2時17分
アイドリングの音だけが永く左耳からはいる。
つちふまずに触れて、踊らなくてはいけないと空を見る。
もう少し明瞭な寄り道をしたい。
皮膚の奥の骨を指のはらでたどるときみたいに。
薄やみのなかの色が喉の底に焼き付けられるみたいに。
立ち上がるとすべては眠っていなかった。
嵐の休日
昨日は嵐のなか、海の近くに遊びに行ってきた。
江ノ島水族館。
7月1日のワークショプでお友達になった画家さんがよくくらげを観に行くよ、って教えてくれて、見に行きたくなったから。
珍しく時間が空けられたので随分前から予定を入れてみたら…なんと嵐まっさかり。
だけど海にちゃぷちゃぷ入るわけじゃないから、いいか、と、強行した。
嵐の海はすごかった。
波もすごいけれど、空に舞い上がる飛沫が空を埋めて、私の肺の中まで入ってきた。
ずっとずっと遠くにいる台風の影響でこんな端っこまで大波が伝わってくることが、私にあべこべの感覚を与えた。
海がずっと広くて大きなこと。それより大きな空のこと。それを見ている私のちいさなこと。だけどそれもあまさず、汐の香りが満たすこと。
ぐうんと上空に昇って暗く冷えた宇宙の中でこのことがいかにちいさいかということ。
だけど、この景色、感覚でいっぱいになったこれは、私の全てで、これよりでっかいものはないんだなー、と。
どきどきとか感動って胸でまず感じるけれど、それを深呼吸すると酸素に乗って…かどうかしらないけれど全身にゆきわたってびりびりする。
大変なことなのに不謹慎だなあとはおもうけれど、私は嵐とか雷とかにこんなどきどきを感じてしまう。
これは、おそれなのかな。
もしかして私は少し、恐いことのどきどきと感動のどきどきをごっちゃにしてしまっているのかもしれない。
今、地震があった。
私の会社には気象庁から地震情報を受けるシステムがあって、今の地震もあと40秒で震度3の揺れが東京に到達する、というのが分かってしまう…。
このシステム、正直言ってとても恐い。
もしあと10秒で震度6の地震がくるという表示をされたとしても私に何ができるだろうか…あわあわすることしかできない。
だけど将来的にこれが被害を少なくすることにつながるのだったらいいな…。
それにしても、新潟、大丈夫かしら…
嵐の後だから余計に心配…
彼女と話した夢の名残り
iちゃんには誕生日のカードを送っていて、だけど今どんなことを考えて何を見ているのかも分からない。元気なのかどうかも。
夢であったiちゃんに、私はなにも確かめるわけじゃなかった。
私の周りを、裸足の少女のように涼やかな空気をまといながら歩いた。
何か話をしたな。でも覚えていない。
華奢で、でも背は私くらいあった。それだけが意外な感覚だったのを記憶している。
夢から醒めるまで私はそれがiちゃんの、私のはがきへの返事なのだということに気付かなかった。
どうしているの。
iちゃんに私は触れなかったし、話すときも瞳を覗き込むことはしなかった。だけど肌触りのようなものがそこにはあって、そのときはそれでもう十分だと思った。
けれど。
どうしているんだろう。
元気でいてくれたらいいのだけれど。
想いは、相手に伝わることよりも自分がいかにそれをあたためられるかを求めているのかもしれない。手渡したところで、もうそれは自分のものではないかもしれないのだから。
だからといって悲観的になることはない。
いくらでも想えばいいのだし、惜しみなく伝えればいい。
私にできるのはそれだけだし、その先に考えを馳せることだって私の勝手だ。希ったり祈ったりすることが何かを変えるとすればそれはまさにここ、であって、私が手渡したその先で誰かをあたためてくれることがあるとすればそれは、想いをひきとってくれたそのひとのそこ、にそのはたらきがある。
こんなふうに書いたらなんだか私が何も信じてないみたいだな。
でも違うんだ。
その行き来を私は知っているし、信じている。
