アマヤドリ -180ページ目

浅瀬をたゆたう

新しい出会い。

ひともそうだけれど、それに伴ってひろがる感覚との出会い。


海を泳いでいたら新しい川の水の味がして、その高い山から流れてきた冷えた水に身を任せる。

冬眠中のももんがを包み、雪割草におしのけられ、作ったばかりのありんこたちの住居をぎりぎりすり抜け、岩の間の苔を染みとおり、月を映し夕日にあたためられた水。


私はそれほどに鋭くないから、そこに含まれるその全部を詳細に分析する事がまだできない。

甘い水を味わって、ただ、その旅のみちゆきを想像してみるだけ。

まるで私がその流れに乗って一緒に旅をしたように。

本当はそこにあることを的確にとらえたいんだけれどな。

かおりや、味や、痕跡から。仔細に気づきたいんだけれど。

それを全部ぶくぶく、ってしてみてぼんやりと全体のあたたかみや、そこをめぐる感覚を感じる事しか出来ない。

そしてそこから、目を閉じて想像してみるしか。



そうしていたらまたいちだん冷たい水を、私の胸鰭がたたいた。

深みに、私以外にも泳いでいる大きなさかなをみた。








火事、霧を見晴らす

今日の夢ははっきり覚えていない。
バスでいろんなところに行った気もする。
だけど一番覚えているのは母とおばあちゃんと3人でどこかアパートのようなところにいるときに火事が起きた部分。一生懸命二人を逃がそうとしている私を置いてさっさと車に乗り込んでいた母とおばあちゃんのことをものすごく怒っていた。
私はりかちゃん人形が履くみたいなすごく小さなつるんとした靴を放り投げて怒っていた。
何でそんなに怒らなきゃならないのか…今の私にはわからないけれど、夢のなかではものすごくやるせなくて止められない感情だった。


夢のせいではないと思うけれど一日体が重かった。
ちゅんのせいで寝不足なんだよー。と、ちゅんに話し掛けてみたり。
可愛く首を傾げられてしまう。


リハが終わってもやっぱりだるかったけれどここは動いとこうと思ってレッスンにも出た。
バーで調律した体を調律のままでセンターを終わってはいけない。ちゃんとメロディーを奏でなくては。
おもちゃの楽器でも、すばらしいなと感じさせる演奏をすることはできる。

はちゃめちゃバレエだったけど久々に体のラインを作って音にのせて…の作業は楽しかった。



最近もしかしたら山をもうひとつ高いところにまでのぼり、海の知らなかった部分を照らせるようになってきたのかもしれないと思う。手応えとまではいかないけれど、予感のような。
だからこそまた謎は増えたのだけれど。
明確になりそうな断片をほのかに感じる。
霧が晴れ、まだ先に霧が広がっていることに気付いたにすぎないかもしれないけれど、そのことが嬉しい。

気持ちや感覚に、体とか知識とか技術とかがついてくるといい。
ついてこさせる努力をしなくてはいけない。

空を飛びたい?

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私が家をあけている間にちゅんが死にかけたらしい。
ひなたぼっこをしていたと思ったら急に足を縮めてくちばしを開け、全身を固まらせて怯えた目のまま動かなくなってしまったという。
その日のうちには元気になって水浴びもしたというけれど…本当に死んじゃうかと思って母は足や羽根を一生懸命さすったらしい。
一体どうしちゃったんだろう。

今は前と同じように元気だ。
だけど前よりも一層甘えん坊になってしまった。恐い思いをしたから、仕方ないのかなと思う。私が許せばいつまでも首のそばにとまって髪の下に潜ろうとする。寝ている私の足元から布団をぴょんぴょん、顔のほうにあがってくる。
おうちに帰りなさい、と言って手にのせるときゅうきゅういう。やだよやだよ、と手から肩の方に飛んできて目をみつめる。


たぶんこのこはちゃんと鳥の親に育てられて当たり前に巣立つ子よりも弱いんだと思う。
一日じっとしている。
まわりにいる仲間(私たち人間)が飛んでないから飛ばなくてもいいかって思ってるのかもしれないと思ったけれど、それにしても運動量が少ない。
ずっとじっと座っている。
テレビや私たちの話し声にじっと耳をすませたり、しょっちゅうそれに参加しているのかむにゅむにゅ言ってみている。


何がこのこにとって幸せなのかなと思う。
人間が動物を飼うことは、動物を幸せにしてあげようと思うことは、やっぱりいくらかは傲慢な行為なんだろうなぁとも思う。
このこは私が及ばないくらい、ちゃんと生きているのだから。
個として、私がどうこうしてあげようというその前にしっかり生まれてきて毎日を過ごしているんだから。

このこにとって一番幸せなのはなにかな。
私と過ごすことでより幸せになれたとしたらいいんだけど。
こんなに甘えるっていうことは好きなんだろうから、それだけを見れば良いことかもしれない…けど…。


この先、どうしてあげたらいいだろう。
どうやって一緒にいよう。

夜の海

夜中にてくてく歩いて、海を見に行った。
本当は駅から15分のところに海があるはずなのに1時間半も歩いた。

ブーツの中の足がとても痛くて、タクシーを見つけたらすぐに乗ろうと思ったのに1台もとおりかからなかった。

だけどそのおかげで色んな楽しいものを見た。山の斜面の不思議なマンションとか、面白い看板。夜は免許証がないとお酒を買えない自動販売機。夜中のガソリンスタンドに停まったトラックの上にお兄さんが寝ていたり。
途中トンネルも歩いて抜けなければならなかった。そうだ、今思えば2つめのトンネルがあまりにも長くてくねっていて恐いから、それを回避したことが行こうとしていた海岸にたどりつけなかった原因だった。

だんだん星がきれいに見えてきて、たまにしか会わない地元のひとに道をきいて、海に辿り着いたのは夜中の2時すぎだった。

結局、二つくらい隣の海岸に着いてたのだった。


痛む足を海に漬け、冷たさにきゃあきゃあ友達と笑った。
顔を真上に向けて視界を星空で満たした。
友達と抱き合って(ほら、なんかひとつ乗り越えたから異常なテンションで)、そのままくるくるしてあげようかと思ったんだけど(ラピュタみたいに)、だけど大人だから無理で、「今転ばそうとしたでしょ~!?」とまた笑った。



遠浅の海はすごく静かで、だけど大きかった。

真っ暗だから余計に存在が深くて重くて、コンクリートのところに座っていつまでも繰り返す音を聴いていた。


月並みだけれど、あらわれた感じがする。

そのまんまだな。

でもいいや。



電車に乗って、たまには足を海につけにいこう。


すばるのした

私からなのか
私のまわりのすべてなのか
わからないし
わからなくてもいい
そこにあることに深くふかく潜って、
時にはただ吹かれて、
それをことばにしようとする。
感覚にしようとする。

それは
色を感じて選んで、
塗り付けてゆくことに似ているな。

たぶん踊ることもそこから、
もっとやさしくできたらいいんだ。



遠浅の海をみた。


辿り着くことは別に、
そんなにたいせつじゃない