アマヤドリ -100ページ目

同窓会、IKEA

週末は高校時代の同窓会へ行ってきました。

私にとってとても大事な時間だった、高校時代。
踊りにめぐりあったのもこのとき。
なにも掘り下げて考えていなかった野性児の私が、やっとひとらしく色々悩みはじめたのもこの時期でした。
ばかができる友達がいて…家族に迷惑もかけたけど夜中まで中央公園や都庁で踊ったり。
懐かしい。

少し緊張しながらみんなに逢ったけど、そんな必要なかったんだなぁ…。
今もだけどちょっと人見知り…というかええカッコしいの私はなかなか自分のことばで話せないのだけれど、そんなんも全部、いいや、と思った。なんだか嬉しかったから。
こうして一緒に年を重ねてゆける仲間がいるって不思議だ。

ときを止めてしまった友達もつれて、私たちはずんずんここを歩こう。
まだまだこれからもいろんなことがあると思うけど。
誕生も、お祝いも、出会いも別れも、死も、がっかりも発見も。
ひとりで歩く道だけど、みんながひとりでのしのし歩いてるんだなぁと思うとなんか楽しいし心強い。

みんな、こうして同士がいることを忘れないで。





日曜にはIKEAに行ってきた。
でかいー!
青くて黄色い。
私の友達が骨組みをたてたらしい。

本当は、シーバスに乗って海上デートをして中華街でご飯を食べて海辺を歩いてからIKEA、と思っていたのだけれどそれは時間的にあまりにも無謀だったのでIKEAにしぼる。
いろんなふうに作られたお部屋が楽しい。
全部細かく見たら半日は遊べる。
ろうそくがすごく安かったから買おうかなぁと思ったのだけれど、またくることにして、やめた。


かわいいお部屋。


しっぽのフックと、ペリカンのものいれ。子供部屋のクローゼットのとっては月のかたち。


ミートボールのソースがおいしかった。でもこのジャムとはあんまり合わないような…。


注文のための鉛筆もかわいい。手すりはへび。


ぐるぐる回る椅子。


このお部屋にはまいったー。虫の電気に、はっぱのベッド覆いに、絵を飾れるワイヤー。子供ができたらめちゃくちゃ楽しい部屋を作ってあげたいなー。


こんな穴は、子供たちはくぐらずにはおれない。




久々の日曜日を友達と過ごすことができてとても嬉しかった。
それから、この日じゃないけれど、一緒に夕焼けを見てただきれいだねーと話したことが、とてもたいせつな宝物みたいに、からだのどこかにしまわれてる。
いつ、どこでも取り出せる場所に。

夢/ねこをつかまえる

なつかしいひとのゆめ。

所長に見せてもらった図面は、そのひとが描いたもの。
外構の図面なのだけれど黄色くオブジェのような石が放射状に描いてある。
この石ひとつひとつをどこかの美術大学の学生にデザインしてもらって焼いてもらって置きたいんだ、と言う。いかにも所長の考えそうなことだなと微笑ましく思う。

その机にはそのひとのカバンやノートが置いてあるのでここに戻ってくると知っている。
女の子からもらったものばかり。女の子と映ってるシールとか、女の子からの落書きとか。
相変わらずだ、とどこかがちくちくするけれど彼は幸せなのかなと心配にもなる。

そのひとが戻ってくる。
大人になったなぁと思う。
彼は私にいつもなんでもないみたいな顔をする。
私はいつも、今、の顔をする。

元気なの?と訊ねてから、いつも私はこの子に元気なの?と訊くんだなぁと思う。
そのひとは面倒臭そうに話す。
プライドの高いネコのようにすぐに逃げるから、慎重に話を進める。

話しているうちに彼のなかの問題に突き当たる。
逃がさないように慎重に話を進めていたのに、いちばん弱いところを見せられるとやっぱり私のためにはもう話すことができない。そのひとのこころに寄り添って、力になりたいと思う。

誰も本気で自分とぶつかってくれないのだ、と彼は言う。
たぶんそれを求められているとは思っていないからだよ、と私は言う。
あなたが信じていないことを知っているからかもしれないよ、と。
そのひとは随分疲れているみたいに見えた。だけどここにはとどまらないことも知っている。

連絡を断ったことの言い訳をする。
しなくていいのに、と思いながらも、しないわけにはいかないひとなのだということもわかっている。


でもきっとネコのように、いちばん苦しいときには誰からも姿を消すのだろうな、とみつめる。



消えてしまったアドレスの場所にまたアドレスが戻ってきた。
別れたあとすぐにメールが入ったのではっと見ると、別の人が私のために飛行機のチケットを取ってくれたことの連絡だった。
きみは飛ぶのが好きだから、と。