生きる目的はそれしかないかもしれないと思うくらいに。
『トーク・トゥ・ハー』
そんなつもりはなかったのに、帰ってきて冷やし中華を食べながら『トーク・トゥ・ハー』を観てしまった。最初のカフェ・ミュラーの部分だけ、と思ってDVDを入れたのに、固くなった麺をごしゃごしゃほぐしながらアリシアが出てくる辺りまでみたらもう目が離せなくなった。
カフェ・ミュラーは今までも、踊っているそのひとよりも寧ろ椅子をすんでのところで退かしている男の人の方が悲痛に見えて仕方がなかった。
ちゃんと舞台で観たことがなく、ビデオでみたことがあるだけなのだけれど。
息をするたびにそれがささくれた気管を逆撫でし痛めつけて裂くような、だけどからだの表面はその痛みをかぶりにいきたいかのように進む。彼女はその衝動に従って自分の時間を引き伸ばし、縮め、わめく。
だけど男の人は。
激しい呼吸の苦痛や選びとることの困難をいっとき捨て、彼女のすべてを引き受ける。引き受けることができないかもしれないのに、それも承知で。疑いに耳を貸さず、目の前の自分のものではない時間からかたときも目を離さないでいる。
ひと同士のかかわり合いはおしなべて予測どおりにはいかない。
どんなに心を込めても、どんなに感じ取っているつもりでも、結局はひとのこころをそのままうつしとることはできないから。
小さな秘密やひずみを仕舞ってからだの中心は、ときにはどんどん冷えてゆく。違う景色をみるようになってしまう。
もちろんその逆もある。
こころが膨らんだり、意図した以上の奇跡があったり。
だから私はこのことを悲しんでいるわけでは決して、ない。
そこからどこに進めばいいのかを感じ取るわたし自信の嗅覚にいつもちょっぴり失望してしまいはするけれど。
夢のなかと現実、
目を覚ましたこの世界と止まった時のなかでは、どちらがほんものだったのかな。
信じればそれが本当になってしまう。
ばたばたと椅子を取り上げることの中では。
信じていた世界(自分のまわりの、小さな)が足元になく、片腕ですら包んでくれていないと唐突に知ったとき。
ひきうけたものが甲斐もなくただ冷え固まっていつしかからだから離れない重しとして待っているのを感じたとき。
こんなふうに悲観的な感想を持つような映画じゃなかった。
だけど私はやっぱり基本的には解り合いようのない個々のこと、孤独のこと、をベランダからひさしぶりに嗅ぎとり、懐かしいぴりぴりとした感情にとらわれた。
ガムラスタンデート/27.Feb
朝はひとりで大丈夫!と思ったのだけれどセントラル駅に着くまでに不安になる。
バス代も電車代もものすごく高くて、ツーリストパスポートみたいなものも大きな駅に行かなければ買えない。(だからガムラスタンを通り過ぎてセントラルまできたのだけれど)
セントラルまで着たのにはもうひとつ目的があった。
ゴットランド島へのツアーに申し込むこと。
オーディションもないのにここまで足を伸ばしたのはどうしてもゴットランド島をひと目みたかったから。
日本からもサイトを調べたのだけれどスウェディッシュのサイトしかなくて、途中まで申し込み手続きをするものの、恐くて最後の確定ボタンを押せなかったのだった。
だけどセントラルからゴットランドの旅行会社までの道も全然分からなかった。
本当にここが私の持っているこの地図のこの駅?とだんだん混乱してくる。
英語よりもスウェーデン語の飛び交う街。
散々うろうろとしたけれど結局Haoに電話をすることにした。
せっかくの親切を恐がって退けることももったいないことかもしれない、という気持ちもあったから。散々ひとりで歩いてきた。ひとりきりで見ることにはもう飽きた。誰かとこの街を歩いたらひとりで歩く以上のものを得られるかもしれないじゃない、と。
思い切って電話をするとHaoは家にいて、1時間でセントラルに行くよ!という返事。
ほっとして座り込みそうになる。
