ちゅん、動物のあたまのなかみ | アマヤドリ

ちゅん、動物のあたまのなかみ


桃を剥く母の腕にちゅんがとまり、ひとかけらをねだる。
桃がお皿にのり私の目の前にくると、今度は私の肩にとまり、おねだりをする。
ひとくち食べるたびに私の口を覗き込むようにして慌てたようにぱたぱたと足踏みをする、その必死さと足のうらのあたたかさが愛しくてたまらない。

ちゅんはひとと一緒にお風呂に入ることが習慣になった。
私が早い時間に家にいることは滅多にないから、今はお父さんかお母さんと一緒みたいだ。
我が家は7時ごろから夕飯を食べお風呂に入るのは8時半くらいからになる。
これまでだったら8時ごろからもうだいぶん眠そうにしているちゅんなのに、今はそのころになるとお風呂場の前で待っているそうだ。
夕方の水浴びをせずにお風呂を楽しみにしているなんて、なんて可愛いんだろう。あのちっちゃっこい頭の中にお風呂はあったかくて気持ちがいいぞ、という記憶がインプットされたのだな。


ちゅんは私たちとは違う動物なのだということを当たり前に受け入れているんだろうか。
それともどうしてうちのほかのひとたちは飛ばないのかな、と不思議がっているのだろうか。自分はなかなか大きくならないけれどどうしてかな、とか。

ひとはよく、犬と猿が親子のように仲良くなっていたり、ネコがひよこを育てたりすることを不思議に思ったりする。姿も違うし種類も違うし、きっと言葉も違うのに…と私もよく感動したりする。
だけど動物にとってはすがたが違うことなんてべつに特別でもなんでもないのかもしれない。
この地球に生きているのは自分だけじゃないと知っているから。

だからちゅんもきっと、自分は飛ぶしこのひとたちは飛ばない、とちゃんと知っているのだろう。


犬や猫は人間の人種の違いまでをも分かるに違いない、と誰かのエッセイかなにかで読んだことがある。
アジアのひとは滅多に訪れないようなヨーロッパの田舎に行った時に、すれ違いざまの野良犬にかなりぽかんとした顔で見られた、とそのひとは言っていた。
私にもオランダのGroningenの外れの公園を散歩したときにすれ違いそうになったおばあちゃんが私を二度見し、ぴたっと足を止めて呆然とした表情をしながら全身で私を見送った事を覚えている。
きっとこの犬もあんな感じだったんだろうなあ。

初めて見たものに対する、ほえぇー…なんだありゃ。という驚きとか好奇心って、全身からビームみたいに発せられるものなのだ。