出入りするから(大勢で行くから。決して贅沢してるのではない)銀座のことが分からない。

ブランケットが売っていそうなところはどこかな。

会社のお友達に聞いてみたら、やっぱりプランタンがいいんじゃないのかな?ということだったので、プランタンにする。


迷子にならないように道を聞いたのに全然違う出口に出ちゃった。

でも、分かる場所。

たくさんの建物を見上げながら歩いた。


★   ★   ★


ブランケットはカシューナッツみたいな色の、とろけるような手触りのもの。

考えていたよりもずっと安かったから今年は色々詰め合わせにしよう!と思って、他のものも入れた。

来年のスケジュール帳(色々忘れちゃうって愚痴っていたし、出不精になってるからこれに予定をいっぱいにすること!)

写真とかポストカードのスタンド(シンプルでとても好きになったから)

よくわからない皮ひもで閉じるお財布状の小物入れ(模様が可愛かったし、何入れよう?って悩んでみてほしかった)

ロクシタンのマグノリアの香りのボディクリーム(ちょっと私も使わせてもらおう)


帰って渡したら喜んでた。




お母さんは感情を表すのが下手だ。

子供の頃はいつも、私は嫌われちゃってるんだと思って悲しくてしくしく泣いた。

お母さんも娘を上手に可愛がれないことが悲しかったみたい。


お母さんが「ありがとう」って言うから、なんだか照れくさいみたいな切ないみたいな気持ちが混ざって、プレゼントのひとつひとつをわざわざ押し付けがましく説明した。

これにはね、ちゃんと日記も書くようにね!

って。



お父さんやお母さんが小さなことで喜んだりしているのを見ると、涙が出る。

昔はこのことがとても不思議で、私はもしかして哀れんでいるのかな?とか考えたりした。


でもそうじゃないことが分かった。


感情には区切りがなくて、単純じゃない。

かなしみ、とか、喜び、とか、そういうふうに言葉にしちゃったから余計混乱するのであって、そこにあるものをただ感じてみればいい。

分類なんかしないで、ごちゃまぜの混沌のままでいい。

それが私なんだから。