まずはGotland Cityというオフィスに行ってHaoにフェリーの予約をしてもらう。ぺらぺらとスウェーデン語を操るHaoを、すごいなあ、と見つめる。私一人だったら絶対にこんなにすらすらとは行かない。
28日の21:05にゴットランドへ出発し、3月2日の夜、ストックホルムへ帰って来るプラン。
二人でガムラスタンへ行く。
ストックホルムへ行く前に、友達に、ガムラスタンはいいよ、という話を聞いていて美術館にもたくさん立ち寄るつもりでいた。
なのにHaoと話すことに夢中で実はあまり街を見ていない。でもストックホルムに住む同じくらいの年の子がどんな風に街をふらふらするのかを味わえたからいいや、とも思う。
可愛いカフェでお茶をしたり、可愛いチョコ・キャンディー屋さんでチョコレートを買ってもらったり、素敵な絵描きさんのお店を教えてもらって絵葉書を買ったりした。
普通のデートみたい。
Haoはおしゃれでアクティブで買い物好きな男の子みたいだった。
だから、私があまりにも何も欲しがらず、買わず、何をしたいかも分からない(美術館以外はあまり考えてなかったから)という感じだったので不思議に思っていたみたいだ。
あちこちを点々としている長旅で荷物が重いし、この先も長いのでここにあまりお金をかける訳にもいかない(というよりもスウェーデンでしか使えないお金への両替が面倒だったからというのが大きいけれど)…というさまざまな事情は、英語が話せないために伝えられないままだった。
どこに連れてよいか分からないとつぶやくHaoに、 「あなたが美しいと思うところに連れて行って」と言ってみた。
だけど「僕は今まで何かを美しいと思ったことはない」とHaoは言う。
ふむ。
私は青く翳った雪と街のあたたかい灯の対比を指差して、ほら、こんななんでもない景色だけでも私はすごく美しいと思うよ、と言った。
毎日のなんでもない空も、星も、ありんこのことだって。
君はそうなんだね、でも僕はそうは思わない。…おかしいと思うかもしれないけど、そうなんだ。
そうか。
おかしいとは全然思わない。
ひとはそれぞれなんだな。美しいという表現もいろいろ。何も目盛りはない。
私が美しいと言ってみてるこの感覚の似たものがHaoの中にないわけじゃないかもしれない。
もしかしたら、本当にすっからかんになにも感じず、もぞう紙みたいにぼやっと見ているのかもしれないけど。
でもそれはそれ。
すごくおっきなピザを食べさせてくれるお店にも連れて行ってくれた。ひとかかえくらいあってとても食べ切れなかった。まさかと思ったけれど、ひとり一枚注文するんだもの。
食べ始めたら急に静かになったから、きっと一日連れまわして疲れさせちゃったんだろうと心配になる。
これからどうしたい?と聞くからそろそろ帰る?と言うと、帰ったらホテルで何をするの?と逆に聞かれる。眠るの?それじゃあつまらなくない?と。
私は彼がもう疲れているだろうからと遠慮したのだけれど、彼はまだ全然遊ぶつもりだったらしかった。
そう言うと、ぼくは食べるといつも少し疲れちゃうんだ、全然大丈夫。と言った。
疲れてないならまだ遊ぼう、というと、じゃあ、ビリヤードでも行こうかということになる。
彼が何人かの友達に電話をしてみていたけれど結局誰もつかまらなくて、二人でビリヤード。
ものすごく上手だった。
一日Haoと過ごしてだんだんに気づいたのだけれど、ものすごく頭のよいひと。優しいけれど強くて主張がはっきりしている。
結局一日中全部払ってくれて、私はなにもお礼が出来なくて、ありがとうと何度も言う事しかできなかった。
日本に帰ってきてからもたまにメッセンジャーで会話をしているのだけれど、(おたがいサッカーが好きなのでそのこととか)やっぱり会話は続かない。
英語の壁。
ごめんね、Hao。
Haoが日本語を覚えてくれたほうが、ずっと早いような気がする。