ちゅん、動物のあたまのなかみ


桃を剥く母の腕にちゅんがとまり、ひとかけらをねだる。
桃がお皿にのり私の目の前にくると、今度は私の肩にとまり、おねだりをする。
ひとくち食べるたびに私の口を覗き込むようにして慌てたようにぱたぱたと足踏みをする、その必死さと足のうらのあたたかさが愛しくてたまらない。

ちゅんはひとと一緒にお風呂に入ることが習慣になった。
私が早い時間に家にいることは滅多にないから、今はお父さんかお母さんと一緒みたいだ。
我が家は7時ごろから夕飯を食べお風呂に入るのは8時半くらいからになる。
これまでだったら8時ごろからもうだいぶん眠そうにしているちゅんなのに、今はそのころになるとお風呂場の前で待っているそうだ。
夕方の水浴びをせずにお風呂を楽しみにしているなんて、なんて可愛いんだろう。あのちっちゃっこい頭の中にお風呂はあったかくて気持ちがいいぞ、という記憶がインプットされたのだな。


ちゅんは私たちとは違う動物なのだということを当たり前に受け入れているんだろうか。
それともどうしてうちのほかのひとたちは飛ばないのかな、と不思議がっているのだろうか。自分はなかなか大きくならないけれどどうしてかな、とか。

ひとはよく、犬と猿が親子のように仲良くなっていたり、ネコがひよこを育てたりすることを不思議に思ったりする。姿も違うし種類も違うし、きっと言葉も違うのに…と私もよく感動したりする。
だけど動物にとってはすがたが違うことなんてべつに特別でもなんでもないのかもしれない。
この地球に生きているのは自分だけじゃないと知っているから。

だからちゅんもきっと、自分は飛ぶしこのひとたちは飛ばない、とちゃんと知っているのだろう。


犬や猫は人間の人種の違いまでをも分かるに違いない、と誰かのエッセイかなにかで読んだことがある。
アジアのひとは滅多に訪れないようなヨーロッパの田舎に行った時に、すれ違いざまの野良犬にかなりぽかんとした顔で見られた、とそのひとは言っていた。
私にもオランダのGroningenの外れの公園を散歩したときにすれ違いそうになったおばあちゃんが私を二度見し、ぴたっと足を止めて呆然とした表情をしながら全身で私を見送った事を覚えている。
きっとこの犬もあんな感じだったんだろうなあ。

初めて見たものに対する、ほえぇー…なんだありゃ。という驚きとか好奇心って、全身からビームみたいに発せられるものなのだ。

覚醒の手段

昨日のリハーサルでは少し、自分のなかの感覚が違った。
なにがそうさせたのかは分からないけれど。
自分の四肢のありかがわからないままということがなくて、かといって把握できているわけではないのだけれど、あれ、どこだっけ、どことちゃんと引っ張り合っているんだっけ、ということを常に考えようとしていた。

からだが見えなくなっている。
なにが感覚を曇らせているのかは分かっている。
遠のいているなら手繰り寄せるだけだ。
新しいものも一緒に。


とても綺麗な夕焼けを見た。
燃える綿の隙間にまだ薄い青空が残っていてしまもようになっていた。
家といえを繋ぐ電線に紅色のような橙色がほそくほそく映っていて、懐かしい気持ちになった。


ちゃんとことばをくちにしないといけない。
してないから辛い、という感覚があるわけじゃない。
考えすぎて固まりが口を塞いでいるわけでもない。
ただ、今、ふと浮かんだこと。
ちゃんとことばをくちにしないと。

言うべきじゃない言葉、臆病になってひと呼吸のあいだにどこかに閉じ込められてしまった言葉。
発する前にはすごく慎重になるのに、どうして一度口から滑り出すとつるつると暴れ出してしまうのだろう。

その全てに責任を持てない、
だから、発しない。
ではいけない。


さあ。
今日もちゃんとお風呂につかろう。
『ムーミン谷の彗星』を読もう。

No Pain


月のようにまっすぐきみを照らしておずおずと指をのばすけど
あたためてあげたいのか
そこに閉じ込めておきたいのか
わからなくなる

見上げてくれたら
瞳の奥までのぞきこみたいのに

だけど
そのあとなにを語ればよいのかがわからない

ときは止まって



月のように
たったひとつのものだと
確信できればいいのに